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ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Art 絵画/ 建築

Michael Angelo&painters of light ミケルアンジェロや光の画家たちの時代 [update] 

ローマ・ヴァチカン市 シスチナ礼拝堂とミケルアンジェロ天井画
Roma Vatican 02 Collage The Creation of Adam by Michelangelo 02


ミケルアンジェロはルネッサンス期・イタリアの三巨匠の一人だそうだ。フイレンツェの美術館だったと思うが、三年がかりダビデの像を見た。もうひとつはバチカンの高名な礼拝堂にあるフレスコ壁画。恐るべき芸術家である。信じられない人々が歴史にいる。ため息をつく間もなく、圧倒される。

ヴァチカンをもう一度訪ねたい。なぜなら、昔行った時、双眼鏡持っていず天井の小区画に描きこまれた画を詳しく見られなかった。すべてが美術書に載っているが、ホンモノをその現場で見る体験は異なる。例えてみれば、リアルマドリッドとバルセロナのフットボールをTVで見るのと、観客で埋まるスタジアムで背伸しながら見ると言う違いだ。

ベンハーと言う70mm映画の嚆矢で、大ヒットした聖書物語を御存知の方が沢山いるだろう。半世紀前だった。USらしい旧教信仰者が好む聖書っぽい、カビの生えるような物語。トントンと響く名前のチャールストン・ヘストン主役スペクタクル。何もない空虚な点から徐々にカメラが引いていく始まりが印象に残っている。左(だった?)に神が差し出した腕と手が、右にアダムの下垂した指そして手/腕が現れてくる。しなびた指と手に、やがて神の手/指から生命が吹き込まれる。映画は、創世記神話の一場面から始まる。

その天井画を礼拝堂の床から見上げると、まずそんな水平の位置に見えない。床から見上げると距離があり、他の区画に描きこまれた他場面と区別して観察して観賞するのは”しんどい”。もしも次の機会があるなら、コンパクトな高倍率双または単眼鏡を持って行こう。

Roma Vatican 01 Collage The Creation of Adam by Michelangelo 02

この礼拝堂の主役は、マア恐ろしやと言う大作"最後の審判”である。過去の偉大な芸術家はさような大壁画に数年をかける。典型は Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoniである。当時の例外的な長寿であり、それゆえ分野と作品は多岐にわたる。彼はローマ市内のヴァティカン、ピエトロ広場の建築群の基本設計者である。広場はクリスマスや復活祭の法王演説や法王選挙のTV実況の時、人々で埋まる。そこから’最後の審判’壁画のある礼拝堂が良く見える。壁画は1537年に描かれたらしいから、礼拝堂自体はローマ都市計画の実施初期に竣工したと思われる。

極東の離れ列島では、信玄(シンゲン)父の武田 信虎(ノブトラ)や今川義元ら武将が活躍する戦国時代だった。極西に当たる反対側のブリテン大島では、アン・ブーリン(エリザベス一世の母)後を襲ったジェーン・シーモアがヘンリー待望の男子を生んだ西暦年の前後になる。ジェーンは子を産んだ9日目に亡くなる一方、世継ぎ・男子誕生によって一代目先妻の女子マリーと二代目の女子エリザベスがいずれも王位継承権を失墜 [補注1]。

信虎や義元がチューダー2代目ヘンリー8世と同時代人。彼らは互いに存在を知らない。SNS時代から思うと、当時の東西世界は互いに孤立していたのだ。彼らを互いに合わせて見るSFフォルムを作ってはどうか…。

ミケルアンジェロに戻り、当時のイタリア半島は、ブリテン島や日本列島と同じで、戦国の世。水の都ヴェニスは長く独立国家だった。ナポレオン後のハプスブルグ家領から、明治維新の頃ようやく統一イタリアに組み入れらた。中世以来しばしばローマは戦乱に覆われ、ついこの間まで、今のイタリアなんて影も形もなかった。

ヘンリーの上さんアン・ブーリンがロンドン塔たもとで斬首された年、カルル5世[補注2]に一時追われたメディチ家が本来のフィレンツェに復帰している。その当主が一年後に暗殺された。そのニュースを聞いた天井画製作中ミケルアンジェロはなんと思ったか? 

ヴァチカンはローマと同義であり、ローマとフィレンツェは言って見れば目と鼻の先。リビアのガダフィー旦那がトリポリから追われたくらいの驚きだったのではあるまいか?当時の大芸術家ながら、支配者のローマ教皇やメディチの命令や注文には従わなければならない。既に還暦を越えた巨匠ゆえに、芸術活動と凄惨な戦いも一つの器に収め、泰然として画筆を進めていたのかもしれない…。

ミケルアンジェロは名前で苗字はややこしい。後世に知られる偉大な芸術家は、その高みによって名前だけか苗字だけで、誰と分かる。ミケランジェロの同時代人ダ・ヴィンチはご存知の通り、苗字だ。画家だけの例としてレンブラントはファン・ラインと言うライン川沿い出身苗字を持ち、普通その苗字は省略される。

稀なる長寿89才のミケルアンジェロは従って複数の苗字無しで、美術史に輝いている。綴りMichelangeloはMichelとangeloの複合語。イタリア発声でミケルになる。ミッチェルとかミシェルはフランス風? USだとマイケルと、はしたなく呼称される。紀元前6世紀頃になったダニエル書と言う文献に初登場して"海戦の神"と言う意味らしい。すると海の戦いの勇者と天使の組み合わせで、括弧良いコンパウンド・ネームと言うこと。大芸術家ゆえに、彼の生前中に同名をもらった男子が非常に多い。

Roma ergens 01
典型的イタリアの町に思えるが、北のほか地域にも似たような雰囲気がみられる。

当然、それらミケルアンジェロは苗字をつけないと分からない。カラヴァッジョ と言う光の扱いに勝れた画家が元祖ミケルアンジェロ逝って5年後に生まれる。ほのぼのとする肖像画や静物画を描き、ファンが多い。黒い背景に光を浮き上がらせる非常にインパクトを与える画法で知られる。この画家を30年ほど前にテレビ放映の映画で、私は知った。それまで知らずと言うことは、欧州美術史研究の進歩、そして作品の再評価と広範な市場化がこの30年に起こったと考えられる。出版・情報のグローバル化、特にインタネットの一般化が知られざる作品を世に知らせしめる…。[補注3]

光の画家と美術史で習ったのは カラヴァッジョの一世前、北のニュールンベルグ生まれアルブレヒト・デューラー。ルネッサンス期の潮流は全欧で渦巻き、光を研究して扱う画家が沢山いたのだ。デューラーは例えば影に浮かぶ人物ブロンド髪に落ちる光条、光のうねりを見事に描いている。カラヴァッジョは当然、それからも学んだ…。

彼の数十年後にオランダでヤン・ファン・デル・メールが活躍。ファン・デルをつづめて、フェルメールと言う苗字が現在知られる。van der → ver。このヤン姓名はファン・デルフトをつけて完結する。彼はデルフト出身でデルフトの素朴な町や女性を描いた。カラヴァッジョの影響と言えるかどうか? 時代精神/画法を駆使したやはり光の画家の一人。 小作品ながら、うなぎ登りの人気は時代性ゆえ、私は思う。ミケルアンジェロやデューラーのような伝統宗教的"重み"から自由だから、今風な共感が感じられるから…。(10年前のモーリッツ美術館フェルメール展は混雑しすぎて幻滅)。

Vittorio Emanuele I  A

ミケルアンジェロは長い一生を独身で通した故に、大芸術を残した。と言う説に一理を認めることができよう。つまりへテロ愛でないタイプの人々がイタリア芸術を支えてきた…。上の建物はしかし半島を初めて一つにまとめた波乱の国王エマニュエル2世を記念する19世紀末の建物。壮大だがこけおどしっぽい…。恐らくヘテロ普通の男の設計かも。

あちこちネタが散らばる出たら目な作文なので、”落ち”を付けないといけない。と言うか、書き忘れを付け加えよう。カラヴァッジョのファーストネームはミケルアンジェロである。親は偉大なミケルアンジェロのようになってほしいと名付けた。彼はシシリー島からローマまでの光の充分な南イタリアで画材を見つけ、光と影をキャンバスに残した。親の期待をはるかに上回る勝れた画家になった、と私には感じられる。

【補注】;
1.Edward VI (12 October 1537 – 6 July 1553)
2.カルルの伯母はヘンリーⅧの一代目の正式妻。Catherine of Aragon (Castilian: Catalina de Aragón; Aragonese: Catarina d'Aragón; 16 December 1485 – 7 January 1536) はじめヘンリーの兄・アーサーと結婚。彼の病死により、王位継承者1位の弟に請われ、女王(王の妻)になる。1533年、トーマス・クロムウェルの画策により、アン・ブーリンに座を譲った。ローマ法王はアラゴンのキャサリンとヘンリー8世の離婚を認めず、これが英国国教会を産みだした。つまり’独立した’イングランド国教会はその結婚を無効としたので、アンはヘンリーの妻に’就任’できた。
3.買い手は、支那とロシアから殺到すると言われる。
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Ordinary People 雑人雑名

スコットランドのElizabeth & Mary [update by pictures on 22 Nov, 2017]

Zwanen Fam 01


エリザベスと言う人名・固有名詞をこれまで数回扱っています。たまたま幾人か同じ名前が出てきた、と言うわけでありません。苗字エリザベス も在りそうですが、常なる伝統名ながら、特に16世紀半ばから英国で人気を得た女性名に思われる。以来、大英帝国圏(=commonwealth )を主にして、世界広く女の子に付けられる名前ですね。

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Linlithgow palace. North front

現在の英国君主「エリザベスⅡ世」は人気理由の源である初代にあやかったのかも知れません。Ⅰ世の名声上る頃、ブリテン諸島全域で生まれた多くの女の子がエリザベス名をもらいました。もちろん貴賎を問いません。ブリテン本島の北部エディンバラ近郊の村でも事情は同じです。[note 1]

スコットランドで北海がブリテン本島にそっとくい込んでいる部分は、世界地図を見て直ぐに分かります。そこにエディンバラが見つかる。こじんまりとした森の都。そこから西に23km行くと小さな町ウエストロージアンがある。ひなびたド田舎と言う感じながら、モダンなショッピングセンターもある。さらに真北10kmにリンリスゴーというピクニック出来る遺跡がある。ステューワルト王家の別城だった。帰りは逆の進路を東にとる。海の見える湾沿いにエディンバラにたどり着く。短日なら、この周遊コースを私は勧めたいです。

ウエストロージアンは最近少し知られるようになった。地元スコットランドの人は知っているけれど、同じ島にあってもそれ以外のウェールズやイングランドの人にはまず未明の場所。歴史好きや古城めぐりファンなら、知っているでしょう。なんとなればリンリスゴー城が属する行政区だから。

一寸脱線。この見知らぬ田舎町に生まれ育ったのがスーザン・ボイルなんです。Britain's Got Talentと言うTVショーで、井戸端のオバさん然とした中年女性が強烈な声量と見事な歌唱を披露。容姿外観との対照がBritainだけでなく世界を驚かせ、彼女は数カ月にしてスターダムにのしあがった。Youtubeの影響力が彼女の人生を変えた。スザーン・ボイル現象が逆にその番組の各国版を生み出し、製作者は莫大な利益を享受。ショービジネスのタレントを生み出す世界トップ番組になったと言うこと。インターネット時代のシンボル的事象ですね。
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地下の台所


話をスコットランドにもどし…。昔むかし…といえど日本の平安時代…海向かいのブルターニュからスコットランドに越してきた有力な家がありました。ブルターニュからのイングランド域のノルマン征服に呼応しています。その家の役職名はHight Steward (又はwart)と言います。日本なら"家老”に当たる要職。それがやがて次世代の苗字になる。これが王家Stewartスチュウワルトの走り。初代王はRobert Ⅱ(1316-1390)。彼を継いだのは長男John(1337-1406)でRobert Ⅲを名乗る。その三男がJames1となり、以降のスコットランド王職名ジェームスが生まれたんです。 [note 2]

James初代がこれ以後のスコットランド王に継承され、ブリテン大島に於ける君主連合が成立した時、六代目は同時にイングランドでジェームスⅠ世となります。1代から5代まで苗字綴りStewardで通したと言う説あり。どの代がどこで生まれたのか不確かながら、たいていリンリス宮殿で生まれているような気がする。そうならば、子息子女は幼少時代をこの’別荘’で過ごし遊んだ筈です。5代ジェームスは隣りヴァロア朝の王フランソワの17才娘とノートルダム教会で盛大な結婚式を挙げています。宿敵イングランドに対抗する政略結婚と言うより、この二国はブルターニュ=フランスにルーツを持つ王侯縁戚グループだから…。残念なことに、ジェームスの新妻は病弱で、帰国後間もなく亡くなった。十代の若死ですが、中世では別に珍しいことではありません。

彼は次の女房として、二人息子持ち出戻りギーズ公爵長女マリーをもらいます。これはうまくいって連続して息子二人をもうける。喜び安心したのも束の間、二人ともすぐに死ぬんです。夫妻は振り出しに戻るんですが、1642年12月、リンリスゴー宮殿においてマリーは女児を産みます。現在の女性に比べると、昔の高貴なる女性の任務は過酷でした。避妊術はなく、常にみこごもらねばならない。家系存続の義務を負う王侯の后はなおさらです。とまれ世継ぎ誕生ニュースが、イングランドHenryⅧと戦役中の旦那ジェームスⅤをワアーと狂喜させたのかどうか私には不明。彼は同じ12月、ぽっくりと黄泉の国に行ったんです。ただの熱病と伝えられていますが、、、、。

王様たる父親が逝ったために、娘は即スコットランド女王職を継ぎます。実際政治は重臣達が喧嘩しながらも取っているわけ。女児は母親と同名でややこしいながら、マリーは6才まで自然豊かなリンリスゴー宮で育った。6才の時、アンリ2世フランス王から4才息子との政略結婚の申し出でがくる。アンリのヴァロア家とギース家とは親戚、小さな親戚サークルの話で不思議でなく、トントンと婚約話が進んだ。

同じ年頃のえり抜き少女たち(同名マリー数名を含む10名ほど)と侍女たちを伴い、マリーはパリに召される。6才から適齢期(15才頃)まで十年みっちりフランス式女帝学を仕込まれるわけ。パリジェンヌに育った筈。ただし当時のパリジェンヌが何だったか、見当もつきません。

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屋根/天井のある廊下展示の素描。本物でなくコピー。
軽快な筆運びの写実から、実像を伺える。


当時フランス人も二音節目wardを発音できなかったんです。それで母と義父の国をたてて、彼女はStuart綴りにしたらしい。アンリ2世が40寿命を全うすると、王子は”子をとって”王になる。ひ弱な体質14才にしてデカイ大きな16才マリーとの睦みあいなので、世相曰く「サア種を出せんの?」の心配通りになりました。ノウヨウ(膿瘍)と言う21世紀普段聞かない病でぽっくり、親父の後を追うように亡くなるんですね。結婚して2年、病弱亭主ゆえ、実際の夫婦生活はなかったらしく、マリーはフランス王嫡子を作れなかった。ここまでのマリーは従姉妹チュダー朝エリザベスと同じヴァージン・クイーン、しかしその後の"フランス王妃''呼称を得ています。言い換えれば格好良いいアザナを持って翌年13年ぶりに故郷に帰る。"フランス女王”であるスコットランド女王に待ち受けているのは波乱万丈でミステリーに満ちる未来。

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内庭を囲う上階の屋根/天井は全て消失。左は大広間ながら、やはり石組だけを残す遺跡
室内の装飾壁や窓枠は無い。復元したいそうだが…


彼女の二人目の三つ若い旦那をヘンリー・ステュアートと言います。ヘンリーの父親方Steward綴りが何故Stuartになったか不明。こう言う子音や母音連続は書き間違いや見落としがしょっちゅう起こり、役場の叔父さんだって管理が大変だ。このヘンリーの母方祖母とマリーの父方祖母はマーガレット・チューダー。つまり彼らは従姉弟の関係。ついでにマーガレットはHenyⅧの姉、つまり エリザベス1世の伯母にあたり、彼らの親戚等親関係が分かります。

マリーは男子を宿す。唯一のお腹を痛めた子ですから、伝統名ジェームス6世になるべく赤子です。旦那ヘンリー、と言っても大喧嘩したのかマリーの気が変わり、次の旦那までわずか2年一寸の期間。ちなみにヘンリーは庭園にて死体で見つかりました。誰が考えても次の旦那の陰謀でしょう…。マリーがかんでいる可能性は大きい。[note 3]

天国に行かされたとは言え、ヘンリー"このステュアート”苗字が、同君連合国家スコットランド+イングランドの王ジェームス1世として立つジェームス6世の新王朝名になる。男女を問わない継承者が父方苗字を名乗る原則。これは21世紀13の欧州立憲君主国の殆どにあたるようです。

立憲君主の時代になりそれが純粋な象徴職ならば、男子限定は古風かつ現実的でありませんね。男子のみ原則がもしイングランドで採用されていたら、エリザベス1世もヴィクトリア女王もなかったのですから、歴史ファンにとっては興が乗りがたいのでは…。

"フランス王妃”がStewardをStuartに変え、それを生涯用いますが、このステュアートが新王朝名になったのではないのです。ややこしいながら、そんな塩梅になっています。現代ブリテン人に自国史ながら、このあたりの誤字・脱落・字順転換・変更のごちゃ混ぜなど、誰も気にかけていない。その王妃の一人息子6代目ジェームスはデンマーク・ノルウェイ王の次女アンをエディンバラに迎えます。ようやくボヘミアの女王エリザベスが誕生する御ぜん立てがそろう運びになります。

日本ではちょうど秀吉が明と朝鮮の扱いについて講和を探っている時だったようです。こっちの話し合いはまとまらず、関白は朝鮮出兵の大号令をかけます。ドーバー海峡を越えブリテンに進入したいかなる軍勢をも上回る14万とありますから、驚きます。日本は欧州中央諸国よりも大人口国家だった、と考えなければならない。同時にそれはこの西洋と極東に並行する相似的現象があったと言うこと。

時は1596年、父親30才。祖母マリーは9年前に断頭台の露になっています(前の日記にエピソードあり)。その処刑を承認したエリザベス1世はフランスとオランダ"七つの連合体”と三角連盟を組みます。女王は初め仏蘭仲良し組に加わりたくなかった。フランスは常なる敵、それに小ざかしい蘭の世界商い制覇も苦々しかった。

ところが4月にカレー(高速列車のユーロトンネル町)がスペインの要請でフラーンダレン(≒現ベルギー)総督アルブレヒトのオーストリア・ハプスブルグ軍に占領された。と言っても80年戦争中のスペイン駐留軍が実質で、アルブレヒトは青年期に叔父スペイン王に薫陶を受けているので、ツーカーで動いたんです。

カレーはブリテンと大陸を最短で結ぶ要港で、その前2年間ブリテン支配地ですから、奪還しなければなりません。エリザベス女王は決意して、満63才の誕生祝いの一月後の10月に三者協定にサインします。既に父親最後の妻再婚相手に弄ばれた少女の傷を遠くにして、スペイン艦隊を蹴散らした後に幼馴染ダッドリー伯も逝き、ヴァージン独身境地に達した老獪な政治家。エリザベスとは国民に慕われる大君主名です。同じ8月エディンバラで産声を上げた少女[note 1]がエリザベス名をもらうのは殆ど自然な成り行きだ。

三者連盟がオランダに与えたメリットのひとつはメンバー二つの専制国家がオランダグループ体をドゥ・リパブリックとして認めた実質性です。州や町がばらばらに蜂起・反乱しているのでは無い。一つの共和国が宗主国スペインから独立して対峙していると言うこと。

神は全てを満たす。ヘブライ語(≒古代イスラエル語)の意味、それをアルファベットに書き換えるとElishbaとなるそうな。これがギリシャに入り(ギリシャ文字を表示できません…)、さらにローマでラテン語化されたのがElizabetha。ブリテン表記zが大陸だとsの場合が多くなる。

使われたのは東方教会(≒ギリシャ正教)で、まずロシアに北上して、旋回してドイツや低地域(蘭白耳義)に伝わり、さらにフランス・スペイン(西班牙)に普及した女性名。最後の地のIsabel形が中世ブリテンでもかなり流行ったらしい。10世紀以降、ハンガリーのエリザベスなど時々知名人が見えます。

ハンガリー王の娘はわずか24年で悲惨な最期を遂げるんですが、宗教的に最も顕彰されるエリザベス(独:エリーザベト)でしょう。政略で幼少にてテューリンゲン侯爵(ランドグラーフ)家に預けられた。跡取り息子と14才で結婚。子供を作り幸せだったのが旦那の十字軍遠征で人生が狂った。信仰心に篤く、後世テューリンゲンのエリーザベトとして歴史に名を留める。ヘッセンの小都市マールブルグの今日は彼女に負っています。ドイツ語圏のエリーザベトは彼女由来と考えるべきでしょう。

Elizabeth 2 collage 03


エリザベス1世の由来は父親方の祖母Elizabeth of York からと言われる。プランタジネットの内輪もめはバラ戦争。その一方ヨークのエドワード4世の妻も娘もエリザベスだから、そのヨークのエリザベスをもらったわけですね。ところが聡明にして魅惑を売った母アン・ブーリンの母親もこの名前。両親にすれば、由来を偲べる重宝な命名で直ぐに決まったと思いますね。アンが斬首されるので、アン方の由来は言うのをはばかったのでしょう。

ヘンリーにしてもアンにしても、自分達の娘がその後4~5世紀の英語圏ベスト5に入る名前に相応しい業績を残すとは知る由もありません。没後2世紀、国教会の女の子の20%を占め、全欧は言うまでもなく英帝国拡大と共に全世界に普及します。

ブリテン苗字のベストスリーにテイラー=Taylerがあります。裁縫仕立て屋で鍛冶屋スミスと同じ職業名の代表。これにLiz を付けると、若い時の小柄で美貌、数々のヒット映画の大女優が登場します。エリザベス女王とボヘミアの女王の同胞ですから当然で、本名はキチンとElizabethと書きます。

言語の違いで多くの記述方があり、読解出来ませんが例えば露やチェコやギリシャ版。省略形は百や二百あるでしょう。リズのほか代表例はBetty、Bess、独:Elza、Liesl、伊:Bettina、仏:Elise、Lisette、Babette こんな具合。スペイン・ポルトガルでは Ysabellと言うのも。オリジナルと元のスペイン形が合体したEllizabellaなんてのもある。日本でもエリやリサと言う趣がこれに属するでしょう。これらは"種の起源”なみに進化して、互いに国境を越え侵食・帰化して最早オリジンたるElizabethと無関係に独立固有人名詞になっています。

本日Elisabeth Murdoch が父親Rupert のメディア帝国News Corpの重役にならないと言うニュースを見ました。彼女はシャイン(Shine)と言うドラマやショウ制作会社をブリテンで興し、大成功を収める父親譲りのビジネスウーマン。

The TudorはNHK大河ドラマに似た大げさな脚本のコスチューム時代劇。その時代はこうだっと言う(言い訳があり)リアリティーある王族男女の交わりシーンと豪華絢爛衣装だけがとりえのTVシリーズ。嘘っぱちハリウッド戯作だから、各国版吹き替えで売れに売れた。この他にもスリリングなSpook等シャイン製作があり、やり手マードック子女だとお分かりになるでしょう。

ニュース・コープがブリテン政権要人と警察トップを抱え込む。その悪の構造が先月暴露され、これから独立調査委員会で検証されていくでしょう。しかし「それが悪なら、ワシの時代を何と言う」とボヘミア女王エリザベス三男ルパートの声が聞こえる…。一代限りDuke of Cumberland公爵位を後期にもらい趣味心に富む個性の人だから、同名ルパートの商い戦略に大騒ぎする未来に片目をつむるかも…

ルパートが娘リズの創造的エンタメ企業をマードックグループに加えるなら天下無敵と数年前に望んだそうです。独り立ち娘さりて、半世紀の片腕も去り、お気に入りレベッカも去り、老人の気持ちは…つわものどもは夢のあと…  なんだかホスニ・ムバラクの心境にも通じそうですね。

記:2011-08-07]

【Note】;
1. ここで言うエリザベスはずっと後の人、ボヘミアの冬の女王。飛躍しすぎで深謝。

2. 飛行機内の世話する人をsteward、女性形はstewardess。本来stewardは格高い家の家事責任者。あるじが大名ならば言わば家老職に相当するかも。この機内サービス員の仮名はステューワード/ステューワーデスと思います。 

3. 女王または后が亭主または王を暗殺させる謀略はしばしば歴史上あり、露西亜エカチュリーナによるピョートル3世抹殺は好例。


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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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