ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Politics and economics 政治/経済

内閣短命の不思議


今週の花。英語彙でObedient plantと言われる。花柄を優しくつかみ、向きを変えるとその位置に落ち着いて留まる。加えられた力に従順である植物と言う意味か...。普通は太陽向き加減で、開花した花がいっせいに一方向に向く"指向的従順性"ですね。無論それもあるんですよ。花柄のない蕾は従順になりませんが..とまれ面白いデス。北米大陸自生のシソ科らしいが、他大陸に渡り、庭から逃げ出しているようだ。「花虎の尾」と言う和名をもらっている。

Physostegia virginiana 001-2 しそ科フィソステギア属Obedient plant

昨日ひねもす、ラジオで日本の新しい首相を伝える短いニュースが続いた。野田○○氏名と過去五年間で6人目の宰相と言う説明がセットになったテキストである。後者が必ず付くのは中央欧州ではまずない現象だからでしょう。日本はベルルスコーニ以前の短命内閣イタリアに並ぶか、それ以上に短命内閣の伝統を"誇っている”んですね。 

1. ドイツ1949年アデナウエルから2011年メルケルまで8名。
2. オランダ1945年以来しょっちゅう倒閣して現在のマルク・ルッテは16人め 。
3. UK戦時内閣チャーチル以来、現在のキャメロンまで13名。
4. フランス大統領は戦後直ぐの第4共和制2名、第五共和制ド・ゴールからサルコジーまで8名、計10名。
5. イタリア 長期記録更新中ベルルスコーニを除き、平均内閣寿命は1年に満たない。何人か複数回勤めているが、戦後の首相経験者はほぼ30名。
6. 日本戦後は臨時でない幣原(シデハラ)内閣から数え、なんと30余回の内閣変わり。

何故だろう?政治研究者でなくても普通の欧州人が頭をひねっている。半世紀以上、居座り続けた自民党馴れ合いの結果でしょうが…。日本の内閣総理大臣は官僚の上に座っているだけで済むから、自民党内の順番が来ると宰相になれる。猫も杓子もなりたいから、在職期間を短くするルールが必然的に働く。

自民党(だけでないが)"派閥”もある。"世襲”もある。縁故・地元に票を入れる”糞ったれ”選挙民がいる。戦後のエリート政治ファミリーズと言える吉田・岸・池田・佐藤という流れは、あるいは小泉政権の場合は長いと言うかやや例外ながら、これらを含め日本政治の構造について私は全く不明です。

地球の生態系とか、生物環境とか、植生ビオトープとか、左様なアナロジーから日本政治事情を研究できるかも知れない。日本的な例えば"派閥”は欧州に存在しないから、欧州に於ける政治研究の勝れた伝統も刃がたたないように思われる。"腹”で以心伝達できる日本人の政治学/学研ならば論理にかなった仔細な解説を出来るのだろうか?

地震津波フクシマのずっと前、10~20年続いた日本の停滞は政治の貧困ゆえ?それとも政治含みの文化的土壌がなすもの? 小泉前後にドングリの背比べで立った総理大臣は何者だったのだろう?その頃、モーリデブと言う言葉を聞き、英語仮名かと思った。後で一人の総理経験者だと分かり唖然とした。浦島太郎の世間知らずとは言え、こう言う場合を除き、欧州政治ジャーナリズムに国際的役割についてウンともスンとも書かれない日本政治事情を物語ってあまりある。

政治の質は国民の質の表現だから、短期内閣も普通市民による"政治的表現”と言うのは屁理屈理屈でしょうが...。悲しいですね、なんて悲しがっても仕方ないか…。なぜなら、左様な天を仰いで嘆息する人は欧州に一杯いるんです。何時だったか、我が家に逗留したイタリアの溌剌とする青年達が、祖国の政治スキャンダルに両肩をあげて諦め嘆いておりました。

ブリテンの元気のいい大学生たちが議員経費でマッチポンプの商いする政治家連中に、同胞として誠に恥ずかしいと正直に述べています。民主主義と議会政治の発祥の欧州中央に、こうした破廉恥があちこちに転がっている。破廉恥でないけれど、愛するベルギー連邦はなお政権立たずの世界記録を更新中である。恥ずかしいことも新記録もぎょうさんあるのが不可思議に思われるが、ひょっとすれば、均質的な21世紀のグローバリゼーションかと馬鹿げた連想をしてみる。

Anemone hupehensis var. Japonica  004
一輪草属の原産日本の花。八重咲きも色違いも多くの園芸種がある。たいてい見るのはこのタイプで、和名を知らない。"日本のアネモネ”と呼ばれ、しばしば庭に植えられ、たいていの人が知っている。やや湿地に賑やかに出てくる白い"森のアネモネ”があるので、それに並べて覚える意味で出身"日本”をかぶせているんですね。森アネモネをわざわざ庭に育てている人はいない。日本の一輪草種をまだ溝や野原で見かけたことはない。世話が必要なのだろう。ただし私は何の世話もしていない。わが壷庭の原則は何もせずほうりっ放し。でなければ雑草が出てこないドー。
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Politics and economics 政治/経済

ドイツは何処へ行く? リビアNo-fly zone指令1973棄権でつまずく

1989年11月9日深夜、既に10日に入っていたと思う。ベルリンからのライブを世界が目撃した。ケーブル・ニュース・ネットワークCNNの24時間放映、西独と蘭の公共TV 6局も現場に駆けつけていた。事情がつかめない。しかし東から人々が歓喜しながら西ベルリンにドォーッと入ってくる。

数日後、西ベルリン見聞の東の市民や、東独製ドタバタ走る乗用車トラバントが検問所を通過。ムンムンとした期待と喜びが伝わる。政府間交渉があるのかないのか、サッパリ分からない。情報が交錯した。誰か東独高官が通行自由を宣言して、人々は東西ベルリンを行き来しだした。

それとも混雑するほど行き来するので、自由宣言せざるを得なかったのか…。チャーリー・チェックポイントは検問の役目を終えたのは確かだ。(ベルリンの壁8月14日、ヤマモミジと東ドイツ16日、ご覧ください)  1961年8月前に戻ったわけ。市民に西独通貨の一時金配給があり、半ば混乱しつつ西独の事態打開への必死な様子が感じられた。
       Carlie Checkpoint 02 copy
This sean is often used everywhere since 1963. I had a pamphlet of those series which I got nearby Carlie point in 1978.

ドイツ民主共和国(東独)第一書記ホーネッカー、二期めの西独首相(連邦首相のみをカンツレルと呼び、16人の州代表は第一首相のように呼ぶ)ヘルムート・コールも、米ソの親分二人を含め誰も予測できなかった東西合併が翌年秋に成立した。彼等は忙しく会談し、しょっ中CNNに現れた。

それは形式上も実質上も、1910年日韓併合と同じと思われる。東独政府は国土を5州に再区分してドイツ連邦の州として編入する手続きに合意している。西独政府が武力によって恫喝したのではない。東独は納得したわけだ。ベルリンの壁が"なし崩し10日間ほどで”機能消失して間もなく、ゴルバチェフ(まだ肩書き)書記長とW ブッシュ(父親の方)大統領が冷戦終結宣言をするんです。

       Gorvachev
ドイツ一体化と冷戦消滅の立役者として歴史に名をとどめるのはこの人と、コールになるでしょう。上写真は1991年8月クーデターの20周年目のインタビュー。8人ギャングはクリミア別荘にG夫妻を監禁するが、支持を得られず、戦車上のエリツィン演説などにより、クーデター劇は3日後に幕を下ろす。

アンゲラ・メルケルは東独消滅後、確かベルリン南部地方からCDUに入党。コールに可愛がられるんですね。軽いポストの閣僚から始まる。元東独とのバランスと女性登用ファクターに助けられ、運を味方にして党内で急上昇。赤-緑の連立政権時代(社会民主ゲルハルト・シュレーデルとグリーン党ヨシュカ・フィッセル)野党第1党々首を勤める。

カンツレル候補CSUのEストイベルの伝統的バイエルン高慢/優雅に助けられ、保守党首相候補になる。バイエルン女性陣から絶対反対を受けながら、2005年11 月女性宰相に就任。いま2期目6年目を走っている…。

党内の並みいる党首名乗りの頭を巧みにたたいて凹ます。並ぶ男性ライバルがいない。しかし3月17日国連(United Nations)安保理リビア上空No-fly zone 議決でガクンとつまづいた、と私は思う。 飛行禁止域のことだが、実際は議決に賛成した側に属する戦闘機による攻撃をその"域”に於いてドンパチ打って宜しいという規定である。

ドイツは戦後、連合国サイドの人々の冷たい目にじっと耐えてタエテ耐え忍びながら、米英仏に最大限の協力をしてきた。ヒットするエンタメ戦争ハリウッド映画の悪役は常にドイツでした。サウンド・オブ・ムユージックはドイツで大っぴらに上映されませんでした。

健やかな歌と数々のメロディーはドイツの子供達と無縁だった。30数年前あちこちで何度もトラップファミリーのアメリカ巡業やドレミの歌の話題をしたのです。何の話なのか誰も分からず、ポカンとされたのがショックでした。

同じ枢軸国・日本では誰もが映画館やTV放映で楽しんだミュージカルの映像はドイツで映写されなかったようです。倒されるべき悪しき国が自分の祖国なら、愉快な場面も美しいリズムも空しく白々しい。誰が見たいと思うでしょう。殆どのドイツ市民は知らずに政権の非人道政策に協力し、若者はHヒムラーの親衛隊SSとして戦場に出た。おぞましい戦争を体験した世代は子供達に見せるのを拒否した…と思われるんですね。

       Hermut Schmidt Walfgang Schauble
ヘルムート・シュミットはコールの前任者。93才とは思えない。ウォルフガング・シュッヒブレ68才はコール政権幾つかの閣僚とメルケル2期目の財務相。車椅子の政治家として知られる。今日の対談:現役大臣が大先輩にギリシャ支援の必要性を主張するのは奇妙で可笑しい。煙草をせわしく吹かしながら、元宰相は自説を説き意気軒昂。

同じ西側の人々に知られざる貧しい戦後を黙々と努力、目覚しい1960~70年代の経済成長を遂げ、シュミット政権の頃に英仏に並ぶ以上の力量に達した。米英に歩調を合わせNATO一員として今や平和部隊を各地に派遣。その連邦政府を引きいるメルケルは3月17日議決の際、世界を驚かせます。

UN決議は所詮、実行力にかける訓辞的規定にすぎない。シリアのアサド大頭領に対しデモに銃火を向ける弾圧を許さない、と議決したところで何の効果もない。小ブッシュはUN決議無しに、イラクに踏み込みました。頼みはAブレアーとの米英軸ですが…。

湾岸戦争当時までUSは唯一のスーパー大国。ヴェトナム以来、USは常に自己独断を誰にも気兼ねせず実行してきた。逆も真なり。スーパー大国で無い国にとって、それは出来ない。リビアに対する英仏"枢軸”は安保理による建前と名目を是非が是非でもほしかった。結果は10-0で可決されました。

安保理採択なるや否やダッソーF1ミラージュ5機でしたか、火炎を放ち離陸、ベンガジに向かうんです。満を侍していたUSフリゲートから108発のクルーズミサイルが矢継ぎ早に異なる目標に発射された。反乱側壊

初めNoだった米国も土壇場で訓示指令1973にYesを投じます。円卓会議で左手を高々挙げたのはスーザンE ライス。前国防長官ライスの親戚みたいな印象を受けます。ヒラリー・クリントンの頼りになる補佐、安保理をスイスイ泳いでいる。

御存知の通り 支那とロシアが拒否権を使わず、ヤワな対応をします。棄権投票です。消曲的反対と言うわけ。ドイツが加わった。ロシア+シナ+ドイツと言う仲間、新鮮と言うか過去半世紀に先例がない。No-fly zone提案は可決されるだろう。しかしリビア空爆には金輪際参加しないと言う意思表示。

       UN Secuarity Council
積極的参加をしない理由は外相FDP党首ギドー・ウエステルウェッレとメルケルコンビに充分あったのです。EU内の出来損ない諸国を財政援助し、欧州通貨の守護人にならねばならない。東西の二つの戦線を持てば、いずれも失墜する。さらに原発棚上げの緊急国内事情に手を打たねばなりません。それにアフガン・イラクに手を焼いているUSも棄権すると読んでいた節がある…。

カンツレリンは自由民主党を得て保守連立内閣なって、外から見ても嬉しくてならないという様子でした。さばきやすい若いパートナーを得てこれまでは順風。原発延長による節約分をソックリ新エネルギー開発にまわすと言うFDP政策も首尾よく実現。だが3月17日になって、ギドー氏は内心オタオタする…。枕を並べる筈のUSが抜け、リビア空爆に対する傍観/批判組は露+支那+独ですからネー。

ヨシュカ・フィッセルがまずカンカンに怒った。学生運動の闘士で左翼代表のような履歴、元環境(Grünen )党々首で外相曰く「これまで積み上げて来た米英仏伊のプロ自由陣営関係をぶっ潰した。US・UKの反対に立ち、ギドー君、今後どう言う外交を展開するの?左に位置するグリーン党ですら外交基調を頭に叩き込んでいる。なのに、あなたは何処に行く?」

FDP古参Gバウムが若き党首の選択に疑問を呈しました。彼はヴィリー・ブラントとSDPシュミット政権でそれぞれ内務省次官と大臣を勤めた党の重鎮。「大西洋を中にして向かい合うEU(=ドイツ)とUSと言う基本構造を壊すとはもってのほか!何と愚かな!」伝統のパン・アトランティック(汎大西洋)思想デス。

メルケルに対しては(儀礼的)大統領でCDU党人のクリスティアン・ヴュルッヒが大上段から切り込んだ。「財政援助として行ったギリシャ/アイルランド等の莫大な国債買いがドイツ法に照らして正当かどうか?疑義を持つ。汚職まみれ財政運営の出来ない駄目国家を簡単に援助しすぎる」

16年間ドイツを舵取り、80年代以降の保守路線の生みの親のヘルムート・コール81才は、メルケルのジグザク路線に不満を表明した。宰相を四期すると、誰も意見を言えず、言わば独裁に近い。長すぎると誰でも自分を見失う。その老人の恩師が手取り足取り導いた教え子に厳しい。「外交にコンパスを欠いている。我ドイツの立ち位置が分からぬ。いったい何処に行こうとしているのか!」

       Landschauft Klitiek Kohl

ユーロ通貨圏の一体性をドイツで推進したのは赤-緑(SPD+Grünen)連立シュレーデル政権の時。確か2002年に私は始めて紙幣とコインのユーロ通貨を手にした。旧通貨に換算する手間を取らずに済むようになるまで半年を要したか…。

ドイツマルクと素直に連動したが、ゼロの多いベルギーやイタリア、それぞれ異なるフラン(スイス・フランス)に往生した。ましてやギリシャやスペイン通貨になるとお手あげで分からない。こうして、ユーロ出現は少しずつ馴染まれ歓迎されたと思う。隣村でもアドリア海観光地でも同じである。為替違いを気にする面倒が一切ない。

いま人々はユーロ通貨に対し懐疑的になっている。メルケルは全面バックアップだが、恩師コールのニュアンスは微妙。ユーロ圏からのギリシャ切り時を見逃したと私は思う。二度にわたる貸付金が利子つきで戻ってくると考えるドイツ人は殆どいないだろう。Nサルコジーと連れ立って断固ユーロ死守の構えのドイツ政権CDU/CSU+FDPの雲行きが怪しい。

春にメルケルの秘蔵っ子、CDUを担うと期待された国防大臣グッテンベルグが辞任。スタートが博/学士論文盗作だったのが原因。一方FDP外相ウエステルウェッレの後継と目された欧州議会議員Sコッホ-メーリンがやはり経済学士論文の盗作を指摘された。

WikiPlagiarismと言った作業グループの仕事である。研究者や政治家は見識/良心ある人々であってほしいと言う趣旨だと言う。貴族家系の男前と自民党の女前とが40にして国を背負うキャリヤー途上にいながら、粗末な過去を土台にしている。与党へ寄せる選挙民の温度がヒンヤリと下がった。

外相でFDP党首は選挙敗北の責任を取り、次期党首を譲る。支持率5%、党首候補に誰が出るか定かでない。外交ヨタヨタで焦点が定まらぬと言う左右陣営から矛先をかわすために「我が国のリビア制裁措置が有効に作用し、トリポリ陥落に貢献した。EU諸国中もっとも我が国が力を入れる通貨安定策はやがて好結果を生み出すだろう」と彼は言う。だがこれで安心する人は出まい。

私の向こう村の知り合いはギリシャへの法外な援助に大反対。次期選挙には今の連立与党に投票したくないけれどと言いつつ、サテどうするか?まだ決めていないそうです。
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報われる果実はどんな果実? スーザン・ボイル リビアのファイターズ スティーブ・ジョブズ


リンゴやミカンを思うと、ドングリを果実と言わないですね。熊やリスは好んで食べますが。同じドングリ仲間のシイの実を炒って食べると実に美味しい。だから、やっぱり果実と言って良いか…

ソーシャル・ネットワークの後にメディア/ソサエティー/サイトのどれかをつけてSNM / SNSと略されます。それぞれ違った趣があります。大雑把な私はどちらでも気にせず、早い話YouTube、Twitter、FaceBoekの別称にし ています。United States の30才前後(と思いますが詳細は不明)のInternetマニアが開発して、わずか数年で彼等を大長者にした。社会的インパクトを与えると同時に、"大商 (オオアキナイ)”出来る手段でもある。

今日は二つのニュースに占領された。1.昨日コンパウンドを追っ払われた旦那のトリポリ捜索 2.健康理由でアップルCEO (chief executive officer )辞任するスティーブ・ジョブズ。1は死体/生存逮捕に拘わらず?150だか懸賞金をもらえる。学生/電気屋/パン屋と言った素人が鉄砲打ちを習い、半年 戦い、まだ生きている連中への奨励金? 2はコツコツ25年事業にうちこみ、十年前の音楽MP3開発してから追い風を受け、5年前のインタネット携帯によって一気に加速した。株価急上昇、わずか5年でソニーもパナソニックも抜いて時価総額世界一二(イチニ)になった。

2009年4月にBritain's Got Talent (ブリテンのタレント見つけた)素人オーディション番組がグラスゴーであり、スーザン・ボイルと言う48 才オバサンがレ・ミゼラブル(悲惨)と言うミュージカル中の一曲”I Dreamed a Dream"(夢だった…) を歌った。実況又はヴィデオ放映か知らないが、11日にこの人気番組を見たブリテン人は1千万を超えたと言う。なんと、人口の1/6が見る番組があるんで すね。

審査員3人と満員聴衆を前にして彼女が舞台にいたのは6~8分くらいでは..。会場とTV視聴者から番組始って以来の大喝采を受けるんです。つまり千万人 の人々が熱狂したわけ。嵐のような興奮は、歌唱を含む6~8分のパーフォマンスによる、と私は思う。予期に反した歌の素晴らしさと共に、スーザンさんの人 となりがほとばしり出る審査員とのやり取り…。

Geranium  Drie soorten vruchten Collage 01
風露草=フウロソウ仲間の果実 風と露の草 綺麗な組み合わせ…だが風露の意味を知らない。

千万人だから素人のボイル女史が玄人になる条件になるでしょう。以前ならそれで終わった…かも。今はSNMの時代。6~8分動画が直ぐにアップロードされた。2009年4月現在フィルムをup出来るのはユー・チューブだけだった。公開後72時間に250万回、一週間後6600万回の視聴新記録を作った。

建設省から天下りしている親友が、君にだけ言うけれど、何十回も見たとメイルでそっと明かしてくれました。私はサテライトニュースで知っていましたが、実際に見たのは彼から聞いてから。夏ですから4ヶ月後になります。友人が受けたインパクトと言うか、一週間後6600万回新記録を納得出来ます。彼女の容貌と直截な身振り、素朴な人柄、教会ヴォランティアと介護の履歴などが織り成す衝撃と言うべきかも知れません。

サテライトやラジオで当日聞きかじった時は、ダニー・ボーイのボーイかと錯覚しました。Susan Boyleだった。王様三つ寄り合い所帯ブリテンに同姓同名が一杯あるに違いない。ありふれた名前です。ややアイルランドに多いかもしれません。その綴りは別言語だからBoyleと違うでしょうが、ダニー・ボーイは確かアイルランド民謡…?なので、ボーイとボイルは絡んでいるかもと思ったりしました。。。。。でも99%絡み無しでしょう、やはり。

Aesculus hppocastanum 028 トゲのある球果
棘のアル果実 この実をつぶして、饅頭に出来るそうだ。

リビアは隣アラブ諸国と同じで失業率が高く、ファイターズ青年たちも殆ど職につけなかったと想像される。もしも一つのグループがガダフィーのオッサンやどら息子を捕獲して、懸賞金を(出来るだけ多くの仲間と)分けるなら、努力に準じる適正な収入ではないか。

サイフ・アル何やらと言う次男はブリテンに大きな屋敷を持ち、独蘭にすら数百万ユーロー資産を持っていた。独裁者の息子達の収入は、テープ切りとパーティー参加業、さらに”宮内庁文書課”によるテクスト読み上げ業に従事する立憲君主国の王子皇女達よりもかなり多いと思われる。とは言え、ファイターズを含める普通の若い市民たち収入は、(独裁・立憲に関係なく)血のつながりのみで法外な収入を得る連中に比べると、著しく不公平と思われる…。

癌に侵されているらしいジョブズの収入は物作り25年と音楽インタネット+SNMの大波に乗った軍配さばきゆえの果実であろう。彼のアップル・アイ・フォーンは場所を問わずスーザン・ボイルの動画をダウンロード出来る。スコットランドの小さな町で長年教会に尽くした半ば熟年女性の"華麗なる変身”に、言わば大いなる助力をしている、、、

SNSの機能は写真をとって、何が起こったかを全世界に送ること。そのハップニング動画に同時的に直ぐさま反応して意見を表明できること。リビアの蜂起と前後して、エジプトデモ活動で具体的な力を発揮した。一方で同じSNSがイングランド都市圏の暴動に乗じ「徹底的に破壊しろ」と言った煽動文を送っている。前者は政治的民主グループを生成した。後者は悪しき犯罪を助長する。両者の共通点はいぜれも監獄にぶち込まれる覚悟を持つことである。

歌好きの教会ヴォランタリーのスーザンは何度も喉自慢コンクールに出る内に、すっかり中年オバサンになっていた。母娘、週300ポンドでやりくり、数年前に母を亡くすまで介護に献身、無職、独身。キスも受けたことがないとニッコリ。聴衆を驚かして見せるわよ…と歌う気、やる気に満ち溢れる。ユーモアと気迫。恐るべき健やかさ、朗らかさでは無いか。同じオバサンたちが拍手喝采、賞賛を贈ったのが理解できる。

彼女は今、ウエストロージアン公営住宅に住んでいるのだろうか。長年支えあった兄に家を贈ったかもしれない。広大な屋敷を見つけ、生まれ育った四部屋の住まいから越したかも知れない。ユニークなスターになったのだから、突然48にして長者になったのだから、それまでのつつましさに報われていいのではないか。

ソーシャル・ネット・ワーク/メディアの姿は凄まじい速度で変化している、それは明らかにコーマシャルなビジネスだ。変化が早いから、儲けるのも早い。五年ほど前にフェイス・ブックを思いつき、集中して努力、開発した青年は今一日単位数百万$を稼ぐそうな。バイクや車など物作りによって、こんなに稼ぐことはありえない。どこかが狂っているのだろうか。なぜならアラブ独裁者の息子達ですら、不可能な額に思われるから…

Mespilus germanica 024
小アジア原産 和名→西洋カリン。近年つけられたのか? 似ていない悪名デスね。種名ゲルマニカでドイツに生えると偉い先生が勘違いした命名だから、どこまでも運についていません。腐るまで待ってようやく美味しい! それが命名をおかしくしているのかも知れない。

必死でもノンノン気楽でもいいが、短期間にこれだけ稼ぎと言うのは、もはや働き甲斐の感じられない腐った果実ではないかと思ったりする。ありあまり腐らせたくないので富豪は基金を作り寄付を行うのだが。

スティーブ・ジョブズにとって癌の悪魔から自由になるのは容易ではない。上さんが有機農法自宅野菜園を作り、菜食主義者と昔どこかで読んだけれども、癌の魔手に抗し難かったのだろう。明日から、晴れ晴れ開放感を味わってほしい。それは、報われた小さな果実になるかも知れない。

メイクアップした大歌手? SuBo(スボー)はユーチューブにおいて精彩を放つスーザン・ボイルではもはや無い。公開直後のユーチュブ新記録はザンバラ髪の飾らない"素顔"によって実現されたことを忘れてはならない。後はただの余韻で名声維持する歌手か? 歌に疎い私には判断できない。だから今後に得る彼女の果実は何か、私によく分からない。ピックアップトヨタに乗るファイターズたちが得られるホントの民主主義と言う果実はまだまだ遠くにあるように思われる。アラブの春がもたらす未来は分からない。

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Here&there lands 雑なるアレコレ大地

エディンバラ・フェアー 砦の祭り スカルボロー・フェアー 

古代メソポタミア(現イラク)の言語シュメール語にEdinと言う語彙があったそうです。象形文字が伝えられ訳された結果のアルファベットでしょうが、砂漠・荒野・草原と言ったメソポタミア的土地を意味したそうです。何も無い左様な土地に開墾/進出した部族はもちろん身を守る砦を築きます。

今日どこかに隠れているリビア"酋長”が追い出された屋敷を英語でCompound (Buildings)と呼びます。午後この人に150万ユーロだかの懸賞金がかかりました。スポンサーはベンガジの商い人たちだそうです。首都のコンパウンドは今朝の日記に触れた通り、複合建築である以上に軍事基地即ち独裁を堅持するための要塞でした。"熟語”をCompound wordsと綴るように、複合/混合する性格を帯びた大施設だからです。[カダフィーの旦那をみんな探していますが、見つからんデスネ]

Johanesburg/Hamburg/Limburg、Strasbourg/Luxembourg、Scarborough/Malborough/Marlborough …これらは見ての通り、二語からなる熟語の地名。言語により、後部に相当数の変化形があり、それは上の三例で分かります。木製ラケットで現代テニスを始めたビョルン・ボルグのBorgやアングリカン・チャーチ本山カンタベリーのCanter-buryも同じ。ざっとこんな具合ですから私にチンプンカンプン言語に、いっぱいノヴァリエーションがある筈。

      Kranenburg00
芝部分は昔の堀割り、水堀が砦を守っていた。家屋は環状に建つ。向こうの搭は砦の監視と出入り門だった。いま家屋内部は現代的内装を持ち、こじんまりながら雰囲気ある住まいになっています。外側で庭いじりができますが、どうして降りてくるのだろう?チョット謎。何度も姿を変えてきたが、オリジナルは20世紀前ローマの一つの burg=要塞。

42年間居座った独裁者だけでなくCompound=砦=要塞は人類にとって必要不可欠な構造物であったわけ。ローマはガリア(現在のフランス)からさらに北に侵出するごとに、砦を築いていきました。彼等にとって蛮族である見知らぬ敵に対する前線の身を守る場所です。

御存知Köln(ケルン)はクレオパトラ時代に砦から発展した町。この核から東西に触手を伸ばしたんですね。例えばライン川沿いに小砦が点々と作られ、やがて現在のナイメーフェン(蘭最古の都市)に達する。この道筋をローマ街道と呼ぶ所以です。ラインに沿う古い町はほぼ全てローマ砦と言って良い。ラテン語を話す武将たちがカラカラ浴場やコロッセーアム(円形闘技場)施設を利用し、遠い故郷と同じ生活をしていた。それらが発掘調査の後、遺跡として再現されている。残骸だが20m高のパルテノン神殿がそびえ人々を集めています。

そう言う経緯で、三段落目にあげた地名(従って苗字になる)が成立したわけです。それらの中でBurgが古ゲルマン出自らしく、それから残りの変形が生まれてきた。今日のborough(ボロー/ボ・ロウーフと言う感じ?)は英国に於いて人口密集都市圏の一地区名=行政単位として使われています。

砦の町々はどこでも地元発展の為に、昔からの祭りと共に現代のフェスティバルを組織します。日本からの沢山の方々が訪れる"観光街道”つまりノイ・シュヴァン・シュタイン城含みの城巡りコンセプトでまとめられた道筋でも夏祭りが賑やかに続きます。ビールのジョッキがでっかくて、私には飲めませんが、ビールと踊りと雑談と…田舎の人情と地元の醍醐味を充分味わえます。

ロマンティック(街道)と言うキャッチフレーズを初めて使ったのは日本企業と疑っています。ドォーっと凄い日本の人々を毎年迎えるので、そのフレーズを欧州諸語パンフレットに採用した…。理由は、欧州一般に安っぽい破廉恥な言葉を使うのに躊躇すると思われるからです。例えばTVコマーシャルを日欧比べると、傾向を理解されるでしょう。と言うか、この場合は日本観光屋さんがイニシアティブを採ったのでしょう。

       Millingen aan de Rijn 右♀左♂
右の樹木が雄株、左が雌株なんて言うと、そのポプラが「ツムジ曲がりネ」と言いますゾ。

ケルンから東北に流れるラインに沿うローマ街道は地味と言うか目立たない。しかし玄人向きと言わないまでも、ノンビリとした小さな砦の町がそれぞれ個性をちりばめ、数日楽しむことが出来ます。ライン河床の植草見聞もなかなかだし、土手/堤をサイクリングで漕ぎ走るのも気持ち良い。珍しい自生黒ポプラ幼木が波打ち際に出ていたりしますよ。

       yanagi 00
Attenboroughと言うBBCアナウンサー出で自然番組作り家はこんなライン植相と(半野生)馬の関係をフィルムにして解き明かしてくれます。

Edinburghの前半部がシュメール語Edinかどうか全く分かりません。ジェームスを代々名のるステュアート朝の成立以前、ずっと昔はスコットランドの名もなく、何も無い草ッパラだったはずだから、当たらずも遠からずと思います。初めての砦が出来た時burghがくっ付いた。ドイツの人にはハンブルグと同じ、エディンブルグですが…。地元発声に従うと仮名エディンバラが近いですね。

今エディンバラ・フェアーが開催中です。来週がクライマックスと今ラジオが紹介しています。アジアがテーマだそうで、支那・韓国・日本・ヴェトナムからの音楽/舞踊グループが出演する。そう言えば、例として偶然あげたスカルボロー・フェアーと言うブリテンの音楽ジャンルがあるそうです。エディンバラから北海沿いに200キロmほど南の海岸町です。

その町の祭りから生まれたメロディー…。フォークソングだから、バンジョーなどブリテン発祥の楽器を用い、何となく西部劇のウェスタンに近い印象を受け、同じオリジンが分かります。伝統の賑やかな雰囲気をサイモンとガーファンクルがカバーしていると思います。ずいぶん昔のUSデュオで、すみません。陽気なリズムと響きのいい名前から、戦いの砦を想像するのは場違いかも知れませんね。
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Uprising 抗議デモ/アラブの春

コンパウンド 砦の開城


Compound 2

上の相当な敷地をCompoundと英語で言います。ここでは広い庭を持つ沢山の建物を含む屋敷です。6ヘクタール、4m高の厚い壁。多くの監視所と燃料庫/武器弾薬庫。二月以前は忠誠一般人も入れない場所だった。大きな地下部分を含み、伝えられるところでは網の目のようなトンネルがあり、30キロ先の海岸にも伸びている。市街あちこちに秘密出口を持ち、緊急時に攪乱戦術に使う。内部にさまざまな機能空間があり、戦略・指令・通信・会議などいわゆる緊急時の国家中枢をなす。

Compound 4
2月、二階バルコニーから屋敷のあるじが延々と演説。ロイヤリスト/プロパガンダTV中継にギャラをもらい集まった人々は声も出ず大変な忍耐をしたと思います。

こういう場合のCompoundは砦すなわち要塞と訳すべきでしょうね。しかし度重なる空爆によって殆どのコンクリート陸上部分は破壊されています。一時間前まで、数百名のピックアップのファイターが北口に集中して弾丸を撃ち込んでいました。ある時、朝から続いていた反撃がスーッと消えた。そこでピックアップごと門から侵入、彼らはドーッと内部に押し込んだんです。

どこに反撃者は消えたのでしょう?勝手を知る(たぶん複雑な)トンネルから脱出した…。 構内は18時半頃レベル(Rebel)反逆連中で溢れました。もちろん主のガダフィー殿の姿も影もありません。昨日から情報が錯綜して全体が分かりません。こんな場面を見ると、あれやこれやの不確実な話が飛び回るのが納得できます。自分好みの大佐(Colonel)を称した``酋長``は忠誠者の陣取るポケットと言われる飛び支配地区にトンネルを通じ逃れたのでは。

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コンパウンド構内で熱狂するピックアップ反乱部隊

はっきりしたことは、自分の城を放棄した城主はもはや城主でないということ。史上に敗軍の将は万と現れました。私はカッコイイ例を思いだします。日露戦争1905年冬、水師営の会見(野木とステッセリ)とか、蘭vs西80年戦争中1625年6月、ブレダの開城(Spinola とJustinus ファン・ナッソウと)とか。いずれも敗軍の将の健闘を称える騎士道です。前者の野木は後者エピソードを知っていたと思いますが。

実際の敗者は先ほどガダフィーのようにただ敗走するだけです。これまでに触れた例だと、ナポレオンに大敗したプロイセン王フリードリッヒ3はケーニッヒスブルグ(カリーニングラード)まで、ボヘミア女王エリザベスはプラハからベルリンまで逃げています。でもガダフィーを迎える国は最早なくて、逃げる先がありませんね。ただの雇われ兵はユニフォームを脱ぎ捨てれば誰にも分かりません。しかし`酋長`顔の大佐殿はそうはまいりません。

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国家TV放映で紹介された王様のゴルフ・カーを引き出して勝利の声を上げる 

マドリッド美術館にヴェラスケス (Velázquez)のこの騎士道画が掛かっていたと思います。ユスティノスが城門の鍵をアンブロジオ・スピノラに渡す場面はリパブリックなったオランダが城を明け渡してから10年後に描かれています。水師営の絵は戦後に祖母から見せてもらった記憶があります。

スペイン将軍の騎士道精神はブレダの攻防戦以前に、敵総帥である同世代戦略家モーリッツ・ファン・ナッソウをして賞賛さしめたそうです。モーリッツは後世の彼あらしめた恩師オルデンバルネフェルトを斬首していますから、あまり大きい顔できませんが…。

Compound 8
ピックアップ反乱若者部隊のロイヤリスト(忠誠者)へのガン・ファイアー。残党狩りに市街戦がまだ続く気配がします。

狙撃手が出没するのはコンパウンドから縦横に市内に伸びるトンネル経由か。ブリテン情報部は欧米実施企業を突き止め、設計図の探索中。80年代に行われた灌漑事業のサブオーダーとして、秘密に建設されたらしい。サダム・フセインのバグダードの例と同じですね。

夕方にロシアのチェス協会会長に、ガダフィーから電話があったそうです。そのロシア人氏はプロパガンダフィルムのため3ヵ月前でしたか、チェスを大佐殿と打ったんです。電話はどうやらコンパウンドから逃れたトリポリ市内のどこかから届いたらしい。曰く「ワシは市内におる。至って元気じゃ。西側の出鱈目な報道を信じるな。ワシを慕う国民のために徹底抗戦する」

Compound 7
unedited video の文字に注意。ライブ=実況中継、編集も検閲もないと言う意味でしょう。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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