ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Uprising 抗議デモ/アラブの春

革命の原則: 旧政権が倒れる時、必ず忠誠なるロイヤリスが存在する


アラブ蜂起は長期戦。中途経過をまとめると以下のような感じか。
チュニジア→エジプト→リビアが倒れ、イェーメン/バーレン/シリアが取り締まり継続して血が流れ中、モロッコ/ヨルダン/サウディアラビア/アルジェリアが妥協・改革中。細部はそれぞれ違い、ざっと見と言うのはあまり感心できませんね。実況サテライトニュースはポツリポツリ、オヤッと思うこと伝えています。その一つ:

ムッサ・イブラヒムは、リビアのトリポリ陥落寸前まで、ジャーナリストが陣取るホテルでガダフィー側のスポークスマンを務めていた。35~40だろうか、初め彼は外務大臣の通訳にすぎなかった。モウサ・コウサと言う秘密警察など長年ガダフィーに仕えた大臣が三月末、ブリテンに亡命。以来代役に立った。直ぐに親分の信任を得たらしく、政権のスポークスマンを演じる。もしも自称"大佐”が居座るなら、救国の英雄だったろう。”一国の代表”が口八丁 の彼を有頂天にさせたのでは…

Sirteとローマ字化される製油所の町がトリポリとベンガジの間にある。素直に読むとシルテで、独裁者出身地だから、”酋長”ロイヤリスがまだ抵抗を続けている。トリポリがおちても東のベンガジと繋がらず、NTC民族・政権移管コミッティーの当面第一の制圧目的地である。郊外の空港が昨日落ち、ピックアップNTCファイターズが中心部に入った。通りから通りの銃撃戦と、建物屋上に散開するロイヤリス狙撃手の排除だが、ピックアップ側のアマチア兵士達は戦い上手になり、押したり引いたり、市内制圧は時間の問題のようだ。

それはイブラヒムが脱出しようとしたことで明らかだ。首都陥落後、不明な場所から声明を出し”代表”を演じていた彼はシルテにいたわけだ。市民を盾に取り、武器弾薬大砲あり、難攻不落と法螺を吹いていた。確認されていないが、女装していたそうだ。ホントなら必死で逃げなければならなかったと言うこと。そして捕まえられた。間もなくシルテは落ちよう。

Lybia Sirte 11

上のピックアップも二ヶ月前から新たに投入されたトヨタである。据付武器も新しく、カタール/クーエイトが実質的輸送バックアップをしたらしい。英仏(≒NATO)は建前上、武器供与を出来ないので、リビア接触諸国グループによる”机下の合意”で兵站作業が実施された/されている。8月初旬に大量の大砲・連装砲・バーズカ・長筒機関銃などが通信機器やユニホームと共に、そして相当台数のピックアップが配備されている。ニッサン・ミツビシも砂漠走行車として信頼を得ている。しかしトヨタが圧倒的な事実はアフリカ市場初開拓の果実というべき?関係者は無論、シークレット余話を知っているだろう。

Lybia Sirte 10

イブラヒムは一過性の有頂天例で、この主題に属さない。しかしロマノフ帝政崩壊に伴う旧政権側の歴史上に稀なシベリア凍死悲劇や、サッダーム・フセイン政権末の漫画的崩壊劇は革命時の原則を思い出す。フセイン一味と言うか旧バース残党ロイヤリストがUSのアラブ策を変えたのだから。離れようにも離れられない主への忠誠…。あるいは人間と言うのは外目からいかに悪に見えようと仕えて来た主君に最後まで尽くす自らの”正義”を全うすると言うこと?

高名な名誉革命(1688~89)後のジェームス・スチュアート二世の追随者たち。さらにダブリン近郊で蘭統領ウィレムに破れ、従兄弟フランス王提供する宮殿に引退しても尚つづいた支援者達。宗派違いの信念と決して言えない…。何となく47士討ち入り美談と重なるのだ… と想像を飛躍させたところで(ユリウスかグレゴリオかどっちの暦か知らないけれど)時代的な共通性があるのに気づいた。

ロイヤリスト≒忠誠者、なんだ”ロシアの組合”の46才今の大統領もそうなんだ。いずれも小男だが一方は帝王プーチンに忠誠を尽くし、帝王引退すれば継承権ありと思っているんですね、きっと。
日本メディアは””ロシア統一党”としているのを今日知ったが、そう訳すと内実が見えてこないんでは?ムバラクのお抱え党は”エジプト民主党”だったし、バッシャール・アル-アッサドのシリア民主党だかも同じ趣向です。プーチンの党を統一とすると、それは俺の力で統一すると言うことでは。かたや彼を持ち上げる組合だと考えると、事実が見えてくるんです。

バッシャール とウラジミール両氏は気合が合うらしく、忠誠者の団体をしっかりと持っている。前者はまだ先行き見えません。アラブの春を初期から支えているトルコのエルドガン首相が、シリア同胞2000人以上を殺して粘るアッサドをかなりコテンパンにやっつけている。シリア在のクルド族絡みでひともめしそうです。いずれにも武器商いするロシアの後者が、するとそれにどうコメントするのか? もうひとつややこしくなります。

ともあれ、両者のロイヤリストが集まる総会をご覧ください。見事な拍手の嵐…

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汽車が行く行く汽車が行く 舟歌から蝶々まで 帰化進化したメロディー


汽車が行く行く汽車が行く、と言う歌詞があったと思った。

無かったのかもしれない。どうだろう? キシャ キシャ シュッポ シュッポ シュポッポ これは兵隊さんが汽車に乗って動員されるお国奉公の原詩を戦後にあらためた替え歌だと言う。日中戦争の頃かも知れない。支那大陸でなく、日本の部隊駐屯地から輸送船の待つ宇品港までと言った汽車旅ではなかったか…。もちろん石炭を燃やす蒸気機関車だ。ドヴァーッと白煙と黒煙が吐き出され、ゴットリ静かにピストンが動き出す…

China 2de train ongeluk
これも汽車に違いない。トレインと言うべきか。北京中央は急ぎすぎ、外側だけ真似をした…。人災と言えよう。災難に合われた方々の回復を祈ります。

汽車ポッポの歌は、明るい子供心に弾む汽車賛歌になっている。さような例は横文字の原詩を日本語に移し変える過程でも往々に見られる。歌は世につれ世は歌につれ、この言い慣わしに含めても良い現象であろう。言葉が繰り返される歌詞でシュポッポにと共に直ぐに浮かぶのは「チョウチョウ チョウチョウ 菜の葉にトマレ」だ。小学唱歌の代表だろう。スペイン舟歌が元らしい。

チョウチョウならぬ"漕げや歌えや、ヨーソロ”舟歌はスペイン・ハプスブルグ家の楽師たちと共にヨーロッパ全域に広まった、なんてことがあるだろうか?王家の嫁入りなどの際、楽師/小さな楽団と言うか道化師を含む芸人達が殆ど同行していましたから…。民謡の広まり方は様々なれど、王侯による公式な長旅と言うのは文化伝承と言うか人々の口に伝わる"はやり"の大きなファクターだったと考えられます。

16世紀後半の軍艦に三つほどタイプがある。沢山の長い櫓(ロ)を船腹から出すガレー船と言うのは100%人力船。他に帆と組み合わせたタイプ、そして複雑な作業を要する大帆船タイプ。最後の帆走船は風力利用のため、重量のある大砲を積載出来、戦闘形態を進化させた。火力が登場する以前は、したがって海戦は漕ぎ手に左右され、舟歌が必要であった…

China ongeluk 01 脱線
昔"汽車”今は電車/列車の2ヶ月前の事故。欧日からのあちこちツギハギ"自前技術"…連続する事象をこの頃では"Tsunami"と形容する。Tsunami of Chinese train's... しかしJR西日本宝塚線の事故が記憶に新しい「(勝って)兜の緒を締めよ」は全ての列車事故に当てはまる。

"蝶々"オリジナル・メロディーをポーランドのピアノ偉人がアレンジしていると二十年ほど前に聞いた。一次世界大戦が終わり、平和な希望溢れる時期にルドルフ・シュタイナーと言う人が自分の教育思想を実践する小学校をはじめた。彼の教育は歌に満ち、娘たちは様々な歌を毎日歌ってくれた。それらの一つが19世紀初期頃、楽譜化されたらしい"チョウチョウ”です。

アレッと思い聞くと、バッハだとかショパンだとかの何やら変ホ長調の何番とかにあると言うことだった。ショパンは貴族出の恵まれた環境で才能を開花させたと言われる。コペルニクスを知っていても、ショパンもポーランド人であったと聞いてびっくり。綴りも発声もフランス風なのでフランス人と勘違いしていたんです。ポーランド語綴りもフランス語綴りに変っているので、鈍人に分からない。そう言うのがしょっちゅうあって困りますね。

私は音痴だし歌えないので、歌詞など覚えられません。恐らく楽しい舟歌であったのでしょういつか娘達に聞いてみようと思う。何処でどうして、日本の唱歌に治まったのか? 明治は鹿鳴館の猿真似社交ダンスと多少は関係があるのだろう…。同時に汽車もその頃に紹介され、維新の若き志士達が元勲になったころ、招聘された(恐らく)ブリテン人から技術移転が行われレールが敷設され、一つの国家インフラストラクチャー・システムが定着した。

こうして後にキシャ・キシャ・シュッポ・シュッポ・シュッポッポが実現したんですね。トンネルばかりが続く山間を窓を上に閉めたり下に開けたり、しばしば黒煙が顔に付いた蒸気機関車の旅を思い出します。小学校3~4年生頃までだったでしょう。

いずれのメロディーも楽しく明るい(そして懐かしい)。蝶々は日本の唱歌として帰化、進化した成熟ぶりを私は感じる。こうド素人が言っても迫力ありませんネ。しかし国際化と言うか普遍的グローバリゼーションと言うのはさような現象です。HaikuやIkebanaの如し。Ipponと我村のアマゾネスが叫ぶJudoも然り。

Belgie  weer berichten 01
明日は良き秋日和になりそうです。この形、お分かりでしょうか?我南隣の愛すべき人々の土地。Nazomerweerとあります。小春日和と呼べる季節になりましたね[参照:日記Indian summer 夏のあと]
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Return of the king  財宝の隠し場所? ウラジミール・プーチンの権勢

”王の復権 ”と言う記事があった。Wikipediaの日本仮名でウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(59才)となっている人物の復権と言う意味です。 2期大統領を勤め、連続3期は憲法で禁止されているため、首相職に移動。4年を穴埋め中の大統領はDメドヴェージェフ(46才)。任期切れの来年、真の実力者が王座の位置に戻る。

子飼いはつまり操り人形だった。御しやすく、しかしそれなりに振舞う誰かが必要だった。前任者ボリス・イェルチンは任期中たくさん首相を作り、最後がプーチンでした。21世紀入りの頃ですから、彼は50近い働き盛り。2期の間に権力を不動にした。今でも60前後ですから、この権勢を簡単に渡せませんね。ゴルバチェフにしてもイェルチンにしても、全盛は70前後。ブレジネフ・コスイギン時代も年寄りくさかったのでは…。

葦屋根ふき 04
葦の屋根葺き、秋の欧州辺境風景

イェルチン時代に沢山出た政党が消えうせ、"ロシア寄り集まり”プーチン党だけになっています。彼のメディア支配の巧みさとは管理担当省の人事を狡猾に抑えているから。取り締まり(もはやKGBと言わないでしょうが)組織および警察人事がキチンと大本に集まっているそうな。だから警察はわずかの反対陣営の伸張を徹底的に抑えられる。雰囲気としても実質的としても独裁的状況になっていると、クレムリンの退職高官が民族的性向を肯定しつつ、それを解説しています。

ロシアに基本的に表現の自由は出来た、と彼は言います。反対もおおっぴらに出来る。ただしメディアの配分が無い。"ロシア寄せ集め”と言うかプーチンならば益ありと見る官僚たちがコントロールしている。そこがロシア的なスゴイ点だと。共産主義の崩壊後でも、政府お抱えに対抗するメディが育つ土壌がないんですね。何故?

かつての粛清時代、先祖家族を抹殺された活動グループの若い女性が「ロシア的体質と言うのは長いものに巻かれろだから…」 NHKとかBBCのような圧倒的国家経営メディアに抗しがたいので、たいてい黙るより仕方が無い…」 なんか悲しい話でした。インタヴューの最後に「それでも今は昔と違って出来るの。私たちは続けるわ」

Centaurea jacea 020-1 knoopkruid ヤグルマアザミ 菊科ヤグルマギク属
矢車アザミ 6月から咲き、雨の多いときひっそりと休み、九月半ばから又咲き出している

帝政時代からレーニン/スターリンの恐怖独裁、フルフチェフ(すらも十年継続?)を経て束の間の三頭政治後の長いブレジネフ時代。こうして大雑把にみると、ロシア民族と言うのは独りの強者を望むのではないでしょうか。凍てつく大地で、楽しみと言えばウォッカを喰らうしかない平均的農民の血続きですから、帝政馬鹿殿であろうがマルキスト赤軍大将であろうが、誰かはっきりコレセーアレセーと言うのが独りいると充分だった…

プーチンのこれまでのほぼ十年期間を見ると、モスクワに何軒も大寿司レストランが出来た。家具のデパートであるイケアにロシア人が殺到して、欧州庶民インテリアがロシア都市型標準にりつつあるそうな。資産を蓄えつつある新興階級が風船のふくらみのように増加しつつある。プーチン息がかりの旧国営企業経営者は全て億々万長者になっている。少しでも文句を言い、ウン臭いと睨まれると、ロシア的村八分が機能する。
ユーコスでしたか民営化石油企業の若き億万長者が既に十年収監されています。ロシア富豪の嚆矢としてもてはやされ、プーチン政治ライバル視されたのがきっかけ。プーチンによる政敵粛清でした。昨年プーチン"組合"党で頭角出した人が頭をこつかれ、おっぽりだされています。

殆どのロシア・マネージャーはプーチン世代か、もっと若い。何人かロンドンやパリに居を移し、モスクワとの連携ビジネスを展開している。ビッグビジネスとは許認可の問題で、官僚の恣意が働く。いわばアフリカ中南米の開発諸国と同じと思われる。ロシアマフィアと言う語義はロシア的政経状態を指すと行っても過言でありません。サッカークラブやスポーツカー企業オーナーになるのは余興…。彼等の資産が大きければ大きいほど、言うまでも無くプーチン自身の資産が膨らんでゆくわけです。

誰におべっかを使えば良いか?プーチン筋がメインストリートで、終点は彼自身に他ならない。何処に? 如何に? ロシアきっての資産の山が隠されているのか? 法律家・金融専門家など親衛グループ中の"人脈核”と親族が資産管理をしている筈。リヒテンシュタインやスイスなど名うての銀行が関与していますから、一寸やそっとでは歯が立たない。追跡は非常に難しいのだ。野次馬だけでなく調査ジャーナリストの興味は尽きない。

Castanea 欧州栗2011年収穫
森で栗拾いする二人の年配婦人に出あった。主人が好物なので、と立ち話で聞きます。じゃ、どう料理をされる? 料理って? イエイエ宅のは生でかじるんですの…

「王の復活」と言う感じの記事は、キリストものなら、キリストの復活を想像します。この言い回しを見出しにしたのは、実は1989年秋から数年に起った共産主義の終焉まで国際政治に関ったマーガレット・サッチャーのユーモアが下敷きになっているようです。鉄の女性がJメイジャーにバトンタッチ、やがて保守党から労働党へ引き継がれ、Aブレアー長期政権が起ります。マーガレット女史(86)の引き際の大舞台はMゴルバチェフ(80)やHコール(81)と冷戦に幕を下ろさんとする歴史の一幕。

これら世代の人々が完全に舞台からおりたのは21世紀に入った頃でしょう。年金の少ない?ゴリキー氏は高額の講演旅行で頑張りますが、サッチャーやコールは稀にコメントする程度の優雅な生活になります。アイアン・レディーは一代限りの名誉貴族に列せられる(バロネスと言われる。珍奇な古い習慣を維持するブリテン気質ながら、数ある一代貴族にとって余分な年金が付くので大歓迎ですね)。

Copenhagen wood
秋のコペンハーゲン郊外

2001年に"The Mummy Returns"と言う数千年を架ける大冒険映画が公開されました。ミイラが帰って来る。大昔に埋葬されミイラになった女性が復活すると言う話。ふだん静かな生活をしている マーガレット女史が貴賓として招待されます。演壇に上がった、彼女の声は昔と変らず、さすがと思わせました。スピーチの始まりがこうでした。ザ・マミー・リターンズ…、アーンド…アイム・リターン。会場は爆笑と喝采。

来年のロシア大統領は元KGB要員に決まりです。ロシア同盟党総会で決議された。60%以上の国民支持を常に維持するのは健全民主国家では不可能。ですから、モスクワ会場で北朝鮮と支那と同じ大拍手装置が働きました。ハーレー・ダヴィッドソンを駆り、アクア・ダイヴィングで海底観察し、フェイスリフト(整形若作り)をして、スキー回転/滑降をこなす。精力的イメージキャンペーンが効を奏する土地?左様な宣伝が独占的に流され、信じようが信じまいが、おらが国はそうなのよと言うこと? 行儀の良い日本人には分かり辛いですね。

ロシアにミイラがあるはずがない。ですが、古代の財宝と共にSochiあたりに密かに横たわっているかもしれない。ソチは黒海沿岸にある保養地で辛うじてロシア領圏内にある。プーチンの知られざる要塞のようなコンパウンドがあると公然と言われる。冬季五輪開催地と言うのが曲者で、関連大業者が施工したとか。後期のブレジネフは常に高価なプレゼントを喜びましたが、ロシアビジネスの基本なんでしょう。

はっきりしていることは、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチと言う類まれなスポーツマンらしきは前二期と違い今後、財宝探し(証拠)と隙あらば倒さんとする見えない政敵に最大限の努力を傾けねばならないと言うこと…。/>
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こころざしをはたして いつの日にか帰らん  …  故郷は遠くにありて思うもの

こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと

<故郷は遠くにありて思うもの>

071103 P1010985 ススキとタカノ川

いかに在ます ちちはは つつがなしや 友がき 雨に風につけても 思い出ずる故郷

071103 takano mura 37 Tuwabuki

うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

Aki 110926 栗ご飯時


国文学者・高野 辰之(タカノ タツユキ)と言う人の作詞だそうだ。音痴の私ですら覚えている。私たち世代が習った唱歌の作詞者である。音楽史/歌謡史を修める勝れた文学者だった。還暦超えの田舎育ちならば、歌詞の内容を共有しているのでは…。私の心にも響く。一方で、こんな時代も田舎暮らしも経験のない人の心情を心地よく揺さぶるようである。詩的な普遍性というものだろうか…。

こころざしは私に当てはまりません。こころざしと言う気持ちを持ったことは無い。放浪に使命感のような心の高ぶりが在ると思われない。けれども生まれ故郷がある。日本が私のそれです。父と母はいずれも90を超え、人生を全う。私を生んだ海鳴りの聞こえる故郷に眠っている。帰りたい気持ちに時々おそわれる。兄は兎を追ったことがあると聞いた。どう言うわけか私に無くて、残念。しかし雉を追いかけ、川蟹取り巣を仕掛け、鯰を捕まえた実績はある。

耳の長い野兎は筋肉を発達させ珍味中の珍味と言われます。赤ワインで下ごしらえして、様々にいただく。クリスマスのディナーにピッタリ。灌木地(ハイデ)広がる北の州のノウサギが野生"ブランド"として知られるが、普通のスーパーで求めるHasen(独)/Haas(一匹)は飼育"野生種"であろう。独蘭スーパー網に冷凍供給される頭数が野生であるわけがあるまい。

一方、ワイン葡萄畑のブドウ樹新芽を食べる兎を見かける。村中だと数百匹いるかも知れない。同じような20cm長の小うさぎが都市間部の緑地帯やドイツ‣ルール都市自動車網の樹木狭間などに、普通に見られる。あるいは飼い兎が野生化した例があるかもしれない。耳の長い本物の野性`ハース`種に並んで、敏捷に菜食活動をする。野性の美味い肉と思われる。これら兎肉は'祭り'的な伝統料理素材と言えるだろう。この頃の'動物虐待ならぬ'と言う'動物'権主義者が'可愛い兎’肉ステーキを聴くなら、気絶するかも知れない…。

私の観察/採取フィールドにイノシシやシカが棲息する。頭数調整のため、年または数年ごとに、狩猟される。Haas姓を持つ親父の野獣肉店があり、そこならばバッチリ本物のそれら野獣肉を入手できる。森の番人(林野庁公務員である)広報に目を配ると、狩猟期が分かる。しばしば放牧地や耕作地で耳を立て様子を伺うノウサギを目撃できる。捕まえるのは至難。地下通路を縦横に構築しているから、捕獲は専門家の仕事だそうな。高野が詠ったウサギはヨーロッパ"ハーゼン"の親戚に当たる日本ノウサギ属種だったのではないか。言うまでも無く`追いし`は`美味し`であって、滅多にない贅沢な馳走になる。

秋日和。栗を拾う。これら個体の本年しあがりは今ひとつ、例年より小粒。Castanea sativaと記述される欧州のクリ。秋になるとお袋が庭の栗を小まめに剥いてクリご飯を作ってくれたのを思い出す。画像よりさらに小粒だったなぁ。シバクリと呼んでいた。Castanea crenata と書かれるようだ。日本種として、ほかにまだ数種あるかもしれないが。

母は栗ご飯。父の持分はイカ刺身。彼のウドン打ちも記憶にある。一番覚えているのは”カシワ”。祭りや何かの祝いの馳走にカシワが出ましたね。ニワトリの肉。海沿いの庭とも通りとも思える我が家周りに、十匹か、もっと白や茶色のニワトリが自由に遊び、与える餌よりもそこら中のミミズや昆虫などを探しつつき、日頃の卵を産んでくれる。今風に言うなら、有機農法的飼育に当たる。運動量のある抜群に健康なニワトリ。

昔はそうだったんですね。親父に必要な技量はその1匹を捕まえ、首を確かエイとひねって苦しめずに成仏させることだった。捕まえるのはコーコッココッコーと掛け声合わせ、両手を広げて輪を縮め協力する子供たちが必要だった。メンドリたちは突然、空に舞い上がり囲みを抜ける。そりゃー、首をひねられる惨事から逃れたいはず。早朝かならず時の雄たけびを上げるのは貫禄あるオンドリだろう。ひときわデカイ雄鶏の捕獲は難しかったと思う。その後の作業は毛むしりで、かなりの力が要り、親父の仕事領分。
嗚呼、赤茶の走る雄鶏の羽を年上の子供達が上手に飾ってインディアンゴッコをしていたなぁ。

栗絡みで、そんなハハとチチを秋に思い出している。戦後直ぐ、疎開と言う感じの時代。小学校からは父が元の職場に復帰したので都会住まいになった。月給数千円だから、親子4人の初め住まいは未亡人家族の玄関と二階六畳一間。台所は二家族で使ったのではないか。三畳ほどの玄関間は茶の間的に使ったと思う。小学校1年の私と遊んでくれたのは未亡人の娘さんで、10才ほどのキッコチャンだった。戦後の貧しき時代、人々はそうして仲良く生きていた…。

私の原点は、どちらかと言えば、街よりも海鳴りの村だと思う。そこで'こりゃ、生きられんぞ'と呟かれた赤子が私だ。ひたすら健やかに生きよと…。夏の日差しと紺碧の空、そして冬の激しい波頭、屋根に厚く積もる雪。学期休みごとに蒸気機関車でその村に帰った。そこに兄と祖母が暮らし、晩年の両親が暮らし、なお私の本籍がある。

過去数十年、国籍を変えるといろいろ日常的便宜があると助言を受けている。日本籍だと、細かなことですら、何時もハーグの大使館公使部に行かねばならない。しかし気弱だから、国籍も本籍も変えられ無い。心のふるさとが無くなるような気がする…。

世界に多種のクリ・スペーシーズが育っているだろう。北米の場合、Castanea のあとにalnifolia / dentata / floridana / pumila / ashei 等やや表情の異なる栗たちが自生する。秋の今頃インディアン子供たちは争って栗取り合戦をしたかもしれない。独蘭でも、戦争中たいせつな食糧そしてオヤツだった。風車臼で引き、小麦粉に混ぜた可能性は在ろう。稀に、食べるためか子供の遊びのためか、森で栗ひろいする村人を見かける。食材の場合はオヤツである。皮をむき、生でかじる。煮たり焼いたりをしないのだ。歯が欠けるのではないだろうか。

しかし過去15年、我村で栗拾いする人を見ることはあまりなかった。歩いても歩いても出口を見つけられないような森に、ブナやクルミなど果実も実る。庭いじりの好きな知人曰く:ワラビ取りや木の実拾いは鯨やシャチにイルカを捕る野蛮な日本人、貴方だけがするのよね…

【補註】;
二つ目の題名「ふるさとは遠きにありて思ふもの」について。本稿は2011年9月の雑感。コメントの方から新知識を頂戴したので、その点を加えたUpdate版。コメント氏に感謝致します。
この1行は室生犀星の詩句。大正7年/1918年刊「抒情小曲集」所収されている一遍「小景異情」の第1行。全詩は以下;

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土いどの乞食かたゐとなるとても

帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


[補註の補註];
匿名の方の先日コメント主旨は、二つ目の「故郷は遠くに在りて思うもの」とこの拙文(故郷の日本、生まれた村を忍ぶ)主題とに違和感があると言うもの。私は無知でしたが、この語句は上記の詩人とその詩集由来。こう詠い始めた犀星の動機は、(ネガティブな思い出があるために)「故郷は二度と帰る所ではない」と言うものらしい。私の気分は、素晴らしい故郷に帰りたいと言うことですから、論理的整合性に欠けると言うご指摘に思われます。もしも経済的に自由なら、そことこことを何時でも行き交いできる…。犀星が詠った如く、オイソレと行き帰り出来ない現実と、もし帰ったとしても我が無人家とわずかの顔見知り老人たちがいるに過ぎない。
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Here&there lands 雑なるアレコレ大地

バルセロナ 闘牛場の最後日 尊敬を込められ死の儀式を受ける牛の街

バルセロナのど真ん中に、ローマのコロッセウムのような闘技場があるんですね。知りませんでした。広い大きいと言っても、いったい観客個人席がどれくらいあるのか分かりません。この画像で見る印象と、例えば甲子園野球場と比べていかがでしょう? 殆ど観客が入っていないようですが、これが長い闘牛歴史の最後の日らしいデス。人間と牛の戦いと言うか、人間が牛を挑発して、牛の攻撃を巧みに格好良くかわす見世物です。

Bullfiting 02

Xanten 03

ライン川ローマ街道筋、クサンテン。発掘調査後の再現円形競技場。直径100メートルくらいか。70ミリ映画ベンハーの戦闘馬車シーンは有名。あの競技場中央に巨大群像が並ぶ中ノ島がありましたが、どれほどの距離だったろう? ローマ実物遺跡より大掛かりな設計だったかも。半世紀あとに、このイメージを大の日本ファンのジョージ・ルーカスがスター・ウォーズに展開していますね。

日本の闘犬とか闘鶏のイメージから、初め牛同士が闘うのかと思っていたのです。スペインやポルトガルあたりで行われるショーだそうですね。昔はあちこちの町や村で行われた筈。柵で囲って、やんやの賑やか人気出し物だったので…。闘鶏でカッカする四国のどこかだったか、その雰囲気が重なります。

ローマの円形闘技場、コロッセウムと言われる競技場は大建築物で驚きます。今で言う多機能スタジアムだったようです。野獣と人間、野獣同士、人間の個人戦や団体戦、そしてグルグル回る馬車競技も出来た。軍隊の凱旋行進や、劇場にも勿論なったでしょう。20世紀前も強い日差の土地だったらしく、日陰を作る工夫が多層階構造と組み合わせて凝らされている。

Xanten 05
これは競技場の隣で見つかったパルテノン神殿並みの再現遺跡。森の25メートルほどの樹海を突き抜けています。

イベリア半島の牛を扱うショーもローマの影響と考えるべきでしょうね。紀元後、ローマ人にとっても牛肉は一番の豚肉に続く四つ脚動物の代表だったと私は思いますが、、、さて? ローマのコロッセウムに於ける闘牛が知られない。これが良く分からない。私が知らないだけか、あるいは闘牛も行われたが、格闘レスラーの要素が有名になりすぎ、人の口に上らなくなったのかも知れません。ローマ時代、奴隷であった剣闘/格闘士/グラディエイターと言う仮名映画が十年前?にあった。半世紀前に主演カーク・ダグラスのスパルタカスでも描かれている。

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下は階段上観客席。 上は観客席を支えるアーチ構造の通路。参照→8月24日の日記・エディンバラ・フェアー。

Xanten 02
スペインどこかの町に、牛を通りに放ち、人間達も共に走リ逃げる祭りがありますね。怪我人が毎年出るのがいわば”趣向”になって、話題を呼びます。時に死人が出ます。それでも、祭りは何事も無く継続します。岸和田のダンジリ祭りも同じかな…。祭りとは活気と興奮が無ければなりません。重軽傷者が出れば警備と安全を厳しくすると言う”お触れ”をもっともらしくだします。そして伝統行事は愛でたく続いていく。

ところがスペインの闘牛娯楽見世物は例外になります。昨年、闘牛ショーによる殺生を2012年以降許さぬ法律が議会決定されたからです。動物愛護精神ゆえと思われます。既に21世紀に入り、観客数が下降しつつあり、もう先が見えてきた。それは大都市中心で行うビジネスのディメリットが伝統を守ることよりはっきりしてきたと言うこと。営業効率と利益率から、競技場はショッピングセンターに転用したほうが良いらしい。

現代人は華麗な牛使い(言葉があるそうですが…)が最後に牛にとどめを刺す光景を見られないのです。残酷だと感じる。ハイテック工場で屠殺される牛豚は見ることがなく、且つ苦しまず一瞬で死ぬからOK だが、苦しみ悶えながら死んでゆく闘牛を見せることを良しとしない。

飼育四つ脚を美味いと食卓に乗せながら、海洋に充分にいる哺乳動物の捕鯨肉を決して調理しないと言う理屈に似ていない事もない。イルカやクジラの表情は人間的だから殺してはならぬ。すると。鯖やニシンの表情はどうなんだろうか? やはり闘牛に大反対する極左の環境グループは充分にある漁獲資源種(シュ)の間に、差別をつけているのではないだろうか。哺乳類はより高等生物だから駄目、魚類は下等だからOK…

牛が美味いか不味いか、クジラが美味いか不味か、それは個人の嗜好の問題だ。それと極左環境論とは縁もゆかりもありません。クジラの目が優しいなら、工場搬入の牛と競技場の強靭な牛との目も等しく優しいと言うべきでは。こんなに知能のある鯨を殺して食べる日本人(=ノルウェイ/アイスランド/アラスカエスキモー人)の気が知れない、と大学出の欧州若者達が言うのだから、その知能の低さと言うか単純さに呆れます。

Bullfighting 牛

左様な普段の気持ちでサテライトニュース画像を見ていると、バルセロナの住人が口を尖らせる感じで出てきました。早口(スペインやポルトガルの言葉は早口に聞こえるのです)で喋っているのですが、訳がすぐ付く。よく理解できます。闘牛と共に育った地元の気持ちが分かるような気がする。バルセロナ弁と言う気持ちで書いてみよう。

楽しみが突然消えてなくなるなぁー。60年楽しんできたんや。あの牛はネ、特別に選抜したのが、どこやらの産地から提供される。トレーニングして鍛えられているホンマモンです。その闘牛種が役目を果たし成仏するんんでっせ。ただ単に殺すのと違うの、アンサン分かるかな。牛使いが尊敬を込めて息の根を止めるの。牛はネ、そのために育ち、訓練され、晴の場で死ぬんや。どんなほかの牛も経験しない崇高な儀式なんだよね。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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