ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Sport スポーツ/ホビー

開催国の初メダルはエリザベス & 北島は荻野と交代


昨日のロンドンオリンピックの開会式。
Olympic Cor 01

左の横向きの人 : IOC委員長ジャーク・ロッフェ。女性はご存知のQE2(エリザベス2世)、その後に白髭カンタベリー大司教ローワン・ダグラス・ウィリアムズ。ブリテン国教会のボスでくだけた人物。12月に止めると3月に宣言。先生業になってのんびりしたい…戦後生まれの`現代っ子。しかめっ面の女王は高齢にも拘らず、あちこち五輪行事に孫夫妻を引き連れ出演している。
Olympic Cor 02
花火の俯瞰夜景。花火発射の制御ソフトウェアーもゲームと共に進歩。前もってシュミレーションが可能になっている筈


ロッフェの綴りはJacques Rogge(69才)。ライムギパンroggebroodのロッフェ苗字。古都フェント生まれの医師。ヨット・フィンクラスで世界選手権/五輪でそれぞれ金1度、銀2度を獲得。ベルギースポーツ界の雄から2001年、スペインのサラマンチの後を襲った。ウンクサイ事件に包まれたアントニオ・サラマンチは組織を我がものにし、イエスマン委員を集め独裁者だった。委員たちの拝金スキャンダルが続いた。ロッフェは五輪組織イメージを明るく一新。既に11年アイ・オー・シーの頭を務める温厚誠実な人柄。連邦国家ベルギーは、奇妙で不可解な社会事象/事件に満ちてユニークなのだが、彼のような一見かたぶつ人も時々いて面白い。

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女子自転車道路レース表彰。左:2位エリザベス・アームステッド、中:アンネマリー・フォス、右:3位オルガ・ザベリンスカヤ。優勝者Vos姓は動物キツネ。しばしば聞く。最も一般的な獣だから、どの民族にもある苗字と思われる。日本姓として存在すれば、貴重な姓に違いない/span>

男子自転車道路レースに於いてトゥール・ド・フランス1位ウッギングスと2位フロームズは期待にそえなかったらしい。本日夕方、BBCは開催国初メダルのニュースを嬉しそうに伝えていた。ぺロトンから飛び出した3名の一人がブリテン選手アームステッドだった。彼女はダントツ優勝候補オランダのフォスに最後200mスプリントで惜敗。しかし予想にも出なかった同胞の銀メダルに、全土が湧いた。雨にも拘らず、沿道に声援の人々が集まり、2日目が盛り上がった。

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Cameron van der Burghの58.46は世界記録(蛇足1)。彼と2位のスプレンガーとは体一つの差があった。7コースKosuke Kitajimaは5位。北島の自己ベスト59.00は2位に入るが、21世紀に10年近いヘゲモニーを握ることは不可能だろう。世界は偉大な泳者に拍手を贈り、代わってHAGINO Kosukeが舞台に登場。高校3年生はわずか2日間に数秒も日本記録を塗り替えた。時代は変わる。

イヴェント情報伝達が早く広くなったのは、世界のテレビ普及時代に重なった東京オリンピックからである。欧州に限らず、数百局受信可能なサテライトの場合、自国選手に焦点を当てる各国独自の実況画像から、どれか好みを選択できる。今回の映像配給元BBC(国営の英国放送会社)はiPhone/スマホ仕様のライブ速報を検討…、実現しているかもしれない。

日本の水泳は世界のトップに属する。かたや陸上競技レヴェルをABCクラスに分けるなら、日本はBCの中間かCクラスだろうか。水泳にトップクラスがでて、陸上に滅多に出ないのは何故なのだろう。それでも若き同胞の頑張りを見るのはこころよい。フットボールもアーチュリーも、卓球も柔道も、多くのスポーツで若い日本の人々に声援を贈りたい。単純だけれども、頑張れニッポンなんだ。


[蛇足]
ファン・デル・ブルフ姓から17世紀の南アフリカ蘭系移民の末裔だろう。ネルソン・マンデラ政権以降、第1国語が英語になった、、と言うか日常的に英語比重が高まっている。すると、ヴァン・ダー・バーグ風に聞こえよう。マンデラ以前は混成語アフリカーンス(蘭語を核にした新言語)が英語と並んで公用されていた。現実に南アフリカ東南部でもっとも使われる言語らしく、(旧?)アフリカーナ(蘭独白仏などの新教系移民)の若い人と話すと、殆ど現代オランダ語に思える。しかし蘭語とその方言フラームスとの差よりも、蘭語とアフリカーンス語との差はずっと大きいそうだ。
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Hacking, Spy and Battle of secuarity

公式「知らぬが仏」 アサド/キャメロン/某々のキラボシが並ぶ … 

30回オリンピックと共に、グレイト・ブリテン島の王様連合国家の諸機関は機能している。スポーツイヴェントのオープンまじかの一面記事とTVニュースは盗聴スキャンダルの新局面について。昨年1月にスコットランドヤードに設置されたOperation Weetingの捜査と、首相の決意で始まった6月からのリヴァーソン聞き取り委員会の一段落とによって、CPS(文字通りだと女王訴訟局≒日本の検察庁)が訴訟する容疑者名と容疑理由を発表した。

CPS 01

アリソン・デヴィット:女性バリスター、別名はQC=Queen's counsel。場合によって弁護士/法務官/検事などに相当し、様々な法場面に登場する国家承認資格。彼女はCPS=The Crown Prosecution Service勤務の検察官。淡々と明確に文書を読み上げ、質問形式を採らない発表だけだった。BBCとSkyが実況中継とその日のトップニュースとして流し続ける。

スコットランドヤード(≒警察庁≒ロンドン警視庁)の150名近いウィーティング特捜チームと検察陣は常時の緊密関係にあるから、訴訟決定の判断は主にウィ-ティング捜査を基礎にしている筈。19か月の捜査ゆえに多数の事情聴取と証拠収集の結果。しかし10名近い容疑者名とその理由は2枚のA4に収まるだけだ。[Weetingは滅多に見ない語彙、古英語wit由来らしい。知ること。ウィット機転/機知に繋がるから、ウィット感覚で操作しようと、トップ4名がヤバイ汚濁のため辞めざるを得なかったどんより暗い組織の願い…]

12ヵ月をかけたリヴァーソン聞き取り調査委員会は正式に終了。リヴァーソン卿は剥げ頭に時々手を当てながら、協力した証言者に感謝をしつつ、これからまとめる報告書について最大努力をすると挨拶。補佐10名余のバリスターと数十名スタッフ全員が閉じこもる分け。こちらはメディア+警察+政治の今後を示すのが主題である。作業期間を聞き忘れたが、こちらも膨大だから、来年に仕上がるのでは。

アリソンさんの画像下にキャプションが入っている。訴訟された中心人物レベッカ・ブルックス、アンディー・コウルソン、イアン・エドモンソン、グレン・マルッカイアーの名が並んでいる。全て誘惑殺害された少女ミリー・ダラーズの携帯の盗聴工作から始まったスキャンダルに関わった。彼らはニュース・オブ・ザ・ワールドの編集トップスタッフだった。NOWは昨年夏、オーナー・Rマードックによって事業清算され消滅。

全員にミリー・ダラーズの他に複数盗聴関与の訴訟理由が挙げられる。レベッカには捜査妨害/証拠隠滅が重なり、彼女は10件近い個別訴訟を受ける。亭主のチャリーや元運転手/秘書などは証拠隠滅で既に訴訟されている。何十名もの人々が容疑をもち、検察はかなり整理した。訴訟せずの声明を受け、ほっとした元容疑者が多い。

上記キャプションにある全員がデヴィット女史発表後、無罪のステイトメントを公にした。罪が成立せずに、犯罪事実だけが残った事件が多くあるそうだが、少女ミリーはそんな不思議を見るか…? 本番の法廷が夏休み明け9月から始まる。

Rebecca and Ady Chared
出典: BBC作成News graphicの公有ソース。 リヴァーソン聞き取り調査委員会102日間の証人数474名。その総語彙320万からの統計資料。

上図は証言者中で、誰が最も多く「記憶にない」を連発したかと言う分かり易いグラフ。一番のキャメロンは図体のデカサに比例して、知らぬが仏の率もデカイ。2番手はニュース・コープの出先UK企業群の実質的ボスだったジェームス・マードック。メディア企業オーナーの長男。3番手はUK統括会社ニュース・インターナショナルトップだったレベッカ。4番手はレベッカを寵愛した帝王ルパート・マードック。5番手は少女携帯盗聴時のNOW編集長コールソン。

この編集長時代に、ショウビジネス担当記者ショーン・ホアーがNOWから退いている。ホアーはもちろん日常手段に通じていた。不法取材に悩み酒におぼれた状況と、退職は金と引き換えだったことを兄スチュアートが委員会で証言している。金額はインディペンダントやガーディアン他紙の取材を避ける意味を持った…。だがジャーナリスは本業臭覚から逃れることは出来ない。2005年ニューヨーク・タイムズのアプローチを受け、ホアーは無報酬でNOWやSunの日常取材について話した。IPコードを利用して他人の携帯に侵入する具体的方法を始め、ニュース・インタナショナル傘下タブロイド・ゴシップの取材実態を言わばバラシタのである。

厄介者ホアーを処理した本人コールソン自身が微妙な状況下でNOWから離れる番だった。後を継いだのはブルックスである。ブルックスと同じで彼もNI企業間を転々とした後、2007年6月に保守党広報担当者になる。キャメロンに話を付けたのはブルックス+Rマードックであろう。トニー・ブレア―がイラク介入事情によってゴードン・ブラウンに党首を譲らざるを得ない時期と重なる。マードックはブラウンを嫌い労働党から保守党支持に鞍替えするから、子飼いで身内と言えるコールソンをキャメロン私設秘書のような位置に配置するのは願ってもない戦術だ。

キャメロンの昨年2011年7月の議会答弁で「コールソンの採用は間違いだった。私は多くを学んだ」と白状した。しかし「あの採用はマードックのたっての薦めだった」とはさすがに言えない。こうして彼は世論/議会の圧倒的批判に押されリヴァーソン委員会を発足させた。そしてその委員会の証言席で、最も多い知らぬ存ぜぬを演技して見せた。

日本の過去の疑獄も最近のオザワ裁判に於いても「記憶にない」と言う「知らぬ存ぜず」公式は有用であることが立証された。証拠がない立証不可能な個人的な`記憶`だから、この公式は常に生きてきた。メイルやトイッター/フェイスブック等、さらに近い将来のスーパー・ソーシャルネットワークが普遍化するならば、彼らは別の言い逃れ手段を見つけなければならない。
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Oh every day 日々そうそう

スポーツイヴェント、№ 1, 2 & 3  [ドーピング夜話]

120723 The Gardian
ウム、マアまあの天気だ。オブザーヴァー紙のトップ写真。昨日のショットをトリミング、より鮮明にして拝借。路上販売される新聞掲載の写真について著作権侵害を申し立てる事例に不明だが、通常これらは`消耗品`と見なされる。雑草と五輪スタジアムの構図、写真部員に敬意を表してここに紹介する。[蛇足1]

ロンドン都心から東北へ5~6㎞くらいの風景。向うのスタジアムは8万人収容の陸上競技場。開会閉会式のメイン施設。この2㎞ほどの区画にオリンピック主施設が集中している。西側にヴィクトリア公園があり、大ロンドンと言う概念からだと、ロンドン五輪はロンドンど真ん中で行われるのだ。

手前のオレンジ色はヒナゲシの色変わりだろうか。ブルーはヤグルマソウに違いない。芥子/矢車草と漢字で表されるようだが、両者とも農家/農地と関わってきた半ば`家畜化`植物である。ファン・ゴッホが麦畑に混じるヤグルマソウを描いて、弟テオの上さんヨハナが後「麦畑とコーレンブルム」とタイトルを付けている。ヴィンセントはアイントホーヴェン傍の村で、ヒナゲシを含む雑草習作も残している。彼の描く花は向日葵を除き`同定`出来ない。しかし荒くうねるようなタッチに季節の典型的草花を読み取ることが出来る。122年前のヴィンセント・ファン・ゴッホがスタジアムを構図の真ん中に収め、Klaprozenとkorenbloemenを描くのを想像をしてみる。

間もなくロンドン五輪が始まる。聖火がブリテンあちこちでリレーされ、BBC夜のニュースで紹介されていた。ウーサン・ボルトは言うまでもないが、ゲイ/ブレイク/ガットキンと言った褐色の若者たちによる100m最速ドラマが2週間以内に見られる。これほどのイヴェントは他にない。100mを9.5秒前後で走れば世界記録。記録が生まれずとも、この種目と秒数はどのような大イヴェントにも勝る出来事だ、と私に思われる。

イヴェント/催しをどう定義するか? 様々な解釈があるだろう。それはおいおい出てくる…として、まずオリンピックはイヴェント中のイヴェントではないだろうか。そのシンボルが100mレースなのだ。それは「より速く、より高く、より遠くへ」肉体の空極を求める標語から明らか。肉体つまりスポーツに関するイヴェントが代表なのだ。

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4日間ウォーク in Nijmegen / 7月20日 最終日ゴール付近

いつから``歩く``のが行事化したのか? 日本の場合を見よう。四国遍路八八カ所が知られる。霊場廻りだと言う。やや聖地巡礼に似ている。日本に四国88カ所と同趣の仏教背景の場が多くある。これらを行事と呼ばないだろう。霊場を巡ること、それにしばしば湯治が組み合わされる。即ち`お遍路`は長く古い庶民のリクリエーションだったと思われる。

誰かがその一つを巡る企画を考え、組織を作り定期的に催すならば、初めてイヴェントになる。それがぼつぼつ出始めるのは、様々に呼ばれた○○景気渦中の高度経済成長期だったのでは。列島の南から北まで賑やかにあちこちで開催されるようになるのは``熟年``と言う言葉が定着した頃である。歩く歩け時代は豊かな熟年世代と共にスタートした。

ナイメーフェン・ウォークは欧米の無数ウォークイヴェントの基本形である。お遍路由来の日本伝統型と異なる。聖地巡礼を背景にするウォークイヴェントがあり得るだろうが、まだ私は知らない。第1次大戦後に北のライン川沿いの軍隊駐屯地から南のワール川の兵舎までの行軍訓練が嚆矢になっている。回を重ねるうちに、ガールスカウツ組織が共に歩いた。やがて開催地を重要師団のあるナイメーフェンに移し、男女を問わない一般市民を迎える行事として発展。軍隊行進が青少年(ボーイ)スカウト精神/組織と結びつき、今日の市民主体のスポーツ・ウォーク・イヴェントの形を整えたのだ。

近代五輪運動を考え尽力した功労者はクーベルタン男爵(1863-1937)(Baron de Coubertin: Pierre de Frédy)。こんにち商い抜きで成立しない五輪を見ればアングリ口を開き、こりゃナンジャと言うだろう。彼は各国王侯/政府のスポンサーを得るべく、あちこち五輪キャンペーンの旅に忙しかった。ナイメーフェンにも出向いてきているから、時間史的に見るならばスポーツイヴェントのトップは五輪、4日間ウォークはそれに続くだろうか。[蛇足2]

De Tour de France 2012 優勝者ブラッドリー・ウッギングス
Ivent industry 01 Tour de france
Bladley Wiggingsに続きチームメイトChris Froomes2位。パリ最終戦のスプリンター勝者Mark Cavendish。彼らはブリテン初めてのプロチームSky ProCyclingに属する英国人。スカイプロサイクリングは28名レーサーをかかえ、うち7名がブリテン国籍者。その3名が突出して強かったのが不思議?ブリテンメディアは歴史的快挙と連日の記事を貼っている。チームスポンサーはメディア帝王マードックによって全株取得される筈だったテレビ企業BSkyB。計画はスキャンダルによって破綻。五輪に於けるブラッドリーとフロームスの路上レース、カーヴェンディッシのスプリントレースの好成績が期待されている。

本ブログをおっかなびっくりで始めた昨年7月「トゥール・ド・フランスとブリテン」と言うのを書いている。そのエタッペで、聞いたこともないカーヴェンディッシュと言うブリテン選手が大雨をついて勝った。この季節にスポーツイヴェントで一世紀を超えるトゥール・ド・フランスが目につかない筈がなかったのである。24時間サテライトの全局は、NHKworldを含め、これを伝える。

三大自転車道路レースは伊/西/仏だが、トゥール・ド・フランスは最も過酷と言われる。イタリアとスペイン版のテレビ中継視聴率は本家フランス版の3分に1くらいだと聞く。さもあらむ。自転車イヴェントの本家故に、注目度が違うのだ。2012年昨日、恒例パリ市内グルグル最終戦で、上のカーヴェンディッシュが勝っている。総合優勝をブリテン選手がするのは史上初めて。総合2番手もブリテン島国人で、こんな珍事が何故起こったのか? 

ソウル五輪男子100m決勝はベン・ジョンソンを含む全員がドーピング染まりだった。これをなぞるのがフランス一周自転車レース史である。故に、サイクリング・ドーピング史も古く深い。五輪の陸上と水泳に並び、自転車競技はドーピング御三家のひとつと言って良い。

薬用分析技術は日ごと進歩し、Whereaboutと言うレース期間以外の滞在場所ルールなど厳しいコントロールが常時行われている。このためにあるいは、これまでのドーピング常習の大陸側の選手たちが大人しく使用を控え、活力を欠いたのだろうか。

後半、昨年3位のルクセンブルグのフランク・シェレックからドーピングをカバーする成分が検出された。彼はすぐ戦線離脱したが、ド・トゥールの全部隊に微妙な陰りを与えた。選手が服用するのはチームスタッフが用意するサプライメントや上さんが愛を込めて絞ったジュースなのだが、シェレック曰く「誰かのワナでのまされた」。ワナによる食材も風邪気味なので飲む風薬も、彼ら自身による密かな`トリートメント`も、すべて常にコントロールにひっかかる可能性はある。これは選手を含め全ての関係者の暗黙の了承事項と言うべきだろう。

10~20秒の筋肉の瞬発力を必要とする短距離選手の脚部筋肉、または投てき種目選手の腕部筋肉が目立つのは極めて自然である。しかしボディービルダー(彼らは薬物強化常習者だが…)外観になるのは激しいトレーニングの結果としてもあり得ない。女子世界記録保持者ジョイナーの1988年全米選手権当時の肉体はデビュー当時の女性美から化け物的ボディービルダー体に変化しており、男子世界記録(のち失効)ジョンソンソも同じだった。東独時代五輪メダリストに早死/疾患例が多くあるように、Florence Griffith-Joynerの若死(1959-1998)は過剰な薬物服用結果だ。

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この写真をオブザーヴァー紙の雑草とスタジアムの写真と比べると、後者がプロの仕事であることが分る。巻頭の拝借画像をもう一度ご覧あれ。イヴェントのオープニングを控える会場の片隅に、そんな大事と関わりなく7-8月の季節の草花が毎年と変わらず咲き乱れている。なかなかの視点と視角である。

上の如何にも雑草然とした、まとまらない写真はロンドンとほぼ同緯度と思われるドーヴァーを隔てるこちらの田舎である。色味の違うヒナゲシが見られるのは交雑というか、種子からの実生の所為である。様々な遺伝子情報が混ざる個性が発揮されていると言える。既に花びらを落とし小さな容器と仲の果実が熟成に向かっているヒナゲシも見られる。青いヤグルマソウはロンドン仲間と同じ色味だが、やや小ぶりで貧相な印象を受ける。土壌とヒナゲシとの栄養奪い合い…などビオトープ環境による。つまり彼らは名もなき土地の雑々とした田舎≒農業地帯の草に過ぎないのである。

オブザーヴァー紙の花々は元気で色もあざやか、形も寸法もそろっている。ブルトーザーが行き交いした造成土地に、偶然こんな季節の草花が群をなして咲く確率はきわめて少ない。整地されたあと充分な堆肥が行われ、開催期間に咲く相応しい草花のコンビネーションが播種されたのである[蛇足3]。ヒナゲシの果実は覚醒薬物の材料にならない。矢車草の漢方的効能に不明である。公園と言うものの性質であるが、この風景は本物の雑草でない`作り物`の野原であって、アフガニスタンやコロンビアの薬草栽培地に等しい…。

4年に1度のスポーツイヴェントはこの金曜日27日に始まる。IOC(国際五輪委員会)の薬物部門は大勢のスタッフと機器を揃えて、とりあえず出場選手5千名の検査を行っているそうだ。これまで困難とされた成長ホルモン検出の新兵器が加わったとか…。ロンドンオリンピックはドーピング・サイエンスの``シャドーオリンピック``でもある。


[蛇足]
1.日本語の掲示板にしばしば著作権/コピーライトに関する書き込みがある。時々出会う学術論文の交換掲でなくて、百花繚乱の盛況を呈する趣味世界の掲示板である。そうした中のやり取り過程で登場する法違反の指摘である。法の建前を掲げるから、著作権侵害をしたらしい書き手は恐縮しつつ丁寧に謝まる場合が多い。いつからたくさんの日本人は著作権と言った法律に敏感になったのだろう…。法律で定められ、国際的な常識だから、貴方は注意すべきだと言う忠告。ごもっともな親切であるけれど…``水戸の黄門様``に私には思えるのだ。葵の御紋を示して`天下の副将軍、、、下がりおれー`の図式。誤った法律は過去に数知れず、180度向きを変えた法律例は枚挙して余りある。加えて著作権を盾にして真の先行者を迫害抹殺する場合もある。善良な人々の掲示板に於いて、正義の月光仮面は不似合ではないか。左様な法律サマサマ諸君が明日を担う世代のさまざまな場面で、失敗を恐れない創造の芽を刈り取らないように願う。この数十年、日本が技術革新・生産性・活力において遅々として足踏みしているのは左様な行儀のよさとお上への従順さでは…。十手を振りかざす小目明し風な悪しき儒教精神を取っ払おう!

2.第1回のアテネ五輪は1896年4月に開かれ、6月半ばに三陸沖津波が発生。この津波犠牲者は2万余と言われるから2011年3月の痛ましさに近い。東京電力福島原発の計画/承認/視察に関わった官僚は例えばこの事実について知っていたと思われる。三陸沖津波の文献は幾つか知られ、江戸初期にも同様な惨事があったらしい。既にそれら過去事例と昨年の東日本地震/津波との研究/検証がなされていると思われるのだが。

3.家庭園芸用にも、野草のタネを集めたさまざま組み合わせの市販品が出ている。
ロンドン五輪会場の2㎞域に多くの樹木草花が植栽された。基幹施設が緑に溢れた公園に調和して立地しなければならない。相当な高木を含む植物はしかし根付く間もなく、少なくとも開催期間中に精彩を保つように維持管理される。ブリテン圃場業界だけで無理なので、大陸側園芸大国にオーダーが寄せられた。蘭白仏など樹/花種の知名専門業者は既に1年忙しくしているらしい。インスタント・グリーンゾーンがイヴェント後にどうなるかは、多くの事例があり、大緊縮政策に直面するUK(担当部門)に多くを期待できないかも…。

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日蘭ヴェテラン軍人の出会い at The Walk of the World (歩け五輪)

Vierdaagse 10

96ste Vierdaagse van 17 - 20 juli 2012と言うのが今年の地元呼称。
一般にVierdaagseフィア・ダーフセと知られ、英語にFour Days Marches Nijmegenと移している。35年ほど前、日本の方が「歩け五輪」と呼んだ。オリンピックに値する行事と言う言わばほめ言葉。既にその頃、日本女性で参加十数回の猛者がいて、ウォーク・インターナショナルとしての実感だったのでしょう。

東松山市と言う町が、地元お越し行事として三日間ウォークを企画し開始した。元祖ナイメーフェンと並ぶ意気込みだったようで、ナイメーフェン市との姉妹都市提携に盛んに取り組んだ。贈り物は言うまでもなく、市幹部の招待や青少年の交流など熱心な努力がされたようだ。4日間に4つの異なるコースを30/40/50㎞を歩く。コースに当たる町や村に、ソメイヨシノと思われる桜が、また数カ所に日本の記念碑が寄贈建立されているのを目撃する。

Vierdaagse 01
姉妹の都市! 三日めの七つの丘のコース。上がり下りを繰り返した後、ゴールまで数キロ地点の沿道。午前11時頃、この当たりまで達しているウォーカーは少なく、道は空いている。幼い子供たちも声援…時ならぬ歩け歩く人々に目を丸くしてしている…。 主軍と言うかぺロトンが来ると、歩く踏み場もないほど混雑するから、こんなゆったりのどかな雰囲気から遠い

この姉妹都市話は実現しなかった。どうやら些細な理由があるらしい。当時日本を代表する歩け歩け組織のお偉方(副会長?)が大日本帝国の軍人(東印占領時代の将校と言われる?)だった。平和な時代の歩け組織が旧軍人キャリアーを必要とした…のではなく、戦後の歩みが彼をして歩け活動へ向けたのだろう。一方同じように、インドネシアに於いて捕虜になり強制労働に従事した蘭人がオランダサイドの歩け組織に属していた。

蘭日の両組織の出会いだったのだろうか…、オランダ氏が日本氏に出会って、ハテ?と首をひねった。オランダ氏は数日、記憶を探ったと思われる。遭遇した日本人が半世紀沈んでいた記憶を呼び起した。若さが老いに変わり、しかも普段まったく接触の無い異邦の地に居るのだから、普通だと他人の空似になる。しかし過去の憎悪がオランダ氏を駆り立てた。万が一にもあり得そうにないことを確かめたかった。数日後に日本氏に丁重に半世紀前について質問をしたのだった。

Vierdaagse 02
気温18度、雨模様。バスタブに湯を入れ、バンドに合わせ歌を歌い大声援。昨年はカァーッと暑い夏日和だった。観衆も歩く方も、夏姿で、このビキニがぴったりだったのだ。しかし今年の天候は振るわず…残念。しかし彼らは元気一杯

かつての軍人ならば、声を大にして言わないけれども祖国に尽くしたと言う自負がある筈だ。フィリピンから生還した叔父も、短い軍属だった親父もそうだった。赤紙を受け取り、故郷の連隊駐屯地に配属され、やがて戦地に行き使命を果たす。それが男子たる勤めだった。

高齢のお偉方は尋ねられた故に正直に答えた。オランダ氏は彼自身の半世紀前の記憶が正確だったことに驚き、ヤパンカンプと呼んだ強制収容所体験を蘇らせたと思われる。貴方は当時の行為をどう思うのか? 貴方は我々に謝罪をすべきではありませんか?片言の英語によるやり取りの筈だから、意思伝達が充分だっとは決して思われない。彼らはかなりの頑固な老人たちであり得るのだから、目撃且つ陪席した歩け関係者がなりゆきに驚いたと伝えらる。

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色々な食べ物サービスがある。子供たちもこうしてさまざまなキャンディーや小切りキューリ・ニンジン、イチゴやリンゴを提供してくれる。コースに沿うパン屋は葡萄入りパン、酒屋は小瓶のビール、果物屋はバナナ、と言った塩梅で励ましてくれる。飲料や各種食品メーカーは4コース通じて宣伝部隊を繰り出す。また多くの趣味スポーツクラブや会社や団体組織が万事を用意して、歩いている仲間の面倒を見ている。現在はスマホの時代故、娘や夫が何処を歩きどんな状態か分かるので、食事他の面倒を見る家族サポート部隊は近道に車を走らせ、家族が来るのを待機している

二次世界大戦のヴェテランが4日間歩きの蘭日交流で喧嘩をした。平和な歩き行事に昔のおぞましい戦いの軍人が絡む、、と言うので眉をしかめる人が多かった。奇遇にも過去の苦痛を思い出させるかつての敵国人が現れた。オランダ老人に戦後は終わっていなかったのだ。

ヤパンカンプとは、1972年昭和天皇の蘭国公式訪問時の卵投げ事件と、その前後に続いた喜劇人ウィム・カンによる狂信的`ヒロヒト=ヒトラー説`形成の動機になっている。ウィムは強制収容所経験者である。こうしてオランダ氏は姉妹都市提携話にプロパガンダネタを播いた。名も知れぬヒガシマツヤマと20世紀もの歴史を持つ欧州屈指の古都ナイメーフェンとでは格が合わぬ…、かの御仁が言ったそうな。既に幾つかの提携都市があり、市議会の予算承認を得られないと言うあたりが、言わば東松山市への非公式返事だったのではあるまいか。 

Vierdaagse 04
マイクを通じて小噺/ジョーク、時に背後の仲間のコーラスと合わせて賑やか。音響装置とヴァラエティーに飛んだ動物鳴き声を披露するユニークな‘フィアダーセ‘プレゼンテーション。4日間を通して自分の趣味活動を公に問う人はかなりいるそうである

この行事は軍隊の訓練から始まった。ヘウメン草原と言うナイメーフェン外れに、5千名収容の仮設バラック群が作られ、かつての連合軍諸国からのフィアダーフセ参加兵隊諸君の宿舎になる。軍兵の訓練である性質は継続されているのだ。行軍とは軍隊誕生以来の基本的行為である。欧州の十字軍史は行軍の一里も二里もの塚である。

EU各国軍の参加希望が多く軍まとめの蘭陸軍は調整に大変らしい。彼らは一般市民より遙かに余分に歩く。それは毎朝毎夕ヘウメンからスタート・ゴール地点までの往復である。そして平均10kg背嚢を背負う。銃を持つ国/小隊もあるようだ。するとぐっと重くなる。

Vierdaagse 05
雨が降りだした。老人ホームから繰り出した観衆に、介護メンバーが薄いレインコートを配っている。軍隊ユニフォーム女性はノルウィから今年で4回目。スエーデン・デンマークと共に北欧から合計5大隊くらいが毎年参加しているようだ。通過コースの人々が通り名の幕を張り、風船を飾っている。テントにはもちろんツマミ・ドリンクを揃え、音楽と共に踊りつつウォーカーに拍手をおくる。

戦後に連合国側だけだった。しかしドイツ連邦軍の参加を今では欠かせない。西ドイツが東ドイツに対峙する冷戦時代、北大西洋条約軍の主軍としてアメリカ陸海空軍と海兵隊が西ドイツに駐在した。これを補佐する形で育った西ドイツ軍隊の若者たちが、やがてアメリカ軍諸君と共にフィアダーフセに行軍するようになった。

Vierdaagse 06
僅かだったが、夏らしい太陽がでた。バルコニーからビールを飲みながら陽気に声をかける連中も多い。住宅街通りだと思い思いのテキストの幕や、参加国先の国旗を飾ったり…

かの蘭国歩け組織の老人も帝国陸軍の老人も、既に冥界だろう。天国か地獄か、神がどのように裁いのか知る由もない。万が一、かの日本人は収容蘭人に理由なき虐待をして多数を死に至らしめたために、地獄に落とされたかもしれない。万が一、かの蘭人は日本軍上陸以前に行った支配者側圧政故にやはり地獄行きを宣告されたかもしれない。あるいはその逆もあり得よう…

日本将校の振る舞いや、軍曹の2等兵に対する淫惨な扱いを描いた戦無派作家のレアリズム作品を読むまでもない。いつの世にも状況次第で豹変する個人が現れる。悪人が戦争に絡むと不幸だ。時々に変更される‘歴史‘が善悪をひっくり返す場合もある。またUS映画にインドネシアにおける日本軍管轄下の強制収容所物語が幾つか存在する。早川雪舟などヘボ役者が出てくる。ハリウッド製作のドイツやっつけ映画と同じ類の三流エンターテイメントである。

Vierdaagse 07
40㎞が標準距離。60才以上は30㎞。歩行専門家向きと言おうか、50㎞の長距離がある。50㎞走破のメダルも回数による違いがある筈だが、40㎞のメダルより立派に違いない。朝早い4時半スタートのカテゴリーのようだ。コンパスの広い速足の人が多い。時速7~8kmで7時間で50㎞走破する‘専門家‘に驚かざるを得ない。歩行中に何度もチェックがある。と言うことは、やはりメダル集め目的の近道をするズルがいる/いたのだ。ゴールすると、それぞれの距離と登録区分けグループのテントにてこの日の`チェックアウト`を行う。

ヤパン・カンプの蘭人受難(女性/子供を含む数万の犠牲者…)物語は日本で一般に知られず、蘭国では誇張されて伝えられている。そのあたりの外交読み不足が戦後続き、歴代首相はただ頭を下げて陳謝してきた。海部首相-皇太子ご夫妻(現平成天皇)訪蘭がピークだった。支那・韓国への対応とほぼ同じ経緯をたどってきたと言うこと。日本からこんなに屈辱を受け、ひどい目に合わされてきたのよ、ナントカもっと誠意を見せたらどうなの…と言うのが関係団体の常套手段。戦後30~40年経過、為すべき基本事項は合意/処理されている。関係団体/議会-政府、彼ら自身の精神の貧しさを露呈しているに過ぎないのだが…

Vierdaagse 08
午後3時ころ、参加者の殆どがスタート/ゴール地点に帰っている。雨が降り過ぎたり、暑すぎたりすると、落伍者数が増加する。落伍者は2日目が最も多い。訓練・準備不足が2日目に現れると言うことらしい。しかし3日目に苦しそうな参加者が出てくる。4日目は晴れの完走ゴールのマーチングであるから、沿道は群衆でうまり歩く大群と共に嬌声とマーチ音楽の響く祭騒ぎになる。この醍醐味を経験すると、来年も参加したくなると言う。こうしてものすごい回数の歩きツワモノが居る分け。ウォーク開始前から、都心に数十の仮設舞台が立ち上がり、夕方から深夜(01;30)まで音楽をかき鳴らす。生バンドでこちらも足の踏み場がない。フィアダーフセはヴァカンス期間の夏祭りの一部分で、3週間継続する。4日間自転車廻りやワール周航など人手を集める。

Vierdaagse 09

4万人以上のウォーカーたちの殆どが午後3時頃に通過した後のある村。観衆はまだカフェや仮設テントに群がり余韻のアルコールや話に興じる。手前の2名はウォーカーである。午後4時頃になると、間隔をおいて何組かのポリス・パトロールバイクが通過する。まだ歩いている‘遅れ‘組のウォーカーが居るためである。午後5時頃にパトカー、救急車、最後の組織運営カーなどの車群がシンガリ役目でゆっくりと通過する。これより後の参加者は失格する


ヴェテランは去る。喜劇人ウィムも逝って久しい。かつての17才の半世紀後は67才の熟年である。長生きの時代ではあるが、恐らく30年後は冥途からのんびり下界を俯瞰できる。そこから眺める真実を子共/孫たちは歴史として学ぶだろう。

[参照:2011年7月22日 : Vユニオン・ジャック 旗の下で]
フィアダーセ公式(英語)ホームページ
http://www.4daagse.nl/en.html
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Nature 雑草 フローラ/ファウナ

Immigration と Migration ナイル雁に寄せて

溝向こうはNilgans、溝の手前は画像内のようにNijlgansと書きます。Gansはガン/ガチョウを意味する中高ドイツ語由来[参照:蛇足1] ニルガンズよりも、ナイルの雁と解すると分かりやすい。属名Alopochenを置いておき、次の種名aegyptiacus (画像内綴りはaegyptiaca女性形)からエジプトと言う地名が読み取れます。エジプトの雁と呼ぶ場合も多い。しかし長大なナイル川渓谷を中心に広くサハラ以南アフリカに棲息分布する雁なので、ナイル雁が当たり名だろう。

我が家から左右何れにも200mほど歩くと、小さな池がある。上手の池から下手の池に数十年前まで絶えず水が流れていたそうだ。右側の上手は森なので陽射しが殆どなく、鳥にとっては日向ぼっこが出来ず、いざと言う際の空への逃げ場がない。垂直に飛翔(または海面に突っ込み魚をとらえることが)出来るのは海鳥に多いようで、雁の類は出来ない。だから空の広い下手の池にだけ、今年ナイル雁が住み付いた。どこか他の群からはみ出したのか? 家族と思われ、珍しいように思う。彼らも移住先状況に合わせ、核家族化しつつあるのかもしれない。

カモ科 Anatidae エジプトガン属 Alopochen ナイルガン。我が村の草原、雌と雄の番い(ツガイ)。
Nijlgans (Alopochen aegyptiaca) Corrage 00
首回りの茶色部分の違いや全体パターンから個体識別ができる。でも、どちらが亭主で上さんなんでしょう? ホモサピエンスにも最近、どっちがどっちと言う例にぶつかるが、鳥の雌雄判別も素人に難しい

タイトル二つの語彙はギリシャ/ラテン由来。ラテン語にmigrationemが見つかる。便宜上ここで英綴りを採用。中世に、例えばEuropean birds migrate across the seas or to Asiaと言うように用いられた。しかし今日、渡り鳥の習性を説明する語としては忘れられているようだ。

言い直すと、アフリカで見られる鳥がアジアに移動する。あるいは夏に北に移動、冬に南のアフリカに帰る。つまり周期的に移動する鳥・魚・動物の生息地変更をMigration/Immigrationと呼んだ。人類はホモサピエンスで、哺乳類に属する動物である。従って人類である清教徒が命を賭けブリテン島から北米大陸に移住することにも、当時用いられた。ピューリタンは迫害をのがれ、代わりの新天地を求めた。先住民の居る土地に入植し、2度と故郷に戻らない。やがて先住民を迫害/殺害しなければならない皮肉な歴史を作る。これをMigrate/Migrationと言うと、斜めに定義している有名なUS写真家がいる。

現在、いずれも「人間が移住/移民すること」に使われる。難民とは内戦や自然災害ゆえに他の土地に避難せざるを得ない人々だ。経済移民とは自国の貧しさから逃れたいために欧米諸国に潜り込む(認められない為あらゆる非合法手段を用いる)人々だ。前者も後者も受け入れ/審査先の手続きは、Immigration+Nationalization当局が行うと思われる(国によって別名称がありうる…)。[蛇足2]

Nijlgans (Alopochen aegyptiaca) Corrage 02
上は生後間もない幼鳥と片親。下は同じ幼鳥の3週間後。親鳥は上下共に恐らく同じ個体で。雌雄は不明。人間ならば母親になるのが普通だが…。子は1匹だけで、一人子と言うのは多産の雁や水鳥で珍しい。彼らの巣は10m四方の池の近くにあり、5~10匹の大家族なら狭すぎて養育できないために、縄張り空間に適応する子作りか?

アフリカから地中海の波間に出て、ギリシャ/イタリア/スペイン海岸に密入国する経済難民が絶えない。航海中に嵐に見舞われ、粗末な船に満員なのでしばしば多くの死者がでる。すると救助と収容にこれら諸国はてんてこ舞いになる。地理上の不幸を呪う彼らの本音が聞こえてくるのだが、彼らは又たまたま債務不履行/国家破綻のEU/Euro圏の当事国。南の国々なので、Zuro圏と言われる。南北ユーロ分割案の駄目国家グループ。北の健全ユーロ圏をNuro圏と呼び、南を切り離さないと共倒れになる声が強まっている。

イミグレーション問題と、債務支払いが出来なくなった彼らの財政運営とは、まず関係ない。どこの国から来たのか分らない連中が例えばローマや他都市にドォーッと見られる。スペインにもいくつかの行政区が臨時避難民で占領されているそうだ。彼ら外国人がほんとの国民である若者の職を奪っている可能性はゼロ。そもそも25才以下の失業率30~40%らしいから、仮滞在人に職が回る筈がない。国家が病で苦しんでいる国民にとって、移民希望者の群れは目障りと言うか煩わしく感じられるのは分る。

生まれ故郷を見捨てたアフリカ-イスラム人にとっては次のより良い場所への休息地である。あたかも渡り鳥が地中海沿岸EU圏にひと時の休息を取るように。渡り鳥にとっては居心地がいいと思われる。しばらく滞在して、栄養を付けてさらに北の欧州に向かう。あるいはアナトリア半島から黒海向うのウクライナへ移動する鳥も知られる。[蛇足3]

Nijlgans (Alopochen aegyptiaca) 020-4
``一人子``ナイルガンの家族。子の傍にいるのは首の細い茶色模様から、上述した同じ成鳥だ。右端に歩く個体の首回り茶色部分はやや広く、あるいは雄雁かもしれない。

Nijlgans (Alopochen aegyptiaca) Corrage 01
3週間前との比較。 雁の家族との撮影距離は池を挟んで25mほど。やや接近すると、彼らは反対方向に回り込む。さらに静かに歩を進めると、2匹の成鳥は小さな鳴き声を発し、空中に羽ばたいた。それぞれ180度別方向に消え去った。同時に子は慌てるふうでもなく池にはいった。まだ彼/彼女は飛べないのである。両親のように飛ぶのは目の周囲が茶色にくまどられてからと思われる。

ナイルガンはアフリカの代表的ガンとして、昔から動物園で飼育され、一般に紹介されていた。シナノキの人と言う意味の分類の祖・リンナエウスは1766年にこのエジプト義の種名を与えている。それ故、譲っても1800年代つまり19世紀には欧州広く知られるガンだったのではないだろうか。

近所の老人によると、子供の頃から知っていたそうだ。それが逃げ出した。餌の得られる都市部公園だけでなく、何時の頃からか、あちこち湿原/草原に群れを成して現れるようになった。強い性格で特に孵化期に非常に攻撃的になり、他の鳥類を駆逐する。老人曰く:怪しからん!

キリスト教に敬虔で善良な多くの長寿者にとって、流れ込む移民への嫌悪感は強い。懸命に働き今日に至った彼らにとって、楽な暮らしを求めて辿りついた移民受入先で、何もせず老人たちが納める税金だけを費やす難民/移民を許しがたいのである。

愛玩動物として熱帯から導入されたインコの野生化を5月21日「女性名ファウナとフローラ その外来種テーマ」で紹介した。ナイルガンの独蘭(北緯50前後)における繁殖拡大も同じだ。これらは、アフリカからの渡り鳥一部の留鳥化と異なるケースである。

渡り鳥のそんな生涯生息地になったライン-ワール川沿い湖水を私も見に行ったことがある。するとその中に混じるナイルガンを目撃したことがある。人間が愛玩または知識文化として持ち込んだ鳥と、本物の(元)渡り鳥が混在しているのである。MigrationとImmigrationの類似語彙が現実の入管審査手続きに於いて混在しているごときである。

両者は`移住した``移民ならぬ移鳥`である。2度とアフリカの地に戻らない。難民/経済移民の殆どが入国先にすがり付いて留まる現象に似ている。鳥の導入種の野生化は例えば1960年代の労働者不足時代にアフリカ・トルコから招いたゲストアルバイターに比喩できる。

ドイツのトルコ移民数は人口1割ほどと言われる。フランスのアルジェリア/チジニア移民、ベルギーのコンゴ移民、ブリテンの南アフリカ/インド/ローデシア移民、オランダのトルコ/モロッコ/インドネシア移民、、、旧植民地からの`流民`と60年代導入労働者の`留民`、以上2つに加えるこ現在進行中の`難民/移民`の総体がもたらした欧州の姿である。

世界の主に北半球に、同じ現象がみられる。日本の場合は韓国/朝鮮民族の、即ち``在日``問題だが、欧州に限ると、ナイル雁の横着さは過去の欧州の横着さの跳ね返りなのだ。難民/経済移民(またはイスラム化と言われる国籍会得者の急増現象)テーマは、教会の`古き良き人道主義`に基づく保守党と戦後の社会民主主義を標榜する左派政党との合作である。街の清掃のような汚い仕事や激しい工場重労働のために導入した主にイスラム圏の人々に、用済なので帰国してほしいと彼らは言えなかった。 

アンゲラ・メルケル女史は数か月前に、恐怖に等しい独白をした。過去30年、ドイツ連邦政府は膨大な時間と予算を投入して移民のインテグレーション即ち健全なドイツ国民化政策を実施した。その結果はゼロだったと彼女は告白したのだった。同時期に蘭国に於いて``多様文化の融合発展``と言う論が賑やかに展開され、欧州を駆け巡った。しかしこれもバルケネンデ凋落内閣が夢物語だったことを認めざるを得なかった。

理由は、不毛の砂漠で生まれたイスラム原理にあるのでは…。流民/留民して30~40年の第一世代モスリムの殆どが移民先言語の片言しか話さない。言葉が通じぬ、仕来たりが違う、食習慣も合わぬ、イスラム式屠殺肉しか食べない、、`郷に入れば郷に従え`と言った柔軟さは微塵もなく、`文化の融合`を説いた欧州人を裏切って余りある。

ナイルガンにお願いだからアフリカに飛んで帰って、と言っても`鳥の耳に念仏`。ギリシャ文化より続く二つ語彙のシッチャカメッチャカ、その悩みは尽きない。


[蛇足]

1.ガン⇔雁→はつ-かり⁼初雁…と連想。 Gans⇔ガン/雁の音が似ており、研究者の断片がありそうだ。印欧語に属するサンスクリット経由にて、片方からもう一方へ流れたと想像してみる。渡り鳥ガンが飛ぶ家紋をカリガネ=雁金と言い、雁金町と言う名を思い出す。この京の小さな町は東西の錦小路と蛸薬師、南北の高倉と堺町、これら四つの通りに囲まれた区画らしい。通りと町のいずれも郵便宛先に用いるようだが、町名は多くあり過ぎ、住民を除いて知る人は少ない。

2.共産国家・支那は世界中の原材料を買占め、今年も成長率8%弱、宇宙に人を打ち上げ、軍拡で他諸国海域を侵略または恫喝している。そのシナから尚も移民が出てくる。主に福建省からで、北京はだんまりを決め込む。都合悪い事象に土をかぶせ世間は知るまいと思う鼻垂れ小僧の可愛い単純さ…。あらゆる地方・都市における廃物排煙による環境汚染のほったらかし、高速鉄道事故車両の穴埋め、袖の下を通さねば許可認可を得られない役人根性、これらを難民輸出と同じようにミグレイト/いミグレイトしてくれぬように望みたい。

3.ギリシャは保守サリアス内閣なって、アンゲラ・メルケルおばさん主導の大節約を受け入れ、イタリアはモンティ実務内閣が大ナタを振るい、スペインは30兆ユーロ支援を実現するため首相と財務相がブリュッセルに日参している。3ヵ国はアフリカからジブラルタルや地中海の島伝いに押し寄せる難民処理に悲鳴を上げ、過去20年、北のEU圏への分散処理やEUによる難民対策案作りに忙しかった。我々だけにアフリカ窮乏・難民の尻ぬぐいをさせられるのはたまらない…と言うのは納得できる。長いヴァカンスと60才前に年金生活に入る南国的伝統を楽しむ。就職から生活便宜の万事まで地元政治家コネにより、組合は強くデモを繰り返す。生産性は上がらず税収も一向に上がらない。国債を発行し続け、欧米大銀行に借金をかさね、利子がかさむ。こうしてとても返済できない債務問題が津波のように発生した。`アラブの春`ならぬ``地中海の冬``。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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