ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

クルディスタン外史 [本編]  `バビロンの捕囚`に絡み

クルド人だと言う若者に合ったことがある。はて、そんな民族が何処にいる? 30年ほど前、私は知らなかった。クルドだけでなくゲオルグもアルメニアもたくさん知らない土地・民族ばかり。冷戦で旧ソ連の今日知られる○○スタンっぽい共和国などは一般に殆ど報道されなかった時代だから、異世界の私などが知る筈もなかった。日に焼けた様な精悍な表情の若者はトルコの移民申請者と思っていたのだが、少し打ち解けて片言英語で話してくれた。トルコパスポートだけれども実はクルド人なんだと。

1980年前後、中央欧州はガストアルバイター永住に続く難民/移民の大波にさらされていた。トルコ共和国からの[補註2]マイノリティーとしてトルコ国籍クルド人がいた。彼の短い話は私を驚かした。何故逃げて来た? 「貧しく経済移民のトルコ人と俺は違う」彼は続ける「故郷`クルドの土地`はクルド独立組織とトルコ政府軍との内戦が続き、2次大戦後だけでもクルド数十万が亡くなっている…だから俺は逃げてきた」


バベルの塔。ユダヤの物語、創世記[補註1]に登場する建築物。17世紀フラーンデレン画家達に好まれた画材で、ブリューゲル親子3代による幾つかの作品が知られる。親父Pieter Bruegelde Oudeが筆頭で、その長男Janと次男de Jonge、さらにJanの息子(もde Jonge)など画家の家系。老ブリューフェルの弟子たちも師匠の主題に挑み、バベルの塔はあちこち欧米美術館にそびえている。

Kurdistan X-0


数ある`バベルの塔`作品中で本作が最も遠近に富み、測り知れない塔の巨大さを表現している。この画像は Kröller-Müller (クレルレァー・ミューラー)美術館所蔵/展示から。イェルーン・ファン・アーケンの影響を受けた``親父ペーテル・ブリューフェル``版の構図を発展させたような作品。大石を細工する人に白い雲など老ブリューフェルと同じ素材があり、直弟子の作かも…。意外に小さく、寸法は50㎝四方だったか。計測せずカタログを入手せず、画家名も忘れている(分り次第追加予定]。


クルドはクルディスタンからの欧米省略簡易語と思われる(英発声だとカード/カーズに聞こえる)。彼らのオリジンはバビロニアあるいはその前のアッシリアをこえて遙かにさかのぼると言われる。アッシリアシリアは、現シリア共和国の語彙と関わりがあるようだ。ヘブライ(=イスラエル)語源とも言われる。前項に挙げた``肥沃なる三日月地帯``の主であるアッシリアそしてバビロニアは現クルド人居住域(↓地図)を南に延長拡大した国土である。両王朝はモーゼとイエスとの中間時代に興り、新旧いずれの聖書にも数々の物語やエピソードが再編集されて採り入れられている。

その一つが`バベルの塔`伝説。`ノアの箱舟`の次に語られる[補註3]。ジャックと豆の木のような天国への架橋的構造物である。構想の雄大さがいい。古文漢文に淀みない友人の本によると、支那と日本(古事記/日本書記ほか)文献にウリ科植物の天への成長、その成分が星座や天の川になったと言う物語があるそうだ。

ノアについて;大洪水の滅亡から逃れるために、ノアは家族と動物たちを乗せる巨大な箱舟を作る。児童絵本にしばしば描かれ、子供たちの想像力を掻きたてる物語だ。洪水が引くと、船はトルコ東端にある海抜数千mのアララト山に漂着していた。これを信じる人々だけでなく多くの国と機関が証拠を探すべき学術的調査研究を繰り返している。発見された甲板材化石の炭素測定までされ、あれこれ楽しい議論が繰り広げられている。洪水伝説は世界各地にあり、上の友人は例えば瓢箪に乗って難を逃れる老荘的な支那の物語を紹介している。


日本の平安時代に当たる地図。コーカサス山脈以南からアナトリア(トルコ半島とも呼ばれる)を含みカスピ海沿岸までを所収する。中世わずかの期間に興ったクルディスタンの王朝。クルド語の綴りで正確な読みを知らない。クラ川とアラス川との間が主な領土だった。両河川は西から東に流れ``肥沃地``を形成しつつ、カスピ海に注ぐ直前に手を合わせるかのように合流する。北から南に流れるティグリス/ユーフラテスと対比的で、クルディスタン史に於ける唯一の独立国家と関わる。
Kurdistan X-1

上記の中世領土地図を北に重ねつつ、現在のシリア/ヨルダン/イラク/イランを示す。明るい部分にクルド人の様々な部族が散開している。即ちこれら4国に加え、トルコ東部、首都バクーのアセルバジャン、アルメニア、グルジア(独読みでゲオルグ、英読みでジョージ)などに紀元前から様々なクルド部族が歴史の悪戯と言うか、めくるめく民族抗争史に浮き沈みしつつ生存してきたと考えられる。


北イラクにクルド自治区として3県が存在する。湾岸戦争1991年1月以降、フセイン政権の手の届かぬ地域になったからだ。2003年の第2次戦争までに、この地域でイラク共和国軍作戦があるたびにNATO旗下に於けるUS戦闘機が爆撃を実施。クルドはオスマントルコ時代もそれと直接かかわらぬトルコ共和国時代も独立武装闘争を継続してきた。古代から続く独立国家になる悲願…。長い苦難の末に、北イラクに初めて自治区を得た。2005年から彼らの地方議会が機能しているのである。

上図の明るい部分の内、北イラクの東隣にイラン居住区、北側に圧倒的範囲のトルコ区、さらに西側に飛び地二つの小さなシリア区がある。小さなシリア区はトルコとイラクと連結し、住民300万を擁す。シリア・アラブ共和国の1/7強を占める少数民族である。

彼らの戦闘グループはシリア内戦半ばからFSA(自由シリア軍)と肩を並べて反政府ゲリラ活動を展開。ポスト・アサドに北イラクと同じ自治区を得るのが当面の目標だ。だが寄せ集めゴチャマゼFSAと先月合意を得てアサダ後の受け皿組織SNC(シリア民族委員会)がこれを認める保証は何もない。クルド戦闘グループは、烏合の衆に近いFSAより遙かに結束力が強く、認められぬならば今度は受け皿に戦いを挑むだろう。彼らは気の遠くなる世紀時間に耐えてきたのだから。

トルコ政府はクルド域を認めず、南東アナトリア地方としている。1978年クルド労働者党(PKK)と言う武装独立組織が創立された。黒い鼻ひげをトレードマークにするリーダーAbdullah Öcalan(アブドゥッラー・オジャラン64才)は地下にもぐり転々と各国を移動した。彼は阿蘭陀に若いPKK戦闘員の非合法・欧州中枢と、ゼーランド訓練地を立ち上げた。

私が出会った控えめな若者は`逃げてきた`のではなかった。ケニアでCIA+トルコエージェントに99年逮捕されたオジャランの弁護士ブリタ・ビューラー筋の情報によると、訓練後に故郷に帰った多くの戦闘員が戦死していった。かの若者は戦死したか、EUインターポールに逮捕されたか、それとも熟年ヴェテラン活動家として頑張っているか…。

EU加盟を目指すトルコ政府は死刑を廃止、オジャランはマルマラ海の小島で終身刑役を送っている。一方クルド居住区と元PKK(現在別名らしい)山岳地は理由をつけて定期的にトルコ空軍によって爆撃されている。トルコ宰相エルドアンはシリア反政府軍FSAを支援、アサド批判の先頭に立つ。トルコ即ちアナトリアは本来イスラム圏だがEU加盟を望み[補註4]、アラブ民主化に於いてUS/EUと協調する。シリアのクルドは先述したように、ポスト・アサドの未来を模索している。彼らは殆どトルコのクルドと重なる。数か月後、どう推移しているだろう。


茶色:紀元前627年、アッシリアのアゾーレバニパル朝最大版図。青紫;アッシリアの発祥区域。斜線;紀元前750年サルゴン朝。 右:左の部分拡大図。下方にユーフラテス川に沿う首都バビロン、上方にティグリス川に沿うアッシリア首都だったNineve。
Babilon C

首都バビロンから三日月状に回り地中海に至ると現在のレバノン海岸線に商港が並ぶ。さらに南に目を転ずると死海、近くにイェルサレムがある。


左;紀元前800~500年。長細い海岸地帯をフェネキアと言う。帆付き手漕ぎ木造船で地中海全域とジブラルタル海峡を抜け北と通商した。しかしこの期間フェネキアはアッシリアや新バビロニアの支配下にあった。またシオンの丘を含むイェルサレムはかつて預言者モーゼに導かれ帰還したユダヤ民族末裔の王国があった。
Babylonia Fenechia

右;Frans Francken 2(Antwerpen1581-1642)オランダ当時の南の画家家系。17世紀初め神聖ローマ皇帝載冠式のカルル5世に作品献上をしている。肉付き豊かな女性像と風景、当時の売れっ子画家だろう。フランス・フランケンはバベルの塔建設を視察する王を描いている。実は王の左側部分に群像が描かれている。工事遅滞のために設計家または現場頭領を叱責しているような場面。
ノアの洪水を紀元前4000~3000年とするのが主説のようだ。だとすると塔建設はその後の紀元前3000~1500の間になろう。その後、エジプトに平和に暮らすユダヤ人が徐々に迫害され、やがて契約の土地・故郷に同胞を導くモーゼ神話になる。


旧約聖書に含まれるダニエル記ほかに新バビロニア国王Nebukadnezar(ネブカドネザル)2世の業績が書かれている。彼はバビロンを70km城壁で囲い、華麗な庭園/建築構造物によって首都にふさわしい輝きを与えた。同時にエジプトと抗争、現レバノンにあるフェネキア港湾都市を抑えると同時にユダヤ王国(イェルサレム)に軍を進めた。殺戮を行い、さらに数千の専門職人/働き盛り若者をバビロンに移住させる。紀元前597年のバビロン幽囚と言われる事件。ユダヤ人は首都の人口増加と、造作事業の労働力に貢献したと本は記す。バベルの塔か、それに近い巨大建造物に従事した…?

58年後、東に勢力を張るペルシャ(=現イラン)Achaemenide朝の王Cyrus(キュルス)がバビロン侵攻、ユダヤ囚人は解放されることになる。バビロニアから世界帝国ペルシャ支配に移る転換点だった。ユダヤ人の多くは故郷より肥沃なメソポタニアに定住した。優れたユダヤの頭脳がペルシャ官僚機構に生かされたと思われる。

ペルシャはこれから7世紀半ばまで繁栄を謳歌する。この10世紀を超える期間に、クルディスタンと関わる部族・民族の形跡が目立たない。彼らはアッシリア/バビロニア即ちかつての肥沃なる三日月地帯に民族アイデンティティーをひっそりと抱きつつ、いつか自らの国を作るべき夢を育てていたのだろうか。



[補註];
1.旧約聖書は旧い約束を表したユダヤ社会の聖典。紀元前13世紀頃の預言者モーゼの著した律法を主にする。創世記(と言う巻?)から始まる。ユダヤ教を信じるユダヤ人自身にとって、``旧い``約束はおかしい。現在も生きている約束事らしい。これを基にして開発された新しい約束(すなわち新約)に対する呼び名として使われたのだろう。やはりユダヤ教から派生したイスラム教を新約と言わないのは6世紀時間差と砂漠で生まれた厳しい教義をそなえているためと思われる。

2.1961年K.アデナウェル西独政権はトルコ政府と協定締結。事実上の`労働者導入`の合意をした。1980年代初期、外国一般労働者を必用としなくなったが、`協定`により彼らは既に社会保障付きの在独権をえていた。気が付くと家族/親戚を呼び寄せたトルコのゲストアルバイター社会は800万人に膨れ上がっていたのだ。ドイツ連邦の1割だ。欧州の一般社会問題だが、経済成長の底辺を担ったトルコ労働移民は独社会の常なる政治課題であり続けよう。

3.新旧の聖書に記述されるバベルの塔の時代・紀元前3000~1500年は日本列島の縄文時代晩期に当たるだろうか。研究者によると、弥生前期以前に既に河川に沿う湿地帯で米作が芽生えていたらしい。メソポタニア古代人と同時代の日本列島人を語る文献は日本書記ほかだろう…。伝承と言うか創作に属する物語だが、史実を背景にするのだから、バベルの塔のような日本版があれば面白い。

4.EU各国の極右政党は反イスラムである。自国民を優先するのが民族主義の第1義。1960年代以降のイスラム圏からの大量移民を、欧州のイスラム化と右政党は言う。数十年続いた移民馴化努力を、例えばアンゲラ・メルケルは大失敗だと告白せざるを得なかった。受け入れ先の偏見差別があること。同時にイスラム戒律のせいか、彼ら移民が移民先文化を拒否する…。50年住んで、独(または蘭)語を理解できない移民がいる事実が世間を驚かした。
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Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

スミレの花咲く頃はクリスマスの日々

スミレの花咲く頃
作詞:Fritz Rotter・白井鐵造 作曲:Franz Doelle [宝塚歌劇団のホーム頁より]
  春すみれ咲き 春を告げる 春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ
  楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋 人の心酔わす そは汝
  すみれ咲く春 すみれの花咲く はじめて君を知りぬ 君を思い
  日ごと夜ごと 悩みし あの日の すみれの花咲く頃 
  今も心奮(ふる)う 忘れな君 我らの恋 すみれの花咲く頃


シャンソン「すみれの花咲く頃」はパリから宝塚に導入された。モクセイ科ハシドイ属からスミレ科スミレ属に演出家白井鐵造(シライテツゾウ)が゙移籍した。ハシドイことリラ(=ライラック)はその当時、関西でみられなかったのだろう。さまざま属‣種に満ちる日本で愛されるスミレは相応しいピンチヒッターだった。

12月23日にスミレが咲いている。近未来に冬のスミレが珍しくなくなるかもしれない。毎年の南欧フローラ北上前線報告を仔細に見ると、珍しいスミレが挙げられている筈。これら冬姿をここに留め記録しておくと、5年後ほど後に参考になるかもしれない。30年前の12月クリスマス頃、これらの野草がこんな画像のように咲いていた? 記憶にないけれども、咲いていなかったような気がする。

     すみれの花咲く頃 02
このスミレはViola arvensis Murrayと記述される。素直に訳すと「野原スミレ」になるだろう。5月の普段のものより大きく見える。注目を浴びず、この園芸種は存在しないようだ。白い花弁5枚の内側に花柱一つに雄蕊一つが収まっている。従来の花期は5~10月[補註1]。

和名ノボロギク。ラテン記述は Senecio vulgalis 日本に明治20年(1887)に入ったとされる。これ以上開かず、一種の閉塞花と言えるだろうか。背丈30㎝までの小さな雑草で生命力に溢れる。12月も平気のヘイザだ。ヘウケンスは年中咲く餓鬼坊主と書いている。
     すみれの花咲く頃 01
ハコベ(Stellaria)仲間、この一枚しか撮っていず、詳しく分からない。コハコベか``森ハコベ``当たりか、色々あるからややこしい。4月から7月くらいまでが昔の彼らの花期だった。この10年くらいの感じだと、秋頃から深もぐりして上から見えない。この姿を見ると白い蕾が出てきたいように見える。気温10度前後に落ち着けば、安心して花弁を広げるのではないだろうか。

     すみれの花咲く頃 03
左;アブラナ科アブラナ(Brassica)属と思われる。セイヨウアブラナとかセイヨウカラシナと呼ばれ、今では栽培園芸種のヴァリーエーションが一杯あって、特定するのが無意味に感じられる。逸出して野原に陣取って、まだがんばっている。これなら摘み取って、オシタシやてんぷらに出来る。
右;`ヒルマカッコウ鳥花`と言われる。筒部分に成熟した数ミリの黒い種子を蓄える。他の仲間と形状や上端切り込みの反りや数で違いが分かる。本個体は雪に叩かれながら、花を出している。雌雄異株の植物で、もう少し開き花柱や雄蕊が見えると雌雄の区別が出来る。冷え込んでブルッと寒さに耐えているように見える。なら出てこなければ良いのに…。半世紀昔は5~9月に咲いた。3ヶ月のずれだから、寒そうなのが分る。
 
左写真;スミレの隣に見える植物は赤桃色の花を咲かせる。近くに開花個体が幾つか見られた。ホトケノザと思われる。シソウ科オドリコソウ属。しばしば冬場の耕地肥料として蒔種される。カキドウシなどと並んで出る雑草。
     すみれの花咲く頃 04
中‣右; オランダフウロ(Erodium cicutarium)、オランダ通称は``サギのクチバシ``。花弁を落とした後の花柱が長いサギくちばしを連想させるから。熟した種子を巻き上げ飛散させるメカニズムは一見に値する。前述ノボロギクよりやや早く日本に進出している。オランダ東インド組合会社の帆船によって侵入したので、オランダを冠した日本通称になっている[補註2]。5枚花弁の一枚に黒っぽい小円模様が出るのが普通、しかし日本帰化種に見られないような気がする。あるいは下位の変種が入っているのかも知れない。従来花期は春から10月当たりまで。

ノボロギクとオランダフウロは「すみれの花咲く頃」メロディーと同じように欧州からやってきた。日本列島の緯度は中央欧州よりかなり低いため、これら帰化種の師走咲きは既に珍しくないのではないか。`スミレの花咲く頃`にリンクしながら、ドンドン温暖化順応している…。因縁と言うか、激しい変化ですね。

私はメロディーを聞くことができるが、なぞって歌えない。明るいロマンティックなラブ・ソング歌詞2番を下に沿えよう…



 花の匂い咲き 人の心 甘く香り 小鳥の歌に 心踊り 君とともに
 恋を歌う春 されど恋 そはしぼむ花 春とともに逝く
 すみれの花咲く頃 はじめて君を知りぬ 君を思い 日ごと夜ごと
 悩みし あの日の頃 すみれの花咲く頃 今も心奮う
 忘れな君 我らの恋 すみれの花咲く頃
                       [宝塚歌劇団サイトのスミレの花咲く頃の2番より]


[補註];
1.Flora van van Nederland, Heukens-van Ooststroom 1956上梓 半世紀前の花期による。以下同じ。
2.生物和名にオランダがつく例は多い。当時の蘭植生レンゲやセイヨウタンポポはオランダから直接平戸/出島に紛れ込んだ。それと別に(オランダ出自でない)どこか知らない異国から来たと言う含みがある。唐=カラが付く和名も同じ使用方。
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Here&there lands 雑なるアレコレ大地

クルディスタン外史  プーティン帝政外交のお粗末にふれて

イラク大統領ジャラル・タラバニがドイツ連邦の病院に入院した、とZDF(南ドイツテレビ局)が報道している。北部イラクで1933年生まれだから80才に近い。重なる仕事の疲労だと言うテキストをアナウンサーが読み上げている。
自国に優れた病院が無く、治安も心配、そこで高齢国家首班は勝れた欧州の病院に落ち着いた。一息入れられる何かあったのかもしれない。

サダム・フセイン政権崩壊後の初選挙2005年、タラバニは`新しいイラク`大統領に選ばれる。イラク連邦はイラク民族シーハ多数派と少数スンニ派、それに北部クルド民族から構成される。前者は現マリキ政権の中枢を担う。スンニ派はサダム・フセイン政権の基盤だった。新大統領は最後のグループに属する。軍歴の後、クルド独立組織に属しフセインに対立、マリキと同じようにシリア亡命生活をしたとされる。フセイン後のいわば大目付として、シーハでもスンニでもないクルド長老が選ばれたのは議会の妥当な選択か…

      Koerdistan issue 2
マリキ(62才)はタラバニ大統領に指名された政権担当者。フセイン政権スンニ派に属する役人殆どを追っ払った。公の声明と別に心情的復讐と解され、事実上のイラク内戦一因になっている。7年、宰相職に留まる。US共和党との相性が良いと言われるが、US/UK初め大方の治安維持軍が撤収した内政舵取りは困難を極める。彼は任期後に続投しないと表明している。
 

タラバニ氏はクルド人。聞いた時、私はちょっと格別な気分になった。穴倉で発見された独裁者フセインを言うまでもなく、その前任者も主なバース党政敵たちもイラク人であった、と言うこともある。だけれども、紀元前以前に根っこを持つ長いクルディスタンと言う土地/民族について、チラッと生かじりしたことがあるからだ。
彼の初仕事は、サダム・フセインに牛耳られたバース党の半世紀続いた教義を切り捨て、民主主義を標榜する憲法を作ったこと。旧憲法はアラブ民族主義を基本にする社会主義的な性格に近かったようだ。

薄青い輪郭線が三日月を連想させます。紀元前その時代にこんな地図は無いので、地図が現れた航海時代以後の命名でしょう。アッシリア帝国の最大版図はこれより一回り大きく、現在のエジプト/シナイからシリア/トルコ東部をへてメソポタニア南部のイランまでを含んだ。それは台頭するバビロニアに滅ぼされる(BC609年)直前だった。
      Koerdistan issue 1
下の21世紀地図でイラク/シリア/レバノン/ヨルダン/イスラエルを一つにするアウトラインが上のアッシリア版図にややずれ落ちた形に似ている。これにイスラエルの南にあるTeima域を加えたのがバビロニア帝国になり、やはり肥沃な三日月地帯に見えます。別に言うと、ティグリスとユーフラテス両河川域メソポタニアを核にして地中海と紅海に連なる商港海岸線をもつ豊かな土地。首都は現バクダードのやや南、ユーフラテス東側バビロン。
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恰幅良いタラバニ氏が独逸入りした日、3時間に及ぶ露西亜プーティン大統領の`所感表明`会がモスクワで開かれる。大統領選挙前の激しい民主化デモ、それに続く歌手3名の逮捕/裁判、「外国と協力または応援を受ける反国家的行動をする者への」刑事治安法の成立、それゆえに沈黙せざるを得ない反プーティ/民主化陣営。厳格な罰則を伴い、反陣営は殆ど首根っこを抑えられ、冬の時代に突入したと然る女性活動家が語っている。プーティンの安定化策の実施。気を楽にした大統領は就任後初めての所信と言うか、彼の忌憚ない意見を詰めかけた内外ジャーナリストに披露したわけだ。

内外の政治課題にかなり気楽に早口でしゃべりまくると言う感じだった。そこから`西側`ジャーナリストが最も取り上げ伝えたイシューはシリア紛争に関する部分。片腕を机につき、同じ肩側を下に傾けつつ曰く;
「アサド親子は40年も続いている。そろそろ変わっても不思議でない。反政府軍が強くなっているから。
それでも「話し合いによって政権交代すべきと言う我が国方針は変わっていない」とちょびっと付け加えるのをわすれなかった。

「アサドの負け戦、それだけのこと」と言う仕草とさりげない表情をつくっている。露西亜は既に一月前から外務省筋から、悲鳴に近い`シリア支持`を発信していた。11月初旬カタール首都ドーハにて、反アサドグループが結集、(The Syrian National Coalition)言わばシリア7民族同盟を立ち上げる。この時もロシアのアサドバックアップは変わらずと声明。

12月半ば近くモロッコのマラケッシュに`シリアの友`の会諸国が集まり、組織名をSyrian National Council=SNCとした`ごちゃごちゃ集まり`をアサド政権の移譲または崩壊後の受け皿として承認した。SNC受け入れ皿に反対したのは露西亜/支那/イランなど。露西亜はまだまだバックアップを続けると繰り返した。土俵際で喘ぎながら逆らっている…。

やがてまず仏蘭西、次に独逸/英国他EU圏が認め、これに米国も続いた。露西亜外交官はSNC外交ラッシュに本音を言わず頑張り続ける。本国のプーティン裁可が無ければ、口が裂けても「シリアはアカン」と言えない。彼の帝政なのである。ダマスカス市内で攻防戦と言ういくさ情勢を読むと、武器を密かに供給し続けたロシアと言えどもこれ以上の深入りとダメージを避けなければならない。

リビアの場合も大失敗。年間$数千万の(旧型)兵器商いとアフリカでの同盟国堅持にこだわり、崩壊寸前までガダフィー支持に拘泥した。様々な戦況推移があり、まさか倒れまいと言うプーティ取り巻き読みが結果的に無様な外交結果をもたらしている。殿が首を振らねば、専門外交官の専門が発揮されない国になっている。共産時代もポスト・コミュニズムも帝政気質がロシアに濃い影を落としている。一口に言えば、子供のような意地を張り、漫画チックなお粗末に誰にも見える。

ウラディミール・プーティン早口舞台の前座を敷いた人がいる。セルゲイ・ラザロヴ外相でなく、その副外相だ。一週間ほど前「膠着状態だが、FSAが優勢のようだ。政府軍は負けないが、勝ても出来ない」と漏らした。彼がアドヴァイスを親分にしたのだろうか? プーティン承諾をえた所定のリークである。露西亜要人がFSAの実力を認めたのだからシリアニュースのトップになった。

こうしてプーティンの何気ない「政権交代の時期でしょうな!」になり、彼は気をもんでいた外交官たちにクリスマスプレゼントを贈ったわけだ。殿のお触れが出たので、クリスマスを気兼ねなく楽しみ、明けから徐々に具体的なロシア側談話が出ると思われる。

本日あるシリア・トイッターによると、12月初旬からタストゥール軍港に停泊する戦艦(2隻らしい)がシリア在住5千名ロシア人収容態勢に入っているらしい。それら殆どの人々は首都域住まいと思われ、祖国避難の準備にかからねばならない。1月末に全員帰国と言う日程ならば、何とか実現できるのではないだろうか。人々は帰国落ち着き先など、テンヤワンヤになっているだろう。1975年4月のサイゴン陥落時のカオスに比べれば、豪勢な撤退に思える。

露西亜政府の外交べたと言うのは、中身がない張りぼてミサイル時代からの吠えるばかりの見えから来ているとサテライト解説の誰かが言っていた。そうかもしれない。二人ほど知っている人がいて、根が正直なせいでは、と私は想像する。普通の露西亜人は屈託なく実に親切なのだ。だが、役人や政治家になると途端にコチコチになり、えばり散らすのは何故だろう?、とロシア通もこぼすほど。賄賂を採らねばならないから緊張するからだと笑い話がある。

そう言えば肩をゆすって歩く小さな大統領の心から笑うような場面を見たことがない。おべっか使いに囲まれ、本当の友人を傍に持たないのでは…とよけいな心配をする。英雄は孤独…とも言う。だが本当の英雄かどうか、歴史の裁断は時間を待てねばならない。





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Politics and economics 政治/経済

日本の選挙 

今年の何時頃からだろう? British Broadcasting Companyの24時間サテライト局 BBCworldが日本列島天気予報を流している。自国のブリテン諸島の天気予報番組は主要ニュース後に必ず丁寧に伝えられる。それは向かいの欧州大陸を含む。地球をグルグル回る各地主要都市の気温+晴曇雨を示す解説も、時々ついているように思う。

すると支那や北米・豪州大陸についても、予報されていると想像されよう。並列的に扱われると人は考える。ところが支那(この文字通りChinaと表記される)やUSA天気予報は無い。終日見て確認したわけで無いが、もしも、日本列島天気が↓のように毎日伝えられるならば、特例になろう。何故だろう? BBCに理由を聞いてみたい。


京都・名古屋・大阪など5つほどの都市名と、それぞれ気温と晴曇雨の記号を示した表も現れる。60秒ほどで充分に分りやすい。
      121214 05
このSundayは来たる16日のことだろう。もしそうなら東京15度、寒く無い、投票率に貢献するかもしれない。


風変わりな列島天気予報は(私に)悪くない。海外在住邦人の殆どはしかし滞在国TV天気予報をみるのでは…。可能ならば日本発の日本衛星放送をみるのではないだろうか。わざわざBBCworld60秒ニュースを見る人は少ないように(私に)思われる。ともあれ選挙のために用意された日本列島天気ニュースでないのは確かである。

今、北米大陸US東端の小州コネクティカットの児童20数名殺害事件がライブで報道されている。この種の乱射でUS史上最大犠牲者だと。かつてドイツ連邦においてギムナジュウム高校生による犠牲者数はもっと多かったかもしれない。昨年の昨日にフラーンデレンのラウク市で33才アムラニが昼日中に機関銃を乱射し6名を射殺。同じように彼は彼自身を射つ。昨日その現場で慰霊行事があったばかりだ。[補註1]。

この実況中継の合い間に世界の出来事が紹介され、エジプトのレフェレンダムと並び、日本で明後日に行われる選挙を伝えている。総花的ニュースだから詳しくない。数日前にケーブル・ニュース・ネットワークが不況の波をかぶる各国の失業率をあげて、日本の選挙絡みに少し触れている。


豪州5.2% 支那4.1% 香港3.4% 日本4.2% 東南アジア平均?2.8%  こうしたメディア数字は出自が分らず怪しい場合が多い。局によってばらつきが見られる。支那発表の経済指標の数字は勝手にこしらえる(≒調整)らしく、国際的に信用度が低い。また開発途上国の統計は古いものがある。各国で失業実態解釈が異なる場合、`感触`になる。日本の卒業後直ぐの職無し状況は失業手当の対象になら無いのでは? すると失業率に加算されないだろう。
      121214 cor 02
独5.4% 希臘25.4% 葡萄牙16.3% 西班牙26.2% 欧州連合平均10.7% 地中海諸国の高失業率異常が債権問題を如実に示している。ドイツ連邦の低い数字が際立つ。仏蘭西と英国はいずれもEU平均に近い。オランデ大統領の支持率の急降下は失業率と反比例している。


多党乱立のために分かりにくい、と溜息と言うか戸惑い気分が親友から聞こえてくる。政権党・民主と野党第1党・自民+公明に加える太陽+維新の三極がだいたいの構図らしい。見かたによって中堅グループが形成されるのだろうか…。

多党制と言う制度は無いけれど、欧州にかなりの多党国家が存在する。王様寄り集まりUKですら、事実上二大政党時代は去った。三極になり、今後自由党の伸長傾向が続くのでは。大陸の核である仏独も二つに続く複数政党が力を増しつつある。ポピュリズムと言われる極右政党が各国で人気を集めている[補註2]。

個人主義の激しい土地で自分の意見に近い政党を選ぶならば、必然的に多党になるのではないだろうか。二つに収れんするのは単純思考のお国柄でなければならない…。
様々な主張が生かされうる政治とはややこしく妥協に満ちるスッタモンダに思われる。しかしそれも民主主義の現れなのではないか。デンマーク・ベルギー・フィンランド・オランダなど小国家群が民意反映する優等生的例である。政権は常に、多党間から可能性ある政策協調出来る数党が集まり構成される。連立内閣がもっとも民主主義を実現する形になっていると理解されるかもしれない。

日本にのみ選挙権をもつ私はしかし過去30年、国民としての義務を果たしていない。首都から常に遠くにいるので、日本大使官から投票用紙も選挙公報も何も来ない。在外邦人の選挙参加を消極的にせよ! 左様な外務省方針があるかのようだ。

日本大使/公使館は邦人状態を把握している。住所と電話をファイルに納め、数年に一度くらいか事務確認なんやらで連絡してくる。しかし選挙に関し、次のように解される。「自らの積極的意志で大使/公使館に行き、手続きをした邦人は選挙出来る」。言い換えると、公大使館に行かない私のような例は失格者になる。忙しくて積極的選挙義務を果たさない邦人自身に責任があると言う建前と思われる。

これと対照的なのがUSAだ。彼らは何処にいても情報をもらうようだ。大使館での同胞祭りのような投票も、郵便投票もできるらしい。知り合いエドは必ず案内をもらい、だから選挙だと分ると言う。行政の親切さが日米でこんなに違う。付録に付け加えると霞が関外務省官僚のたらいまわし大使館廻りはそろそろ終わりにすべきでは。事務手続きの古臭さに驚くことがある。メイル連絡すら許さない海外館網を保っている。嗚呼…。

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      福島の原発サイトから選挙争点を伝えるステファン・ブロマールト

明後日の選挙マニフェストを、従って私は殆ど知らない。一般的イメージしかない。高齢/熟年時代の課題、原発と関わるエネルギー政策、極東を巡る領土紛争、消費者税、おおくの政策論争点がある。あり過ぎて戸惑うのが良く分かる。浮動票と言うカテゴリーが選挙結果を大きく左右するのがこのごろの健全な民主国家選挙の趨勢に思われる[補註3]。それは政党間の政策論争の分りにくさに少し負っているかもしれない。

浮動投票者に的確なアドヴァイスをするソフトウェアーが開発されている。既に10年ほどの実績を持ち、年々改良されている。言わば政治学の応用ソフト。多くの政治課題をあげ、その具体的政策をアトランダムに並列する。参加者自身が最も共鳴する項目にチェックを入れる。全ての回答を総合して、参加者の政治観にもっともマッチする政党を明示する方法である。

自分は左派支持と普段考え、概ね左派政党に投票していた人が意外にも右派的だと言う結果が出るとか、保守支持の人が実はたいへん革新的だったとか…。客観より心情が投票を左右するのだと開発者は言う。具体的なこれと言う政党明示が出ない場合があり、それには幾つかの考慮点がアドヴァイスされるそうだ。

ソフトの客観的信頼度が仮に80%ならば、浮動投票者の投票直前の迷いを80%解消しよう。選挙アドヴァイスソフトは徐々に受け入れられているように思われる。だが人間は非論理な生き物だ。自分の気持ちにそぐわないアドヴァイスに従わないのである。さらに80%マッチする政党があっても、20%に含まれる例えばイスラム教観の相違が彼/彼女の重要点ならば、人はアドヴァイスされた政党と対極する政党に投票するだろう。

[蛇足」
昨々日の北朝鮮ミサイル実験成功は、憲法改正や自衛隊の国軍昇格を主張する政党に有利に働くと思う。`邪悪な国家`が右翼保守を応援する結果になる。常に政権にあった右翼保守のマンネリと腐敗とから、彼らは脱皮して清々しい党になるのだろうか? 

かたや左翼革新の長く続いた常套文句は文字通りの`保守頑固`だった。雲散霧消と言うかチリジリになり、そこから再編されたデモクラシー党が近年の政権を担った印象を受ける。

蛇足二つ目を加える。聞くところによると政権党を再び三度割った小沢一郎の関わる`未来`云々新党があるらしい。彼がいかに豹変変身して、権力にしがみついてきたか。この人の体臭は民主主義に合わないのではないか[補註4]。新しい世代に法を作る役割を譲るべきだ。単純であるけれども、政治観と無関係な個人的好き嫌いに過ぎない。


[補註];
1.2011年12月14日の記事「リェージェの悲劇 二重国籍と移民」この犯人は単独犯行。今回も一人のようだ。小学校先生の母親を射殺後、そのクラス児童と居合わせた人々(計26名)を射殺。オクラホマ惨事は数倍の被害者があった印象を持っているが…どうか。
一方、昨日ダマスカス南部郊外に於いて女性12名と子供20名、反政府戦闘員26名を含む計146名の死亡が伝えられている。毎日こうした内戦の犠牲者が出ている。21カ月間に約4万名が亡くなったとある人権組織が声明している。
2.参照;2012年3月18日「マリーヌ・ル・ペン…」
3.ロシアや明らかな独裁ベラルーシなど摩訶不思議な選挙国家はこの限りでない。
4.参照;2012年7月11日「拝啓小沢一郎殿 ダイアモンドに続かれよ」
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Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

ささめ雪自転車泥棒 [続編] 

``ささめ雪``でふれた自転車泥棒はネオ・レアリズムと言われるデ・シーカ(De Sica)作品だった。ようやく広告張り職を得た失業者が自転車を盗まれる。自転車無しで仕事が出来ない。彼が息子と共に自転車を探す経緯を丁寧に描いた映画である。

犯人と思はしき男とのやりとり、、、まどろっこしい父親に苛立ち怒る息子、、、こうした場面が続く。観る者は徐々にじれったくなる。現実はかくなるシドロミドロだと。やりきれなさが漂うような場面と、やがて犯人を捕まえるゾと言う希望の場面…。白黒映画だからはっきりとして美しかった。痩せた父親と元気な表情の息子が観る人の心を誘ったと思う。そして戦後すぐの自らの難儀な日常と葛藤を重ねたのではないだろうか。

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一昔前、自転車王国は支那と思った。共産主義下の人々は皆等しく自転車で通勤する。自動車はまだ資本主義社会の乗り物に思われたのかもしれない。明るい笑顔とその自転車の群れが消えるような遠くまで続いている風景だった。

自転車普及率、または百/千人単位の保有台数が国の豊かさや技術水準の指標になるかどうか? 自転車によるリクリエーション/スポーツ度は文化の指標になるかどうか? 瑞西‣日本のような山岳地では自転車をこぎ辛い。海より低い土地の蘭や緩やかな平野の多い仏独では自転車を重宝出来る。

モーター駆動の熟年用自転車が普及しつつある。簡単な仕掛けで競技用自転車よりはるかに安い。チョット楽をしたい、けれどもペダルを漕ぐ`自転=自力`の健康ぶりは変わらないと信じる消費者狙い。今日の自転車の魅力は「人力で転がす車」にある。環境に優しく、健康に役立つ道具なのだ。

64年前、自転車の第一義は庶民に購買可能な価格と燃料の要らない経済性だった。そのころイタリアで起こった自転車泥棒は、しかし今日も日常茶飯事に起こる。地下経済と言うか、犯罪組織が主役。とは言え小企業である。学生/若者によるボロ自転車市場も僅か重なる部分があるだろう。新品でない自転車を満杯にしたトラックを数度、目撃したことがある。アムステルダムからドルトムントに運ばれる、二つ地名は例えば…である。オランダのセカンドハンドがドイツで走るのは欧州連合の便宜を象徴する[補註]。

自転車の単位当たり保有台数と盗難とは比例関係に在るように思われる。先日アムステルダムの話をした。ひたすら`平らなこの土地`に於いて新品100台中10台近く一年以内に盗まれるのでは無いだろうか…。もちろん幾重もの盗難予防手段が新型に施されている。盗難された場合、警察への届け出が例えば保険会社によって奨励されている。それにもかかわらず、商売繁盛で左団扇のご仁がいるに違いない…。(東欧(特にセルビアは名高い)の知的犯罪グループ、ロシアへのベンツとBMW専門の高級自動車盗難組織もある)。

収穫と消費の土地が逆になること、つまりドルトムントで消える自転車がアムステルダムに現れることは大いにあり得る。デ・シーカー映画では、失業家族の自転車を失敬した泥棒氏は彼自身の自転車を盗まれたかも知れない。あるいは彼/彼らシンディケートの仕事であった可能性はどうだろう。当時、誰にとっても自転車は必需道具だったから。それこそ戦後の`闇あきない`市場に他ならない。


[補註]
1. こうした複数都市間`物々交換`は自転車に限らない。あらゆる消費物資で可能。EUシェンゲン条約の心は人/物の移動の国境チェックなしと言うもの。かつて(高速)自動車道にある国境検問所で車は鈴なりに検問を待たねばならなかった。現在は特例を除き、殆どブレーキも踏まずそのまま隣EU国に走行する。

2. 欧州委員会は従って加盟諸国圏内の犯罪自由化に様々な細則/対策を採る必要に迫られている。特殊例ではEU加盟を果たしたバルト3国;その一つリトアニアの青年が独逸で働き、白耳義を経て阿蘭陀に転職。彼は前2国でペドフィリア(pedophilia)容疑で首になっていた。この情報はまだ加盟国警察に共有されていず、彼は自由にアムステルダム保育所に就職。数年間にインターネット上の一つのセルとしてネットワークを構築していた。欧米主要国の同好者が参加している。彼の被害者は数百名に上がり、政治社会問題に発展。児童保育に大きな波紋を広げた。

3. `桶屋が儲かる`式に話題を続け、[続々]は自転車泥棒イタリア人が北に移民した話。政治世界の性の解放とサン・トワ・マミ-

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Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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