ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Holy lawn `聖なる芝生`は郷愁

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グレイト・ブリテン諸島に於ける最大のテニス施設・公園である。4年前、光透過材による折りたたみ屋根を設置したセンターコートは15000名ほどの観客収容数を持つ。大規模な全天候型テニスコートとして世界4番目だそうだ。まん丸の第1コート収容数は11000名。第2は4千名、第3コートは3千名ほどらしい。ほかに芝生19コートがある。これらの全体が`聖なる芝生`である。テニスの聖地という意味。


19世紀半ば過ぎた頃、良家の子女が木製のラケットで、のんびりと芝生のコートでボールを打ちあった。緑の芝生は美しく、ゆっくり低く跳ねるボールと、白一色の衣服がハーモニーを奏でる。

そんなイングランドの優雅な光景を作りだしたのは GernとPereraと言う二人の若い医者だった。14世紀あたりから大陸と島で興じられたボール遊びがさまざまな形を取り続いていた[補註1]。ラケットを使わねばクリケット、使えばテニスにそれぞれ思える遊びがあった。彼らは長い柄に小さな面を持つラケットで、ボールを向こうとこっちでやり取りする遊びを、クリケットの芝生ですることを思いついた。1859~1865年の間のことで、点数やルールは今と全く違っていた。

1873年、軍人Wingfieldが同じような遊びのルールブックを上梓し、実用新案権をとった。15/30/45と数えるのはこのルールブックからだ。ウィングフィールドはフランスの遊びから採ったとも言われるが…定かでない。当時のイングランド上流/中流の男女に人気を博しつつある`芝生ボール遊び`が背景になっている。貧乏人というか庶民にそんな時間は取れず、有産階級の出来事。彼は世界初めてのテニスクラブを創設。4年後の1877年に All England Club 選手権を芝生で行うまでに発展。恐るべき普及速度に思える。

Wimbledon 01
センターコートとその実況を映し出す大スクリーン。昨日2日目だから、まだ余裕が見られる。

50代超えの方ならBjörn Borg/John McEnroe/ Chris Evert/ Martina Navratilovaの綴り名を覚えているだろう。彼らは木製ラケット後期の代表。次第に新素材の軽量ラケットに移り行く時である。まだのんびりとした優雅な試合の雰囲気があった。木製故にボールはゆっくりと跳ね、ネットを飛び交うボールを十分に追えた時代。

次の世代 Pete Sampras/ Steffi Graf時代はラケットのハイテック化が進んだ。ボールも強打に耐える改良を重ねた。ラケットフレームとネットの瞬発力が木製をはるかに上回り、その分ボールのスピードがぐんと上がる。そしてパワーテニスの現代に入る。その象徴は褐色のWilliams姉妹だ。激しく打たれるボールのスピードに、言ってみれば、芝生が追いつかなくなった。

ボール速度にトップテニサーは対応しなければならない。芝やクレーと言う自然素材コート、硬質且つ柔軟な新化学素材コートに関わらず[補注2]、例えば20年前に比べると現在は、より選手の敏捷性が要求される。24日月曜日がウィンブルドン初日だった。2013年大会に備え養生してきた艶々の芝生が緑に輝き、雨がちなのでしっとりと湿り気を帯びている。

まず女子シード5番サラ・エラニが簡単に負けた。打つごとに元気な掛け声を発する彼女は慎重に動き過ぎたのかも知れない。悲鳴に近い耳をつんざく声で一/二を争うアザレンカ・シード2番が恐れずまっしぐらにボールを追いかける。両腿を180度に開かされ転がりながら、空を切り裂くような悲鳴を上げ続けた。敏捷すぎる勢いに芝生がまけて、滑らせると言えるだろう。試合に楽勝したが、2回戦以降に支障をきたす痛み(故障)のために競技から退いた。

翌日の2回戦、シード3番/悲鳴度1番のマリア・シャラポヴァ、シード9番キャロライン・ウォズニアッキがボールを追いかけ、やはり止まれなかった。両脚開きまたは強かに転倒。いずれも惨敗して姿を消した。仕上がったばかりの芝生に初めて上がる`怖さ`について語った選手がいる。そのために力を出し切れず、遙か下位プレーヤーに負けた…と、彼女たちは言わなかった。口惜しさが表情に溢れていた。

Wimbledon 02

Wimbledon芝テニス選手権はプロ参加を認めたオープン時代以降、地元United Kingdom国籍の優勝者は出ていない。準決勝を4回経験のTim Hemmenが数年前に引退、今はAndy Murray(26才)に期待が集まる。ディオコヴィッチに続くシード2番、優勝候補の一人だ。彼を除き、ランキング男子100人に入るUK人はいない。2012年ロンドン決勝でフェデーレルに敗れるも、直後のUSオープンで念願グランドスラム一つの初優勝を果たした。今年も大ブリテン6-7千万国民の期待を一身に背負っている。家族はスコットランドの人。息子を家族席で常に声援する母親はテニスママとして馴染まれている。経済危うし王様連合国にあって、士気を高めるポジティビな``渦中``の母と子である。

その日、計10名ほどの男女選手がおなじような故障のために、競技を放棄した。たまたま優勝候補ラファエル・ナダルがベルギーのスティーブ・ダルシスにストレートで負けたため、始め数日の`危険な芝生`が一挙に巷を騒がす結果になった。彼の片脚は明らかに100%機能せず、やや引きつり気味のように見えた。2週間前にクレーコート全仏で優勝を果たしているが、左右に激しく動いても滑りながらブレーキを掛けられるクレーと違い、芝生のウィンブルドンコートは`ツルッ`と滑る。一瞬だからどうしようもない。滑るまいと思うから負担がかかる。パリからロンドンまで2週間あった。彼はその間の準備試合をオミットした。従って今年初めての芝コートと言うマイナス/不利が出たと見なされる[補註3]。

3日目、前日に続きシード選手の敗退が続いた。ロジャー・フェデーレル(32)が負けた。過去10年ほど常に最後の4人に残り、8回決勝に進み、昨年`聖なる芝生`7回目を制した。4大会あわせ17回優勝、史上最大のプレーヤーと見なされる人。起らなかったことが起ったので、これも`聖なる芝生`の悪戯と敷衍解釈される雰囲気である。全盛期を超えたロジャーはパワーとテクニック20代に負けて不思議で無いのだが…。

一方、Kimiko Date-Krumm(JPN)が記録を作った。42才にして3回戦出場は史上初の快挙らしい。4回戦の相手は敵無し、勝つことしか知らないSerena Williams (USA)。30代と40代のヴェテランだから、この二人は痛く辛い転倒から無事だったのである。セレナは格違いで1ゲームもキミコさんに許さないかも知れない。そうならぬように頑張ってほしい。

芝生に対する滑らないシューズが開発されている。逆にそれは芝生を傷める。と言うか直ぐにバックラインあたりを裸にしてしまう。そんなシューズをクラブ側は禁止している。滑りにくいが芝を破損させないシューズの開発は矛と盾になり難しい。今週のような雨がちならば、3日間くらいバックライン界隈の芝が何とか残る。もし滑り止めシューズならそこは1日で裸地に成り、コートあちこちが芝と地との斑になる。それではウィンブルドンの威厳にかかわろう。

近代テニス発祥、陽光輝く男女の遊ぶ光景は19世紀半ばだった。緑の芝生でのどかに打ち合うテニスは白いユニホームに限られる。ノーブルとは左様な頑固さでもある。芝生のテニス期間は2週間ほど、即ち第26週目の6月から27週目の7月初めまで。プロ選手たちはその間に1つまたは2つの試合をこなすに過ぎない。一回戦で負ければ、芝生テニスはそれで終わりなのである。

Wimbledon 04

28日午後;雨。センターコートの折り畳み屋根が10分で閉じられた。上部の白っぽい折り畳み部分が広がる形で雨かぜをシャットアウトする。センタコートだけが全天候で試合が続く。他すべては中止になる。↓の斜面は2枚目コラージュと同じ第1コートの北側斜面。アンディー・マーレイが登場するので、大スクリーンを見るために、座る場所もない…。

数多くのプロテニス試合が2つのテニス組織によって世界中で運営されている。この6月下旬から7月上旬の芝テニスを除けば、全て均一で水平な新素材コートで行われる。ならばテニス巡業生活をするプロたちは芝生を無視してもいいのではないか…。

ところが…だ。全英芝のテニスとクロケットのクラブ(All England Lawn Tennis and Croquet Club)主催の大会こそが最も権威あるテニス行事なのだ。ロンドン郊外ウィンブルドンで勝つことがテニストップの夢である。参加出来ることが、何か特別だと元プロ経験者が語る。

なぜなら芝生だからである。なぜなら2週間の期間に限られるからだ。なぜならば破廉恥な色に汚されない白い衣服しか許されないからである。``夢のようなテニス19世紀``これら郷愁が現代若者たちを駆り立てる。


[補注];

1.Tudor朝2代目ヘンリー8世は二人め女房アン・ブーリンをマサカリ首切り刑にした。1536年5月17日、信長3歳の時である。反逆/姦通/近親相姦、何でもござれの理由を付けるのが専制絶対君主。彼はアンの処刑中、`テニス`に興じていた。信長の子供時代の遊びに`蹴鞠`や`羽子板`風なものがあったのだろうか?

2.4つの大会は始め芝生であった。現在、豪/仏/英/米はそれぞれハードHard/クレーClay/芝Grass/ハードのコート。クレーはむかし運動場の硬い地面を指したが、テニスも陸上競技のアンツーカーと同種の地である。煉瓦を細かく砕いたものを複数層のトップに敷いたコートで外見は赤茶の場合が多い。下層に弾力性がある。一種のショックアブソーバーで、脚関節を保護する。弾性を強めると競歩速度を助ける。一種の機器/土壌ドーピングになる。
芝はイネ科ドクムギ(Lolium)属の数種の草。用途によってさまざまな園芸種が開発されている。植物だからメインテナンスが難しい。芝だから不均一なのが自然、その気まぐれが試合を面白くするのだが…。人工芝をこれに含ませるかどうか? ハードコートはコートの水平と均一を提供する。さまざまな素材が可能、例えばラバー/リノリューム/人工芝など多様である。USopenはアクリル系カーペットらしい。素材によってボールスピードや跳ね返りをコントロールできる。一般に芝生ほど速くしていない。

3.フランス・オープンとオールインブランドオープンとの時間差は2週間。これではクレーから芝への切り替えが短すぎて難しい。ナダルとエラニ1回戦とフェレーレルとシャラポヴァ2回戦の早期敗退はそれを物語っているそうだ。彼らを破り番狂わせを演じたランキング下位選手も同じことだが、ただしシード上位選手は全仏での試合数が多い…と述べている。 とまれ2014年から2大会の間に3週間を置くそうだ。


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Here&there lands 雑なるアレコレ大地

Loreley & Bobsleigh  [ローレライのメルヘン収支決算]

先週カンボジア首都プノンペンでユネスコ世界遺産会議があったそうだ。各国持ち込み遺産候補で溢れると言う。一方で、過去に選定された場所が維持管理の不備、偽デッチアゲ情報、約束違反などの理由で取り消されたりするらしい。経済=観光がかかっているために、ユネスコは思わぬ権威を集めることになった。

何処の国の誰が偉いさん風を吹かしている? とライナー・クネヒト氏がぼやいている。85年前オットー・クネヒトが立ち上げたコンクリ―壁面材会社を経営する人で、数年前レジャー産業に進出。と言っても単純な`コンクリート`基礎の上にステンレス半円鋼管を乗せたボブスレー・バーンを斜面に作ったに過ぎない。サマー・レジャーである。芝生のスキージャンプと同じで夏に行えるウィンタースポーツ、その遊戯施設である。

バーンと言うかトラックは、かのローレライの岩壁にあると言う。ローレライ神話の場所ゆえに、世界遺産の品格に関わる。従って撤去するようにとユネスコ委員会が勧告したのである。ラインランド・プファルツ州政府の審査承認を得た事業であるから、州政府の方針と関わる。ライン川中部渓谷の北(上)半分は州が世界に誇る観光地である(補註1)。つまりブドウ栽培と並ぶ州の重要財源なのである。

美貌のローレライが船びとを魅了して水底に引きずりこんだ岩壁
Lorelei 04
ボブスレーバーンはこの範囲に見えない。


↓;Loreley/ローレライの日本語詩付き楽譜。これを見ながら習ったのは中学だった。オタマジャクシを読める筈はなかったが、聴きよう聞き真似で半世紀後にメロディーを覚えている。教育用の唱歌と言うのは`大した`力持ちである。
Loreley liedje
20世紀後半、ドイツ国内ですら日本`ローレライ`知名度に及ばなかったと思われる。教科書になく、歌う機会はない。ギムナジウムのある一行とサウンドオブミュージックやローレライの歌について話した時、みんなキョトンとしていた。エルビス・プレスリーのロックンロールが遙かに巷に溢れ、ビートルズ常識の時代…。復興経済とライン川の観光、さらに世紀末のクラシック歌謡の見直しと共に、ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine )による歌詞がフリードリッヒ・ジルッヒャー(Friedrich Silcher)の曲にのって見直されるようになった。これをひと助けしたのが蘭リンブルフ州マーストリヒトのヴァイオリン弾き・アンドレ―・リウ(André Rieu)。クラシック音楽を言わば大衆化した人で、EU圏特に独仏で大成功を収めている。ヨハン・シュトラウスを中心にしつつ、例えば'Die Loreley'を彼自身の交響楽団で演奏する。楽団の女性たちは常に優雅クラシックドレス着用。スタジアムや都市の広場を埋める大観衆を前にローレライのメロディーが流れる。かのUS売れっ子ブリットニー・スピーアズ(Britney Jean Spears)を凌ぐ売上を誇る。世界ミュージッシャンNo.5に入るビジネスだから、TV放映などを通じるローレライの普及ぶりが想像されよう。

左下;ラインラント・プファルツ(Pheinland Pfalz)州の`上側中流部ライン渓谷`図。上部コブレンツKoblenzから下部ルーデンスハイム(Rüdesheim am Rhein)までのほぼ65㎞。川面から見上げる高みに、過去1000年間に築かれた砦(城)/僧院/教会が並ぶ。約40を数えるからほぼ1.5㎞ごとにある勘定になる。2002年にそれらの建造物と渓谷とが一括に二ユネスコ世界遺産として認定されている。その40余の対象が個々に遺産として登録されているとは考えにくい。ユネスコ警告と州政府政策の争い…しばらくの猶予期間があろうが、どう落ち着くだろう。

Lorelei 03

手前にブドウ園。連邦16州の内、ワイン産業省を持つのはこの州だけである。ワイン大臣がいるのだから、ブドウ栽培面積は他を圧して大きいそうだ。温暖化でブドウ栽培の最適緯度が北にシフトしている。イタリア/フランスの伝統葡萄農家が憂えている。その最適緯度は中部ライン渓谷からコブレンツでラインに入るモーゼルMosell、さらにラーンLahnやナーエNaheなど河川を含むドイツ南部になるだろう。既に名産ワイン産地であり、いっそう勢いがつく。


同族会社クネヒトの遊戯施設がそのまま留まる場合、世界遺産資格を失う可能性はある。資格を失うと、ライン中流渓谷の観光客が減るだろうか? 国連`賢者`寄り集まりの`正義`に屈するべきだろうか。岸壁からのボブスレー・トラックまでの距離と、互いに干渉しない調査結果をユネスコに提出、ネゴ(≒政治工作)する余地があろう[補註2]。 

ライン本流が左側から手前に流れている。モーゼル川が右奥からラインに合流する。中州の先端部分に大きな皇帝ウィリヘルム1世像(Wilhelm Friedrich Ludwig:22-03-1797~09-03-1888)が立つ。諸侯領寄り集まりをドイツ帝国として統一した初代皇帝。宰相ビスマルク(Otto von Bismarck)を筆頭にするプロイセン家臣の有能さ故である。コブレンツ名だたる観光地。
Lorelei 01
ラインラント・プファルツ州のわずかな部分だが、ラインに流れこむ支流ネットワークが見て取れる。ブドウ栽培に欠かせぬ背景である。

かつてコブレンツ市は国際ガーデン博覧会を持った。相応な見本市なら、会場を俯瞰したり、入場の便宜のためにケーブル/ゴンドラを設置するのがこの頃の常識である。ガーデン博の際も、市街からライン川を越えて対岸高みの会場までケーブルカーが設営された。催しが終われば、ライン景観保持のために撤去する方針だった。しかし観光アトラクションとして人気を集め撤去方針を中止したようだ。コブレンツは世界遺産40余アイテム域の北端にひっかかっている。当局はユネスコ恐るるに足らずと見たのだろうか。

2009年ドレスデン市の世界遺産`18㎞エルベ川渓谷`が資格を失っている。ドレスデンはエルベの谷に栄えたザクセンSachsen州の核古都だ。東独時代の古色を一新すべき、21世紀になり様々なインフラ基幹プロジェクトが展開された。知られるザクセン候宮殿再建を別にして、その一つとしてエルベをまたぐ橋梁計画も構想された。ユネスコは大反対だった。東独からの復興/経済活性が第一だから、連邦も州も市も計画に前向き。順調に実施された。警告を発し`面子を失った`格好のユネスコは`遺産資格`を抹消した。[補註3]

コブレンツのケーブル存続は`クネヒト家`によるボブスレー施設と共にプノンペン会議の議題に上がった筈だ。州政府の担当部門によると、コブレンツ・ケーブルは2026年まで暫定的に承認されたと言う。13年後であるから、寿命に遠いとしても実質的な`更新/見直し`即ち事業アップデイト時期と言える。手短に言えば、ユネスコはケーブル存続をOKしたと見なして良い。
>Lorelei 02
↑切り立った崖とボブスレー・トラックの組み合わせを見るならば、ユネスコの面々でなくとも、チョット興ざめする。もしもこの二つ写真のように、崖上部分からステンレス鋼鈑が蛇行しているならば、世界遺産の名に値しないと納得できるのだが…

なじかは知らねど 心わびて
  昔の伝えは そぞろ身にしむ
  さびしく暮れゆく ラインの流れ
  入日に山々 あかく映ゆる

万人に知られる歌詞は近藤 朔風(コンドウ サクフウ)による。本名・逸五郎、酒好きな訳詩家で肝臓を患った。35才(明治13-大正4年)早逝したのが惜しまれる。1番歌詞初め2行はハイネ原詩を忠実に移している。後半は全詩からの語彙/抒情を取り入れたもの。文語体らしからぬ平易な作詞で、誰にも分りやすい。美しい訳詞でハイネと伍する格調/雰囲気を持っている。文部省唱歌に採用された理由の三分の一くらいはこの歌詞ゆえかも知れない。[補註4]

朔風の言葉と憂いを秘めるメロディーのお蔭で、日本人がライン中部渓谷を訪ねる。森鴎外はこの崖を初めて訪れた同胞の一人に違いない。文豪に続く日本人観光客は東洋からくる最大グループであるそうな。さもあらむ。我が村の近くにラインに沿う`ローマ街道`があり、砦の連なりとカエサル時代ローマ人生活を見聞できる。だが同胞と出会ったことはまだない。そうした観光街道ルートは連邦いたる所に設定されているが、ローレライ/ライン下りに並ぶ日本人の関心はバイエルン・ロマン街道(Romantische Straße)に集まるっているようだ。

先の復活祭休暇にローレライのボブスレーバーンを滑り降りたのは3万人だと言う。寒い日和だった。もし普通の年の夏日和ならば、10倍の利用者になったかもしれない。楽しむ利用者の巾は距離や斜度による条件に左右されるだろうが、曇天3万なら、悪くない商売ではないか。参照;上空からの俯瞰→ http://goo.gl/maps/YSZiV

壁面パネルの建材製造企業クネヒトは確固たる多角化経営方針を持っているかもしれない。ファイバー・グラスなど素材開発とコンクリートあるいはステンレスの組み合わせ…、軽量にしてかつ強靭な土木建材サプライヤーとしての展開。そしてライナー・クネヒト氏は孫や子供たちへの楽しい贈り物を考えたのかもしれない。`滑り台`はレジャアー施設の定番の一つ。大小を問わず連邦中のゲマイン(基本行政単位=市町村)に必ずオープンやトンネル状のくるくる回りの滑り台がある。加えてスポーツ・ボブスレー/リージェはドイツの得意種目。五輪のメダルはたいていドイツがかっさらう。他国に比べると、人気の高いスポーツ。かくして半ば必然的に、滑り台事業部が生れ、最適立地としてローレライ山頂部が選ばれたのではないか。

このアイディアは州政府に歓迎されたようだ。ウインタースポーツのサマー化はトレンドでもある。`国お越し`と言うか地元活性が葡萄とライン遊覧の伝統だけに居座っていてはならない。こうしてローレライのレジャーイヴェントは誕生した。もし施設撤去の場合、投資額と今後の年間売り上げ(≒利益)を、州政府はクネヒトに賠償しなければならないだろう。あるいは他への引っ越しも考えられる。するとローレライと相乗効果が消えることになる。

カンボジア世界遺産会議の撤去勧告は、お伽話にまつわる小さなドタバタ。ひるがえって、それが現代のメルヘンと言うことかも知れない。ハインリッヒ・ハイネは1番の3行目にEin Märchen aus alten Zeitenと詠んでいる。古い時代から続くメルヘン。水面から130m高に突き出る崖は昔から危険な曲がり角で、船事故が絶えなかったらしい。古代から近代まで様々なメルヘンが作られたようだ。

遺産資格抹消は65㎞内のすべてに及ぶから、州政府は頭が痛い。天下のライン渓谷がたかがユネスコなんぞに頼るとは情けない、と言う声もある。かたやクネヒト[補註5]への補償額だ。さほどで無いと思われるが、このユーロー危機にあって又もや州民からお小言をもらうのも避けたいだろう。前回選挙で保守キリスト教民主(CDU)を辛うじて上回り、社会民主党(SPD)+緑環境党(Grünen)連立政権がこの収支決算をどうまとめるか、見どころである。

【補注】;
1.中部渓谷の南半分は隣り合うバイエルンやヘッセンとの州境を流れる。さらに南のフランスとドイツ(バイエルン)国境になる部分を含むのか?不明。コブレンツから北流しケルン/デュッセルドルフ/ディスブルク等を通過する部分は、すると`下部渓谷`になる。しかし山地より平野部の感じ故に、渓谷を使わないのかもしれない。
USでは川が流れる平野部を渓谷(Valley)と呼称する。水が大地を流れると、水際が削られる。数十センチから数メートルまで。それは日本山岳地/ロッキー山脈/ライン中部などの渓谷のひな形、と言うか相似形である。左様な塩梅で、大河川を悠々と流れさしめる広大な平野部を`谷=valley`と表現する。ミシシッピー・ヴァレーと聞く日本人は首をひねるのだが…。

2.国連に幾つの下位専門部があるか知らない。人権や難民を扱う部門の事。委員会と言うのか局と言うのか知らない。とまれそれらのボスは国連総長が指名するように思われる。自薦他薦のポスト取り合戦が繰り広げられる。12年蘭首相を務めたルッベルスはNATO委員長にまず立候補、それならずして、`盟友`である国連総長コッヒー・アナンと話をして難民担当ボスに収まった。彼の補佐女性職員2名からSexual harassment訴訟を受けスッタモンダ。アナンの援護を受けたが任期半ばで辞任。いろいろ回顧談で、委員会勧告や決定の手続きが個人裁量でなされる場合が多いと語っている。渓谷の資格抹消は委員会ボスまたは古参委員たちの差配に影響されると言うこと。ドイツ人がその一人なら、かなり融通が利く筈。

3.世界遺産会議は定期的に開催される。委員資格の詳細を知らない。印象を書くと、国連を核にする国際機関と言うのは不思議な存在である。国際公務員と言われる連中が高給を食んでいる。各国が国の面子にかけて、最高公務員職に自国官僚を送り込む場合が多い。一般職員は公募され、採用されるとあたかも永久雇用であるかのように組織内あるいは関連国際機関を渡り歩く例が多い。一般より遙かに様々な特典があり、元職員リタイア―した某が`ちょっと止められない`待遇と公言している。EU公務員も同様で、ユーロー危機/不況に合って、改革が話題になる。裏返しに言えば、国際公務員は甘やかされ過ぎなのだ。世間知らずの別世界人…。

4 ローレライの詩/歌、その背景について詳しい音楽MP3サイト下記を参照されたい。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/die_loreley_61d7.html
二木(フタツギ)紘三(コウゾウ)さんが主宰される天下逸品の歌謡/民謡メロディーサイトである。氏の人となりが余すところなく発揮されている。品があり、ほのぼのと温かい。熟年の憩いの場所としてお薦めする。
(上記URLをコピーし、貼り付けると、氏の演奏するメロディー・ローレライが流れる)

5.Knecht:召使。めしつかいの概念は広い。英王室の女王の身の回りの世話をする召使は lady-in-waiting と呼ばれる。高位の女性である。給料無しの研修生/学生を言う例もあり、半ば知識人である。一般に、家事手伝い/奉公人・下働きを指す。クネヒト姓は多い。この姓を持つ人がイヤと感じているかどうか? まだ聞いたことが無い。もっとひどい苗字が沢山ある。法的変更手続きに至らず、甘んじてOKと言う相対的バランス感覚…。
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Nature 雑草 フローラ/ファウナ

ディジタリス=Digitalis=ジギタリス、指スッポリ花の妖精神話

アナログ(Analog)からディジタル(Digital)へ…。アナログは時計針が進んで行くような量的な表示を言う。ディジタルは数字表示と解される。量的表示から数字表示の時代…。とすると、あまりにも単純だ。しかし普段の暮らしは、通勤する交通体系も役所手続きも、映画の世界配給も、全てがディジタル化され効率よく安価になっている。と言う塩梅を踏まえ、今後はディジタル化の世界と言うに留めて先に進む。

森のたたずまい;ディジタリス群。林床のやや暗い部分を好む。
Digitalis col 02

ディジタルはデジタルとも書かれる。この元になるギリシャ綴りは指を意味するdigitus。派生語の一つDigitalisが指をすっぽり包む形状の植物属名になった。その仮名そのままを和名にするならば、ディジタリス又はデジタリスとなるだろう。ところが通り名はシに点々を打つジと、giをギと読み「ジギ」タリスとしている。

左;線路両側の斜面に賑やかに出ている。右;廃線路はお気に入りの場所…。分らないのは線路の上部はポカッとあいた空であること
Digitalis col 01
平均1.5m高に成る植物は線路沿いに旅をして増殖する知恵を持つようだ。

Digitalis purpurea が横文字名。日本列島に自生しないため、ディジタリス属またはジギタリス属か? 前者だとコンピューター関連`無機`的機械製品の分類みたいな語感になる。`有機`的生物だから、それではゴッチャになるため、先人は仮名ジギタリスを採用したのかもしれない。この有毒植物は恐らく明治期に導入または知見を得たと思われる。明治/大正期にディジタル概念は知られず、たまたまジギタリスと読み、仮名化したのだろう。日本にない植物だから、素直に普及したと考えられる。逆に言うと、早いもの勝ちで、怪我の功名的な区別化命名になっている。

Digitalis col 03
紫と白の二つの花が在る。森と線路沿いのグループをよく見ると、濃い紫から白までに、様々な中間色が見られる。

purpureaはパープル色、即ち紫。紫色個体が70%ほどを占めるので、基本色と考え、種名として採用した。10本を数え、うち7本が紫と言う個人的観察から。画像無しだが、濃紅紫の個体が出ることもある。つまりパープレア種は紅→紫→桃→白と言うカラースキームを持っている。殆ど2年生で地下茎増殖をせず、撒き散らされる種から育つ。すると色に関し、多様な遺伝子の組み合わせが出来る。濃い薄いももちろん個体ごとの遺伝子に左右される。

Digitalis col 05
2mを悠に越す個体。下半分に付く葉群が立派。花色は薄紫からピンク、それらの混じりもある。

Digitalis purpurea `Alba`と綴る変種は保護種とされる。真っ白が珍重され、おそらく上に見られる白個体を選択育種して`白`を固定した園芸的なものと憶測する。誰が保護種にしたのか、子細不明だ。私の出鱈目歩け歩け観察からすれば、奇妙なトンチンカンに聞こえる。この季節に見ようと思えば、何処にでも見られるのだから。商い人種にとって重要なのだろう。普通の紫より無垢な純白を好む人もいる。白は紫より儲けが良いと言う算段もあろうか。残念なことに、いくら固定しても、店で購入された`白`は野外からの他家受粉によって、次世代も白に留まる確率は少ない。

パープレア種と異なる色味をベルギー・アルデンネ山地林縁で見たことがある。やや小型の別種(D.lutea)の黄色花を咲かせる。英語だとイエロー・ジギタリスと言うべき種である。他に大きな目立つ花のD.grandifloraと綴る黄色種がある。有名なのはD.lanataと綴るランタナあるいはウール(羊毛)ジギタリスと言われる仲間かもしれない。いずれも`南東`欧州`当たりの自生種と思われ、温暖化によってルクセンブルグ域に進出しだした可能性はある。最後例は人気があるらしく北半球の庭=植物園あまねく広がっているらしい。

Digitalis col 01
これらを含め世界に20余種のジギタリス仲間が知られるそうだ。全てが自生域の植物園に展示されている筈だ。古参パープレアは10数種の園芸種が開発され、ランタナ(ウール)やルテア(イエロー)などジギタリスの色変わり創作品種もあり、それらは世界市場に出回っている。日本気候/土壌に順応するタイプが圃場名を冠して市販されている可能性は大きい。草本は新天地への適応力、と言うか、細部で異なる形質を木本より得やすいような気がする。ジギタリスも20余種から、多くの愛好家によって広く深い世界になるかもしれない。

キツネの手袋と言う言葉を聞いた方は多いだろう。これはジギタリスの日本語名である。foxglovesと言う英語彙の訳。島国人はジギタリスを11世紀ノルマン侵入頃からキツネの手袋と呼んでいたそうだ。文献調べの好事家によると、どうやらこの原型はfolksである。FoxはFolksから訛りと言う分け。

古来ウェールズの民は妖精だったらしい。可愛い紫のベル(鐘)=ジギタリスの花をこよなく愛した妖精がウェールズ民族の祖先だったと言う物語。gloves=手袋はギリシャ語源と同じ連想。そのfolk=人々の手袋と言う呼び名がいつの間にかブリテン何処にでも棲息するキツネにすり替わったと言うのだ。私はキツネよりも`人々`説に信憑性を感じる。我が民は`妖精の出`と言うフェアーテイルが綺麗に響く…。

`キツネの手袋`にはもう一つの化かしの意味がある。ジギタリスの化かしは、薬効性である。有毒と言われながら、毒成分の医薬効果が古来信じられてきた。妖精時代から薬効作用が実際に用いられてきた節がある。19世紀半ばから成分抽出され、2年目ジギタリス葉が需要対象。医薬企業のためにパープレアと並びウール・ジギタリスの栽培が盛んと言われる。昔から言い伝えを継承し、心臓病ほかへの研究開発らしい。

更にもう一つの化かし、と言うかメタモルフォーゼ↓がある。一目瞭然、穂状花序トップに出る珍しい頭花。下部に付く普通花の左右対称と異なる多面軸相称の大きい花。

pelorische topbloem col 015


pelorische topbloem col 06
普通の花に於ける内部(雄蕊4本+1本花柱)と愕片(5枚)

pelorische topbloem col 010小 

以上二枚簡単な図像ながら、説明を用さず、直ぐに分る変化/変態である。トップ・フラワー付きのジギタリスの中に、それぞれ個性があるようだ。外観だけの観察に過ぎないが、個体ごとに中心をとおる軸数が異なる。次例をご覧あれ。
pelorische topbloem col 002-1 小

右2つの文字通りのパープレア紫に比べ、頭花付きの左二つ個体が白花である。頭花をつける変態例は何故か`白`または白っぽい傾向が強いのである。色素と形態変化との相関関係があるような印象を受ける。具体的証拠が見つかれば面白い。それには一定の変態個体数の観察が必要だ。

統計的分析は生物専攻の学生が学ぶ基本事項と聞く。こまめにフィールドに出て、周辺環境(≒ビオトープ)を調査、全ての種を計測、個体それぞれをマーキングして、、、と言う作業。昔、湿原保存地の1㎡に出る植生調査に加わったことがある。1㎡に過ぎないが、気長な根気勝負だ。

ジギタリス頭花変態の場合、まず出会う必要がある。100や1000個体ならば、ゼロだろう。1万ならどうだろう? 広い暗さに条を成して差し込む光の森、半影の林縁や雑木林、線路沿い斜面を目を凝らして探索するなんて暇は誰も持たない。空の青さを見ながら、梢の鳥のさえずりを聞きながら、のほほんと歩いている時に、アレあれは何なの? と言う感じで遭遇するしかない代物なのだ。

妖精がジギタリスの周りを飛び交う頃から、人々は時折、美しい尋常でないトップ・フラワーを知っていた筈。ときどきの時代の観察者に書きとどめられ、存在が知られてきた。相応の理屈も19世紀半ば以降、成分分析と共に用意されてきた。こんにちのミクロなゲノム調査は、それでも難しい。現物が無ければ不可能だから。

Digitalis col 06

``何のとりえもない平凡な指スッポリ花``と言われるのがパープレアである。平凡ゆえに、生命力に溢れ、他を圧して主力になる。草木の英文本にしばしば見られるCommonと言う語は左様な意味である。この野草が風に押され、行きつ戻りつ揺れているのを見ると、何処にでも出る強靭さを理解されるだろう。

コモンの他にレイディーを付ける別名がある。高貴な女性を象徴する色からと思われる。レイディー・フォックスグローブズと聞くと、イングリッシュ・ブルーベリーを思い浮かべる。濃青の釣鐘草である。鐘の筒部はパープレアほど大きくなく、幼子の指も入らない。背丈も精々50センチほどの可愛い植物。このイングランドの釣鐘草をウェールズ妖精神話のジギタリスに並べると、スコットランドのキキョウ科の釣鐘草も上げねばならない。こちらにも紫と白花がある。グレイトブリテン諸島のジギタリスと似たものは6~8月に見られる。

1個体で数百の花と無限と思われる種子を作る。花数を数えたことはないが、2.5mの半分が花で覆われると、なかなかの壮観さである。日本列島の何処かで、庭から逃げ出した種子が元気に育ち大群を作るかもしれない。すると運が良ければ、トップ・フラワーを廻って踊る妖精を見られるだろう。

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Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

遙かなるドナウの流れ

左;ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)右;ゲオルギ・ディミトロフ(Georgi Dimitrov) 1936
Harukanaru Donau 04
2013年地図。影付きはEU加盟国。バルカン半島に於いて旧ユーゴスラヴィア諸国は未加盟。トルコは加盟を熱望。ギリシャとブルガリアに加え普通バルカンに含めないルーマニアが黄色部分の下になっている。債務超過`劣等生`の意味か。1944年9月、連合国側に寝返った君主制ブルガリアは直ぐに赤軍によって共産国家に転換。スターリン盟友ディミトロフがモスクワから指導、露西亜兵が出来たばかりの詩を歌いつつブルガリアに進駐した

「遙かなるドナウの流れ」そんな句を含むロシア民謡又は軍歌を探している。美しいメロディーと遙かな土地に流れる大河を詠っている。懐かしい気がするから、物心が付くか付かぬ頃に耳にしたような気がする。ロシア詩が日本語に移され、ポピュラーになった歌詞の筈。

地図↓左を見ると、ベルリンからプラハとウィーンを経てブタペストまでの路が示されている。5か国が色別に示され、何と明快な図解だろうか。その道筋の終点であるハンガリー首都・ブタペストを示したのが右である。市街を二つに割る河はドナウ川だ。ドナウは独逸Passauから墺太利に入り、首都Wienを流れ、直ぐにスロヴァキアの首都Bratislavaを貫通する。そして小1時間ほどでマジャールの古都に至る[補註1]。

Harukanaru Donau 02

古都を出ると、青い水面を輝かせ南東に向かい、やがてセルビアとルーマニア国境作りをしつつ、ブルガリアに届く。ドナウはラテン語名ダニューブからのドイツ語彙。いずれの名も日本で馴染まれていると思う。その知名ぶりは恐らく露西亜あるいはスラブの歌からと思われる。特にロシア民謡と言うか、歌謡の数々が50代以上の人々に親しまれているようだ。

ドナウがドイツ語圏を離れると、もちろんそれぞれの言語名になる。歌にある``遠くのドナウやドナウの彼方``は恐らくドナウがいたる最も南の国を示している公算が強い。露西亜からすると、遠い遠い南にドナウはある。そして河は向きを変え、北進して再びルーマニアに入りウクライナと接しつつ黒海に流れ込む。物語に成る不思議な雄大な流れ…

この10日間、このドナウ流域が下のエルベや支流ザールと同じ水浸しになっている。ブダとペストの二つの市街は辛うじて難を逃れたようだが、これからさらなる下流域がどうなるだろうか。

Harukanaru Donau 01
パッソ―とブタペストのかつてないドナウ水位高は峠を越した。西側エルベの下流・ニィデルザクセン河川域が水漬かりで、各地で住民避難が行われている。ドイツと同じ事態がドナウ下流域で起こり得る。↑のマグデンブルクの7.29mのような増水がバルカン半島に想像される。EU圏で最も貧しいと言われるルーマニア/ブルガリアにとって由々しき打撃になる可能性が考えられる。

ロシアの曲を見つけることができた。音楽と縁が無いので探す手間がかかった。以下の題と歌詞になる。
バルカンの星の下に[Под звездами балканскими / Under the stars of Balkan]
黒きひとみいずこ わがふるさといずこ
        ここは遠きブルガリア ドナウのかなた
           ここは遠きブルガリア ドナウのかなた

歌詞を見てスッと口ずさめる人が多いのではないか。からっきしリズム感の無い私は実際に聴かないと分らない。YouTubeに沢山upされているのを`発見`。露西亜語ヴィデオを除くと、半分以上が日本人の投稿で、日本での恐るべき人気にあらためて驚く[補註2]。歌に国境はなく、人々を平和に結び付ける?

作曲:ブランテル(Blanter 1903-1990)/作詞:イサコフスキー(Isakovsky 1900-1973年)。1944年に作られている。二人のコンビの「カチューシャ」と「ともしび」のメロディーも熟年世代なら直ぐに浮かんでくるに違いない。上手に訳され、ロシア民謡に共通する歌い易さのせいだろうか。[補註3]

イサコフスキ―名の露西亜著名人は多い。創世記のアブラハムとサラの息子Isaak由来だから、東方正教で最も重要かつ人気名の一つ。故に`この`イサコフスキーは、東部戦線の終わりが見えてきた時、ロシア未来の衛星国作りのために「バルカンの星の下に」を詠ったのである。彼はレーニン/カメーネフ/トロッキー/スターリン等無数のボリシェヴィキと共に生き、粛清時代[補註4]に数え切れない銃殺された詩人/学者の中で生き延びた珍しい人である。

     かがやくバルカンの  星の下にて
         幼き日の思い出 まぶたにえがく
             幼き日の思い出 まぶたにえがく


バルカンの秋空の下、赤軍はブルガリア首都ソフィアを無血で占領。上の2番の歌詞を歌いながら、召集され半ば強制的に幾千里を超えバルカンにやってきた若者たち。赤軍の消耗率はドイツ軍と等しく、組織統括は凄惨だった。戦意を失うような前線状況に於いて、脱落兵は後部に控えている軍警察部隊に銃殺された。敗北作戦地のロシア戦死者は敵でなく味方の銃火による方が多いと言う例がいくらでもある。ドンドン死ぬので、常に新兵が招集され訓練され戦線に投入された。彼らにとって、この歌は束の間の慰めだったかもしれない。

1944年9月、既にD-day(6月6日)にノルマンディー各海岸地に取りついた連合軍は北方と南方とに二手に別れ、ドイツ帝国軍を押しに押した。3か月後、ライン川南から北のアルネム市を奪還するマーケット・ガーデン作戦を展開するまでに進軍[補註5]。その3ヵ月、東部戦線に於いてもロシア強勢によってドイツの負け戦が続いていた。大筋は見えてきたのである。

   黒きひとみよ 静けき語らいよ
      何ものにもまして 恋しふるさと
         何ものにもまして 恋しふるさと


カチューシャ砲やカチューシャ銃と言った字名がロシア製武器に付けられたりする。戦場に送られ、後退を許されない赤軍`掟`によって無駄死した露西亜の青年たちが歌った歌から付けられたのである。本来ラブソングと言うか、亡くなった恋人を忍ぶイサコフスキ―の詩(ウタ)がやはりブランテルによる曲を得て、ロシア大衆歌謡曲№1になったと思われる。

ドイツのバルバロッサ赤髭作戦が始まった頃で、直ぐに戦意高揚のヴァリエーションが作られ、兵士たちは声高らかに歌った。以来75年余に渡り、本家ロシアを言うに及ばず東欧/支那/北朝鮮であたかも軍歌のような趣で愛唱されていると言う。詩人にとって不幸な成り行きなのだろうか?

`バルカンの星の下`歌詞は戦意高揚で無い内容ながら、しかしスターリン独裁による社会共産主義の拡張政策のために作詞されたのである。ここで詩人は明らかに東欧諸国の侵略乗っ取りに協力していると考えられる。遙かなドナウの流れる国がまもなくディミトロフを頭に擁き、ブルガリア共和国として再スタートする。自由の無い長い困難な道行(ミチユキ)が待ち受けているにも拘らず…。


[補注」;
1.マジャールと言う民族が現在ハンガリー人大部分の祖先らしい。彼らは周辺民族と別の、一種の隔離言語で知られる。フィンランド語と近く、アルタイ語系特有の膠着語構造を持ち、トルコ/日本諸語と遠縁らしい。

2.「バルカンの星の下に」だったか、ロシア兵軍服らしきを着て歌うYouTubeヴィデオがあった。ロシア歌謡の愛好者、日本の方々である。イサコフスキーのたぐいまれな生存能力へ賞賛ではあるまい。地獄の粛清時代からの社会/共産主義への傾倒と体制協力を知り、スターリンにより戦場に送られ戦死した数百から数千万のロシアの人々への思いを託しているのだろうか。

3.イサコフスキー(ロシア文字 Исако́вский→ローマ字 Isakovsky)はソビエト連邦時代もっとも成功した詩人。スモレンスクに生まれ社会主義(共産主義)に投じ10月革命(1917)に参加、1931年までスモレンスク在、新聞編集者として活躍。以後モスクワに移住、国家を賛美する文学活動を展開、数々の文学賞を受賞。それは、誰にも理解される言葉で綴った戦時歌曲詩に見いだされる。

4.猜疑心の塊・スターリンによる史上最大のパージ=粛清。党友即ち古参の大幹部/赤軍の将軍/全組織のトップなど合わせて同胞2百万…、さらに(多数日本人を含む)外国人や一般ロシア人を加え合計七百万とも積算される。実行組織は独逸ゲシュタポと同じ情報と攪乱の秘密警察NKVD(内務人民委員部と訳される)。後のKGB(ソ連国家保安委員会)の前身。NKVD自身の長官/幹部も一網打尽に銃殺された。1930年~40年に起った未曾有の虐殺で、スターリンはアドルフ・ヒトラーと双璧を成す`地獄`絵図を作った。史上最大の殺人鬼と言うべきだろう。

5.作戦は英モンゴメリー将軍による大空挺オペレーション。米パットン将軍との功名心争いで、チャーチルとアイゼンハワーが言わば政治的選択をした。だが作戦は大失敗におわり、ライン北のオランダ人は来たる冬を前に飢餓状態に置かれた。その内の一人の少女がオードリー・ヘップバーンである。
コーネルアス・ライアン(Cornelius Ryan)がこの作戦を描いた`A Bridge Too Far`を1976年に上梓。同名でその翌年に監督リチャード・アッテンボローで映画化。老ダーク・ボガードや若いロバート・レッドフォードなどそうそうたる役者(ほかJames Caan, Michael Caine, Sean Connery, Elliott Gould, Gene Hackman, Anthony Hopkins, Ryan O'Neal)を揃え大成功。戦史と蘭側資料とかなり違い、ブーブー文句が出た。ひっきょうハリウッド資本による娯楽映画である。
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Oh every day 日々そうそう

Waters rise in central Europe flood

ライプチッヒ/ドレスデン/ウィーン…怒り狂う大水にさらされている。特にパッソウ、、
Floods 07

2002年8月だったか、Moldau (Vltava)川の水位があがった。流域に溢れた水が大きな被害をもたらした。モルダウは両河岸を飾り、プラハのシンボルだ。`めくらのヤン`が請われてボヘミア王に成った時も、この川は流れ、下流のエルベに豊かな水を供給していた。しかし暴れ川だったと言う。

Flood 01
デュルベンはネーデルザクセン州の小さな町。いったいエルベ本流が何処なのか?分らない。昨日がこのありさまだから、ドイツ東北部とチェコ山間部との降雨量がしのばれる。この地点から100㎞?(もっと)さらに東斜めに下るとベルリンで、どんな様子だろうか。

盲にも拘らず出陣する親父に付き添った息子カーレルは大学創りと共に、モルダウ治水事業を含むプラハ都市計画を実現した。皇帝選挙に勝ったカーレル全盛期である。中世からポツポツ継続した河川事業は、しかし、8世紀後に地球温暖化/天候異変による`想定外`水位上昇に対し無力に等しかった。

2002年災害後にプラハ市当局はカーレル4世橋のたもとなど主要点に防水壁を整備したそうだ。普段は見えないが、スワ危険水位と言う時に壁が設置される。今週、早速取り付け作業が始まったようだ。美しい観光の街を守らねばならない。上手に働くだろうか? 

Flood 02

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ラインに流れ込むネッカーやチェコから入りエルベとなる河畔市町村も対策に大わらわ。砂袋積み/水汲みだし/仮歩行橋など出来ることはするが、猛烈な水量にお手上げ区域も出ている。地下部分は水漬かり、地下パーキングの車はエンジン部分までどっぷり。流され焼失するより増しとは言え、厄介な修理になるかもしれない。


昨日今日、スイス、ポーランド、ドイツ、チェコ、ドナウ川が東行するオーストリアとスロヴァキア、これらが濁流に洗われている。2002年の洪水をドイツではJahrhunderthochwasserと呼んでいる。世紀に2度とない大洪水、そんな意味。その10年前から今年までの間に、東に流れるドナウ川の大雨被害が時々起った。河川維持に金を回せない東欧共産時代の`遺産`を背負っている感じを受ける。

反対の西側に流れるライン支流マインやエルベは護岸工事が進んだそうだが、サテライトニュースでオバサン曰く;前回に見舞われなかったのに、ほんとにすごい雨降りだわ! 経験しなかった浸水と言うのだ。つまり補強改修された場所で`水抜き`が発生しないので、その水が他の弱い場所を襲うと言うことかも知れない。土嚢作りにボランティア集めをする市長、被災者をボートで救出する消防/警察関係者、家財道具を2階にあげても無駄だと空を仰ぐ人々。流域市町村の物的被害が続出しつつある。

Floods 08

パッソウ(Passau)はドナウ(Donau)/イン(Inn)/イルツ(Ilz)三つの川の合流地点の街。イン川は南のザルツブルグ方面から北行し、イルツ川は北のバイエルン山地から南行し、それぞれ西から東に流れるドナウ川に流れ込む。インのドイツ東側高みから合流地点に向かい、蛇行坂道に沿って自転車を転がらせたことがある。ヴァカンス先で借りたボロ自転車ブレーキが利かないことを知ったのはスピードが増すさ中だった。大けがに至らず、ドナウに落ちて溺れることもなかった。しかしパッソウはかような危険な場所である。

交通標識が水没しかかっている。夕方の計測地点で9m増水値がでた。他メディアで12mと言う数字も聞いた。パッソウの街は電気/水道が途絶え、多くの住民は避難しなければならない。かつてこんな記録はない。5百年ぶりとニュースリーダーが伝える。根拠は何処にあるのか? 好い加減であるが、状況は十分に分る。
明日アンゲラ・メルケル女史がこの国境の街に慰問に来る。何故か?

2002年8月は総選挙前だった。二期継続を目指すSPD現役ゲルハルト・シュレーデル党首の旗色は極めて悪かった。初のCDU女性宰相が予測されていた。その時、未曾有の洪水が発生。両党は選挙活動中止を約束。首相は被災地を必死で廻り、人々を慰め現場行政関係者を励ました。この連日の報道が選挙結果を左右した。ゲルハルトはアンゲラを破り、再びベルリン・ブンデスタクの宰相席に座れたのだ。9月に3選にチャレンジするメルケルオバサンにとって、このジンクスにあやかり…と言うか、チャンスを逃してならない。

↓緑色はドイツを除く出水諸国。ドイツの東でチェコの北に位置するポーランドは緑になっていない。が、大水が出ているようだ。カーレル橋は左右欄干に歴史人塑像を並べる観光名所。6月入りの晴れやか日和の筈だった日本観光団の方々は突然の洪水騒ぎで余分の興奮を覚えられるだろう。
Flood 04

↑チェコ共和国の文字列から真東に目を移すとルクセンブルクに突き当たる。左様な事実に普段なかなか気が付かないものだ。ヤン(1296-1346)と言うのがルクセンブルク領主だった。エリザベートと所帯すべく、彼は間に横たわるドイツ諸侯領を真っ直ぐ抜けてボヘミアに行ったのだ。スイスやオーストリアに行くより簡単に見える。上さんの父親が勇猛なるヤンを欲した。敵を排し国を治めるのは知と武を備える人物でなければならない。同時に伯爵から王へ出世である。晩年、戦傷の病で盲になりながら、なお軍配を握った。チェコ=ボヘミアで'メクラのヤン'と親しまれ尊敬されている。いずれの土地でも、ヤンと発声する。

Floods 05

Floods 06
土嚢を作り、ヴァンに積み、低い浸水可能な地下建物まで運ぶ。橋足下すれすれまで水位が上がっている。これが1~2時間後にライプチッヒあたりに達する。ドイツとチェコの共同戦線になる。これらサテライトニュース局のキャプションは英語になっている。

EU圏各国の`顔`TV/Radioも民間24時間サテライト局も、水騒ぎ報道に明け暮れている。浸水面積は膨大だが、死者数は現段階で10名に満たない。予防対策と迅速な対応が効を奏しているようだ。もしも開発諸国(東南アジアや支那、南米など)で似たような洪水がおこれば(経験則によって)被害者数は大きい。昨日、支那の養鶏企業の惨事が洪水ニュースの陰になって報道された。死者が数百名以上と伝えられる。人命の尊さを考えるならば、どちらの騒ぎを丁寧に報道し、今後に生かすべきだろう?

Normaal Amsterdams Peil と言う海抜標準がある。NAP(エヌ・アー・ペー)と簡略化される。各地の河川水位はNAPから○○㎝高い/低いと表現される。明日又は明後日、ドイツに続き独蘭ボーダー水位が上昇するだろう。ライン川が蘭国に入る地点をLobitと言う。そのLobit計測がまず重要。しかし1996年と2002年の大洪水データなどによって、綿密な警告プログラムが組まれ、必要に応じ具体策が実施される。既にライン流域の例えばキャンプ場は対策を採り、常駐キャンピングカーを高みに避難させている。下流であるから、時間稼ぎできる長所がある。

Frood Rijn en Waal 01
↑に北ラインと打っている。正式と言うか、普段の呼び名はドイツ/スイス上流との対比で`下流ライン=Nederrijn`である。

用意周到であっても、現実はしばしば予期せぬ事態を結果させる。各国の洪水状況はそれぞれ時間差があり、また運河の連結とその高低差によっても異なってくる。欧州の洪水とは、二つの大河ドナウとライン、それらに合流する支流を含めるネットワークの物語にもなるだろう。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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