ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

王位奪還-平和-弟の反乱 The White Queen [中篇]

BBCコステュームドラマは``NHK大河時代劇に相当しよう。バラ戦争さわりのドラマ'The White Queen'に描かれぬファクウターに下記ブルゴーニュのマリーとエドワード妹マーガレットを含めたい。左図は同時代オーストリア画家/木彫家ミハエル・パッハー(Michael Pacher)作、イタリア・ルネサンス手法`光と陰`が`富豪マリア`を如何なく象徴している。
右画は良く政治をしたヨークのマーガレット。写実肖像になる前の人で、後の想像画。画家は誠実だがやり手な人柄を表現したかった……。初亭主は、二人の妻(1.フランス・ヴァロア家、2.ブルボン家)と死別したブルゴーニュ公シャルル(蘭名カーレル)。兄エドワード4世の多くの選択肢から、その時点で利益になる政略結婚先だった。兄嫁エリザベスより9才年下で、当時の`年増`22才だが、ヨーク家切り札だった。長生き(1446-1503)をしてイングランドとハプスブルグに貢献した女性。

Margaret of York met Mary of Bur klein

1471(文明3)年4月イングランドのほぼ真ん中に位置するバーネットに於いてエドワード4世ヨーク派軍はヘンリー6世ランカスター軍に勝つ[補註1]。エドが半年の亡命後、2千の兵を妹の旦那ブルゴーニュ公から得て海峡を越え、確かウェールズに再上陸したのは4月になってからだった。初め、本来の自領に落ち着くだけと言う約束をしてヨークの街に迎えられた。わずかの軍勢はヨークに付くやいなや半年前のヨーク派貴族たちを集めた。騎兵に砲兵部隊と将官たち、カーレル2000傭兵部隊の10倍規模の軍隊に育つ。

対する半年前に王位に返り咲いたヘンリー6世ランカスター派の主力は(キングメーカー)リチャード・ネヴィルとサマーセット公等のヨーク派2倍の数と優れた軍備を持つ。総司令官は王ヘンリー6世と言うより、フランスから嫁いできたフランス王ルイ従妹で女王であるアンジョーのマーガレット。双方の部隊移動と小競り合いを続けながら、最初の大きな火ぶたがバーネット近辺で切られた。既にクラーレンス公ジョージは双方の勢いを計り、兄のエドワード軍に寝返っていた。春の草原は血みどろに染まり、壮絶な合戦の結果としてランカスター派リチャード・ネヴィル軍の消耗と司令官リチャード自身の戦死が目立つ。エドワードが戦場に出ると決して負けないと言う例である。

戦史愛好家向きの本(左下)にあるイラスト。15世紀の欧州人体躯は現在より小さかった。各地にある古城や博物館に全身を覆う武具、言い替えればイラストに見るような人がそっくり中に納まる鎧がしばしば展示されている。1m50㎝ほどの華奢な体躯用が多く、昔の人間寸法に驚くことがある。人型の甲冑は高価であろう。恐らく貴人用の特注と言う気がするが…そして鉄製だから大変に重い。頭/顔を保護するヘルメットや胸当ても小さなサイズが多い、が現代人に合うのもある。着用してみるとやはりググッとくる重量にびっくりする。左様な重さを身に付けて戦闘した彼らは現代人より強靭だったと考えねばならない…。
The White Queen cor 7
ナポレオンやルイ14世は小さな代表で、沢山の肖像画に垣間見れる。ルイに限らず、背を高く見せるために普段ハイヒールを常用した。ナポレオンに失礼だが、ちんちくりんサイズと言うか頭でっかちなバランスを欠いた体躯に思われる。彼の格好いい英雄肖像画は注文に従った画家の嘘っぱちである。[補註3 ]


バーネットから5月4日テュークスベリーの決戦まで、複雑な戦略/戦術上の攻防が両派間で展開する。日ごとに変る双方各部隊の移動/前進と将官たちの情報やり取りはユーラシア大陸をまたいだ日本列島は足利政権下の目まぐるしく変わる管領や守護大名もつれ合う抗争とそっくり。ユーラシア大陸両端の歴史が並行して進むのは偶然の結果でないと思われる。

アンジョウのマーガレットは言わば将軍義政の正室・日野富子かも知れない。我が子・義尚を次の将軍にすべく有力貴族を取り込み、夫を差し置いて敵連合を崩す策略を練る…。ランカスター派は、マーガレットとヘンリーの息子・王位継承権第一位の皇太子エドワードとサマーセット公、さらに元ヨーク派ウェンロック卿など布陣を整えたほぼ2倍の多勢である。バーネット以降からテュークスベリーに至る過程、即ち戦闘記録を記した一般本をチラッと見ると、日露の日本海海戦の詳細戦闘経緯を読むような塩梅である。刻々かわる細部にわたる陣形、飛び散る血しぶきと積み重なる屍の記録だ。

ヨーク派総大将・エドワードは武も知も優れた統率者だった。弟二人はその命令を果敢に実行するタイプの武将である。多数の貴族/司令官たちも弟二人に伍して、5月4日に向かい動き、それ以降の日ごとのランカスター派の掃海戦に精をだす。多勢に対し無勢であったヨーク側の勝ち戦の主なるは理由は何だろう。

ランカスター派とマーガレットの宝物17才プリンスを失ったこと。積極的に戦闘参加しない部隊が在ったり裏切りも出たこと。マーガレット頼みの指揮官サマーセット公エドムント・ビューフォルトとエドワード4世との戦意鼓舞力の格差。エドムントは戦闘中に味方ウェンロック卿に死を課している。軍として統一性を欠いていたのだ。夕刻近く、戦意を失ったランカスター軍は雪崩を打って僧院に逃げこんだ。結果をランカスターサイドの散々な敗北とする記述を見る。肉弾戦主体の時代に於ける戦闘中は双方ともに判断しづらい…。

ばら戦争30年の後期、さわり期間キーパースンであるマーガレット・ビューフォルトの肖像画はUKポートレート協会(又は美術館)によると非常に多いそうだ。オリジナルはウェストミンスター寺院に安置された棺桶を飾る仰向け姿の全身石像と言われる。彼女の死亡年1509年にイタリアから招聘されたPietro Torrigianoが、死後まもない多くの情報から、右のような被り物をした写実表現をしたと考えられる。とは言え老女の石造表情ゆえに、画家によって老若の様々な異なる顔つきのマーガレットになっている。彼女の生きた時代から半世紀後、写実的肖像画が貴族たち注文によって一般化。タッチの差だった。
Margaret Beufort cor 02
アマンダ・ヘイル(Amanda Hale)演じるマーガレット・ビューフォルト。白バラ女王たる主役レヴェッカ・ファーガソン以上の存在感を示す。"The Habsburg Jaw"(ハプスブルクのしゃくれあご)を彷彿させる顔立ちが一役買ったのかも知れない。アマンダはこれから楽しみな役者である。

5月5日、グロースター公[補註2]とノーフォーク元帥による捕虜将軍たちの裁きが行われ、王権反逆罪でサマーセット初め居並ぶランカスタリアンが手早く処刑される。当時の標準、断首と思われる。翌日これまでヨーク家に拮抗した政治/軍事の中心人物・アンジョーのマーガレット女王が丁重に捕らわれた。エドワード皇太子の妻であるアン・ネヴィルと共に高貴なる捕虜は、ロンドン塔の牢獄に移送される。打ちのめされ全てを失ったマーガレットは物を言えず放心状態だったと言う。その後、彼女は少し快適なサーフォーク城に移送され[補註4]、アンはクラーレンス公(妻は姉イザベラ)預かりになる。ヘンリー6世も捕らわれロンドン塔に幽閉される。

5月7日、エドワードが軍を北に向け残党狩りを開始。強力海軍を束ねる提督(リチャード・ネヴィルの叔父)などが執拗な抵抗をしていたのだ。衝突せずに脅しと懐柔交渉に2週間を要する。かたわらヨークサイドの軍功武勲リストを作りつつ、5月21日、エドワードはロンドンに凱旋する。その日に幽閉中のヘンリー6世病死が報告されている。殺人?確たる証拠なく事実は霧に包まれるが、`衰弱病死`で落ち着いている。後継者17才エドワードは既に冥界だから、ランカスター派は完全に壊滅したのである。

翌年、マーガレット・ビューフォート29才はエドワード仕えの貴族トーマス・スタンリーと4度目の結婚をする。ブリテン大島とアイルランド島の狭間に浮かぶ`マン島の王`貴族名を持つトーマスは未亡夫だった。マーガレットにとっては夫を持つと言う落着きのため。ビューフォートとエドムント家領からの上りが潤沢にあり、収入を旦那マン島領に頼る必要はない。高貴な身分の未亡(婦/夫)人は、パートナー病死/戦死によってゴロゴロ出現する時代。言い替えれば多数の結婚歴をもつ時代だった。それにマーガレットは自らをスタンリー家構成員と考たことはなかった。妻の家系と言うか威光が夫より上位にあったためか、あるいはその妻を夫が立てていた…。

`城勤め`する亭主を契機に、マーガレットはエドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルのロンドンの宮廷に入る。マーガレットと6才年上のエリザベスとは互いに良く知りあう仲。初代亭主エドムントの異父兄弟ヘンリー6世の宮廷にエリザベスは仕えていた。彼女たちは紅いバラ花紋のランカスタリアンである/あった。今度は立場を違えて、マーガレットは主従の`従`になる。エリザベスは幼い娘たちの面倒見に敬虔なる信仰者マーガレットを欲した。王夫妻の長女に与えるマーガレットの親しくも厳しい宗教的躾けが後に重要な意味をおびることになる。

エドワードとエリザベスの宮廷は海を越えてくる各国要人にとって、欧州で最も華やかで素晴らしく見えたと言う。彼を助けたブルゴーニュ公カーレル(フランス語;シャルル)と妻マーガレットはエドワード治世の平和な10年余の間にロンドンの客人になり、これを見聞し実感している。王権回復の彼岸を達成したエドワードが力を入れたのは文化領域である。あたかも同時代人・足利義政が応仁の乱後に政務を嫌い、東山に慈照寺(銀閣寺)を造営し始め、茶の精神・作庭に遊ぶ経緯にやや重なるかもしれない。

きらびやかで同時に水面下の勢力争い宮廷生活にあって、マーガレットはしかし次のような記述をある書簡に留めている
''Some of us are still Loyal to our own house''
ランカスター家直系は絶えたにも拘らず、密かに再興を願うマーガレットの意志をくみ取ることができる。↓の家系図を看てみよう。上半分の下部に記されるマーガレットを上にたどるとJohn of Gauntに至る。彼女の曾祖父になる第一代ランカスター公である。これが彼女の赤バラ花紋再興の動機であり、強い意志を支えている。[家系図の下説明を参照されたし]
The White Queen cor 3
ヘンリー4/5/6世はジョン一番目の妻から派生する直系。ジョン愛人の一人キャサリン・スインフォード(Katherine Swynford)は3人男児と末女の計4人を産んでいる。庶子ゆえに王権と無関係。ジョンは二番目妻の没後にキャサリンを正式入籍した。未公認の庶子(バスタードと呼び、時に接頭辞をもつ新貴族名が作られた)はその後、ジョン長男のヘンリー4世によって公認される。ビューフォート3人男子はヘンリーの異母兄弟/遊び友達で、それぞれ公/侯/伯たる上級貴族である。しかし直系と比べると継承権に遠い傍系に過ぎない。これは下半分の家系図チュ-ダー(Tudor)にも当てはまる。12才マーガレットの亭主25才エドムントはヘンリー5世未亡人の再婚後の息子。父親は数世紀前のイングランド王の末裔、言わばウェ-ルズ地方豪族だから王権の継承を主張する根拠は弱い。

鳴り物入りTV時代劇と言うの週を重ねるうち、たいてい視聴者を巧みに巻き添えにしていくようだ。クライマックスは無論、最終回だろう。ところが最終回の印象は、たいていバタバタと早い店じまい、と言うか大切な場面すらあっけなく通過して`終わり`になるのが面白い。これまで丁寧に作ってきながら、最後に暖簾を下ろさねばならないので、どうしてもスタコラサッサと軽率になる。左様な感じを受けるのである。

エドワード4世は2度の治世期間あわせて20年ほども在位している。イングランド/スコットランド/アイルランドのブリテン諸島三国の王たちにあって、戦死/殺害の代りに自然死(41才病没)と言う例は少ない。とりわけ親族間で血を流すバラ戦争期間だからユニークでさえある。死の床にあり弟リチャード初め重臣に継承一位の長男、二位の次男の載冠を指示。つまり死後の王位安泰の手を打っているのである。12才皇太子の支え役/保護人して弟リチャードを信頼したのは言うまでもない。

この病の前年、妹マーガレットの義娘ブルゴーニュ公マリーが不幸にも妙齢25にして落馬事故で亡くなっている。彼女の息子・フィリップ4才が公国を継承。スポンサーは言うまでも無くドイツ王・父マキシミリアンだが、子育てかつ普段の後見人はヨーク家のマーガレット(低い土地の言葉;マルガレータ)である。ヨーク家プランタジネット朝と海峡向うのブルゴーニュ(+オーストリア+ネーデルランド諸州)との連携はエドワード外交の好材料だった。バラ戦争の終結とその後の内政安定により、世界の海を制覇するスペインと押せ押せのヴァロア-ブルボン朝フランスに対峙し易くなった感じを受ける。

死にゆく王は妻エリザベスを除き、これまで彼に忠実だった弟と、海峡向うでヨーク家の利権を守る妹とを持ち、小さな希望を抱いたと思われる。

The White Queen cor 8

1483年4月;王の病死によってドラマは急展開する。エリザベスはエドワード5世として立った息子の母として敵に対抗すべく、マーガレット・ビュフォートと言わば同盟を結ぶ。敵は王位への野望を抱くリチャードとアンのカップル。二人の女性はかつてのランカスターリアンであり、共有する今後の利益を持っていた。エドワードの死後状況からの抗争/謀略/人間模様、リチャードに焦点を当てるシェークスピア―物語は知名。

アンとリチャードは旅の途中の王と弟(二人の少年)を拉致し、安全な保護場所としてロンドンタワー居住区に隔離。兄弟をしばしば訪ねるエリザベス側ハースティング卿を6月、反逆罪で逮捕。数日後他3名と共に断首する。一方、カウンシル(最高委員会)と議会に兄とエリザベス結婚の無効法案を通過させる。エドワード5世は突然、庶子に格下げになり、王位資格を失う。一連のリチャード政略は現実もドラマでもスピーディーに進み、7月初め夫婦はリチャード三世と女王として載冠を果たす。エリザベスは隣りのウェストミンスター寺院に逃げ込み、ロンドン塔にいる二人の息子と二度と出会うことはなかった。ヨーク家宮廷の主要貴族たちの選別が進み、マーガレットの亭主スタンリーはそのまま留任を許されたのに対し、エリザベスの叔父/兄弟/従兄弟などウッドヴィル系は処刑か所領を失う[補註5]。

BBCドラマは最終回で手早く収束に向かい、そのあたりの善悪が分りにくい。リチャードの王位把握の戦略は、秀吉の`豊臣家繁栄の遺言`が実現せず、徳川の出番になる日本史に一見準じるように思える。残念ながらリチャードは家康の器に遠く及ばない。3回目でドタバタラストにならぬように、The White Queenレポを終えたい。


【補註】;
1.エドワードは前年10月に従兄リチャード・ネヴィル(キングメーカー)+弟ジョージ(クラーレンス公)を主力にするヘンリー6世側にロンドンから追われ、向いの低い土地(ネーデル・ランド)の主ブルゴーニュ公カーレルに身を寄せていた。彼はカーレル3人目妻として妹マーガレットを政略上嫁がせていた。カーレルはフランスのルイ11世との絡みで、ルイの敵エドワードの庇護に気が乗らなかった。これを説得したのがマーガレット。ヨーク家の大事に血筋女性たる根性を示したのだ。 亭主と2代目妻との唯一の血統である娘マリーを墺太利マキシミリアン1世(後の神聖ローマ皇帝)と組ませたのは彼女の手腕。それを彼女にアドヴァイスしたのは義姉エリザベス・ウッドヴィル(エドの女房)である。

2.エドワード末弟リチャードのタイトル。彼は兄と共に半年前ブルゴーニュに逃れ、兄の死後まで、忠実な王の弟として最有力貴族であった。リチャードと言う名は男子名としてランキング10位以内に入るだろう。諸語によってヴァリエーションが多い。イングランドの著名なる劇作家の作品名`リチャード3世`はこの人物。作家の解釈が以降の`苦悩しつつ野望を成就する`不人気イメージを決定している。歴史上、善悪物語で悪側に配された人々の中に一寸気の毒な連中がいる。彼もその内の一人。

3. エドワード4世は例外中の例外、史実が1m93㎝を立証する。現代を除き、欧州のキング歴史上もっとも高い背丈だそうだ。弟ジョージ/リチャードもかなりのノッポだが、長男の大男ぶりはブルゴーニュ生まれと絡み、母親セシリー・ネヴィル束の間の浮気の結果と言う噂を産んでいる。UKドキュメントフィルムに、誕生日4月28日から9カ月遡った父親`ヨークのりチャード`の居所(≒アリバイ)探索がある。結果は当時の馬で誕生地ルアン(Rouen セーヌ川に沿うパリ100㎞ほど西)に間に合わぬ距離に一定期間滞在していたと言うもの。諸条件を織り込んだ推量によると、エドワードは1~2ヶ月の早産だったと解釈される…

4. その後、アンジョーのマーガレットは言わば恩赦を受け釈放される。ロワール川沿いの故郷アンジョーに帰り1482年に亡くなる。生涯53才だから、中世末期の元イングランド女王として長生きに思われる。

5.娘を王の妃として出した家が権勢を得る例は多い。ヨーク家政権の主要職に就いたエリザベスのウッドヴィル系はそのために世間に疎まれた。、後のヘンリー8世時代の妻たちの家系(叔父・兄弟)も同例だが、`妃の失脚`によって没落するのも常である。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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