ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Nature 雑草 フローラ/ファウナ

沙羅の門 Shala tree≠シャラノキを廻りて  【update】 Bodhi ≠ Linde [Ⅳ]

** Why Update? [it took replacement pictures, those which showed a wrong tree (Couroupita Aubl). see; Note]

八千代が、お釈迦様の樹だと教えた沙羅(サラ)の樹が、白い五弁の花びらを完全にひらくのは、五月半ばからである。卵形の葉のかさなりあった枝の端々に、小さな椿の花のように見える沙羅の花は、菩提の樹にふさわしく素朴で清潔にみえたけれども、花ざかりの十日ばかりは、山門近い庭先は、鼻が痛くなるほど、匂いが流れてくる。

上の記述は水上勉(ミナカミツトム)作「沙羅の門」からの抜粋。平家物語に`沙羅の樹`の描写があり、ほぼ同じ説明らしい。水上勉は平家物語を直接または間接の出処源としているのではないだろうか。沙羅はサラともシャラとも読まれるようで、語源は古代インド言語(パーリー語か)。śāl又はshalaとローマ字化され、「沙羅」は古代支那の漢訳形と思われる。
沙羅の門 Col l01

平家物語の出処はそれ以前の支那渡来文献になる。聖武天皇によって発願された盧舎那仏が七年の歳月をかけて東大寺に完成したのは天平勝宝4年(752年)である。大仏開眼供養をした導師は菩提僊那(ぼだいせんな)[補註2] と言われ、入唐していた日本人僧らと共に736年に来日している。名の示すようにインド人、仏教修業のため入唐して励み、遣唐使に請われて`日本帰化`を果たした人物。彼ら仏教人が釈迦[補註3]の教えと、さらなる情報を普及さしめた筈である。

仏教の三大聖樹についての情報はインドの植生を知るボダイセンナによるところが大きいと思われる。Bodhi ≠ Linde 連作はボディーことインド産イチジク属`釈迦の悟りを開いた樹`がリンデことシナノキ属と異なる論考である。`悟り`即ち`菩提`の樹ことボディ・ツリーは日本列島に於いて温室を除いて生存すること出来ない。`釈迦入滅の樹`とされる沙羅の樹も同じである。現在それは仮名サラソウジュとして知られる熱帯樹である。

沙羅の門 Col l02

サラソウジュが日本に自生しないので、代理の樹としてシャラノキが選ばれた。シャラノキは仏教人がナツツバキに与えた別名である。全く異なる2つの樹種を、小説`沙羅の門`はあたかも一つの樹であるかのように記述している。言い替えれば、水上勉と言うか、平家物語は二つを混同しているのである。少年期に禅寺に預けられると言う体験を通じ、直木賞を得て流行作家トップに登り詰めた小説家すら、12世紀を経たシャラノキ伝説を信じていたように思われる。わずか半世紀前の事実になる。

白い五弁の花びらの樹はインドに自生しない日本の5~7月に咲く椿に似た落葉樹。「沙羅の門」終章に於いて「そうよ、和尚さんは、あれはお釈迦さんの死なはった時に、印度の国のルンビニー園に咲いた木ィのタネや。大事な木ィやいうてはったけど、本心は、うちらのために植えはったんやないやろか」と和尚の後妻・八千代が和尚の娘・千賀子に語っている。ナツツバキは朝に咲いて夕方に落下する一日花である。わずか一日の美しさを自分たちに重ね合わせながら、禅寺を追い出されながら、手を取り合って生きていくであろう継母と娘。

作家はナツツバキの匂いのイメージをここに印象づけている。欧州樹木園でナツツバキに出会うことは少ない。もしも初夏に出会えるなら幸せな気持ちになれるだろう。日本だと庭木として、公園樹としても、しばしばお目にかかれる。最後は5年前になるけれども、数メートル高の樹が小さな白い五弁化に覆われていた。↑画像コラージュ右側に示した満開ぶりと樹肌はその個体である。水上勉の連載小説は、辛く慣れない小僧時代にチラと見た一日だけの白い花のお蔭かも知れない。筆を進めるうちに、いたわしき女二人をドンドンその花に投入していったのが感じられる。出町の北東に土塀をめぐらす相国寺と、志賀の村から東に登った地点・和邇村とは、言うとおかしいがナツツバキの育つ照葉樹林帯に属する。

沙羅の門 Col l03

匂いについて、私は知らない。夏椿の満開時に出会ったのは数回に過ぎないので、覚えていない。匂いは微かで強くないのではないだろうか。もし水上が書くようなムンムンするような匂いならば、記憶に残る筈。作家は沙羅の樹を彼女たちに重ねるために、香りの強さを仮想したのではないか…と言う気がする。小説上の芳しい香りはたぐいまれな二人の性的魅力を象徴しなければならない…。[補註4]

「沙羅の門」は琵琶湖西岸の山腹にある。「臨済宗灯全寺派別格地和邇山昌福寺」が一章の一の2行目にある。漢字がこうも並ぶと支那の文章かと錯覚する。臨済宗・灯全寺派・別格地・和邇山・昌福寺のように中点を打つとはっきりする。灯全寺派と昌福寺とが小説の架空名だろうが、場所のイメージをありありと浮かべることが出来る。山腹に伽藍を並べるそうそうたる寺は京/近江にたくさんある。たいてい石段を上がったところに門がある。門をくぐったところに二本の沙羅の樹が植わっている。現実にあり得る出会いだ。

菩提の樹は、もともと南国の樹木であって、雪の多い高台の和邇の里山には適さないものであろうか。承海が晋山した三十年前の苗木は、まだ八千代の背丈の二倍ぐらいにしかなっていない。幹のまわりもそんなに太くないし、もちの木と栂のあいだにはさまって目立たぬ姿で植わっていた。


こう水上勉は`沙羅の樹`を一章の出だしで紹介している。`菩提の樹`とは`菩提`思想を奉じる宗教を象徴する樹木である。釈迦が生まれ育った熱帯インドに自生する三つが挙げられている。三種すべて日本列島に自生せず、特に二つが代替種を得て今日に伝わっている。平城京の昔から、ナツツバキとシナノキとが本場インドそれぞれ沙羅双樹(サラソウジュ)と菩提樹(ボダイジュ)の代りを勤め、寺に植えられてきたのである。

上の菩提の樹の説明を読むと、作家はナツツバキを本物サラソウジュと思っているように解釈される。しかし琵琶湖南端部に育つ樹齢30年のナツツバキならば、5mを超え、あるいは10m近くになっているだろう。臨済宗・相国寺派大本山・相国寺に小僧として預けられた人だから、広い境内に植えこまれた木々の種類について詳しい。寺院にふさわしい例えば万両や南天の実についての冬の描写も自然に収まっている。現実の相国寺由来をなぞって、物語の小さな山寺を夢想国師の開山としているのも自然に響く。

だとすると、日本種ナツツバキと印度種サラソウジュとの一体化は作者`創りごと`ではあるまいか。現実にあり得ぬが、詩的正義へと読者を導いている…、と解釈しよう。作家は、``沙羅の樹がひわだぶきの耳門(クグリ)の付いた総門を入った石畳の両側に、ポツンと二株ならんで植わっている``風景を禅坊主である父親持ちの千賀子にも語らせている。もしも本物のサラソウジュならば、温室内部の植栽展示状況であるから。

左;熱帯樹サラソウジュの開花期、大木の威風ぶり  右2列;ツバキ科ナツツバキ属 緑小木と3本別れはナツツバキ。紅葉はヒメシャラ。カナ書きのサラ/シャラ、ローマ字綴りSal/Shala/Syaraは同語源。
沙羅の門 Col l05

ナツツバキは、仏教によるシャラノキ/サラノキと言うアザナをもらう以前に`本物`和名を持っていた筈。恐らくナツツバキか、それに近いものだったと思われる。印度人の帰化聖人ボダイセナの時代から、祈る寺院のテリトリーに於いてサラノキと呼ばれたが、テリトリーの外ではナツツバキ呼称が生きていた。これは江戸期の木草文献でも、現在の普通呼称からでも容易に了解できよう。ナツツバキはだから寛容に、仏教人がサラノキまたはシャラノキと別名で言うことを許している。

一つの現象;支那の自生シナノキ種を菩提樹(ボダイジュ)、日本特産シナノキ種を大葉菩提樹とそれぞれ図鑑は言う。無数の寺院境内に植えられている`菩提の樹`の多くは、樹木好きの方に支那からの導入種ボダイジュと思われている。実際は日本特産種オオバボダイジュが多い[補註5]。つまり支那に於いてインド種の代りを果たしている支那自生種がボダイジュと呼ばれ、その情報により、日本に当然多く自生する日本シナノキ種が支那種の代りになってボダイジュと呼ばれているのである。

言わば二重からくりになっている。そしてこれ全て、ニセと言うか借り物なのだ。おまけに不幸なことに、支那種の代りを勤める日本自生シナノキ種は本物の和名を持っていないのである[補註6]。偽の仏教的な代替名が日本でも一般化して、アイデンティティー(≒実質/正体)を欠いた大型葉を持つ日本シナノキ種は、こうしてオオバボダイジュと通称されている。嗚呼、何たる主体性のないトンチンカンであろうか。

この理不尽をさらに膨張させているのがユーラシア大陸西端域の三種シナノキの`ボダイジュ化`現象である。日本図鑑/出版界は、リンデと言う本物名を持つシナノキ達の樹格を無視しているのである。国際常識名`Bodhitree=ボダイジュ`はインド・イチジク種を示し、同じ常識名を日本・シナノキ種に採用すると言う不可思議、と言うか分け知らずになっている。

ナツツバキは幸と言わねばならない…、シナノキ種の不幸を思うに付けても。欧州はキリスト教に括られる20世紀に渡り、彼らの自生種をリンデと呼んできた。突然、極東の離れ小島の人々(≒出版/大学/植物園など権威業界)にインド樹木の名前で呼ばれ、戸惑わねばならない。日本人は自らの特産樹木に自らの語彙を与えず、印度古語由来のインド樹木名を当てている。21世紀に於ける論理を超える、ひとつの現象だろう。

近藤朔風(コンドウサクフウ)は、Wilhelm Müllerによる冬の旅五番目の詩篇 Der Lindenbaum にインド樹木名`菩提樹`を与えている。Am Brunnen vor dem Tore / Da steht ein Lindenbaum / Ich träumt’ in seinem Schatten / So manchen süßen Traum 以上が一番の四行だ。門前の噴水そばに/リンデの樹が植わっている…と詠まれて行く。

「沙羅の門」即ち昌福寺の総門が「菩提の樹」サラノキ=ナツツバキ属を傍に植え、キリスト教「天上の門」がリンデの樹を傍に置いているのは宗教における概念`門`の重要性に他ならない。決して日本による頓馬な`シナノキ受難`を許しているわけでない。


【補注】
** Why Update? サラソージュ→Shorea robusta (śāl or shala tree)&ホウガンノキ→ Couroupita Aubl (Cannonball tree). These two trees are reportedly often mixed up and confused each others. Today*(31 March 2014) I received the correct name by Mr/Ms S. Indeed in Wikpedia or other sources they are mixed up. So did I too. Apology!

1.「沙羅の門」は「週刊現代」昭和38年10月10日号~39年5月7日号に連載小説。抜粋部分は「三章の二」に所収
2.サンスクリット語:बोधिसेन ローマ字:Bodhisena
3.釈迦: शाक्य [zaakya](Śākya)。ガウタマ・シッダールタ [Gautama Siddhārtha] サンスクリット語形 गौतम सिद्धार्थ 仏教開祖の人物の生没年は紀元前7~4世まで数説がある。

4.インド本物の聖樹・サラソウジュの花に芳香があるかどうか? 不明なので今後の個人的体験を期待している。
5.小学館「葉で見分ける樹木」著者・林将之さんによるコメント。氏の観察領域は多様で深い。
6.各地の方言を除く。多くの植物図鑑の通称和名は`菩提樹=ボダイジュ`を接尾語扱いにして、オオバボダイジュとしている。日本自生であるから、日本語彙の例えばオオバ・シナノキとすべきであろう。
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しがない旅烏でござんす "mushroom mafia"

森の仏壇;
と言い難い。怪獣のような表情…。横文字を一応示しつつも、この仲間と解していただきたい。生木ブナ[補註1
]に出る`多年生`茸。食用にならぬが乾燥させ、冬のストーブ火付に用いられた。巾55㎝個体は過剰寸法。階段状に重なって出現する例が多く、上の個体から黒い胞子が下の個体に落ち、それぞれの上部(屋根)が黒く染まって見えるのだと言う。Platte Tonderzwam achtig bij Beuk 01

1955年前後、ポーランドの寒村で悲劇が起こった。子供のある数家族を含む村人たち20名以上が亡くなった事件。毎年くりかえす茸狩りを二週間前に行なっていた。伝統の言い伝えと生活の知恵を知る老人たちも犠牲者だった。見間違いが起ったのである。若い世代の収穫を老人たちは信用して、確認しなかったのかもしれない。あるいは成人すら、たまたまその年に植生域を拡大したソックリ猛毒茸に騙されたのかもしれない。古い諺や地域食習慣は茸鑑定の信頼性と無関係である。このルールは専門家に知られていても、昔からの地域社会の人々に伝わり難い。ポーランドのドラマ以来、各国で防止対策が取られ、啓蒙活動が盛んになった。

Amanita Vliegenzwam 紅天狗茸 のコピー
本種は地球上あまねく棲息する。お伽話`白雪姫`や`森の小人たち`物語に常に出てくる茸の代表。紅天狗茸(ベニテングタケ)と和名で言うらしい。昔は猛毒と言われていた。紅い色味が如何にも毒キノコに思われ、派手で鮮やかな色の茸は毒キノコと言う警鐘役を果たしていたようだ。ところが猛毒茸は目立たない茶色系統に多い毒学事実が明らかになってきた。一方ベニテングタケに熱処理をすると、食用可と言う実験的体験が報告されているらしい[補註2]。
下画像は任意に寄せ集めたマッシュルームたち。死に至る茸があるかもしれない。既に知名な毒キノコ(の成長変異過程のある段階)に非常に似ている場合、その自生植生域と自生環境を考慮しなければならない。他大陸や異なる自生状況に育つ毒キノコ胞子が突然、私のフィールドに舞い降りることはありえないのだ。
Kinoko Paddenstoel cor 000


「しがない旅烏でござんす」主役のキノコ。サングラスを掛ける個体は高さ40cm、成人眼鏡巾より広い傘を持つ`巨体`。傘部分と柄(軸)とが分離しやすいキノコタイプだが、ある程度そだつと傘の重さと何かの弾みで柄が折れやすい。右上個体の傘はリング(つば)によって辛うじて繋がり、旅烏風情を連想する。`大きなパラソル`の代表種で、傘の開かぬ若い個体が美味であるとされる。しかしサングラス賭けほどの分厚い傘`肉`も薬味次第で血の滴るようなビーフ並みのグルメになり得る…。
Kinoko Grote Parasolzwam cor 01


マッシュルーム・マフィアとは食用茸狩りを専門にする`狩人`。欧州一般に、大量採取の商いは禁止されているために、マフィアなのだ。キノコ種の鑑識眼を持つ人々で数時間で数十㎏を収穫すると言われる。キノコグルメ`旗艦`種はイタリア語ポルチノで知られるマッシュルーム。和名ヤマドリダケ、日本列島にも自生する。欧州ほどスター的でないのは、マッタケと言う日本の王者があり、更に消費量1を誇るシイタケがあるからだろう。シイタケは日本出のキノコとして30年ほど前に欧州初栽培が成功。この10年マッシュルーム・ブームによって、海外導入種の代表としてスーパーマーケットに並んでいる。

ポルチノ名が知られるのはイタリア料理との絡みである。シャンピニオン/カンテレル/シイタケ/シメジなど[補註3]スライスと共にパスタ料理に用いられる。ポーランド人マリスカと茸談義をして、ポルチノのポーランド名Borowik szlachetny(ポロウィック・スツラッチェトニ…)を教えてもらう。「秋になると皆が森に入るの!ポーランド人はキノコ通よ」彼女のキノコ話はなるほど面白い。

ポロウィック・スツラッチェトニの前部はBoletusのポーランド語形、後部はedulisすなわち「食べられる」になる。マリスカによると同属の赤い色味(の一つは毒キノコだが)などを含め、ドォーッと集めるのが秋の行事になっているそうだ。隣のロシアと並ぶ秋の国民生活風景であると言う。寒い土地のプロテイン/ミネラルなどの欠かせない補給源。この両国にフィンランドを加えると、キノコ狩りの御三家だと言われる。
Porcino Eekhoorntjesbrood cor 01

オランダはシャンピニオンの工場大量生産方式に貢献している。夏/冬楢床のシイタケ栽培も初めているので、ポロウィック・スツラッチェトニ栽培も軌道に乗せているかもしれない。オランダに自生するので「リスのパン」と言う可愛い名前がある。この茸を見つけると、しばしばい小動物のカジリ痕が残っている。森ネズミやリスの食糧源なのだ。ヤマドリダケは`山獲り`よりも`山鳥`だろうか。もしそうなら`リスのパン`と同じ発想になる。

フィンランド/ロシア/ポーランドの伝統キノコ狩り国家に、野菜に乏しい北欧を加えることが出来る。北欧で年間1㌶単位、200~300㎏の収穫があると言われる。その10倍収穫量を誇る地方もある、そして殆どは乾燥手続きを経て市場に出る。ポーランド10万人が山野に入るならば、年間1万トンを優に超える収穫量になろう。人々は自家消費のために森に入る、とマリスカは言っていたが、それだけの量ならばやはり市場に出ていると思われる。

9月初めからドイツ各州の森林管理局(≒森林官=森の番人)は今年も忙しい。籠を腕に下げた家族キノコ狩りはOKだが、ワーゲン‣ヴァンを駆って数時間で数十㎏を収穫して走り去るマフィア・グループを取り締まらなければならないからだ。ドイツ連邦全域に於いて、御三家のようにキノコ狩りが人気を得て、専門マフィアが何時から出没するようになったか? 自家消費の代りに商いとしての採取活動。多分、外食する余裕が出てきた経済成長期、すなわち1960年代と思われる。

マフィアは国有林[補註4]内部に臨時に設定される立ち入り禁止区域を無視して獲り/盗りまくる。禁止理由の特定ファウナやフローラ保護、あるいは植樹実験に大いなるマイナスになる。ドイツ森の番人は警察官に等しい権限を持ち、マフィアを現行犯逮捕できる。広域範囲で活動する素性を明かさずぬ連中がいて、`連邦`警察との連携がますます必要だそうだ。

こんなキノコを見た方は少ないかもしれない。波打つような傘の縁。屋根の中央に散らばる模様と周囲のささくれ状パターンから一種のパラソル(傘)マッシュルームか、または片側に育つ無柄キノコかと思う。直径10㎝以上で、傘をいっぱいに広げた段階。写真だけなら、迫力と同時に気味悪いと感じる人がいるかも知れないが、何とこれは…(補註末ご覧あれ)
Kinoko Shiitake 005-6


傘を持たない茸タイプは多い。するとヒダも柄も不必要になる。このタイプは風船状の内部に(たいてい)黒い粉(胞子)を生成して、熟すと穴/裂け目から胞子を吹き出す。放牧地/草原に時々見られる一つの仲間は50㎝を超えるソフトな塊である。胞子生成以前の状態が食用になる種がかなりある。Cの若い個体は外観も内部も均質で、シャンピニオンを柔らかくしたような食感である。
3 types of browing the spores 01


草木にビオトープを形成する仲間が存在するように、菌類の茸にも互いの植生連携関係があるように思われる。普段の森歩きで、束になって出る小型茸の幾つかが互いにまじりあっているとか、カーテン型A種が見つかると近くにミルク型B種が見つかる(いずれも和名があいにく不明)と言うような経験をする。さらに樹木種と茸種との密接な関係が存在する。言い替えると、どんな茸が出て来るかは草木と湿度や土壌形質(針葉/広葉の堆積葉違い)に左右される。特定樹木と特定茸との関係は昆虫とその食用樹との関係と同じである。

下のコラージュは身近に観察した例。左の樹木は10年前に森を貫く廃線路(樹木の無い開口部)に実生している幼木であった。欧州種と日本種との交雑種と観ていたが、5年ほど経過して付いた球果の状態と、やや安定してきた葉色や短枝に付く束生葉寸法から、100%では無いがかなりの日本純潔カラマツに近いと思われるようになった。その頃すでに浅い地下(30㎝ほど)を走る根を芝生全体に広がらせていた。
Gele Ringboleet cor 03
130923 Yellow slippery jack nursery quarter

昨年はじめて、明るい栗色の小さな茸が出現した。刈り取らず、観察を継続。数ヵ月をかけ、15個体ほどが出てきた。1センチほどで芝から顔をだし、もっとも大きい個体は高さ10㎝、直径20センチを超えた。のんびりと育ったのは2013年寒冷に比べ夏らしい気温が続いたためと思われる。

今年2m四方の同じ場所から出てきた。囲いをして観察を続け、やがてカラマツと関わる「黄色+リングのボレート」と言う正体がわかった。この地域のフローラ本によると、珍しい種で保護対象になっているらしい。森でそれらしき候補を見た事がある。その画像を見直すと、環境/背景が違うので同じに思えない。森の暗い地面ではもっと黄色が目立つ。当の唐松造林区域に全く見つからなかったが、隣り合わせのブナとナラ域に生えていた。

北半球広く分布し、ハナイグチ(=花猪口)と言う和名と判明。森から偶然、庭に移しかえたカラマツが日本種だった。その根っこ網に発生した菌糸が成長して、8月初めに芝の間に顔を出した。樹木と茸との密接な関係が初めて立証されたのは19世紀半ばらしい。スエーデンの研究者(確かtasiElias Fries)が本種を対象にカラマツとの`共生`メカニズムを解明した。彼は茸学先達の一人である。

特別な環境でない森に近い只の住宅区、その小さな庭にたまたまカラマツを私が植えていた。すると当然`花猪口`が出てくる可能性が考えられる。事実、今年も出てきた。来年も出てくるだろう。逆に言うと解明者E・Fは最も頻繁に出現する典型例を観察して解明したに過ぎないのだ。非常に珍しい例に遭遇して科学的発見をしたのではない。科学的真実の発見とは左様な手続きと思われる。初めて見つける人が出なければならない。また偶然、複数の人が互いに無関係に同事実を発見する場合があるのも、これゆえである。

本種は日本列島で茸狩りす同胞の人気茸であるそうだ。味に関して、色々な評価があるようだ。ドイツ連邦で本種を採ると違法になる。オランダ/ベルギーで採る人はいないだろう。雨模様だとヌメリ感が強く、食欲を誘わない。ポーランドならば、根こそぎ獲られるのではないだろうか。これは安心して収穫して良いのだ。ポーランドにウォズニアキ姓が多く、`オズの魔法使い`を私は勝手に連想する。20世紀初めに創作されたオズの魔法使いがポーランドの茸狩りに関わっていれば、かの悲劇は避けられれたかもしれない。

大量犠牲者の犯人キノコはCortinarius属のLeprocybe節の一つorellanusだった。その毒は摂取後10日ほど経て、内臓細胞を破壊して、人命を奪う仕掛けを持っている。Leprocybe節の外観は目立たぬ茶色の中型茸で、いかにも食用向きの印象を与えるが、ほぼすべて強い毒性を持っている。あいにく知らない和名の代わりに英語彙で二つの代表を挙げる;Fool's webcap((Cortinarius orellanus)とDeadly webcap (C.rubellus){補注5}。前者のフールな蜘蛛茸がポーランド村民をやった犯人である。後者も通称名の通り摂取者を死にいたらしめるそうだ。


[補註] ;
1.生きている樹木。枯死した樹のみに出るキノコ、生木/死木を問わないキノコ、両例がある。

2.毒キノコか否か? 毒化学成分は、食した人間に発生した中毒症状の原因物質として認定される。神経を犯したり、消化器官細胞を破戒したりする物質は犠牲者が出てから解明される。動植物の、言い替えれば自然界の毒は犠牲になる対象`自然`によって、科学的に明らかにされるしかないのである。ある茸に毒があるかどうか? それは人間が食べてみることによって初めて分るのだ。

3.シャンピニオンは欧州初の栽培茸。野生種の改良から発展、フランス首都近郊から始まり欧州→北米→世界に普及。白/茶を初め寸法違いを含めかなりの品種数がある。欧米に於ける最大消費キノコ。生で食べられる稀な種でもある。黄色のカンテレルは森のキノコ狩り人気種から栽培化されている一つ種。後者二つは日本出の普段の人気種。支那食品店の乾燥シイタケは、山野の自然品と思われるが、現在もそうだろうか? 支那からの大小サイズの生シイタケと白/茶の生シメジがシャンピニオンと並んで欧州市場を席巻しつつあるように思われる。それらフレッシュと共にドライの薄切り商品もスーパーマーケット品揃えの定番。

4.ライッヒワルト(Reichswald)はかつての`皇帝の森`を起源にする16地方政府管轄の公有林である。例えば5千㌶の広大なReichswaldがノールトライン-ウェストファーレン州にある。15世紀初めから今日までの歴史をもち、ナイメーフェン/クサンテン/ゴッホ域内に広がっている。秋の9月から10月半ばまで、自然のマッシュルーム愛好家にちらほら遭遇する。幾つかある有名な大規模国有林以外に、用材生産林/リクリエーションの無数の森林があり、例えば大都市ミューヘンに近い森だと、キノコ狩りで賑わうそうである。つまりフォルクスワーゲンのヴァンもすこぶる出没回数を重ねる分け。

5. Webは蜘蛛の巣状の保護幕を言う。幼茸時に生成され、成茸になると傘縁にWeb残滓を残したり、柄に付くリング状に変成する。Capの`傘`と`蜘蛛の巣`の熟語で一つの茸タイプを示している。英語で`クモカサ`茸は蘭語で`カーテン`と形容する。蜘蛛の巣を蘭人は薄いカーテンに見立てている分け。これら猛毒二つの自生記録は私の地域観察本に無い。
最近、難民申請者が滞在施設のある森で見つけた茸を食し、家族8名が病院収容される事件が起きた。子供は重症と言う。普通の市販白いマッシュルームそっくりだったのが理由。黄色コブ茸(Amanita citrina)の幼い出立と思われる。両者は採取後のヒダが灰色になるか、白のままで変化しないかで見分けられる。茸知識が全くない人たちらしく、空腹だったのかもしれない。

** 茶色の傘の茸は栽培シイタケ。ドリルで開けた十数ヶ所の穴に菌糸を入れた50㎝長の樹。15ユーロだったが、気温のタイミングが肝心に思われる。初めの冷温刺激を上手にしないと、数個の収穫に留まる。菌床樹種はナツナラ。普通この状態まで放っておくことは無い。数㌢高の幼いシイタケパックが市販され人気がある。料理がっても良い。出荷期間が短かく、生産効率が上がり一石二鳥だ。

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Habsburger jaw (しゃくれあご) The White Queen [外篇]

Chin of Habsburgと綴ると、分かりやすい。ハプスブルクのしゃくれあごは歴史的トピックだ。下顎(アゴ)が突きだす感じの人は沢山いる。殆どの場合は`感じ`に留まり、肉体的不便に至らない。しゃくれあごの典型例が下図のイラストに示されている。彼はハプスブルグ家の一人の王である。欧州を血族で支配した家系に於いてほぼ2世期に渡り継続している。

The White Queen Hbsuburg Jaw 05

右家系図;英語版が見つからず、オランダ語表示で、綴りが異なる。大きな家系図のしゃくれあご部分の抜粋。フリードリッヒ3世からスペイン王カルロス2世までが、世に言う`ハプスブルグあご`の有名な面々。と言うか気の毒な連中。

ハプスブルク家は13世紀頃に源があるらしい。こんにち21世紀まで8世紀続く家系になる。あごの目立つ期間は2世期余りで、家系図に示される現在数は300名ほどだそうで、彼等にしゃくれあごを殆ど認めることは出来ないそうだ。つまり親族結婚禁止の時代になり、問題は自然に解消されたのである。

ハプスブルグ家の目だった初例はドイツ王で神聖ローマ皇帝だったフリードリヒ3世(1415-1493年)。後世から判断すると`めだつ`が、もしこれが彼限りならば`なるほどそう言えばそうだ`程度のアゴの作りである。ところが彼の息子マキシミリアン1世に激しく伝わった。誰が見ても明らかな顎歪み(デフォルム)が認めらるのである。

The White Queen cor 2 Henry 7 en Karel 5 Chin cor 01

マキシミリアン1世からオーストリアとスペイン二つのハプスブルク子孫へ特異なアゴ形質が伝わっている。下左図5番の美青年は3枚組上の右の人物。静かで有能な皇帝であったが、食事の際、上下の歯がかみ合わなかったのではないだろうか。1のマキシミリアン一世の顎はずんぐりと前方に膨らんでいたと言う。巧みな絵であるけれども、あご骨格の異常が観察される。それが息子`ハンサムフィリップ`とフィリップ息子カルルに正確に継がれている。

下右図;二十とされるスペイン王カルロス二世。5番の皇帝カルル五世(英;チャールズ)の息子フェリーペから2/3/4世と継承され、その次がカルロス2世になる。画家はここまで見られる肖像画に仕上げている。父フェリーペよりさらに膨らみ歪むアゴ、巨大な曲り鼻を持つカルロスは生まれながらに精神異常と身体障害を持っていた。初妻オルレアン家マリー(26)に先立たれ、二番目プファルツのマリアとも努力したがいずれも子供無しに終わる。性機能障害(インポテンツ)が定説。`悪魔にのろわれた`国王だと、彼自身が知っていた。世継ぎ無しのため、一八世紀に入るなり欧州は二つに分かれ、10年余に渡るスペイン継承戦争に突入。従兄妹/従姉弟同士の結婚家系が数十~数百万の戦死を呼ぶ時代…。

Maximilliaan family cor 02 klein

回り道して、やや年下のマキシミリアンと結婚したブルゴーニュ公カーレルの娘マリーにふれたい。上左図3番目の唯一の女性である。このマリーの義理の母がエドワード四世の妹マーガレットである。マリーは父二人目妻の子で1457年生まれ。8才で母を亡くし、11才の時マーガレットを得た。唯一の世継ぎは継母を必要とした。1477年1月カーレルがナンテの戦いで奇妙な死を遂げた。マーガレットは未亡人になり、豊かな公国を継承した若きマリーの後ろ盾である。彼女は政敵フランスに対抗するため、8月に義娘とオーストリア・ハプスブルク御曹司との結婚にこぎつけた。ブルゴーニュ公国のハプスブルク家グループ参入である。上左の有名な家族ポートレートはハプスブルクの欧州席巻を誇示しているのだ。知ってか知らずか、アゴの特徴を示すのと並行しているわけである。マリーはフィリップの産みの母として登場させられ、まん丸い目を飛びださせ剽軽に描かれている。

言うまでも無く殆どの肖像画は実物を修正した美形に描かれる。極端な場合は本人と似て非なる役者のように仕上げられている。注文主の顔が醜く過ぎ、絵にならない場合がある。すると宮廷画家は現代のスクリーン/芸能界の整形手術やハイテックなメイクアップ術に近い努力をしなければならない。そうして出来上がったハプスブルグ家肖像画からすら、本人が被った不便/難儀を想像してみることが出来る。

The White Queen Main women casts

上画像;アマンダ・ヘイルだけを見ると普通の顔である。下半分`白バラ女王`ドラマの主役女優3人の表情を伺うと、アマンダのしゃくれぶりが分る。魅力に留まる個性ならば、心地よく印象に残る。アマンダはそれを役者として使いこなしている。

しゃくれあごとは鼻から上唇が後方に引かれ、そこから弧を描いてアゴの先端に達する`かたち`。アゴが前方に突きだす感じになる。ドラマ`白い女王`中のアマンダ演じるマーガレット・ビューフォートの話す時、あるいは口を閉じたままで上歯と下歯を横ずらしさせる時、彼女だけが出来る仕草/演技に感心する。女優はそれを役柄に生かし、巧みかつ綺麗に収めている。

このテーマで街を歩いていると、かなりのしゃくれあご風情を観察できる。左様な人々はハプスブルク家の末裔かもしれない、と思うと愉快である。カルル五世と子/孫/曾孫のような現代の希少例は、手術で正常形になるそうだ。トップスポーツ人に現れる傾向と言う話を聞くが、私には良く分からない。歯茎の悪い人や入歯着用(老)人に、しばしばシャクレアゴっぽい表情を感じる。

先日、私は顎に繋がる下歯茎を手術した。そこが一週間ほど腫れあがり、ハプスベルク形と青みに染まり、かなりの難儀を味わわざるを得なかった。`名無しの権兵衛`なれども、ハプスブルク王家の痛み/辛さの体験になった。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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