ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

ケシのプライドとは何か?  ソンムの戦いから大英帝国祖国愛の良きゼスチャーなり


ケシのバッジを胸にUKフットボール代表チームメンバーが戦死者栄誉をたたえる。ラグビーはスコットランド・ウェールズ・イングランドが独立していますが、フットボールは一つにまとめているようです。コーチは真ん中のイタリアの人。いざ出陣の試合は1年に渡る欧州選手権の前哨戦である小グループの順位戦。4~5ヶ国の内上位2国が選手権出場権を得る。プライドを得て勝ちに行こう…

UK Football team

海峡と一言だけを聞くと、ブリテン諸島と欧州大陸との間にある海の通路を思います。島から大陸の方を見るのと、大陸の方から島を見るのとは気分が違うかも…。遠い昔から、この海峡は双方からの激しい往来に便宜を与えながら、行く者と来る者を、帰る者と帰らぬ者を見守ってきた…。

北からせいぜい広くても50mほどの砂浜が延々と南西に走る。昔は漁村、今は海を眺め遊ぶ観光地っぽい街々。ニューポート/コックサイデ/ダウンケルケン/カレーそしてほぼ真北に下るとソンムの河口にぶつかる。ここから北西に300キロm飛ぶとロンドン。東京と名古屋のような距離に過ぎない。河口から100キロmさかのぼると人類史のもっとも呪わしい古戦場だ。

poppies Badge and Real flowers

記念墓地、塹壕、爆薬破裂穴、1916年7~11月の戦いを偲ぶ事が出きる。戦死しなかった数人を上げると: 時の仏首相ジョフレ、エリザベス二世の曽祖父ジョージ5世。独軍総司令官ファルケンファイン。24キロmに限定された前戦にいたと思われる連隊の伝令兵アドルフ・ヒトラー。

同じ年の2月にムーズ川の流れるヴェルダンの戦いが始まっていた。パリへの防波堤の場所と言う戦略的位置だが、血みどろの一進一退で一向に拉致があかない。西部も東部もその戦線は塹壕である。ドイツ西側はフランダースの海岸ニューポート付近から白仏国境線を出入りしながらアルデンネ山地や黒い森を抜け、中立国スイス・バーゼルまで続く。

塹壕でないが、同じような長大な保塁線を紀元前のローマ軍が築いている。ブリテン山岳尾根筋や、あたかも西部戦線の先例のように大陸側に伸びた遺跡が残されている。20世紀の時間を置き、歴史は繰り返す。

ヴェルダン攻防戦も数十万死体の山を作りつつ膠着状態に陥った。フランスは予備をここで使い尽くしている。英ヘイグ仏ジョフレ側は西部戦線を打開するため、海峡向こうから補給しやすいと言う一つの理由もあり、突破地点としてソンムを選択した。

独陣地の深い強固な第1線塹壕に数十万のドイツ兵が忍んでいる。記録作戦地図によると、それが二重三重にはりめぐされている。鉄条網を張った2線と3線があるわけ。その数ヶ所破壊のために坑道を作り大量火薬を蓄積する。戦闘開始日に点火した大音響がロンドンで聞こえたそうな。

細かくなるけれど…当時ブリテン本国管轄地・北米ニューファウンドランドから志願部隊(NR)が大西洋を渡っている。わずか1連隊(3千名ほど)だが祖国愛に燃え、エセックス旅団らと共に4月頃現地に入り戦闘準備を進める。火ぶたが切られたのは7月1日。まず猛烈な準備砲弾射撃がドイツ兵と鉄条網を破壊のため数時間続いた。

反撃砲弾が彼らの塹壕で炸裂、死体が積み重なる。頃良しと連隊は自陣を出て6~800m先の敵第1戦に突進。出るや否や機関銃でぶったおされ、向こうに辿りついた兵士は破壊され倒壊している筈の鉄条網に阻まれ敵弾を受けた。初日の数時間でニューファンドランダーは全滅。兵たちの遺品や戦闘日記からこの悲劇が明らかに記述されている。北米の故郷で彼らの勇気と栄誉を称え、毎年7月1日に慰霊が行われる。

兵の消耗が一日5千のペース…、24時間内に2万名が戦死…と言った記録がざらにある。それでも連合軍の「攻勢」なのだ。同胞の屍を累々と築かなければ、攻勢展開ができない戦い。人の命など微塵の値打ちもない、師団(2~2.5万単位)の10個や20個を一月や二月に消耗するのだ。火力革命の成果と言わねばならない。

ソンムでエンジン搭載の戦車が出現した。鉄製無限キャタピラがボディを外側から菱形に取り囲んでいるブリテン製MK1。エンジン騒音と内部熱で最悪の作業環境だったと言う。プロポタイプ的少量台数で戦果に乏しかったが、技術革新が戦争を進化させる一例である。

目と鼻の先の本国から海峡を越えて来たブリテン兵卒達の殆どは帰らず、帰れたものは傷ついていた。列車の到着するロンドンの駅は戦傷者で溢れた。ソンム戦闘の双方戦死者数だけで百万余を数える。海峡を2度と戻ることなくソンムの大地に散り果てたブリテン戦役者達は、カナダ/オーストラリア/ニュージーランド等、それに友軍フランスと敵軍ドイツと言う全参加者たちと共に、階級に関りなく同じ墓標の下に眠っている。

ソンム眠る兵士

十字架のある画像:何事もなかったようにこじんまりと流れるソンム川に近い古戦場の一角で、1998年一人の兵卒(=Private)が見つかった。そこに82年間彼は眠っていたのである。ケシのバッチ花輪が供えられている。
 
「個人としての戦死者への悲しみと戦争の記憶を公にすること。それを強制するような風潮に対し私は疑問に思う」と言うのは歴史家ガイ・ウォーターズ。ケシのバッジをつけることへの一つの正当な論である。

かつて偏見語リストなるものを文部省かその外郭機関が制定したそうだ。そのリストを根拠にして、それは偏見語だから削除されるようにと指摘する人がどんなに多かったことだろう。やや遠いリンクに思えようが…「みんな戦争犠牲者に敬意を表しましょう」とケシのバッジ(またはワッペン)を付けるのは、文脈と表現の自由を無視した「オカミの偏見語表」に似ていないこともない。

miliband with a poppy
サテライト局アナウンサーとレーバー党首エド・ミリバンド

紙ワッペンを遠くから見るとリンゴに見える。よく観察すると、葉っぱのような緑が赤いボディーから出ている。反対側にも細い緑が見える。下画像のケシ仲間をご覧あれ。葉っぱ(でなく苞葉と言う けれど)の一枚だけが目立って大きい。どうやら、ワッペンのデザイナーは写実主義に徹したらしい。

Papaver bracteatum

花弁を支え保護する苞葉(ホウヨウ)部分を「ハカマ」と連想した人がいる。なるほど言い得て妙。一枚だけが飛びぬける理由が分からない。画像個体の葉っぱは生成中で、さらに一回り大きくなる。この種(シュ)を和名ハカマオニゲシと言う。植物通の方から教えてもらった。ケシと言えども底が深いのです。命名理由は、オニゲシと言う本種ソックリサンが自生しているからだそうだ。

ハカマオニゲシの形態を移したバッジ/ワッペン即ち祖国ブリテン兵士達を誇りにする期間はいつまでか? 明日から気をつけてみよう。なおヒナゲシはデカイ葉っぱも何も持たず、異なるケシなんです。ハカマをつける本種はPapaver bracteatum と記述されています。

国によって扱いが異なりますが、ふつう麻薬と精神薬の栽培を禁止しているようです。ユナイティッド・キングダムはどうなんでしょうね?王室メンバーも閣僚/公聴会委員も、影内閣の若親分エドもハカマ付きバッジをつけていますから、正真正銘の麻薬用ケシとその栽培はブリテン王国で広く推奨されているのかも知れませんゾ…


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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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