ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Politics and economics 政治/経済

英霊記念日曜日 人形の家が行う儀式のかたち

Willian Kate Kammile

右:義理の母娘。11月13日外務省バルコニーで慰霊パレードと式典を見る、カミラ女史と若いケイト。女史は前妻を亡くした旦那・皇太子の後妻。左:ミッデルトン家の長女ケイトは今年カミラの旦那の長男と結婚したばかり。

欧州に16だか17だかの立憲君主国があるそうです。辺境欧州にしてそれだけあるから、南北の半球合わせれば、3倍くらいになるのだろうか。貴賤結婚と言う言葉と概念がある。欧州に限ると、戦前まで、と言うか帝国植民時代まで、厳しく守られてきたルールだった。継承権を持つ者が家臣子女と婚姻すれば継承権喪失する慣わしである。例外はブリテン諸島の連合王国で、チュダー朝で明らかなように、臣民と王族との婚姻とその次代継承を許した。貴と賎ではあるが、惚れたおなごの為にその家を公爵位に取立てるのでマア釣り合うと言う理屈。

戦後UK女王の子息子女の半分ほど、何のこだわりがあったのか、遠い近いあれど華族血筋と結ばれ(且つ離婚し)ている。この意味でウィリアム+ケイト(呼び名、本名はキャサリンの筈)カップルは100%貴賎結婚。庶民との婚姻で継承権を保持するのだから、思うに大変な時代になったのである。

貴と賎のコンビを怪しからんと考える日本の方がけっこういると見受ける。小泉政権時の議論だった。貴賎結婚ならぬ歴史性を重んじる人は女子による君主継承権を認めない傾向にある。皇室の伝統派はブリテン連合王国と異なる日本朝廷の歩みを講釈される。日英をごたまぜにしてはいけない…と言う。大日本帝国と大英帝国とは互いに大陸の両端に位置して、1位と2位の長き王朝史に支えられ、欧州と亜細亜の覇権を競い、他の追随を許さぬ二つの海洋国家だった。何処がどう違う…。

何処の馬の骨とも分からぬ"男"が皇室に入ることと、彼の血を引く次世代を金輪際認めないと言うのが伝統皇室派諸兄の本音だろう。史実のかなりの天皇が"何処の牛小屋の娘とも分からぬ"側室から産まれている…、にも拘わらず男子ならばOKすると言うのが分からない。

カミラ母とケイト娘は沢山の称号をもらい、シモジモの者を驚かせ、夢中にさせる。絶対王政と言うのは領地支配の権威確立だから、如何様なキラキラ華族名をも作り上げていると言うこと。ちなみに旦那の位と呼応する彼女達の号はDuchesses of Cornwall とCambridge 。ダッチェスだからダッチ=オランダやダッコ人形を連想するが、公爵=Duke の配偶者を言う。一代貴族制を含め古臭い幅広な華族制が21世紀に堂々と生きている連合王国に再び驚かされる…(ブリテンより古く長い立憲君主国日本に言うまでもなく存在する。程よく収まっているようだが)。

Royal fam 01 William and Elizabeth

11月13日の式典。美男に撮れたTV画像。帽子で見えないが、若いのに髪が薄い。父親と叔父譲りだが、母方スペンサー系もあるかも知れない。世論調査によると、在位記録を塗り替えたお祖母さんのエリザベス二世を継ぐのは孫にと言う希望が多いそうだ。さもなくばチャールズ載冠後、数十年で次の載冠式になる。ブリテン陸海空三軍は深刻な緊縮財政に直面、司令官である皇太子も空軍将校である息子も賢者ならば、不必要な国庫支出をしない筈。"ウィリアム5世"キング誕生の公算が強かろう。チャールズお父さんが息子に任せる大器をしめすならばの話だが…

11月11日にもっとも近い日曜日が13日。英霊の記念式典が大ブリテン諸島で挙行される日であると分かった。例えばベルファスト(北アイルランド)、マンチェスター・リバプール・エディンバラ…ロンドン。2分間の黙祷を含め、国家の重要な慰霊行事が各地で行われた。日本の終戦記念日が、実施毎年記録ノートに従って周到綿密に準備され、こんなに大々的に行われるだろうか? ブリテンが大陸と関った両大戦の傷跡/追憶の深さと大きさを物語ると思う。

北のトラファルガー広場(複数路交差点)と南のウェストミンスター(教会と議事堂が向かい合う点の十字路)の間は普段は車で糞詰めになる。17世紀末、欧州屈指の大宮殿ホワイトホールが一棟を除き焼失。その名を採り、この区間1キロmほどをホワイトホール通りと呼ぶ。例年ここが閉鎖され、ロンドンの式典会場になる。

RS 慰霊碑をうえから

近代の軍事技術革命が凱旋門だけの`戦い文化`に、新たに`慰霊碑`を公に広く認知させることになったと考えられる。連隊/師団から(2次大戦末期の)都市まで、一瞬の殲滅が可能になったからだ。馬の鞍形の広島慰霊碑はヨーロッパ慰霊碑らしからぬが、軍事技術の飽くなきupdateの結果を直接に訴えている。

一次大戦後すぐ、ロンドンのある場所に慰霊碑が作られた。あまりにも多い戦死者ゆえの悲しみが力を貸し、国民全ての本格的慰霊塔として設計強化され現在地に移設。1919年ジョージ5世が除幕した。ウエストミンスター十字路から200mほどの地点、ご覧のように道路中央に立つ。デザインはカナダやニュージーランド他多くの戦没者慰霊碑の原型になっている。搭の影部分に最初の花輪を添えるため塔に向かう女王が見えようか。

RS 政府建物側から

上画像の反対側から。トラファルガー・ラウンドアバウトは左側、ウエストミンスターは右側。手前側に外務省や首相官邸(ダウニングストリート10番地)、向こう側に防衛省。ウエストミンスター議事堂を含め、この界隈は霞ヶ関・永田町に当たる国家最重要域ですね。ここを例えばイランのミサイルが叩けば、国家機能が麻痺する。

RS楽団

華やかなユニフォームと大きな細長帽子との幾つもの楽団が出演。儀式を格調高く演出するソフト&ハードウェアーを取り揃えている。この体裁を主にアフリカ旧植民地諸国が見習っている。トコトン弄ばれたにも拘わらず…と言うブラック知識人がいる。長期居座り独裁者たちは大英帝国儀礼を好んで取り入れている。安っぽい猿真似だけれど、アフリカの春が起こると身も実も付いてくるだろうか。

RS 家族

慰問に相応しい黒いコートの"妻”エリザベスは王室の代表即ち君主として最初の献花。夫フィリップは(90才、元帥位の筈?)海軍提督正装で2番目の花輪を、長男チャールズは陸軍司令官軍服で3番目の花輪を、長女アンと次男アンドリューは海軍々装で4番と5番目を、孫ウィリアムは空軍大尉姿で6番目を…。海洋国家と言う輝かしい伝統ネイビー、それに陸軍と空軍を加えるロイヤル・アーミーを彼らが象徴する構図なんです。

一つの家族がこうした国家行事の代表を勤める。彼等の生まれながらの天職…。この職をつかさどる家は戦後「人形の家」と巷で呼ばれる。男子の軍服衣装を見るならば、かつて男子が戦場に出て采配を取ったナポレオン期以前を思い出す。しかし現在は行事衣装で、その社会的役割をしてこの家は様々に着飾る「人形の家」と解されよう。

9番からの献花は私服の人々。軍服でない黒いスーツの人々。9番目は内閣首班のキャメロン。10番目副首班クレッグ、11番目外務大臣ヘイグ、12番目影内閣のミリバンドと続く。こうして要人が外務省建物に姿を消した後も、ヴェテラン(1次大戦最後のヴェテランは一昨年になくなり、85才以上の2次大戦の兵士)、さらに一般の人々の献花が慰霊塔の周囲を埋め尽くした。

Remembrance-Sunday-007

女王の後ろに、手前の女性から長女アン次男アンドリュウ長男チャールズ夫フィリップ、家族が整列している。祖父向こうに孫ウィリアム。家族の献花が終了して、政権と議会人の段取りに進む。赤い花輪は小さな紙で作られた立体小花ケシの集合。花輪を前に不動起立するのは右からキャメロン/クレッグ/ミリバンド…、彼等はアフガン他戦地に軍兵を送る責任者である…

RS 慰霊碑 外務省反対側から
冷たいが日差しがあり、戦没者慰霊に相応しい。手前にやや引き下がると、わき道ダウイングストリートの筈。首相官邸通りなので、1109以後から普段閉鎖されているようだ。

RS 慰霊祭 参加者

RS 別慰霊塔

別の町の慰霊碑とその行事に臨む人々。無名兵士の墓は1次2次大戦のあちこち古戦場にあり、そうした無名同胞への祈りも含む追憶の行事である。当て字`英国`人の霊と言う意味でも、英霊の日曜日である。

RS ヴェテランの慰霊

行進を終え献花を終え、かつての出身地/駐屯地グループの栄えある式典を締める場面だろうか。

RS式典搭の近く 参加者

ニューファウンドランド連隊が1日で天国に行ったように、名も知られぬドイツ各地の部隊も一瞬の内に消し飛んだ。初の大戦闘イーペルから、悪魔の住みつく戦いであるのが分かった。しかし不思議なエピソードもある。イーペルの12月クリスマスの日々、クリスマス・キャロルの数々をこちらと向こうの塹壕でともに唱和している。クリスマスイブの翌日か翌々日、独英の兵士達は塹壕から這い出しタバコやチーズ・シンケン(ドイツ燻製ハム)を互いにプレゼントしあい、キリストの誕生を祝ったのである。

リメンバランス・サンデーは悲しみと復興が混じる1946年から始ったようだ。広島の慰霊は毎年夏、世界メディアに取り上げられる。しかし欧州各国の戦没者への黙祷と言うのはあまり聞かない。各国それぞれカレンダーの異なる位置にあるせいかも知れない。蘭国の場合、戦死者を偲ぶ日と解放勝利記念日とを数日違いで、5月初旬の明るい季節にしている。11月この日曜日は英霊を称えつつ静かに、深く祈るだけでいい。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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