ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Art 絵画/ 建築

肖像画ジャンルは日本画史になかった  [ルイーズ中編]

新暦1806年10月末、ナポレオンがイエナやベルリンを凱旋する。その歴史画はあちこちで描かれている。日露戦争物語の挿絵本のような絵を含めて考えて見よう。旅順入場とか水師営の会見とか、勝ち戦の愛国心を感じるイラストを含める…。この年は徳川11代家斉治世で宰相と言う感じの筆頭老中・松平定信が財政改革を進めていた…。日本は現在のギリシャ・イタリア・スペインのような具合で、徳川初期の経済成長期を遠くにして、経済低迷時代だった…。

ブランデンブルグ凱旋門の上で、四頭の馬が勇ましくギャロップしている。古代ギリシャ二輪車を引っ張る馬を御するのは勝利の女神ヴィクトリア。1806年10月半ば、ドレスデンに近いイエナとアウェルスタットで双方あわせ30万余の二つの大会戦があった。これに大勝したナポレオンは10月末にベルリンに合戦の功労者・義理の弟ムラトを先頭に大軍を凱旋させます。皇帝閣下は四頭並列ギリシャ像を下から眺めて、惚れこんだんですね。戦利品としてパリに持ち帰ったのは言うまでもない。[凱旋のイラスト/歴史画:参照ベルリンの日記]

Joséphine de Beauharnais 06 載冠式下絵

ほぼ2年前の12月に彼はローマ法王立会いで皇帝載冠をしています。自ら、くだんの年上女房・ジョセフィーヌの頭に皇后の冠をかぶせるんです。夫婦二人が王と女王の載冠を行うのは時々あるようです。ボヘミアのエリザベスも旦那の就任(タシカ)三日後に冠をいただいている。[ボヘミア物語ご覧ください] この2例の妻正式就任の意図は異なるでしょう…。ウィリアム3世とマリー・スチューアートの場合は夫婦でありながらキング並列の特殊例で、ナポレオン例と違う。

セーヌの傍ノートルダム聖堂で行われた載冠式の豪華絢爛なタブローがルーブルに掛かっています。ボナパルト35才の絶頂期の始まりを描いたのは彼の主席画家ルイ・ダヴィット(+一番弟子ローシェ)。デッサンを重ね、ほぼ出来た骨格/下書きが上画像だと思われる。クラシックなタブロー(絵画)製作は途方も長い職人作業。踊りまくって殴り描き数日で仕上げ、悦に入る似非アーティストが万といて、悲しいけれど、とまれ上の準備画に本物の雰囲気が出ている。1年と半ばくらいの製作期間。完成したのは戦利品"四頭像”がパリに着いた頃、ルイーズと面談した後だったかも知れません。

皇帝お抱え画家ルイ・ダヴィットは、雇い主がセントヘレナに島送りされるまでの約10年間に油で描いた多くの歴史画と肖像画をルーブル美術館に残す。ギリシャ・ローマ時代の彫像はご存知のように強い写実、したがって2次面の人物像も写実が多い。のっぺりした線画法は神話/聖書物語にありますが、宮廷画家が王制役人衆の欠かさざる役職になった時、王侯の生きた表情を描く写実が主流になる。

写実で個性アイデンティーが分かるようになるのはルネッサンス以降と言って良い。どんな目と髪型をして、シャクリ顎や仏耳まで、現物をあたかも写真のように彼等は描くようになった。ほとんどは美男美女に持ち上げているのだが。

奈良の南大門にそそり立つ仁王は見事な彫像だ。人間の肉体を観察したうえに、想像を加えたいわば"詩的写実”ではないか。古代・中世の日本芸術家もやろうと思えば、2次平面の写実画を展開できたのです。

支那の思想・影響をもろに受け、ルネッサンス的内なる個性を描き出す肖像画は列島に産まれなかった。江戸の文化・寛政期の家斉がどんな顔をして、どんな体躯だったのか、誰にも分からない。さかのぼって頼朝も御醍醐天皇も家康も、端整な線描によって"抽象化"されている。百人一首の文学性と軌を一にするような高み…。日本人肖像画家らしきが登場したのはわずか150年ほど前だ。

共和国時代のオランダ帆船が何故、写実肖像画を将軍に献上しなかったのか? 不思議と言わねばならない。風景画でもよかったのだ。すると写実の侍たちが教科書に載り日本史がもう少し面白くなったかも。例外としてターフェル・アナトミアと言う"机上の解剖"写実画が伝えられたのみ。逆に鼻高の南蛮人を闊達に描いた"日本抽象画法"がナポレオン後の欧州再編以降から、写実しか知らぬヨーロッパに衝撃の津波を引き起こします。

ナポレオンとジョゼフィーネ 写実画

リトグラフでしょうか…と書いてそうじゃないことが分かった。いけませんね。妃冠から1804年以降だろうが、エジプト出征の頃のような若さが感じられる。前の結婚で娘と息子もちのジョセフィーヌが若過ぎる…。別のスケッチ数枚はしかめっ面の角ばった表情で、殆ど別女性に見える。自由にもの言う彼女の注文が入利、若作りになった…。

公に二人目になる旦那の子を宿さなかったのが何故か? 過剰な性関係を持ち過ぎた未亡人症状と言うのを聞かないから、分からない。世継ぎを作らない王の妻は無価値。離婚させられたにも拘わらず、かえって元の亭主思いになった女性のようだ。ボナパルトがエルバ脱出してパリにもどった所謂100日天下の前年に亡くなり、元亭主と再会していない。なおチンチクリンの殿は駄目だったのではなく、彼女の代わりに複数愛人にかなりの庶子を生ませている。ハプスブルグ皇女との再婚後には確か正式な血筋も作っている。

上画像をみると、二人の表情をそれなりに素直に(若返らせ)移したと考えられる。(ルイ・ダヴィットかその弟子たちによる…)こうした一連の素描が存在する。彼らの特徴が後の歴史画家の参考・見本になった。ティルジット講和に於ける願いを聞き入れられなかった悲しみの(ように見える)ルイーズを送るナポレオンの顔つきは、とたんにガタンと漫画風になる。ルイーゼより一回り若いフランスの歴史/肖像画家だが、全体の出来は挿絵/説明的な質落ちだ。画家もいつも芸術するわけにいかないのだ。

Louise Mechlenburg Portrete  Tilsit 

左の肖像画はルイーズを偲ぶもっとも知られた作品。ウィーンのアカデミーに学び、後に母校で教えた画家。当時オーストリア一の肖像画家とうたわれた人らしい。プロイセン王の奥方ですから、熟した女性美の表現に努力しているナァーと思う。右肩から胸に落ちる光の扱いに賛否がある。必要以上の"メイクアップ”の厚さはなく、写真のようなリアルそのままでも無論ない。後の彼女の声望にあずかった作品と言うべきだろう。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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