ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Art 絵画/ 建築

ルイーゼとゾフィー姉妹に十字花を ; 貝原益軒ゆかり正徳四年:

ハノーファー公国の首都は現在の見本市や欧州エレクトロニック祭りの行われる街でした。たまたま早死にした兄達に代わり四男だかのゲオルグが当主に座っていた。時は1714年。将軍は家継(イエツグ)と言う幼児で直ぐ亡くなった人。知る由もありません。

日本の年号を調べると正徳4年だ。偉大な貝原益軒(カイバラエキケン)が大往生している。本草(ホンゾウ)学確立の一流中の一流知識人。雑草をも丹念に観察し、大著述を残しています。江戸中期の文書をすらすら読むのは難しいので、読みたい巻の訳本を探したい。えきけんの生きた頃のヨーロッパをほんの少し日記に書いています。[スコットランドのフォークランド城で産まれた「エリザベス」こと「ボヘミアの女王」の数編をご覧ください]

エリザベス・スチューアートは夢敗れた旦那フリッツ生前中にぎょうさんの子供を生み出し、その五女ゾフィーが益軒と同じ年に生まれ同じ年になくなっている。雑草を愛し、その薬用効果で健康に長生きした人々はぜひ書かねばなりません。84才と言えば当時、希少な年齢だった。

エリザベスはプラハを追われブランデンブルグに逃げる。そこからハーグの叔母方に1621年に落ち着き、ほどなく次女ルイーゼ・マリアを産む。ルイーゼは兄のルパートに似て創造的才能を発揮。母親がお気に入りで懇意にした画家から絵を習い、その師匠の画法を見事に体得した。自分ではアマティアーと言い決して売り絵を描かなかった。貴族収入/年金があるから、媚絵を描く必要はなく自由にのびのびと兄弟姉妹知人の肖像画を残しています。

      2nd laatste daughers of Elizabeth Bohemia_edited-1

姉妹の間に咲いている雑草画像は先日に撮った十字花。菜種(ナタネ)の仲間ですね。冬にナタネ新芽のオヒタシは今までにまずなかった。

右がルイーゼ、自画像(と思います)。左がルイーゼ自身の作品。エキゾチックな衣装を着せた妹ゾフィー。この絵から師匠フェーラルト・ファン・ホントホルストの光の扱いや巧みさをまだ読み取れません。モデルの妹を当時知られ始めた熱帯の雰囲気に置き、自由大胆な習作と言えるのでは。緻密に描きこんだ作品を習作にしてはいけませんが、表情に精彩を欠くような気がする…

ホントホルストはミラノ遊学して、カラヴァッチオに傾倒した人。エリザベスに請われ、彼女の家族全員を描き、ベルリン美術館に彼女等身大の大作を飾っています。エリザベスの推薦を受け、海峡を渡り彼女の兄チャールズをさまざまに描き、そのシリーズは"勝れてブリテン王室史を語る"肖像画と私は思う。ホワイトホールが燃え、大作をかなり消失したのが残念。王にして、ウィッグ党強し議会によって処刑された人物だから、よけいに赤裸々な小品チャールズ像が目立つ。

ユトレヒト美術館は彼の地元で、"ユトレヒトのカラヴァッチオ派"タブローを多く所蔵。フェーラルト往時の秀作も掛かっている。彼は大家だったのです。弟子のルイーゼ・ホランディーネ(そうハーグ生まれだから呼ばれた)後期の熟した肖像画は主にゾフィーの家系ハノーファーあたりの貴族の館(≒美術館)で見られるそうな。

      Elizabeth en Honthorst

右はホント・ホルスト。やや若い時? 陽気な表情にも見える。ボヘミア女王とイング/スコット/アイルランドの王に接した時もこんな表情だったんでしょう…。王家系を扱う作品量と、ルイーゼを師範する事実とから、名声を十二分に享受したと思います。左が姉妹の母親エリザベス。彼女のどの肖像画も酷似している。この意味で画家は鑑賞者を"裏切"らず、真面目にモデルを写しています。恐らく同じ沢山のデッサンを異なる作品の基礎に用いたと考えられる。

「新教者のみ国王資格を持つ」継承法がアン載冠前後1701年に制定されていた。20回弱お産して全て死産または誕生2年内の死亡と言うアン履歴をおもんばかった議会多数派の先読みである。このルールを満足する継承者はゾフィーだけだった。画家の姉は旧教に宗旨変え僧院入り、ほか兄弟は子供無く亡くなりと言った塩梅。外地にいる継承権保持者は自動的にブリテン国籍を得られることになっている。言い換えれば、アン女王誕生と共に次のゾフィーを用意することが新法の目的だった。

この継承法は21世紀も適用され、とおい遠い親戚である現ベアトリックス蘭君主もUK国籍を持ち得ると言う遊び半分の論議があった。左様な法の有効性は、捕虜扱いを規定するハーグ陸戦協定も同じである。古いからまさかと考えるが、この法によってベアトリックスだけでなく国王継承者なりとする男女が無数にいる。家系図が明らかならば継承順位52番目とか520番が存在するわけだ。

貝原益軒の逝った正徳4年即ち1714年、その8月1日に、病気がちのアンが崩御した(肖像画は長身細見。実際は大変な巨漢でおお太りだった。病と関係ありそうです)。すると、既に公にされていたハノーファー公国王の妻ゾフィーが裁冠する手筈になっている。ところが7週間ほど前にゾフィーが亡くなるんです。心配無用、ハノーファーをも継ぐ長男ゲオルグが海峡を渡り、10月31日に連合王国のキングに就任。ざっとこんな段取りで、忙しい正徳4年がすぎたのですね。

      Sofy

エリザべスの表情を私たちはかなり正確に知っていることになる。母親の顔だちが少なくともルイーゼ/ゾフィー姉妹にどれだけ伝わっているか、相当数の肖像画で想像することが出来ます。母親にして娘ですから、やはりどこか染まるところが感じられる。しかしどの肖像画が最も彼女達らしいか? 一寸パズルになる。

十字花の一つ黒芥子(クロカラシ)一面の畑と、その元の野生種の写真。アブラナ科の草花は沢山あり、ナタネに限れば、ヨーロッパ自生の園芸種が日本本来の種(シュ)を駆逐したと聞く。ならば、日頃の美味しい天麩羅になる「菜種」は欧州産なのだ。民族間にも似たようなことがある。帰化先の主にとって代わる他に、互いに混ざり合うとか、まぜ合わされ新しい形を作るとか…。

ナタネ写真の真ん中の女性は、しかし、誰か分かるに違いない。彼女は欧州のナタネを食し、母親は選帝侯プファルツに嫁いだ人。その母親が末っ子同士で気楽に平和に生きられるようにとブルンスヴァイク小さな家の息子に嫁がせたのだ…。それが思わぬハノーファー公になり、彼女自身の代理がとんとん拍子でロンドンで王冠を受けた。彼女は丈夫に長生き、純正日本ナタネを食べた貝原益軒と地球上の等しい同時代を過ごしたと言うこと。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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