ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

天国と地獄 いずれの切符か  Václav HavelとKim Jong-il 


Václavはヴァーツラフとチェコ語で読むそうだ。 Havelはハーヴェルだろう。Kimは金でキムと分かり、Jong-ilはジョング・イルだろうか。前者75才、18日の日曜午前に、後者69才は土曜にそれぞれ亡くなったそうだ。

ヴァーツラフと言う耳慣れない名前は正式名称Česká(チェスカ)共和国では一番に知られる正当な伝統男子名でないだろうか。十世紀の伯爵領主で、のち国の守護聖人に祭られている。日本名の太郎のような感じだが、聖人だからもっと箔が付いているのです。

プラハの古臭いひなびた中央駅(数年前)から南に少し歩くと、西に向かって下る広い通りと言うか広場にぶつかる。7月24日YouTubeとDSK日記の画像に中央花壇のある通りが見えます。[7月下旬のボヘミア篇(上/中/下篇)、プラハ大学 ヤン・ブリンデなどもご覧ください]

プラハ 駅と広場

ヴァーツラフ通りは時計搭の建つ場所と違い、広場より”通り”で1989年の秋、共産独裁から民主化への運動の大群衆で埋まった場所です。通りに入りきれず、このあたり一帯が人々の大海になった。当時24時間常時放映する唯一のCNN看板女性リポーターが興奮して伝えている。

運動母体は”市民フォーラム”。中心人物がヴァーツラフ・ハーヴェルです。ワルシャワパクト軍の戦車がチェコスロヴァキア全土に進駐したのは1968年8月。インタネットも他の手段も殆どなく、外の世界に分からない出来事だった。改革的なプラハ劇団のリーダーだったハーヴェルは職を終われ、その後何度も投獄される。

ソヴィエト軍駐留下の20年の「正常化」を反政権に徹した猛者であるから、ポーランド連帯からの大うねりを受けて巧みに市民フォーラムを組織化したんですね。因みに初代ヴァーツラフ以降10~13世紀だったか、ポーランドとボヘミアは事実上または形式上、同じ王を戴いていた。遠い昔の馴染かも…。

ハーヴェル達のフォーラム運動は血を流さない革命でした。同時進行したルーマニアやこの間のリビアに於ける大量の血の革命と大きくことなる点ですね。かつてオランニェ・ナッソウの頭領ウィレムが大軍をひきい海峡を渡った。義父ジェームスをフランスに追い出し、無血で翌1689年に女房と2人王制を樹立。そのウィレムをハーヴェルに重ねるつもりはありません。ただ正確に300年後と言うリンクをはってみるのです。

ビロード革命の二人

ヴァーツラフはプラハの春を束の間よびよせたAlexander Dubček(アレクサンデル・ドゥプチェク)をフォーラム戦列に直ぐに招いたのです。私などは遠の昔に、シベリアに送られ闇に葬られたと思っていました。そのドゥプチェクが返ってきたのは大変な効果と言うか、人々を熱狂させたとドキュメンタリーが伝えています。さもあらん…視ていた私もぞくぞくしたんです。バルコニーでヴァーツラフと並ぶドゥプチェク画像を見た西側の人々は歴史の泡立ちにこっくり頷くことができたでしょう。

カーレル橋

チェコ語でカーレル橋と言い、先王の妹と結婚してルクセンブルグからボヘミヤに招聘されたヤン(本名はJohan)の息子Karelを名付けた橋。何十体もの彫像が見甲斐あり、プラハ5指に入る観光名所。ヤンは14世紀欧州の座頭市。めくらになり尚も勇猛に戦った武将。息子カーレルは武に長け戦略に勝れ、皇帝選挙に勝ち、欧州の英知を迎えるプラハ大学を設立。

朝鮮半島の北の国の69才の御曹司がなくなり「オオ、ディアー我等の大指導者」と泣き咽ぶ映像が流れたのはご存知の通り。TV発表するアナウンサーから、あらゆる場所の人々まで、嘆き悲しんでいる。ただ事でない光景では…。我が子を突然の事故で亡くした母親のような悲痛に相似できるでしょう。

チェコでは見られません。民主化に尽くし、大統領職を長期つとめ、祖国に貢献した人物への尊敬と悲しみが静かに厳かに表現されたのは言うまでもありませんが、「泣き叫ぶ」と言うアドレナリン放出的な異様は見られません。共産主義は内的な人間性に欠ける。外めに激しく泣いても、泣くことの出来ない心の痛みをどうするのだろう。

金ヨングと北鮮ドイツ大使館

サテライト局で誰かが”北鮮得意のデモ/やらせ/演出だろう”と評している。確かに”愛すべき指導者”の写真は白々しいヤラセなのだが…、北鮮普通の人々は、政権に都合のいい情報だけを与えられた”洗脳された状況”にあるからでは。1945年8月15日の敗戦を伝える玉音放送に於いて、似たような場面がありましたね。

戦前の日本は、現在の北鮮と同じ、情報統制された社会だったからではないでしょうか。負ける筈のない神の国と繰り返し刷り込まれた。その祖国が負けた。故に悲報にくれ嗚咽するのは条件反射的と言わねば。日常生活で常に一方的な情報しかなければ、心の平衡も傾かざるをえない…。

幸いかな、昭和天皇が亡くなられた時、日本国民は昨日今日のチェコの人々と同じ、しめやかに故人を偲ぶ落ち着いた態度だった。旧東欧圏の人々は20年の年月を経て、EU連合のコモーン・センスを共有しつつあると思われる。彼らの平常心は北鮮から伝わる凄まじい号泣を違和感で受け止めるだろう。

先ほどのサテライトニュースが、北京のフー・ジンタオ(Hu Jintao) の哀悼の意を伝えています。金日成”御曹司の崩御”なれば当然か。曰く:支那と北鮮の友好関係は変わらず、今後もピョンヤンを強く支持するそうな。軍と党と政府の三つを掌握する人物が言うのだから、日米韓台はフムと確認せねばならない。

数少なからぬ日本人を拉致した部門責任者は誰だったか。数百万人の餓死した同胞への深い大きな悲しみは何時、何処で公にされたのか。緑豊かな稲の広がる風景はDie Demokratische Volksrepublik Korea (英省略形:DPRK)の何処にあるんでしょうね。民主を冠する人民共和国だが、こんな嘘っぱちの”民主”が出て来てうんざりする。外から観察すると、やりきれない思いにかられる。もし内から見る人々がいるならば、その何倍もおぞましいだろう…。

キリスト教社会において天国と地獄は絵画的イメージで明らかです。ヴァチカン宮殿の一つの礼拝堂をご覧になった方なら、良くご存知ですね。人間わざと思われない大仕事にビックリします。作者は長い名前、難しいのでコピペしますとMichelangelo di Lodovico Buonarroti Simoniと言う天才、しかも当時並外れた長寿の人。一般に姓はブオナローティ、名はミケルアンジェロ。

前奏ならぬ前話が長くなりました。彼の「最期の審判」の迫力ある主題は、イエスの審判なんです。つまり死者を天国と地獄へふるいわける決定作業。天国と地獄を語るブロッガーによれば、天国行きはヴァーツラフ・ハーヴェルで、これは明らか。キム・ジョング・イル御殿様は、ヘル即ち地獄落ちだそうだ。

いや、一寸待て! レーニン/スターリン/毛沢東の犠牲者の数を見よ。それに比べると、我なしたる数など微々たるものぞ。ブオナローティ画の右側の列に俺だって加わりたい。と言う腹出たる御曹司の呟き(トィッター)が、皆さん聞こえますか…。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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