ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

か弱き女にすぎないが、心は王の強靭さで満ちてい る

イングランド国旗は白地に赤十字の簡潔で綺麗なデザイン。


小さな島国国家が宿敵スペインを打ち破り、欧州の覇をフランス・オーストリアと争うのはエリザベス1世晩年、17世紀にかかる前後だった。大英帝国と言うにはまだ遠い。その頃の国旗はエリザベス1世が幼少から親しんだ筈の「聖ジョージ十字」と言われるもの。

この旗は、ブリテン未曾有のスキャンダルと無関係。上の写真の小隊の諸君はブリテン大島の南部であるイングランドの旗だけを掲げて行進している。彼らの出身地と駐屯キャンプがイングランドに在り、王様連合国家のイングランド軍に属していることを示す。

白地に赤十字の旗がチューダー朝最後の王の住まいホワイトホールにも翻っていた筈だ。ユーラシア大陸を二つ折にしてブリテン諸島を"捺印"すると、ほぼ日本列島に重なる。植物をモチーフにした見事な図案、例えば同時代の徳川「三つ葉葵」や豊臣の「五七桐」家紋に当たるのが、つまり聖ジョージ旗に当たるのである。

しかし家紋は国旗で無い。豊臣から徳川になっても、国旗と言うものは思いつかれなかった。朝廷の菊のご紋を差し置くわけにいかないと言う遠慮があったかも知れない。また朝鮮と支那を知っていても、それらに対峙する「全国統一された独立国家のための国旗」と言う発想が湧かなかっ たように思われる。

エリザベス一世は数々の公/侯爵の妻君である養育者や貴族/教会の知識人から最高の教育を受け、父親晩年には母親と同じように稀なる知的な少女だった。家紋あるいは軍旗として彼女が馴染んだのは、図案としてマーマーの薔薇の図案紋と父親チューダーTudorの家紋(その一つは上が白で下が緑の地に子供っぽいライ オンを乗せたもの)に過ぎなかった。

秀吉の全盛期、天正16年の夏。ドーバー海峡南の海域で、激しいスペインvsイングランド海戦が続いていた。ハプスブルグ領低地域を治める総督パルマ公1万余軍勢がブリテン島進撃に備えカレーやダンケルクに控えていた。

ブリテン島側に湾のような一寸へっこんだ場所があり、海を見下ろすティルバリーと言う村がある。その丘に建つ要塞と周辺に、スペイン海軍により運ばれてくるだろうパルマ軍上陸に供え、陸軍中将ダッドリー伯爵軍が動員完了していた。

ロンドンから親衛隊と供に要塞に到着したエリザベス女王はボディーガード騎馬兵たちを残し、城門から灰色の馬を進めた。馬の右背後に幼馴染のダッドリー 伯、左背後に若いディバーロー伯、正面背後に主席馬官ノッレイーが形を整え従った。彼女は白いドレスに銀色に輝く胴鎧を付けていたと言う。分厚い白粉をとればギスギス55才、小柄な独身女性と言うか、ただのおばさんだった筈…。

Erizabeth 1 cor 1

愛する我が人々よ!で始る歴史的な雄雄しい演説は8の重なる日に、将兵達に向かって行われた。「私はか弱き一介の女にすぎないが、心は王の強靭さで満ちてい る…」責任感と格調に溢れ、イングランド/ウェールズとそれら人々を愛し、勇気ある戦闘精神を鼓舞する見事な内容である。威容に満ちる王の姿であったと伝 えられる。

拡声器もズームの効くデジカメも無いから、限られた人々しか聞こえず表情も見えない。だが侍者たちが直ぐに控え、また兵達が口伝えした。幾つかの版があるそうだが、四半世紀後に書付が発見され、ブリテン史をかざることになった。エリザベス朝期の文語調を現代風に意訳したテキストも散見される。

すると思い出すのはバルチック艦隊との遭遇に際し、参謀・秋山真之が先例研究から起草した次例だ。「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」 旗艦三笠マストにZ旗が掲揚され、連合艦隊各艦に海軍旗がはためいていた。なお、その海軍旗は現在も自衛艦に使われ、機能性と共に民族の誇りを示すグッドデザイン。

超細身エリザベスの背後で、騎兵が掲げる旗はセイント・ジョージ・クロスであっただろう。なぜ聖人ジョージと言う人がイングランドの一種の守り神になっているのか知らない。ちなみにエリザベスの又従妹、同じくイングランド王位継承権を持つMary Stuartのスコットランド国旗にも聖人名(英;Saint Andrew's Cross)が付いている。聖なる人が国を守るという普遍的伝統であろう。アンドリューはブリテンに万といるが、オリジナル本人はパレスティナの人である筈、戦いと平和が交差するイスラエル周辺の土着民…。

スコットランド女王マリー自身は大柄(165cmと言うから当時群を抜いてデカイ)気丈夫、何度もの絶体絶命を切り抜けてきた人。度重なる内紛内戦で息子擁立派に追われイングランドに亡命するも、常にその王位継承権を主張。旧教追従者による数多くの陰謀・計画に加担した。

このマリー(≒メアリー)のおばあちゃんが2つ違いのヘンリー8世の姉マーガレット。ヘンリー8世の次女であるエリザベスとの正式な関係をどう言うのだろう?独身を通したエリザベスは世継ぎがないので、マリーの確か三人目の旦那との息子に王位継承させる手はずを晩年終えていた。

その都度、親族の優しさで亡命する従姉妹・マリー許していたエリザベスに、国政アドヴァイザーとして信頼重用しているワルシングハムが今度こそと具申を入れた。マリー45才の時、ついに女王は斧打ち首を命じた。

大役を命ぜられた斧打ち役は興奮のあまり前夜に酒を飲み、刑死史上に一つのエピソードを加えた。一太刀で果たせず二ふり三ふり目でようやく分断できたするエピソード。この時、 灰色髪を隠すために元フランス王妃だったマリーがフランス風なブロンドカツラを使用していたことが分かったのだ。カツラが転げ落ちた首から外れたのだ。

このニュースを聞いて激怒したのは同じカトリックのスペイン王フェリーぺ(英:フィリップ→国名フィリピン)2世。彼はかつてエリザベスの異母姉マリー1世の夫である。マリー 1世の母親は彼の叔母(つまり夫婦は従姉弟どうし)だから、何処の馬の骨か分からぬ母親から生まれたエリザベスの所業に今や堪忍袋の緒が切れた。

スペイン・ハプスブルグ朝2代目の彼は過去十年計画準備を進めており、数グループからなる大艦隊を編成してイングランド征伐を行う大令を発した。マリー処刑の翌年、大筒を整えた百数十隻近い軍船が数万の兵を乗せ、北に向かった。

この"無敵"の筈の艦隊が散々な目にあう。これが一つの帝国崩壊の序章…、あたかも2世紀余後にバルチック艦隊全滅、ロマノフの帝国が崩壊した如く。


[余談];私はこの時のスペイン国旗が現在と同じかどうか全く知らない。


[記 2011-07-22]
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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