ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

スミレの花咲く頃 [ロミー・シュナイダー序章から三章め] (update)

Wenn der weiße Flieder wieder blüht
白いリラの花が再び咲く頃
When the white lilacs bloom again


ウィーンにて1938年9月23日、ロミー・シュナイダーは生まれる。フリッツ・ロッテルはウィーン1900年3月3日生まれだ。後者は84才で亡くなり、前者はその2年前に若くして亡くなった。時間順に従うと、ロミーはパリで1982年5月29日、フリッツはスイス・マジョーレ湖畔アスコナで1984年4月11日に亡くなっている。

二人をつなぐのはウィーン生まれのオーストリア人であること、そして「ニワトコまたはライラックの花が再び咲く時」と言う歌である。歌は1928年にベルリン・オデオン劇場の企画だったと思われる。出し物ダンスのための作詞をフリッツが担当した。スローフォックスと言う社交ダンスのジャンルがあり、それは1920年代の経済好調期に欧州で流行ったらしい。

Romy Schneider Collage 02
フランス女優として油の乗り始めるロミー・シュナイダー
左:1970 Les chosen de lavi ミシェレ・ピコリと  右:Issy-les-Moulineaox 1970-10-31

スローテンポのダンス曲想を得て美しいメロディーを創ったのはフランツ・デーレ(1883-1965) と言う人。ウィーンから遠いドイツ東端ミュンフェングラッドバッハ出の作曲家。オデオン座公演はバンジョー名手の演奏によって、ラインダンスのようなモダンダンスだったようだが、良く分からない。恋と季節の香り溢れる詩と調べがドイツ語圏(墺太利/瑞西)で人気を博し、翌年フランス訳詩をえてシャンソン風情をおびて、パリの話題を独占する。

原詩をそのまま綺麗な響きの仏蘭西の言葉に置き換えた。題名もそのままだが、フランス語だとずっと洒落て聞こえる。パリの踊り子たちがメロディーに合わせて踊るのだから、舞台レヴューの研究/採取にパリに来ていた宝塚少女歌劇団の演出家を魅了せずにおかなかった…。
ミレの花咲く頃 02 三色すみれ自由交培


すみれの花咲く頃
作詞:フリッツ・ロッテル/作曲:フランツ・デーレ/日本語詞:白井鐵造

春すみれ咲き 春を告げる  春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ
楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋 人の心酔わす そは汝 すみれ咲く春
すみれの花咲く頃 はじめて君を知りぬ 君を思い 日ごと夜 ご と
悩みし あの日の頃 すみれの花咲く頃 今も心奮(ふる)う
忘れな君 我らの恋 すみれの花咲く頃

白井鐵造(テツゾウ)と言う人物は`タカラヅカ`現在をあらしめた功績者の一人のようだ。彼は1929年にパリにいた。秋にあの大不況が勃発した。オーストリア銀行の最大手が破綻、瞬く間に独仏から全欧に伝わり、ドイツは数百万失業者に溢れ、世界恐慌に入る。だからよけいに「白い花が咲く時」の歌が流行ったそうな。あの素晴らしい過ぎ去った恋を思い出す…。

白井は翌年フランス語を意訳して「パリ・ゼット」と言う歌劇団出し物に用いた。メロディーは同じ、題名は同構文だが、木本(モクホン)の花を草本(草花)に変更した。20世紀半ばまで盗作者は常にいたが著作権ウンヌンの時代ではなかった。21世紀に於いてすら、原文/原詩を勝手に変えた歌詞が存在するようだが、著作権が発生するのかしないのか? 学術や文学の領域だとやかましいのだが…分野ごとにケースバイケースなのだろう。

ミレの花咲く頃 01


墺人の父親を持ちウイーン生まれのシュナイダーが、墺人ロッテルの詠う恋歌をモチーフにした映画に出演する。大戦後8年を経過、1950年代初めから例えば仏ではブリジッド・バルドーが活躍しはじめるなど、ドイツもフランスも映画製作に弾みがついてくる。デーレのメロディーとロッテルの題名/歌詞が受けたのは映画がヒットしたからか? それとも戦間期に流行った「ニワトコ/ライラックの花がまた咲く時」ドイツ原詩版と仏シャンソン版のリヴァイバル的成功だったのか?良く分からない。

戦後の宝塚歌劇がこの組織の看板のようなメロディーと恋唄「すみれの花が咲く頃」を持ちながら、ドイツ映画「ニワトコの白い花が咲く時」をなぞったミュージカルあるいはダンスレヴューを公演したのかどうか?全く不明だ。タカラヅカのタも縁がない不精輩だから仕方がない。ただこのメロディーをモチーフにしたドイツ映画、フォルスター夫婦と娘の物語を拝借しない手はないとも思えるのだが。

一つはっきりしているのは「ニワトコの白い…」映画がコスチュームお姫様映画の走り・シシー三部作におけるピチピチ娘役へローズマリー・シュナイダーを導いたと言うこと。その後20をこえてからの墺独スターから、演技の出来る仏スターへ飛躍するのは誰も想像できなかった。仏蘭西語を駆使するドイツ語圏の女優を殆ど誰も考えまいだろうから。それには、恋と言う魔力が必要だったのだ。

ミレの花咲く頃 03 野原スミレ

白井の`すみれ`はこんな目立たない貧しい菫でなかったのでは。しかし雑草中の雑草なので、吾輩は称賛してやまない。

この戦後の欧州事情と、昭和5年にさかのぼって日本に移入された「すみれの花咲く頃」の成功と何か因果を付けられるだろうか。タカラヅカの劇団員は女性だけで、彼女たちはタカラジェンヌと言われるそうだ。それはパリに材を採った白井の影響だろうと思われる。アジア唯一の軍事開発大国だから、欧米エンタメ産業も同時的に根づいていくと言う因果を見るのはどうだろう…。欧米エンタメ産業が過去20年で着地して先端的に突進する韓国/支那に思いを寄せると、日本の先取性と言うか歴史の立ち位置が分かる。

さて何故スミレに白井は変えたのだろうか? ライラックは日本のハシドイだから、白井に分かっていた筈。ニワトコの見事な白い花も知っていた筈だ。詩を詠んだフリッツはベルリンで仕事をしていたから。春4~5月のライラックも夏入り6~7月のニワトコのいずれも熟知していたであろう。

一つの可能性は、ロッテルはFliederと言う語彙によって2つの花樹を愛でたのではないかということだ。春の公演ならば、人は白い園芸種の白いライラックを連想する。腕を思いっきり太陽にさらす夏ならば、ニワトコの白さを思い浮かべることが出来る。詩作の事物に複数の意味を込めることはしばしばある。隠喩や暗喩だと、なかなか見えてこないから、これは明らかな場合として解釈すると気楽でいい。

白井がスミレに変えたのは、殆どの菫がムラサキ~アオ系の色だから、それはリラと言うフランス語彙から自然につながるからだろう…。加えて日本人の菫への思いと普段の付き合い頻度とがハシドイとニワトコより強く深いと言う理由と思われるのである。


名前だけを知る歌劇団。そのメイクアップは半世紀後の21世紀、女性世界の日常になった感がする。(この貼付けは2016年2月5日)
I knew only the name Takarazuka Opera. Its style of make-up becomes standaard for women in 21st century after more than half a century. (This Youtube film is pasted on 5th February 2016)

**本記事は二日前の「ニワトコとライラック…」の言わば続編。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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