ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

エリザベス2世 在位60年

先日テ-ムズ河畔に並んだ火砲が礼砲をぶっ放している。バッキンガム宮殿から近いテームズ川のウエストミンスター橋のたもとからだろうか。式典道具だから砲筒せいぜい1mほどに見えて可愛い。12砲ならば、一基当たり5発を打つなら60発で在位60年に符合する。10砲ならば各6発づつになる。勘定できる現場にいるわけでもなく、礼砲場面のライブ放映でもないから分からない。あるいは``還暦``在位だから、それぞれ60発を打つ大仕事だったかもしれない。

小さくても点火後に硝煙があたりに立ち込める。クラシックな戦いをほうふつさせる。レッド・ロビン(胸の赤いコマドリ)礼装服の兵諸君が、かいがいしく立ち働く姿も、例えばナポレオン時代の戦場風景を想像させる。大砲をぶっ放した後に軍楽隊マーチと共に整然と銃剣を突き出して敵陣に向かう。左様な古風な風景のタブローを見たことがある。

こうした儀式を毎日と言わずとも、伝統カレンダー日記に従って仰々しくきちんと行う国の典型がブリテンなのだ。他の君主国家の模範と言うか、見本になっている。ロシアもドイツも植民地取り合い時代にいずれの皇帝も親戚のよしみでロンドン儀礼式典の華やかさを学んでいる…

Elizabeth 2 collage 01
20代半ばのエリザベス・アレクサンドラ・マリー。

2012‐60=1952だから分かり易い。エリザベス2世は1952年の昭和27年に女王として載冠している。曾祖父が世間の非難にいたたまれず、ザックセン・コーブルグ・ゴータ朝をノルマン征服王ウイリアの11世紀半ば以来の土地名/城名であるウィンザー朝に衣替えした。しかし帝国の栄光とどさくさはそのままで、ヴィクトリア女王から2次大戦終結まで大英帝国と自他ともに呼んだ。

植民地支配を放棄した戦後、ブリティッシュ・コモンウェルス…なんて言う。デカイ土地をあげるとカナダにパキスタンオースラリア等が属していた。これらの国々の君主がエリザベス2世。大方の若い世代にピンとこないのではないか…。戦後の直ぐの地図をご覧になると一目瞭然、実にたくさんある。ラグビーで聞こえるオールブラックはニュージーランドで、ここも一員である。

コモンウェルスとは分かり易く言うと連邦になる。親分は大ブリテン島に領土を有する王様連合国家だ。アイルランドが抜けたので、スコットランドとイングランドとが同一君主を抱き、同時に多くの国々の君主を兼ねている。別の言葉で言うと、しばしば迫害された宗教者たち移民が労苦を重ねて作り上げた国が今でも本国を持っているのだ。本国、そして故郷は大ブリテン島なのだ。

それらの国々で、おおよそ過半数がなおエリザベス2世を暖かく支えている。言い換えてみよう。何か王室メンバーの粗相やチョンボがあると、モナーキーにうんざりする人々が増える。英連邦に限らない。時に過半数を超える国民が王室廃止を考える時がありうる。世論がリパブリカン思考に傾くのだが、つかのまの現象になるのは、王室と関わり職を得る富裕階層の政治対策と王室自身のプロモーション攻勢つまり人気取り活動が盛んになるためである。

君主または代理の皇太子夫妻は支配地を見回るのが常の仕事。身内を固め、領民に親善を尽くす義務だ。大英帝国時代から連邦時代に変わっても、多くの国への親善訪問に加え、地球全周を染める我が領土を旅しなければならない。たいてい長期にわたる。幼い子息子女がいる場合でも、皇室義務が優先する。奥方にとっては辛い…。

Elizabeth Alexandra Maryは1926年4月21日誕生、3つの名前をもらっている。オリジナルは遠い異郷だが、血のつながる家系からの命名だ。2つ目を除く前後名は実に多くの先祖につけられている。しかし具体的に一つ目はチューダー朝最後のエリザべス一世、二つ目は曾祖母デンマークからのアレクサンドラ、三つ目は祖母マリーだろう。テック家から嫁いだ人で、グランドマとして彼女はもの心つく年まで親しんでいる。豪華客船クイーンマリーはこの人を示す。

3つの名を持つ国王の長女は戦後2年して従兄(直ぐの従兄でなく母方父方それぞれ二従兄・三従兄になるらしい)フィリップと結婚。たまたまギリシャ王に迎えられたドイツ-デンマーク絡みの貴族家系で、ブリテン王室は言ってみればドイツ出先であるから、撚りが戻ったようなカップルになる。恐らく立憲君主国家群における親戚結婚の最後の一例でないだろうか。幸いにも直接近縁でなく、若いカップルだから直ぐに長男チャールズ長女アンと言う健康な子供たちが生れる。

彼等は幼い子供たちを両親にあずけ、1952年半年にわたる連邦参りでケニアに滞在していた。国王の健康勝れず、随員でプリンセス私設秘書はいざと言う時の女王継承宣言文を用意していた。父親逝報が伝わった時、彼女が行う宣言に正式女王名が必要だ。秘書が念のために尋ねると、「言うまでもないでしょう!」と彼女は毅然しかし微笑を浮かべ応えたそうな。3つの名前の内、祖国に尽くした真の君主はエリザベス1世である。この時のために与えられた名であったのは明らかだ。[参照2011-08-07スコットランドのElizabeth & Mary]


Elizabeth 2 collage 02
1952年ウィンストン・チャーチルはエリザベス旦那の苗字を‘そっと置いておく‘ことにした。お代わりをそっと差し出す養子がいるかどうか知らない。それ故か、フィリップは妻の影を踏まず、65年間ジェントルマンとして評価されている。

礼砲を紹介するBBCニュースによるとブリテン王室史で在位期間2番目と言う。記録保持者はヴィクトリア女王の64年。昭和天皇は1926~1989、ほぼヴィクトリアに匹敵する。なお生存する君主ではタイ国王が一番長いらしい。

エリザベス1世がスペイン艦隊をドーヴァーに迎え撃つ時に即効に叫んだ言葉はブリテン王室史を飾っている。ほぼ同じコンセプトを18才の少女が戦前に、植民地オーストラリアを訪ねた時に述べている。既にこの時から、プリンセスは生涯を臣民に尽くす覚悟を抱いていたのだろうか?

2012年、86才になり、なお現職を続けるそうである。一番の趣味は馬だそうだ。しかしこの老いてもかくしゃくな婦人の趣味は女王であり続けることのように思われる。あと4年でブリテン記録更新…、そしてその先も継続する勢いに見える。息子チャールズの悲劇または喜劇はウィリアム4世の64才国王載冠記録をほぼ確実に更新することだろう。

この女性はアレクサンドラとマリーの后たちが経験しなかったことを体験している。4人子息子女が揃って離婚、独りの義娘は事故死。これらは現代普通家族の出来事だ。王室に関してブリテン半分からの評価は仮借ない。時に散々なつぶやきが寄せられる。60余年のお国の顔を果たして、酸いも辛いも知り尽くした。みんな飲み込んで、天からの恵みの職を黙々と実行して行くんでしょう…。

【続く】

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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