ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Politics and economics 政治/経済

カーニバル論 酔っぱらい綺麗なヴェネチア謝肉祭など 

Carnival 01

Carnaval/Karneval/Carnival… そっくり姉妹言語の同義語を並べてみると、どうにもカンニバリズムに見えてくる。何時だれが謝肉祭と漢字にしたのか知らない。とりあえず肉に謝する祭と平仮名まじりにしてみる。イスラムもキリストも食を絶つ期間を定めているようだ。調べると日数がわかるのだが、ともかく明日の金曜が最後の日ではないか。

と安易に思ったのだが、復活祭の前期間を思い出した。つまりカーニバルは肉を絶つ期間が始まるので、食いだめをしようと言う祭ではないか。胃を空にしてひもじい思いに耐えなければならない。それ故、明後日・土曜日から日月火まで、肉をがつがつ貪り食おう。お肉様々だから、その肉に涙を流して感謝をささげる。この頃まじめに断食するキリスト教者がいるとは思われないけれど、昔々のユダヤ仕来たりだったに違いない風習について、そんな子供じみたことを考える。

上にあげた似ているアルファベット綴りの語彙的由来は幾つかの説があって、それらはネット検索で分かるので割愛する。じつの姿は肉で腹を満たし酒を飲み歌を歌うドンチャン騒ぎなのだ。散々飲んで食べてカッポレ踊るのが公に許される。それゆえ旧教圏諸国はカーニバル休暇をこさえているように思う。仕事より大事なのがカーニバルだから、役所も民間も機能しない。それなら、休日週にするのが賢明…。

宗教起源とカソリック拡大域を考えると、その信仰圏全てのカレンダーに組み込まれている筈だ。US保守層はキリスト旧教派生諸宗に属するから、米国全土で行われて良いのだ。US移民の核はピューリタンと同時に独逸人で、その半分は旧教である。伊太利移民を言うに及ばず、南米から侵入したスペイン系もしかり。事実を知らないが、理屈はそうなる。

キリスト旧教を考えると南米全てを含み、北米のカナダも恐らく同じ筈。フランスからの移民によって占領された5大湖北側は、したがってカーニバルが盛んでなければならない…。理屈で想像するUSカーニバルより、昔フランス語で埋まったカナダメトロポリタン域の謝肉祭の方が本当のような気がする。

カンニバリズム=人肉食に通じると見るのはそのような大胆不敵・無礼御免・グルメ醍醐味の祭…と個人的に思うからだ。世間で知られるカーニバルと言えば、リオデジャネイロにヴェニス、バルセロナ等ラテン系土地である。華やかで大規模、故に大切な観光資源だ。毎年紹介されるリオの巡行は隔離された通りで、入場券を求めて初めて通り左右の観客席に座れる。貧乏人は見てならんと言う催しですね。本来の祭から逸脱して、いささか悲しくかつ憮然とする。

リオほどの観光資源でないが、例えばキリスト旧教圏の都市ならば、規模も仕掛けも人手も決してリオに引けを取らない。発祥欧州カソリック圏を見ると、アルペンに源を発しスイス・ドイツを下流するライン川沿い都市群のカーニバル行事を考えてみるだけで十分だろう。逆に東に流れるドナウ川沿いも同じではないだろうか…。

デュッセルドルフでは既に1週間、地方テレビはカーニバル様々をひねもすライブで流している。毎年プリンスとプリンセスが選ばれるそうな。祇園祭の稚児が選ばれるのは良家からで、かつて非常に栄誉なことだった。プリンスも同じで、その家は隣近所に酒肴を供したそうだ。今でも名残は見られ、孫がプリンスに選ばれると、年老いた爺婆さんはほんとに嬉しそうにワインを注いでくださる。

Carnival 02

都市だけでなく全ての行政単位(村単位)にカーニバルがあると考えられる。日本の秋村祭りを思うと頷ける。カーニバル実行委員会があり、祇園祭に例えると巡行のひと月前に正式なカーニバル幕開き式が市/村役所で市長を前に行われる。つまり一月にわたる行事と言うこと。地域のお偉方がプリンスとして雛壇に並び、仕来たり通りの日程・手続きをこなしクライマックスの山車(ダシ)行進日にいたり、その後3日ほどの飲めや歌えやが続くのだ。

岸和田のダンジリ祭は迫力がある。危険を伴う祭は古今東西にあり日本は横綱格だ。カーニバルは危険に立ち向かう勇気を見せる祭ではない。10m高の電動仕掛けや工夫を凝らした山車が何十台と出て、その目的は見事な作りとアイディアを披露することだ。勇気を見せる代わりに衣装の奇抜さ、美しさを争う。肉を絶つ前の悲壮な創造力の表現と言うべきか。

巡行に出ない人々はそれぞれ好みの衣装を着こんで沿道にたつ。昔は上さん娘さんが手縫いでこしらえた。旦那と息子は山車のトンカチに数か月をかけたそうだ。みんな手作りだった。今では支那やバングラディシュ製の衣装と付属品になっている。新年/カーニバル/ハローイン/クリスマス等の需要は、花火分野を含め、巨大な``祭産業``を形成している。数千億ユーロ産業などと言われるが、数字の高は良く分からない。

独逸と阿蘭陀のはざまに6千人ほどの村がある。ライン川の流砂を煉瓦など建設資材として加工する産業で生きてきた地域である。しかし建設資材の発展変化によって、それらが斜陽に成り、自治体を支える税収が激減した。6千の人口の町民税主体では最早、自治体として成立せず、役所仕事を隣の自治体に依頼している。給料を支払えないので、数十名いた公務員を解雇せざるをえず、今では村長と数名だけが後始末をしていると言う。ところが、この村に独蘭を代表する典型的なカーニバル・コミュティー・が生きている。

Carnival 03

村人は一年前から出し物のアイディアを練り、秋に山車の構造作りにかかる。ホームメイドのコスティームを用意する人々もまだ多いらしい。カーニバル行列は土曜日午後一杯、ライン土手のコースを含めて村を練り歩くそうな。サイクリングに快適な幅広な土手であるが、ほんとに山車が上がるのだろうか?見てみたいものだ。

夕方に行列がはねる。人々は酒場(=カフェ)廻りを始める。`肉`を食べるのは勿論だが、ビールの口飲みが普通だ。ピルセンと言われる小瓶だが、数を飲むので、酔っぱらう連中もいる。ビールの間に肴をつまむが、やはり腹ごしらえをするそうだ。互いに互いを知る隣人社会が残っているのである。そうして歌と踊りと、男女はキスを交わしながら、馴染のカフェをはしごしてゆく。元気のいい若い村人は朝方まで陽気にビールを飲み続ける。胃の作りが日本人と一寸ちがう感じがする。

早朝に何処か寝場所を見つけ、とっぷりと眠りこけ、夕方に起きる。再びカフェや臨時ダンスホールに向かい、2日目の賑やか祭に興じる。3つ目画像の右カップルは2日目の日曜日は、親友の住む他の大きな町のカーニバルに参加するそうだ。アルコールが入るので、汽車利用である。つまり日曜午後から月曜朝方まで、その町のカーニバルを味わおうと言う算段。バーゼルとケルンのカーニバルはやはり気分を異なえるだろう。それぞれの街に、ヴェネチアのアートたっぷりのマスクが運河を歩き回るように、やはり個性がある。月曜夜に帰宅して、再び眠りこけ、火曜日のカーニバル幕引きにのぞむ。通りを歩く仮装姿の連中は、疲れて寝に帰るのか、あるいはひと寝して再び出かけるのか、二通りがある。

マリオ・モンテ教授のテクノクラート内閣の伊太利はどうなるだろう? イタリアデザイン溢れるカーニバル都市ばかりだから、金欠で貧しくなったりするのだろうか? しかし心配する要はなさそうだ。村役場を閉鎖する方向で進む独蘭狭間の村ですら、カフェめぐりが賑やかに行われるのだ。天下の遊び人・イタリアの人々がこの祭りに節約など断じてする筈がない。どこからかにお金が出てくるのが伊太利なのよ、。と在35年の知人がいう。

ひょっとすると、未曾有の節約法が議会を通過した記念に、開国百年以来の歴史的カーニバルになるかも知れない。土日のイタリア発サテライトニュースでヴェネチアの賑やか、仮面の美女たちを見られるだろう…。


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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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