ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

`別れ`のメロディー ドイツ民謡とエルヴィス・プレスリー  [別れの一]

1978年、南ドイツ片田舎。どこからか聞き覚えのある曲が流れてくる。ドイツ歌謡番組は独特の雰囲気がする。英語ポピューラーソングを歌っていてもドイツの唄に私には聞こえる。その時の歌い手は女性で、アメリカヒット曲のドイツ版を歌っていると思った。日本でヒットするドイツ歌謡曲はまずない。私の記憶なので、オリジナルはアメリカの筈…。

そうだろう?と念を押すように私が言う。上さんベルナデッテと太っちょ旦那マンフレッド知人夫婦がレストランをやっている。L字型席の大テーブルに夫婦と給仕/調理場で働く若い女の子たちと私10名ほどが賑やかに輪になってワインをやりながら和気あいあい。L字型のベンチとテーブルとが織りなすゲミューリッヒカイトなのだ。

この言葉を日本語のひと言に移し替えるのは難しい。愉快・癒やし・和やか・睦まじさなどの集まった状態だろう。それ故に、他国でポピュラーと言えないコーナーL字型の食卓家具がドイツ定番になっているのではないか。ちなみに彼女たちがニッコリ「ナイーン・ナイーン」と声を揃えて私に言うのでびっくりする。両手の人差し指を下に向けて、上下に動かすんですね。ここよ、ここの歌…と。

Drenbach 001
[スケッチ奥に、ドイツ・カントリースタイルのL字型客席が見える。場合によって個別テーブルを2つや3つに繋ぐ。見えないスケッチ手前は明るい窓側で、幅広の長いテーブル一つを囲む文中にあるL字型の場所。スタッフや馴染がくつろげ、かつ‘読書‘机的な場所。百席/名ほどのGaststätte(ガストュステーテ)料理屋。シェフと女将の親戚子供たち、ザビーネとマニュエラにせがまれて描く。薄紙なのでボールペンの緑インクがたまってにじんでいる。なんで緑なのと詰問された…]

そこはライン川傍の小高い丘陵地で、黒い森(Schwarzwald)のはずれにある。メロディーはシュヴァルツワルト昔からある民謡だった。地元の歌をヤンキーのブルースのように言われ、そりゃー誇りをむっくり立てて外国人の無知を正してくれたわけです。

そして幾つかテーブルの馴染客を加えて、友人も女の子たちもみんなで大合唱始めるんです。郷土愛…デショ!あの村の忘れられない場面…嗚呼、コーラスが蘇る。若い彼女たちの表情が浮かぶ。

Muß i' denn, muß i' denn Zum Städtele hinaus,
Städtele hinaus Und du mein Schatz bleibst hier 
……
ムシデン・ムシデンと始まる恋唄。上の一行が本来の題名。Friedrich Silcher(フリードリッヒ・ジリッファー)が1827(徳川家斉の文政10)年に編んだ民謡楽譜本で`正式化`した。歌詞は1番だけが知られ、2&3番は採譜中のジリッファーが1824年に先輩友人のHeinrich Wagner(ハインリッヒ・ワグナー)に依頼した。詩才豊かなワグナーは即効詩人として、今日の形に完成させたもの。

独蘭で専門高等職業学校(≒ギムナジウム)最終年度に実習が義務付けられます(少なくとも30年年前)。これは基本学業を終え、実際の腕を磨くために各地の親方(マイスター)を回り徒弟修業する昔の名残…。Muß i'denn Zum Städtele hinaus、修業のためにここから旅立たねばならない…腕磨きの旅へ出る惜別の情を詠ったものだ。無論ガールフレンドと別れなければならない。恋と別れがムシデンのテーマです。

もとの題名は長いのでAbscheid=別れと呼ばれるようになった。民謡として地方で歌われるうち、徐々に知られ広がる過程の自然現象…。そしてこれを世界のヒットナンバーにしたのはエルビス・プレスリーの縁がある。

23才ロックンロール歌手は1958年3月、徴兵令状を入手。USの徴兵廃止はいつか知らないが、冷戦がはじまる当時は男子たる祖国義務。テキサス州で初期訓練を受け、10月にドイツ・ブレーメルハ―ヴェンに上陸した後、フランクフルト北50㎞の街バット・ノイハイムに住む。

Elvis Presley Collage 02

彼はただのGI(ジーアイ)上等兵にすぎない。しかしUSエンタメ産業の旗手だから、ペンタゴン上層部はひそかに気配りをしたと思われる。米軍基地に押し寄せる西ドイツファンをつっけんどんに扱えば、米独関係に罅(ヒビ)が入ろう。一方、個人として資産家だから、兵舎住まいに代えて始めホテル`緑の森`、直ぐに一軒家を借り、父・祖母・秘書・ファン郎党を集め、早朝6時半にタンク部隊勤務先へ通った。ジープ運転手を真面目に務め、月給78ドルだったそうな。借家は月800ドル(1㌦=360円の固定時代だから、28万8千円)。

プレスリーはドイツ人誰もが知るシュバーヴェン地方(黒い森の広がりとほぼ重なるバーデン・ヴュルテムブルク州)民謡をしばしば聞いたに違いない。レコード化は17ヵ月の義務を終えた後、RCAヴィクター社のドイツ人バンドリーダーを含む音楽スタッフによって行われる。ロックンロール風アレンジのプレスリーソングである。だがこのレコードは売れなかったそうだ。

Got to go, got to go, Got to leave this town, Leave this town

と始まる英語の歌詞はジリッファーがシュバーヴェン語(ドイツ語方言)から採取した原詩にほぼ従うように思う。民謡の原詩と言っても、語句違いの様々なヴァリエーションが存在するのがつねである。また替え歌も作られる。だから、原詩と言うよりも最も当時歌われていた(標準的)歌詞と考えるべきだろう。英語タイトルは作詞=訳詩過程でCan't you see I love you であったらしいが、レコードのラベルれに短い“Wooden Heart”と印刷された。これが分からない。ウッドをSchwarzwaldに解釈すると当たらずも遠からずか。

ウッドュン・ハートは世を風靡した1961年映画GIブルースで歌われた主題歌の一つになる。映画を見たことはないが、ただ当時のジーアイブルースと言う騒々しい現象を覚えている。メロディーはあちこちに流れ、どなたも記憶されているでしょう。

一等兵のような兵卒を何故GIと言うのか、昔その言葉を不思議に思ったものだ。ググると直ぐに分かる筈、それはともかくGIエルヴィス君はジープを運転手する部隊の上司の娘に惚れた。16才の少女プリセラ何とかと言う少女。成人の少女趣味は法違反になる感じを受けますが…、彼は礼を正し、上司の家と自宅との間の少女送り迎えをしたそうだ。

言うまでもなく、7才違いの恋が世間の話題になった。任務完了してフランクフルト基地から帰国離陸する際の彼らの`別れ`が既に芸能ネタとして演出された。エルヴィス自身のこのエピソードにヒントを得て素早く仕立てたのが映画ジーアイ・ブルースだと推理される。

映画では、ロックンロールをこなすGI若者が腰を落として脚をまげて、ムシデン・ムシデンと歌うのだろうか?10代や20代がキャーキャー騒ぐだけの映画に理屈をこねるのもおかしい…、けれども、歌と連携するUS映画ジャンルの一つを開拓した意味があるのではないだろうか。その後、日本でも歌半分スター半分の同工異曲のイージーフィルムが量産されたような気がする。

Elvis Presley Collage 01

続くように発売されたJoe Dowell(ジョー・ドウェル)によるカバー版が大ヒット。ムシデン・ムシデン…シュバーヴェン方言が英語歌詞に挟まって繰り返される。ご愛嬌且つユーモラスに響く。1961年以降、日本語歌詞もいくつかのヴァリエーションが作られ、広く親しまれているようだ。それら日本語詩で歌われると、軽快で楽しい恋唄に私には聞こえる。それを私は、アメリカ由来のヤンキー流行歌メロディーと思い込んでいたのである。

バット・ノイハイムに`緑の森`ホテルと借家ゲーテ・シュトラーセ14番は今も存在して(他プレスリーと関わる土地と同じように)毎年プレスリー祭を開催するそうな。基地のあった近くの町フリードベルクに、エルヴィス・プレスリー広場があるそうだ。

こうした情報をあのレストラン女の子たちが詳しく説明してくれたのを今思い出す。プレスリーの麻薬や薬多用による不幸な死が先年の1977年で、ホットな話題である。没後に世界中ファンがテネシー州メンフィスの屋敷を訪れた。事情はプレスリー・ドイツ滞在の足跡が残る土地も同じであったと思われる。

2012年、ロックンロールとバット・ノイハイムを結びつけるドイツの人は殆どいまい。そこは小さくて静かな、そして無名の町にすぎない。今は昔、シュバーベン人情に溢れるレストラン、、そこで活き活き働いていたロックンロール世代の彼女たちも恋をして家庭を作り、還暦の世代になっている。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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