ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Miscellaneous Human History 雑史/外伝

ダンツィヒ=グダニスク 二次大戦勃発と共産主義崩壊のメモリアル

何十年も王様でいる人たち。死ぬまでお山の大将でいたい人。その典型として、たまたま第三帝国の崩壊で12年に留まったアードルフ・ヒトラーを材にしてみよう。

ドイツテレビネットワーク(ローカル局を含め何十/何百あるか不明)にしばしば、彼と1933~1945年に渡る期間のドキュメンタリーが放映される。それらは膨大な文献資料と映像を基礎にしている。切り取り断面も事象に対する解釈も異なるフィルムの数々である。制作者はドイツ人を含め国際的であるから、方法と視点のヴァラエティーがあって興を引く。

AdorfHitler collaga 01
末期1945年3月頃。追い詰められたべルリンで若いSSを励ます。

ヒトラー12年よりも長い21世紀の現役は数多い。大統領2期を務め、法をごまかし3期目狙いのセネガル85才のオジン殿。2期目の途中5年任期に延長して、その後5年の代理を立て、いま晴れて3/4期目を狙うプーチン御大。民主的に大統領2期までと譲歩、しかし親父を世襲して既に務めた2期を勘定せず、通算20年しようと言うバッシャード・アサド跡継ぎ。

表現/報道の自由のある民主主義国家ならば、3期目を迎える首班は稀である。人心の変わり易さが政治に反映するのが民主主義である。欧州に独コール政権16年と伊ベルルスコーニの通算17年の例がある。後者は財力とメディア独占による長期居座り。前者の4期目は帝王ヘルムートに意見出来る雰囲気でなく、弊害がめだった。

自由な社会は、長くても2期8年で首班を変える…。それが普通と言えるのでは。それが望ましく健康なのである。もし3期以上になるなら、何らかの悪が背景にある。言い換えれば民主主義が機能しない欠点がみいだされる筈だ。諫言者がいなくなり、俺は正しいと…その無意識なおごりに気づかない。バルケネンドと言う蘭国宰相はこの近年例。3度倒閣し、4度目もすると言い張り見事に大敗。誰も真意を伝えられないキリスト教民主党に成り下がっていた。今は凋落デスネ。

アラブ/アフリカの王様達はムバラク/ガダフィーのように概ね独裁者である/だった。表現の自由はなく、戒厳令状態を維持し、政敵はすぐに牢屋へぶち込む。陰鬱な治安体制だ。同じ取締り方法がKGB後身である国家安全局によって、露西亜プーチン12年に於いて採られている。2期8年で人々はバランス感覚を採ると言う私的公式に従えば、プーチンと例えばモロッコ君主ムハメドも、民主主義者を装いながら、中身はアサドと変わらぬ独裁者になる。

AdorfHitler collaga 02

二次大戦はダンジグ(=ダンツィヒ)から始まった。
そこは東海(=バルチック海)に面する港湾都市。この街を核とする地域は一次大戦処理のヴェルサイユ条約でドイツから分離された。ドイツ人居住地方が実質ポーランド領かのような自由都市区になった。ドイツが甘んじて受けなければならない屈辱の一つ。ポーランド(波蘭)は海へ直接つながる回廊を得たわけ。5%ほどの波蘭人は町の名をグダニスク(=グダンスク)と呼び、ヴェルサイユ条約1920年以降、その波蘭名が公になった。

ドイツ人即ち東プロイセンの人々が95%を占める地方をドイツ本国から切り離すアイディアは1世紀前のナポレオンによる欧州再編成の轍を踏んだもの。小男ナポレオンに大柄なルイーズ・フォン・メックレンブルグ(参照:2011年11月18/19/22序中後編)が「ドイツにひどい仕打ちをしないように」嘆願した場所ティルジットはダンツィヒの言わば隣村の自由区でした。

ナチスの目的は一口に言って、独語圏をまとめた後さらに地続きを領土に組み込む帝国の建設だ。生存圏/レーベンス・ラウム(Lebensraum)を、ビオトープと似た生物学的概念のように受け止めても良い気がする。ヒトラーはこれをMein Kampf(我が闘い)の一つの争点にした。

マイン・カンプはミューヘン革命による投獄10ヶ月の間に助手ルドルフ・ヘスを得て執筆した「民族社会主義運動」と「嘘/無知/怠惰に対する4年の戦い」`と言う前後編の著作。彼が政権につく前後、複数の加筆者によりマインカンプとしてまとめられたそうな。今読み返すと、絶叫型の演説と同じで論旨不明な良く分からない箇所に満ちているように思われるが、大量に売れたんですね。毛沢東の`赤本`が数百万部発行の大ベストセラーの如し、指導者フューラーの本も印刷を重ね、同時に増加する党員の聖典になった。

レーヴェンス・ラウムと言う彼の標語は``大東亜共栄圏``に重なる思想と言うか理屈に思える。棲息範囲をテリトリーと言うのだろうか。何らかの手段を用い我が地であることを示す行為は動物の本能なのだろう。尿をかけて回る、縄を張る、石を積む、、動物によって様々である。

レーベンス・ラウム概念に惚れたヒトラーはドイツ語を用いる北端ダンジグ地方も東端ズデーデン地方もドイツに所属しなければならないと考えた。墺太利(オーストリア)併合を果たした1938年ミューヘン会議後、ほんの束の間、世界を安心させヒトラーは翌年このダンツィヒを攻撃。

国際自由区だから、ドイツの練習艦も停泊していた。日華事変を始める関東軍謀略と並行するかのように、砲撃正当化の策略を準備をした。9月1日練習艦の砲が港湾施設をたたいた。すぐさま西側ドイツから機甲師団が入り数日後にダンツィヒを占領/奪還。これに呼応して波蘭と同盟条約を結ぶ英仏が宣戦布告、二次大戦の火ぶたが切られた。あとはご存知の通り、電撃作戦によりあっという間に波蘭は蹂躙される。

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が大不況を背景に1932年選挙で第1党になり、それからの数年に起こってはならない非民主的独裁への議会手続きが実際に起こった。親衛隊(SS=Schutzstaffel)急成長と大統領ヒンデンブルグの死、、、急激な変化が党内の粛清=殺人と言う暴力装置と同時に進行した。例えばそれまで機能していた多数政党制が禁止になる。アードルフ・ヒトラーがむくっと牙をむき出す数年が何故起こり、人々が何故それを支持したのか? 戦後ずっと、現在なお、誰も信じることが出来ない。 

数多くのドキュメントや映画は、起こってはならぬことが起こったのは何故か、その解明への試みかもしれない。ドイツ人による初めてのドキュメントと言うのを、1978年頃ハンブルグで見た。小さな映画館は驚愕の静けさだった。白黒フィルムの題名を忘れたが、公私で異なるヒトラーの声音、演説の巧みと小道具大道具を用いる演出の効果を解説。人々を酔わせる状況を映像コラージュで納得させる。彼はプロパガンダの天才だった。それに乗せられた`我らドイツ人`の自責の念を表明する映画だった。話題になったが、ドイツで見る人は少なかったと思う。

21世紀に興味深かった映画作品はDer untergang(没落、ヒトラー最後の12日間)。秘書だった女性(トゥルディー・ユンゲ)回顧録をベースにしたドキュメントタッチの映画を見た方は多いでしょう。フューラーに忠誠を尽くす宣伝相グーベルツ夫婦による子供たち6名への毒薬投与場面は痛ましく悲しい。証言者による細部の信憑性が感じられる。

Hitler und Helga Gubbers    
ヒトラーが可愛がった宣伝相夫婦の長女ヘルガ、両親による殺害当時12才だった。両親は崇拝者のイニシャルHを子供たちにつけ、ヘルガはその一番目だった。思春期にかかる年齢だから、カプセル薬で良く寝られると言う母親の言葉を疑い、飲むのを抵抗する映画場面が脳裏に焼き付く。

トゥルディー・ユンゲは1945年4月30日ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚式と自殺(銃撃音を聞く)に立ち会い、地下要塞/司令部からの脱出グループに加わった。地下鉄を伝い明るいベルリンの町にでた。その後どうして真南のバイエルンまで逃げ延びたのか、映画は語らない。バイエルンは米軍パットン将軍指揮下の第三軍駐留/占領地だ。尋問を受ける。若い女性と言うこともあり、間もなく釈放されたんですね。デル・ウンテルガングの末に彼女のインタヴューが付加されている。総統が`化け物‘であるのを彼女が知ったのは尋問を契機にして、バイエルンの強制収容所ダッハウの地獄が明らかになる日々だったと言う。

ダンツィヒは1945年後、波蘭に再編入された。西の本国に強制立ち退かされたドイツ人に代え、波蘭人が`植民`して、名実ともにグダニスクと言う波蘭の土地になる。波蘭はしかし、支配者を取り換えたに過ぎない。グダニスキと上述ティルジットと間に国境が敷かれ、かつての東プロイセンはバルト3国もろともソ連に呑み込まれる。第三ドイツ帝国が共産ソヴィエト悪魔に変わっただけですね。

現在の自由なポーランドに解放されるのはLech Wałęsaを指導者とする`団結`運動を待たねばならなかった。地元発音を知り合い波蘭人から聞くと、レフ・ワレゥンサのように響く。1980年頃だった、バスで通勤する長い時間に聞くラジオが盛んに波蘭グダニスク発の民主化ニュースを伝えていたのを思い出す。ソ連と直結するヤルゼルスキ―将軍下で収監され、釈放後も秘密警察につきまわされ、それでも運動を進めた。

十年一昔。1980始めから90年まで。グダニスクから芽生えた思潮が共産主義崩壊をもたらした。砲弾を伴うダンツィヒから始まったヒトラーの波蘭侵攻は1939年である。半世紀後にポーランドは(そして東ドイツも)独裁軍事共産政権から解き放たれたと言うこと。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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