ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Miscellaneous Human History 雑史/外伝

オレンジ・マーチ / Orange March {Update}

昨日7月1日。旧暦呼称は文月。新暦とのずれを知らないのです。実際はともかく、ふみをつづると言う気分が良い。

昨日ベルファストでオレンジ・ウォークがあったとラジオが伝えています。北アイルランド歩兵大隊が1916年の西部戦線ソンムの戦いに出陣、ほぼ玉砕。当時ブリテン連合王国の植民地・北米東端ニューファンドランド島からの一大隊も同じ運命だった。幾つかの大隊が消えうせたのではない。西部戦線は数十の師団が雲散霧消する空前絶後の人命消耗戦だった。

parade in north Belfast 060

北アイルランド部隊は、イーぺル(補註1)に続く壮絶な塹壕戦に散った。その同胞を偲ぶ市中行進。人々の担ぐノボリは橙色、柑橘類果物またはその樹木の色を象徴している。地中海に近いオレンジ郡を神聖ローマ皇帝からもらった家臣ナッソウ家由来である。オレンジを加えたナッソウ家筋が現オランダ地域の代々頭領職を受け継いでいる。

首都ベルファストだけでなく北アイルランドあちこちで間もなく、小さなオレンジ・マーチが繰り広げられるそうな(12 July)。同じいくさなれど、直接の由来はプロテスタントがカトリックに勝利したアイルランド本島ボイン川の戦い。元禄三年、油の乗り切った芭蕉が活躍した頃になる。徳川治世下・平和なる日本と血みどろ宗教争いの欧州とは雲泥の差がある。

精鋭を乗せた輸送帆船が狭いドーヴァーを埋め尽くしたと言われる。1688年にブリテン大島に渡ったオランニェ公ウィレム三世(英:オレンジ公ウイリアム3;補註2)がカトリック専制君主で義父・叔父ジェームスを追い出すドラマ。名誉革命と和訳されるこのクーデターは、旧教の王政を絶つべき新教アングリカン組織の賢者=指導者達によって推し進められた。‘名誉`は血を流さなかったと言う意味。

翌年ハーグから従妹/妻マリー(メアリーと書かれることが多い; 補注3)が生まれ故郷ロンドンに"凱旋"帰国した。27才妻は后であるよりも、夫と同じ君主位につく。国民をおもんばかったウィレムの政治配慮である。ブリテン史上のユニークな共同統治である。文書に記される制度上の嚆矢と思われる。マリーは実際、戦いで留守の多いウィレムに代わり政務をこなしたそうな(補註4)。

嫌で嫌でならなかった政略結婚ながら、彼女は一夜結んでからは、妊娠中にも戦場の亭主を見舞うなど夫を良く立てた賢妻だったようだ。不幸にも数回の妊娠すべて無に帰したと言う。ロンドン住まいになってから妹アンと気まずくなったのは、無骨で気の回らぬ武将ウィレム絡みであった。アンの亭主とか、アンが重臣チャーチルの上さんと大の親友とか、左様な宮廷事情にウィレムが無頓着だった。

parade in north Belfast 060-5

オランダ・カルヴァイン派の頭領を招聘したブリテン・プロテスタント軍勢合わせて三万五千(内9000が精強なプロ蘭軍人だった)が、ジェームス軍二万五千とぶつかる。ジェームスはフランス王で従兄弟のルイから軍勢をかり、それに北アイルランドとスコットランド旧教勢力を合体して、ダブリンの南に陣を張った。ナッソーの若造ごときに王位剥奪された故、カトリック主導を奪回しなければならない。ボイン川両河岸はそれぞれの歩兵騎兵で溢れた。

ブリテン諸島の土壌で行われたキリスト教両派間の多くの戦闘において、ボイン川戦いはもっとも現代にまで禍根を残す一つではないか。豊臣と徳川の二大勢力が天下を分けて戦う十七世紀初頭の合戦に似ていないこともない。日本の場合は宗教が主因でないので、ほっとする…。欧州の戦役はほぼ常に宗教に根差すから、憎悪に満ち凄惨である。

ベルファストのオレンジ・ウォークの色はやや遠く離れた地中海沿岸みかん由来。みかんを冠する家系がブリテン新教の親分になった。言わばブリテンは大陸の小さな国に占領された。それがカソリック信奉のアイルランドでデカイ顔してマーチを展開する。IRA(アイ・アール・エー)支持者にとって、横着なマーチに見えるのは自然である。

言葉も政治もブリテン本島に抑圧されたカソリックたるアイルランドは強者に対する戦いの歴史を持っている。数年前、本島(Great Britain)の王様連合(United Kingdom)国家の女王がアイル島を友好訪問した。元首の初海峡越え、歴史的な`仲直り`ジュスチャーであったそうな。

[2011年7月02日]


【補註】;
1.Ieper, West Franders in Belgium. November 1914~。バイエルン連隊の伝令兵でオーストリア人Adolf Hitlerが活躍した戦地。兵器としてガスが初めて使われた。 
2.Prince of Orange of the House of Orange-Nassau William Ⅲ(蘭:Willem)(1650-1702). 'Stadtholder' of the Dutch Republic from 1672-till his death. The king of England, Scotland and Ireland since 1689.
3. Mary Ⅱ(30 April 1662 – 28 December 1694). 和訳はマリア/マリー/メアリーなど。
4.ブリテン王としてのウィリアムの生涯はフランス旧教王ルイと彼から支援を受けるジャコバイト派 (Jamesのラテン綴りJacobusより) 勢力との戦争に費やされている。マリアの父親、かつウィリアムの叔父にあたる旧教者ジェームス二世の復活を目指す主義と勢力。1702年ウイリアムの死は落馬が原因と言われる。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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