ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

ボヘミアのテニスとスコダ事情  <ボヘミア編の中>

ボヘミアはその言葉で”チェッヒ”か”チェスコ”か? Čechy もčeskoも見るから、仮名でチェキかチェコあたりで良いのだろう。89年だったか共産独裁の息が途絶える時、脚本書きだと言うハヴェルが、プラハの春を進めたドプチェクと並び演説していたのを思い出す。

ワルシャワパクトの戦車群が1968年8月突然プラハを占領した時、西側は驚愕した。ドプチェクはブレジネフの秘密警察によって連れ去られ消されたと思っていた。こう言う酷い間違いをするのが普通人...です。子供達は小さく忙しいのでCNNもたまにしか見られなかった。とまれその時、名前だけ知っていたドプチェクを画面にみて、歴史の一瞬を見ているんやナーと感慨深かった。

ボヘミアが気に入って、我ジュニアーは数度訪れた。彼らは各駅電車に背もたれ自転車乗せて乗り換え乗り返して終日かけてズデーテン国境に達する。ドイッチェ・ブンデスバーン(DB)利用奨励アイディアで、例えば三週間後の同じ土日に帰り、例えば夫婦2人で列車代しめて三千五百円。とっかかリのズデーテンから仰向けにペダルを漕いでラーべ(エルベ)川沿いに東進する。ユーロ圏に比べるとまだチェヒ物価は安いから、プラハのディスコを満喫できる。

チェコスロヴァキア時代からスコダと言う車が、ソヴィエト連邦ラダと並んで、西側に輸出されていたようだ。典型的な共産国生産車で、東ドイツのトラバントと同工異曲のお粗末な車だった。わずかしか売れないから所有感をもてる車だったかも...。

ハーヴェルが共和国大統領の10年の間に、フォルクスワーゲン傘下になり、旧東欧共産圏で生産される車の中で、唯一のまともな評価を得ているブランドであろう。給与も物価も徐々に上がりこれまでの強い低コストメリットを失いつつあるけれども、オーストリア・ハンガリー二重帝国における軍事産業を支えた技術の伝統をスコダにうかがう事が出来る。スコダの機関銃や野砲は良く知られる。

自転車からオートバイやトラック生産会社と武器製造スコダが一体になり、本拠地ピルチェンで発電機から戦車まで生産。第一次大戦中、欧州トップを争う複合企業になっている。ハプスブグル帝国崩壊した戦後はチェコスロヴァキアの重工業企業として継続発展したのだが...。

20年後、ナチ第三帝国に呑み込まれ、やがて不幸にもソヴィエト衛星国になり、長い半世紀にわたる冬の時代をすごした。四世紀さかのぼるボヘミヤの冬が連想される。スコダの技術は赤茶け錆の出た工場機械のように足踏みしたといわれる。1992以降のボヘミアの産業形成は良くも悪くもスコダの技術イメージに左右されているように思われる。

プラハのカルル4世橋

首都プラハ30体彫像が並ぶカルル4世石橋を毎夏埋める日本の方々を避けて、ビール好きなサイクリストたちは本場ピルチェンに向かう。途中で、プラハ郊外のようにテニスコートやフットボール場を良く見るそうだ。テニスの国だ。ウィンブルドンまとめて女性は11回勝っている。三週間前に芝コート優勝戦ライブ中継を雑用しながら観戦した。

イヴァン・レンドゥルと言うチェコスロヴァキア時代の名選手がいる。ボリス・ベッカーと共に80年代男子テニス界を制した。他グランドスラム(GS)を8度勝ち、ウィンブルドン芝コート決勝に2度進出したが一度も勝てなかった。ベルギー連邦ワロニア(フランス語圏)のユスティン・エナンは七回GSを制し、ウインブルドン決勝2度進出していずれも破れ、女子テニス界のレンドゥルになった。

女子で背丈1m80-90cm、オランダ北部で普通、南部でも珍しくない。テニスで長身はサーブに有利であり、このごろ梯子のようなプイヤー同士の試合も珍しくない。ライブで見たマリア・シャラポヴァvsぺトラ・キヴィトバはそんな試合の例だった。ただ珍しかったのはロシア対ボヘミアの組み合わせ。ロマノフ帝政とハプスブルグ・ボヘミアが合戦したかどうか考えてみたりした...。

3才若いボヘミアン・ガールが圧勝した。プラハのカフェーを埋める人々が歓声をあげて喜ぶ様子が全欧に伝えられた。オール・イングランド・ローン・テニス選手権をボヘミア人が勝つのです。レンドゥルの残念があるとは言え、言い換えれば二度の準優勝。ボヘミアはイングランドに縁が深いのである。これは過去の歴史に示されている。

チュウダー朝エリザベス女王に打ち首にされた意志の人、マリー・ステュアート(Stuartの他にStewartもある)の孫娘にエリザベス・ステュアートと言う人がいる。イングランド/スコットランド/アイルランドの三国を一身に束ね、これから欧州と北米大陸の利権を拡大しようとするスチュアート朝初代君主のプリンセスである。父親イングランド王ジェームス一世はもちろん、そのために最も利益を期待できるプリンスを物色する。

ステュアート朝はその後1世紀あまり続くから、家系に多くの同名がでてくる。ジェームス1世の娘エリザベスを"鑑定”する特徴は二つある。一つは初代エリザベスと同じように、彼女は66才と言う当時の長生きをして、それゆえ子宝に恵まれたこと。これが欧州王室史にそれなりの刻印を残した。二つ目は彼女がボヘミアのエリザベスと言われることだ。



[記:2011-07-28]
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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