ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Sport スポーツ/ホビー

日蘭ヴェテラン軍人の出会い at The Walk of the World (歩け五輪)

Vierdaagse 10

96ste Vierdaagse van 17 - 20 juli 2012と言うのが今年の地元呼称。
一般にVierdaagseフィア・ダーフセと知られ、英語にFour Days Marches Nijmegenと移している。35年ほど前、日本の方が「歩け五輪」と呼んだ。オリンピックに値する行事と言う言わばほめ言葉。既にその頃、日本女性で参加十数回の猛者がいて、ウォーク・インターナショナルとしての実感だったのでしょう。

東松山市と言う町が、地元お越し行事として三日間ウォークを企画し開始した。元祖ナイメーフェンと並ぶ意気込みだったようで、ナイメーフェン市との姉妹都市提携に盛んに取り組んだ。贈り物は言うまでもなく、市幹部の招待や青少年の交流など熱心な努力がされたようだ。4日間に4つの異なるコースを30/40/50㎞を歩く。コースに当たる町や村に、ソメイヨシノと思われる桜が、また数カ所に日本の記念碑が寄贈建立されているのを目撃する。

Vierdaagse 01
姉妹の都市! 三日めの七つの丘のコース。上がり下りを繰り返した後、ゴールまで数キロ地点の沿道。午前11時頃、この当たりまで達しているウォーカーは少なく、道は空いている。幼い子供たちも声援…時ならぬ歩け歩く人々に目を丸くしてしている…。 主軍と言うかぺロトンが来ると、歩く踏み場もないほど混雑するから、こんなゆったりのどかな雰囲気から遠い

この姉妹都市話は実現しなかった。どうやら些細な理由があるらしい。当時日本を代表する歩け歩け組織のお偉方(副会長?)が大日本帝国の軍人(東印占領時代の将校と言われる?)だった。平和な時代の歩け組織が旧軍人キャリアーを必要とした…のではなく、戦後の歩みが彼をして歩け活動へ向けたのだろう。一方同じように、インドネシアに於いて捕虜になり強制労働に従事した蘭人がオランダサイドの歩け組織に属していた。

蘭日の両組織の出会いだったのだろうか…、オランダ氏が日本氏に出会って、ハテ?と首をひねった。オランダ氏は数日、記憶を探ったと思われる。遭遇した日本人が半世紀沈んでいた記憶を呼び起した。若さが老いに変わり、しかも普段まったく接触の無い異邦の地に居るのだから、普通だと他人の空似になる。しかし過去の憎悪がオランダ氏を駆り立てた。万が一にもあり得そうにないことを確かめたかった。数日後に日本氏に丁重に半世紀前について質問をしたのだった。

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気温18度、雨模様。バスタブに湯を入れ、バンドに合わせ歌を歌い大声援。昨年はカァーッと暑い夏日和だった。観衆も歩く方も、夏姿で、このビキニがぴったりだったのだ。しかし今年の天候は振るわず…残念。しかし彼らは元気一杯

かつての軍人ならば、声を大にして言わないけれども祖国に尽くしたと言う自負がある筈だ。フィリピンから生還した叔父も、短い軍属だった親父もそうだった。赤紙を受け取り、故郷の連隊駐屯地に配属され、やがて戦地に行き使命を果たす。それが男子たる勤めだった。

高齢のお偉方は尋ねられた故に正直に答えた。オランダ氏は彼自身の半世紀前の記憶が正確だったことに驚き、ヤパンカンプと呼んだ強制収容所体験を蘇らせたと思われる。貴方は当時の行為をどう思うのか? 貴方は我々に謝罪をすべきではありませんか?片言の英語によるやり取りの筈だから、意思伝達が充分だっとは決して思われない。彼らはかなりの頑固な老人たちであり得るのだから、目撃且つ陪席した歩け関係者がなりゆきに驚いたと伝えらる。

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色々な食べ物サービスがある。子供たちもこうしてさまざまなキャンディーや小切りキューリ・ニンジン、イチゴやリンゴを提供してくれる。コースに沿うパン屋は葡萄入りパン、酒屋は小瓶のビール、果物屋はバナナ、と言った塩梅で励ましてくれる。飲料や各種食品メーカーは4コース通じて宣伝部隊を繰り出す。また多くの趣味スポーツクラブや会社や団体組織が万事を用意して、歩いている仲間の面倒を見ている。現在はスマホの時代故、娘や夫が何処を歩きどんな状態か分かるので、食事他の面倒を見る家族サポート部隊は近道に車を走らせ、家族が来るのを待機している

二次世界大戦のヴェテランが4日間歩きの蘭日交流で喧嘩をした。平和な歩き行事に昔のおぞましい戦いの軍人が絡む、、と言うので眉をしかめる人が多かった。奇遇にも過去の苦痛を思い出させるかつての敵国人が現れた。オランダ老人に戦後は終わっていなかったのだ。

ヤパンカンプとは、1972年昭和天皇の蘭国公式訪問時の卵投げ事件と、その前後に続いた喜劇人ウィム・カンによる狂信的`ヒロヒト=ヒトラー説`形成の動機になっている。ウィムは強制収容所経験者である。こうしてオランダ氏は姉妹都市提携話にプロパガンダネタを播いた。名も知れぬヒガシマツヤマと20世紀もの歴史を持つ欧州屈指の古都ナイメーフェンとでは格が合わぬ…、かの御仁が言ったそうな。既に幾つかの提携都市があり、市議会の予算承認を得られないと言うあたりが、言わば東松山市への非公式返事だったのではあるまいか。 

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マイクを通じて小噺/ジョーク、時に背後の仲間のコーラスと合わせて賑やか。音響装置とヴァラエティーに飛んだ動物鳴き声を披露するユニークな‘フィアダーセ‘プレゼンテーション。4日間を通して自分の趣味活動を公に問う人はかなりいるそうである

この行事は軍隊の訓練から始まった。ヘウメン草原と言うナイメーフェン外れに、5千名収容の仮設バラック群が作られ、かつての連合軍諸国からのフィアダーフセ参加兵隊諸君の宿舎になる。軍兵の訓練である性質は継続されているのだ。行軍とは軍隊誕生以来の基本的行為である。欧州の十字軍史は行軍の一里も二里もの塚である。

EU各国軍の参加希望が多く軍まとめの蘭陸軍は調整に大変らしい。彼らは一般市民より遙かに余分に歩く。それは毎朝毎夕ヘウメンからスタート・ゴール地点までの往復である。そして平均10kg背嚢を背負う。銃を持つ国/小隊もあるようだ。するとぐっと重くなる。

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雨が降りだした。老人ホームから繰り出した観衆に、介護メンバーが薄いレインコートを配っている。軍隊ユニフォーム女性はノルウィから今年で4回目。スエーデン・デンマークと共に北欧から合計5大隊くらいが毎年参加しているようだ。通過コースの人々が通り名の幕を張り、風船を飾っている。テントにはもちろんツマミ・ドリンクを揃え、音楽と共に踊りつつウォーカーに拍手をおくる。

戦後に連合国側だけだった。しかしドイツ連邦軍の参加を今では欠かせない。西ドイツが東ドイツに対峙する冷戦時代、北大西洋条約軍の主軍としてアメリカ陸海空軍と海兵隊が西ドイツに駐在した。これを補佐する形で育った西ドイツ軍隊の若者たちが、やがてアメリカ軍諸君と共にフィアダーフセに行軍するようになった。

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僅かだったが、夏らしい太陽がでた。バルコニーからビールを飲みながら陽気に声をかける連中も多い。住宅街通りだと思い思いのテキストの幕や、参加国先の国旗を飾ったり…

かの蘭国歩け組織の老人も帝国陸軍の老人も、既に冥界だろう。天国か地獄か、神がどのように裁いのか知る由もない。万が一、かの日本人は収容蘭人に理由なき虐待をして多数を死に至らしめたために、地獄に落とされたかもしれない。万が一、かの蘭人は日本軍上陸以前に行った支配者側圧政故にやはり地獄行きを宣告されたかもしれない。あるいはその逆もあり得よう…

日本将校の振る舞いや、軍曹の2等兵に対する淫惨な扱いを描いた戦無派作家のレアリズム作品を読むまでもない。いつの世にも状況次第で豹変する個人が現れる。悪人が戦争に絡むと不幸だ。時々に変更される‘歴史‘が善悪をひっくり返す場合もある。またUS映画にインドネシアにおける日本軍管轄下の強制収容所物語が幾つか存在する。早川雪舟などヘボ役者が出てくる。ハリウッド製作のドイツやっつけ映画と同じ類の三流エンターテイメントである。

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40㎞が標準距離。60才以上は30㎞。歩行専門家向きと言おうか、50㎞の長距離がある。50㎞走破のメダルも回数による違いがある筈だが、40㎞のメダルより立派に違いない。朝早い4時半スタートのカテゴリーのようだ。コンパスの広い速足の人が多い。時速7~8kmで7時間で50㎞走破する‘専門家‘に驚かざるを得ない。歩行中に何度もチェックがある。と言うことは、やはりメダル集め目的の近道をするズルがいる/いたのだ。ゴールすると、それぞれの距離と登録区分けグループのテントにてこの日の`チェックアウト`を行う。

ヤパン・カンプの蘭人受難(女性/子供を含む数万の犠牲者…)物語は日本で一般に知られず、蘭国では誇張されて伝えられている。そのあたりの外交読み不足が戦後続き、歴代首相はただ頭を下げて陳謝してきた。海部首相-皇太子ご夫妻(現平成天皇)訪蘭がピークだった。支那・韓国への対応とほぼ同じ経緯をたどってきたと言うこと。日本からこんなに屈辱を受け、ひどい目に合わされてきたのよ、ナントカもっと誠意を見せたらどうなの…と言うのが関係団体の常套手段。戦後30~40年経過、為すべき基本事項は合意/処理されている。関係団体/議会-政府、彼ら自身の精神の貧しさを露呈しているに過ぎないのだが…

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午後3時ころ、参加者の殆どがスタート/ゴール地点に帰っている。雨が降り過ぎたり、暑すぎたりすると、落伍者数が増加する。落伍者は2日目が最も多い。訓練・準備不足が2日目に現れると言うことらしい。しかし3日目に苦しそうな参加者が出てくる。4日目は晴れの完走ゴールのマーチングであるから、沿道は群衆でうまり歩く大群と共に嬌声とマーチ音楽の響く祭騒ぎになる。この醍醐味を経験すると、来年も参加したくなると言う。こうしてものすごい回数の歩きツワモノが居る分け。ウォーク開始前から、都心に数十の仮設舞台が立ち上がり、夕方から深夜(01;30)まで音楽をかき鳴らす。生バンドでこちらも足の踏み場がない。フィアダーフセはヴァカンス期間の夏祭りの一部分で、3週間継続する。4日間自転車廻りやワール周航など人手を集める。

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4万人以上のウォーカーたちの殆どが午後3時頃に通過した後のある村。観衆はまだカフェや仮設テントに群がり余韻のアルコールや話に興じる。手前の2名はウォーカーである。午後4時頃になると、間隔をおいて何組かのポリス・パトロールバイクが通過する。まだ歩いている‘遅れ‘組のウォーカーが居るためである。午後5時頃にパトカー、救急車、最後の組織運営カーなどの車群がシンガリ役目でゆっくりと通過する。これより後の参加者は失格する


ヴェテランは去る。喜劇人ウィムも逝って久しい。かつての17才の半世紀後は67才の熟年である。長生きの時代ではあるが、恐らく30年後は冥途からのんびり下界を俯瞰できる。そこから眺める真実を子共/孫たちは歴史として学ぶだろう。

[参照:2011年7月22日 : Vユニオン・ジャック 旗の下で]
フィアダーセ公式(英語)ホームページ
http://www.4daagse.nl/en.html
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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