ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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The Harvest Moon 中秋の名月

日本列島の夜空を見上げると、こんな大きな満月が見える。関西の友人Kさんから贈られてきた中秋の名月。 上手に撮られている。月面の青い模様が濃紺の背環と微妙なコントラストをなしている。パターンは兎の餅つきで無いようだ…。写真であるが、近くに大きく浮かぶ月のイメージに接したのは何時だったか? 遠い昔だ。中秋の名月と言う言葉もずいぶんと久しく、懐かしい。

中秋の名月の画像を、実はKさんの了承を得ないで↓に掲載。Kさん静かに就寝中なので、夜が明けてから了解を得たい…。団子をそなえ、ススキを立てて、縁側で満月を眺めたのを思い出す。お袋が歌を歌ってくれた記憶がある。どんな歌だったか? 「月を崇めて、秋の風情を味わう」程度が精一杯で、心を揺さぶるような感情表現が出来ないのが残念。左京太夫顕輔と言う人の詩も添えていただいている。

            
      秋風に たなびく雲の絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ  左京太夫顕輔

もう一つKさん曰く;今、季節外れの台風に襲われている。
ベルギー23時ニュースの主要トピックは日本から。軽自動車だろうか、石ころのように風に飛ばされている珍しいフィルムを紹介している。何故か「神の風」を思い出した。高句麗か高麗かそれとも百済か?全く知らないけれども、征服した半島人を傭兵にして蒙古が九州を襲った。「神風」つまりKさん仰る季節風・台風にもみくちゃにされ、散々の体で逃げ帰ったそうな。

この蒙古の末裔が清国かもしれない。そして言わばその清の代替わりが21世紀共産支那と言えるのでは…。清国は蒙古と同じ風情で、直ぐに勝てると自惚れ日本に宣戦布告した。支那特有の自己過信現象である。それをこの大陸民族自身分らないんですね。神風が吹かぬ季節であったが、支那の一方的大敗だったのは、皆さん御存じの通り。似た様な惨敗がローマ史にあり、16世紀末フェリーペ2世の大艦隊も同様なシッチャカメッチャカ、QE1の小回り効く軍船に打ちのめされおまけに嵐に翻弄され、わずかが西班牙に生還できたに過ぎない。

支那がセコハン旧ソ連空母ワリャークを外面だけ一人前に仕上げた。清国が19世紀末にドイツに発注した装甲艦2隻(鎮遠と定遠)は馬鹿でかく支那人の手に負えなかった。旧ソ連海兵ユニフォームまがいを着た兵たちを並べた空母がどこでどう外洋基地機能を発揮するのか、もう一つよく分からない。中華支那にとっては、威嚇できる体裁整えが大事なんだ。

`張子の虎`と言う分け。今回のような大風が吹くと、ひっくり返り、近代支那戦史にいつも伺えるように一目散に逃げ出す…。つまり空母たる基本性能が、過重積載トラック数台で潰れる出来立て高速橋梁と同じように、満たされていない可能性がある。神の風が支那法螺を吹っ飛ばすと言う前座の一席になると幸。

今年の中秋の名月は9月30日の夜だそうだ。正確には、30日の夕方から10月1日の朝が明けるまで見える満月と言うべきか。The Harvest Moonと英語彙で、De volle maan rondと蘭語彙でそれぞれ綴る。前者は収穫の時期に見える満月、後者は単に「真ん丸の満月」と言う感じ…。この土地で収穫作業は延々続くトウモロコシ畑だろう。葡萄も9月中旬から10月初旬までか…。他に10月に収穫する穀物・野菜など、私に良く分からないが、ジャガイモやカボチャ…

    121001 The  Harvest moon

私に珍しい満月をいただいたので、さっそく外に出て探してみる。南22度辺りに発見。この月は小さいながらKさんや沢山の同胞がご覧になった同じ月である。中秋の名月の日付は毎年異なるそうだが…、毎年出る満月と言うことで独蘭でも``愛でる``習慣はある/あったと言う。北半球のどこからも見える恒例自然現象だから、土地によって様々な習慣があって不思議でない…

偶然、金太郎さんと鯉との相撲/格闘シーンを描いたノボリが夜風にはためいている。珍しい組み合わせだから記念に写真を撮ってみる。Kさんのように月が大きく見えないのが残念だが、親父が気合いを入れて注文してくれた男児誕生の旗との共演である。 

収穫祭の満月と言う主題で、主食のじゃがいもでない植物に触れたい。バラ科バラ属の果実の収穫だ。寒冷地に育つ種類だから、チェコ・オーストリアから独蘭まで生えている。白を含める色変わりの幾つかの野ばらはキチンと果実を実らす。下画像の例だと、紫の花びらと赤い果実とからハマナスを思い浮かべる方が多いだろう。

紅い果実をジャムにする。ボケのリンゴ型果実のような得難いジャムになる。日本ではどうして食するのか?画像の種(シュ)はハマナスの兄弟分に当たると思われ、林縁や河川沿いの藪を形成する自生種。乾燥させた葉っぱを茶にしたり、匂い袋に入れ香り材として用いられるようだ。

    Rosa canina 04 Hondsroos
     左の花びらの下に果実が見える。子房下位の植物とはこんな状態になると言う見本だろう。右写真の右上に半分かじられた果実が見える。フランダースのカケス(青と薄茶の日本のカケスに似ている)を見かけたので、彼らにもかけがいの無い中秋の食糧と思われる。

バラ科は大きな科である。本州から北海道の緯度にある北半球の秋に、多くの樹種の実りが収穫されるに違いない。中秋の名月に相当するUK語彙が「実りの秋」なのは面白い。ろくな料理が無かったと言う彼らの謙遜はそれだけ自然そのままを享受した証かも知れない…。酒作りはブリテン人の得意種目で、例えば黒棘酒。充分に熟したサクラ属ブラックソーンの果実も深い秋に収穫するのだろう。その仲間に梅干しがある。東北小南部の特産・梅干、その仕込みを知人に教えてもらったが、それを中秋の名月とつなげることはなかったようだ。

ユーラシアの極東・日本民族は抒情を、極西・ブリテン人たちは`酒情`を選択した…。


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Comment

二つの月

 しんみりと二枚の月の写真に見入ってしまいました。月は人の心を慰める不思議な力がありますね。「あまのはらふりさけみれば春日なる、、」と詠み客死した安倍仲麻呂、左遷されて都の月を偲んだ菅原道真、承久の乱で破れ「配所の月」をながめた後鳥羽上皇、それぞれの心に迫れるような気持ちになりますね。また李白の「月と自分と影法師の3人で孤独に飲む」という詩も思い出します。このページですが巧みな構成と写真と文章におどろきました。「まめ」でかつ「きちょうめん」でなければできない記事ですね。ゆっくり全部拝見せてもらいます。私の住むハノイのはずれの村では、中秋の名月の日には先祖にお供えをしたり、子どもにお菓子を配ったりしていました。しかし月をしんみり眺める様子はないみたいです。「名月や池をめぐりて夜もすがら」は日本人のすぐれた感性があればこその行為ですね。それから別の話ですが、あのうんざりする中共のプロパガンダーへの反撃論、全く賛成です。私も今日からシナ、チャイナと呼ぼうかなと思っています。

新選組

新選組の細部を拝見。ふたつぎさんが扉を当分しめられた。論争と言わないまでも、知らないことの勉強になりますから、少し残念。短い感想=コメントも長いナガイ論文も常に行き違いがあり、補足と追加が論争の手立てではないでしょうか。その過程が読者を豊かにしてくれる…。

久保さんもひろしさんも、歌を愛する方々と言うのは人生のコクを上手に表現される。わたしは眺めて武骨にスケッチするだけですから、情緒も抒情も、ふくよかな気分もありません。楽器を弾いたり歌好きな人々はだから感受性豊かで、うらやましいです。

支那自らローマ字綴り・Chinaを認めています。その日本当て字が支那ですから、正解だと思います。「支那」表記の他の理由は以下です。彼ら自身が用いる漢字表記は「中国]のようで、この中国の音読みがシナなんでしょうかね? その原意が「中華の国」即ち中華人民共和国では…。共産一党独裁国家が共和国ですから、数多い出鱈目「正式国名」の一つですね。中華と言う奢りを私は嫌います。さらに日本に中国地方があり、紛らわしいからです。

日本の慣用漢字と読み「支那」を偏見とする意見は北京様々の外務省チャイナスクールの連中からでしょう。この呼称を明治初めに支那が文句を言ったと聞いた覚えがないのです。
久保稔さま、気楽お付き下さると幸です。

続きですが

 お返事ありがとうございます。
 新撰組のことですが、相手方の文章の中に、ある党派性を感じて1回きり 反論してやめるつもりでした。たぶん彼は 私のコメントから 左翼史観を茶化されたように思ったんでしょうね。また「新撰組に歴史的価値などない」というおそろしく野蛮な助っ人が途中参戦したことも 党派性の証左です。党派性を持った人に縷々説明しても無駄です。聞く耳はもたず、党の理論を宣伝するだけですから。二木さんはそこも見通した上で 打ち切りに踏み切ったのでしょう。歌をめぐる楽しい話のやり取りが あのサイトの趣旨ですから、打ち切りのタイミングとしてもよい判断だったと思います。

 中国という言葉は、もともと私の国という意味ですから 漢民族が使うべきものです。中華は美称ですから 俺様の国、おまえたちの野蛮な国とちがうぞ のニュアンスがあります。ベトナムも中国(TRUNG QUOC)といいます。日本同様、朝貢国のなごりでしょうね。今回の反日暴動で「小日本」という蔑称が使われましたが。昔の「倭」と同じですね。倭は萎と同義で、萎縮という言葉にあるように 「ちぢんだ、小さい、チビの」という意味です。5世紀に倭の五王らが使者を送った時、背が小さかった日本人をこう呼んだ、その蔑称が残っているんでしょうね。小さな国ではなくチビの意味でしょう。日本人も もうそろそろ シナとよんで中華文化圏から卒業してもいいでしょう。カメラマンの宮嶋茂樹が シナとはっきりよんで 平和ボケをさますような記事を書いていますね。面白く読んでます。

Tango Minatoさまの記事、圧倒されますね。興味の範囲が広くかつ緻密ですね。植物などは牧野富太郎のような感じで、、。それからリビアなど中東情勢はとくに興味があります。 日本の新聞社には中東の政治情勢をカバーできる記者はいないそうですね。韓国が傷ついてる、シナが怒っている、ばっかりでは記者は そりゃあ アホになるでしょう。

中国のもとの意味

久保さん、
中国のもとの意味、他色々と教えていただき、感謝申し上げます。
共産国家になり、正式国名の‘並び‘から彼ら自身がつづめて‘中国‘と呼び、またそう(日本や韓国の漢語圏に)書かせたいと思っていたのです。

亡父は教育者で北京で働き、戦後もずっと北京からの宣伝雑誌を購読していました。一方、日共の熱心な若い人々を煙たがり、距離を置いていました。彼は北京(マンダリン?)語習得に頑張り、普通に話せるようになったのが自慢でした。90年代初め、新婚時代を過ごした懐かしい北京の住まいを亡母と訊ねています。北京の隣人とさまざま(文化)を愛していた両親は現在の共産帝国主義のような状態を天国から眺め、複雑な気持ちかもしれませんね。

ヴェトナム語を少し解説していらっしゃり、興味深いです。字名/HNから推察申し上げました。

倭と和は発音が異なる

初めてお便りをいたします。いつも興味深く記事を拝読しております。私は言語学を専攻したものであります。久保様のご意見にあります古代日本の正式名称「倭」は、その発音はウア/'ua/('は声門閉鎖音)であり、和フア/hua/のそれとは異なります。倭の字を採用した時代には、声門閉鎖音のある倭と、軟口蓋無声摩擦音hで始まる和は、別々の意味をもつ相互に置き換えのきかない言葉だったと推測されます。しかし「倭」が「和」に変えられた時代には、もう両発音の区別が消滅していたのでしょう。現代日本語では、九州南部、南西諸島、琉球の各方言に、この声門閉鎖音(咳払いの最初の音)があります。また本土(奈良かな)の地名に「あのう賀能」というものがありますが、語頭がア母音であるにもかかわらず、漢字表記には賀を当てております。これは古代日本語にあった声門閉鎖音の痕跡ではないでしょうか。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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