ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Here&there lands 雑なるアレコレ大地

クルディスタン外史  プーティン帝政外交のお粗末にふれて

イラク大統領ジャラル・タラバニがドイツ連邦の病院に入院した、とZDF(南ドイツテレビ局)が報道している。北部イラクで1933年生まれだから80才に近い。重なる仕事の疲労だと言うテキストをアナウンサーが読み上げている。
自国に優れた病院が無く、治安も心配、そこで高齢国家首班は勝れた欧州の病院に落ち着いた。一息入れられる何かあったのかもしれない。

サダム・フセイン政権崩壊後の初選挙2005年、タラバニは`新しいイラク`大統領に選ばれる。イラク連邦はイラク民族シーハ多数派と少数スンニ派、それに北部クルド民族から構成される。前者は現マリキ政権の中枢を担う。スンニ派はサダム・フセイン政権の基盤だった。新大統領は最後のグループに属する。軍歴の後、クルド独立組織に属しフセインに対立、マリキと同じようにシリア亡命生活をしたとされる。フセイン後のいわば大目付として、シーハでもスンニでもないクルド長老が選ばれたのは議会の妥当な選択か…

      Koerdistan issue 2
マリキ(62才)はタラバニ大統領に指名された政権担当者。フセイン政権スンニ派に属する役人殆どを追っ払った。公の声明と別に心情的復讐と解され、事実上のイラク内戦一因になっている。7年、宰相職に留まる。US共和党との相性が良いと言われるが、US/UK初め大方の治安維持軍が撤収した内政舵取りは困難を極める。彼は任期後に続投しないと表明している。
 

タラバニ氏はクルド人。聞いた時、私はちょっと格別な気分になった。穴倉で発見された独裁者フセインを言うまでもなく、その前任者も主なバース党政敵たちもイラク人であった、と言うこともある。だけれども、紀元前以前に根っこを持つ長いクルディスタンと言う土地/民族について、チラッと生かじりしたことがあるからだ。
彼の初仕事は、サダム・フセインに牛耳られたバース党の半世紀続いた教義を切り捨て、民主主義を標榜する憲法を作ったこと。旧憲法はアラブ民族主義を基本にする社会主義的な性格に近かったようだ。

薄青い輪郭線が三日月を連想させます。紀元前その時代にこんな地図は無いので、地図が現れた航海時代以後の命名でしょう。アッシリア帝国の最大版図はこれより一回り大きく、現在のエジプト/シナイからシリア/トルコ東部をへてメソポタニア南部のイランまでを含んだ。それは台頭するバビロニアに滅ぼされる(BC609年)直前だった。
      Koerdistan issue 1
下の21世紀地図でイラク/シリア/レバノン/ヨルダン/イスラエルを一つにするアウトラインが上のアッシリア版図にややずれ落ちた形に似ている。これにイスラエルの南にあるTeima域を加えたのがバビロニア帝国になり、やはり肥沃な三日月地帯に見えます。別に言うと、ティグリスとユーフラテス両河川域メソポタニアを核にして地中海と紅海に連なる商港海岸線をもつ豊かな土地。首都は現バクダードのやや南、ユーフラテス東側バビロン。
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恰幅良いタラバニ氏が独逸入りした日、3時間に及ぶ露西亜プーティン大統領の`所感表明`会がモスクワで開かれる。大統領選挙前の激しい民主化デモ、それに続く歌手3名の逮捕/裁判、「外国と協力または応援を受ける反国家的行動をする者への」刑事治安法の成立、それゆえに沈黙せざるを得ない反プーティ/民主化陣営。厳格な罰則を伴い、反陣営は殆ど首根っこを抑えられ、冬の時代に突入したと然る女性活動家が語っている。プーティンの安定化策の実施。気を楽にした大統領は就任後初めての所信と言うか、彼の忌憚ない意見を詰めかけた内外ジャーナリストに披露したわけだ。

内外の政治課題にかなり気楽に早口でしゃべりまくると言う感じだった。そこから`西側`ジャーナリストが最も取り上げ伝えたイシューはシリア紛争に関する部分。片腕を机につき、同じ肩側を下に傾けつつ曰く;
「アサド親子は40年も続いている。そろそろ変わっても不思議でない。反政府軍が強くなっているから。
それでも「話し合いによって政権交代すべきと言う我が国方針は変わっていない」とちょびっと付け加えるのをわすれなかった。

「アサドの負け戦、それだけのこと」と言う仕草とさりげない表情をつくっている。露西亜は既に一月前から外務省筋から、悲鳴に近い`シリア支持`を発信していた。11月初旬カタール首都ドーハにて、反アサドグループが結集、(The Syrian National Coalition)言わばシリア7民族同盟を立ち上げる。この時もロシアのアサドバックアップは変わらずと声明。

12月半ば近くモロッコのマラケッシュに`シリアの友`の会諸国が集まり、組織名をSyrian National Council=SNCとした`ごちゃごちゃ集まり`をアサド政権の移譲または崩壊後の受け皿として承認した。SNC受け入れ皿に反対したのは露西亜/支那/イランなど。露西亜はまだまだバックアップを続けると繰り返した。土俵際で喘ぎながら逆らっている…。

やがてまず仏蘭西、次に独逸/英国他EU圏が認め、これに米国も続いた。露西亜外交官はSNC外交ラッシュに本音を言わず頑張り続ける。本国のプーティン裁可が無ければ、口が裂けても「シリアはアカン」と言えない。彼の帝政なのである。ダマスカス市内で攻防戦と言ういくさ情勢を読むと、武器を密かに供給し続けたロシアと言えどもこれ以上の深入りとダメージを避けなければならない。

リビアの場合も大失敗。年間$数千万の(旧型)兵器商いとアフリカでの同盟国堅持にこだわり、崩壊寸前までガダフィー支持に拘泥した。様々な戦況推移があり、まさか倒れまいと言うプーティ取り巻き読みが結果的に無様な外交結果をもたらしている。殿が首を振らねば、専門外交官の専門が発揮されない国になっている。共産時代もポスト・コミュニズムも帝政気質がロシアに濃い影を落としている。一口に言えば、子供のような意地を張り、漫画チックなお粗末に誰にも見える。

ウラディミール・プーティン早口舞台の前座を敷いた人がいる。セルゲイ・ラザロヴ外相でなく、その副外相だ。一週間ほど前「膠着状態だが、FSAが優勢のようだ。政府軍は負けないが、勝ても出来ない」と漏らした。彼がアドヴァイスを親分にしたのだろうか? プーティン承諾をえた所定のリークである。露西亜要人がFSAの実力を認めたのだからシリアニュースのトップになった。

こうしてプーティンの何気ない「政権交代の時期でしょうな!」になり、彼は気をもんでいた外交官たちにクリスマスプレゼントを贈ったわけだ。殿のお触れが出たので、クリスマスを気兼ねなく楽しみ、明けから徐々に具体的なロシア側談話が出ると思われる。

本日あるシリア・トイッターによると、12月初旬からタストゥール軍港に停泊する戦艦(2隻らしい)がシリア在住5千名ロシア人収容態勢に入っているらしい。それら殆どの人々は首都域住まいと思われ、祖国避難の準備にかからねばならない。1月末に全員帰国と言う日程ならば、何とか実現できるのではないだろうか。人々は帰国落ち着き先など、テンヤワンヤになっているだろう。1975年4月のサイゴン陥落時のカオスに比べれば、豪勢な撤退に思える。

露西亜政府の外交べたと言うのは、中身がない張りぼてミサイル時代からの吠えるばかりの見えから来ているとサテライト解説の誰かが言っていた。そうかもしれない。二人ほど知っている人がいて、根が正直なせいでは、と私は想像する。普通の露西亜人は屈託なく実に親切なのだ。だが、役人や政治家になると途端にコチコチになり、えばり散らすのは何故だろう?、とロシア通もこぼすほど。賄賂を採らねばならないから緊張するからだと笑い話がある。

そう言えば肩をゆすって歩く小さな大統領の心から笑うような場面を見たことがない。おべっか使いに囲まれ、本当の友人を傍に持たないのでは…とよけいな心配をする。英雄は孤独…とも言う。だが本当の英雄かどうか、歴史の裁断は時間を待てねばならない。





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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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