ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Miscellaneous Human History 雑史/外伝

クルディスタン外史 [本編]  `バビロンの捕囚`に絡み

クルド人だと言う若者に合ったことがある。はて、そんな民族が何処にいる? 30年ほど前、私は知らなかった。クルドだけでなくゲオルグもアルメニアもたくさん知らない土地・民族ばかり。冷戦で旧ソ連の今日知られる○○スタンっぽい共和国などは一般に殆ど報道されなかった時代だから、異世界の私などが知る筈もなかった。日に焼けた様な精悍な表情の若者はトルコの移民申請者と思っていたのだが、少し打ち解けて片言英語で話してくれた。トルコパスポートだけれども実はクルド人なんだと。

1980年前後、中央欧州はガストアルバイター永住に続く難民/移民の大波にさらされていた。トルコ共和国からの[補註2]マイノリティーとしてトルコ国籍クルド人がいた。彼の短い話は私を驚かした。何故逃げて来た? 「貧しく経済移民のトルコ人と俺は違う」彼は続ける「故郷`クルドの土地`はクルド独立組織とトルコ政府軍との内戦が続き、2次大戦後だけでもクルド数十万が亡くなっている…だから俺は逃げてきた」


バベルの塔。ユダヤの物語、創世記[補註1]に登場する建築物。17世紀フラーンデレン画家達に好まれた画材で、ブリューゲル親子3代による幾つかの作品が知られる。親父Pieter Bruegelde Oudeが筆頭で、その長男Janと次男de Jonge、さらにJanの息子(もde Jonge)など画家の家系。老ブリューフェルの弟子たちも師匠の主題に挑み、バベルの塔はあちこち欧米美術館にそびえている。

Kurdistan X-0


数ある`バベルの塔`作品中で本作が最も遠近に富み、測り知れない塔の巨大さを表現している。この画像は Kröller-Müller (クレルレァー・ミューラー)美術館所蔵/展示から。イェルーン・ファン・アーケンの影響を受けた``親父ペーテル・ブリューフェル``版の構図を発展させたような作品。大石を細工する人に白い雲など老ブリューフェルと同じ素材があり、直弟子の作かも…。意外に小さく、寸法は50㎝四方だったか。計測せずカタログを入手せず、画家名も忘れている(分り次第追加予定]。


クルドはクルディスタンからの欧米省略簡易語と思われる(英発声だとカード/カーズに聞こえる)。彼らのオリジンはバビロニアあるいはその前のアッシリアをこえて遙かにさかのぼると言われる。アッシリアシリアは、現シリア共和国の語彙と関わりがあるようだ。ヘブライ(=イスラエル)語源とも言われる。前項に挙げた``肥沃なる三日月地帯``の主であるアッシリアそしてバビロニアは現クルド人居住域(↓地図)を南に延長拡大した国土である。両王朝はモーゼとイエスとの中間時代に興り、新旧いずれの聖書にも数々の物語やエピソードが再編集されて採り入れられている。

その一つが`バベルの塔`伝説。`ノアの箱舟`の次に語られる[補註3]。ジャックと豆の木のような天国への架橋的構造物である。構想の雄大さがいい。古文漢文に淀みない友人の本によると、支那と日本(古事記/日本書記ほか)文献にウリ科植物の天への成長、その成分が星座や天の川になったと言う物語があるそうだ。

ノアについて;大洪水の滅亡から逃れるために、ノアは家族と動物たちを乗せる巨大な箱舟を作る。児童絵本にしばしば描かれ、子供たちの想像力を掻きたてる物語だ。洪水が引くと、船はトルコ東端にある海抜数千mのアララト山に漂着していた。これを信じる人々だけでなく多くの国と機関が証拠を探すべき学術的調査研究を繰り返している。発見された甲板材化石の炭素測定までされ、あれこれ楽しい議論が繰り広げられている。洪水伝説は世界各地にあり、上の友人は例えば瓢箪に乗って難を逃れる老荘的な支那の物語を紹介している。


日本の平安時代に当たる地図。コーカサス山脈以南からアナトリア(トルコ半島とも呼ばれる)を含みカスピ海沿岸までを所収する。中世わずかの期間に興ったクルディスタンの王朝。クルド語の綴りで正確な読みを知らない。クラ川とアラス川との間が主な領土だった。両河川は西から東に流れ``肥沃地``を形成しつつ、カスピ海に注ぐ直前に手を合わせるかのように合流する。北から南に流れるティグリス/ユーフラテスと対比的で、クルディスタン史に於ける唯一の独立国家と関わる。
Kurdistan X-1

上記の中世領土地図を北に重ねつつ、現在のシリア/ヨルダン/イラク/イランを示す。明るい部分にクルド人の様々な部族が散開している。即ちこれら4国に加え、トルコ東部、首都バクーのアセルバジャン、アルメニア、グルジア(独読みでゲオルグ、英読みでジョージ)などに紀元前から様々なクルド部族が歴史の悪戯と言うか、めくるめく民族抗争史に浮き沈みしつつ生存してきたと考えられる。


北イラクにクルド自治区として3県が存在する。湾岸戦争1991年1月以降、フセイン政権の手の届かぬ地域になったからだ。2003年の第2次戦争までに、この地域でイラク共和国軍作戦があるたびにNATO旗下に於けるUS戦闘機が爆撃を実施。クルドはオスマントルコ時代もそれと直接かかわらぬトルコ共和国時代も独立武装闘争を継続してきた。古代から続く独立国家になる悲願…。長い苦難の末に、北イラクに初めて自治区を得た。2005年から彼らの地方議会が機能しているのである。

上図の明るい部分の内、北イラクの東隣にイラン居住区、北側に圧倒的範囲のトルコ区、さらに西側に飛び地二つの小さなシリア区がある。小さなシリア区はトルコとイラクと連結し、住民300万を擁す。シリア・アラブ共和国の1/7強を占める少数民族である。

彼らの戦闘グループはシリア内戦半ばからFSA(自由シリア軍)と肩を並べて反政府ゲリラ活動を展開。ポスト・アサドに北イラクと同じ自治区を得るのが当面の目標だ。だが寄せ集めゴチャマゼFSAと先月合意を得てアサダ後の受け皿組織SNC(シリア民族委員会)がこれを認める保証は何もない。クルド戦闘グループは、烏合の衆に近いFSAより遙かに結束力が強く、認められぬならば今度は受け皿に戦いを挑むだろう。彼らは気の遠くなる世紀時間に耐えてきたのだから。

トルコ政府はクルド域を認めず、南東アナトリア地方としている。1978年クルド労働者党(PKK)と言う武装独立組織が創立された。黒い鼻ひげをトレードマークにするリーダーAbdullah Öcalan(アブドゥッラー・オジャラン64才)は地下にもぐり転々と各国を移動した。彼は阿蘭陀に若いPKK戦闘員の非合法・欧州中枢と、ゼーランド訓練地を立ち上げた。

私が出会った控えめな若者は`逃げてきた`のではなかった。ケニアでCIA+トルコエージェントに99年逮捕されたオジャランの弁護士ブリタ・ビューラー筋の情報によると、訓練後に故郷に帰った多くの戦闘員が戦死していった。かの若者は戦死したか、EUインターポールに逮捕されたか、それとも熟年ヴェテラン活動家として頑張っているか…。

EU加盟を目指すトルコ政府は死刑を廃止、オジャランはマルマラ海の小島で終身刑役を送っている。一方クルド居住区と元PKK(現在別名らしい)山岳地は理由をつけて定期的にトルコ空軍によって爆撃されている。トルコ宰相エルドアンはシリア反政府軍FSAを支援、アサド批判の先頭に立つ。トルコ即ちアナトリアは本来イスラム圏だがEU加盟を望み[補註4]、アラブ民主化に於いてUS/EUと協調する。シリアのクルドは先述したように、ポスト・アサドの未来を模索している。彼らは殆どトルコのクルドと重なる。数か月後、どう推移しているだろう。


茶色:紀元前627年、アッシリアのアゾーレバニパル朝最大版図。青紫;アッシリアの発祥区域。斜線;紀元前750年サルゴン朝。 右:左の部分拡大図。下方にユーフラテス川に沿う首都バビロン、上方にティグリス川に沿うアッシリア首都だったNineve。
Babilon C

首都バビロンから三日月状に回り地中海に至ると現在のレバノン海岸線に商港が並ぶ。さらに南に目を転ずると死海、近くにイェルサレムがある。


左;紀元前800~500年。長細い海岸地帯をフェネキアと言う。帆付き手漕ぎ木造船で地中海全域とジブラルタル海峡を抜け北と通商した。しかしこの期間フェネキアはアッシリアや新バビロニアの支配下にあった。またシオンの丘を含むイェルサレムはかつて預言者モーゼに導かれ帰還したユダヤ民族末裔の王国があった。
Babylonia Fenechia

右;Frans Francken 2(Antwerpen1581-1642)オランダ当時の南の画家家系。17世紀初め神聖ローマ皇帝載冠式のカルル5世に作品献上をしている。肉付き豊かな女性像と風景、当時の売れっ子画家だろう。フランス・フランケンはバベルの塔建設を視察する王を描いている。実は王の左側部分に群像が描かれている。工事遅滞のために設計家または現場頭領を叱責しているような場面。
ノアの洪水を紀元前4000~3000年とするのが主説のようだ。だとすると塔建設はその後の紀元前3000~1500の間になろう。その後、エジプトに平和に暮らすユダヤ人が徐々に迫害され、やがて契約の土地・故郷に同胞を導くモーゼ神話になる。


旧約聖書に含まれるダニエル記ほかに新バビロニア国王Nebukadnezar(ネブカドネザル)2世の業績が書かれている。彼はバビロンを70km城壁で囲い、華麗な庭園/建築構造物によって首都にふさわしい輝きを与えた。同時にエジプトと抗争、現レバノンにあるフェネキア港湾都市を抑えると同時にユダヤ王国(イェルサレム)に軍を進めた。殺戮を行い、さらに数千の専門職人/働き盛り若者をバビロンに移住させる。紀元前597年のバビロン幽囚と言われる事件。ユダヤ人は首都の人口増加と、造作事業の労働力に貢献したと本は記す。バベルの塔か、それに近い巨大建造物に従事した…?

58年後、東に勢力を張るペルシャ(=現イラン)Achaemenide朝の王Cyrus(キュルス)がバビロン侵攻、ユダヤ囚人は解放されることになる。バビロニアから世界帝国ペルシャ支配に移る転換点だった。ユダヤ人の多くは故郷より肥沃なメソポタニアに定住した。優れたユダヤの頭脳がペルシャ官僚機構に生かされたと思われる。

ペルシャはこれから7世紀半ばまで繁栄を謳歌する。この10世紀を超える期間に、クルディスタンと関わる部族・民族の形跡が目立たない。彼らはアッシリア/バビロニア即ちかつての肥沃なる三日月地帯に民族アイデンティティーをひっそりと抱きつつ、いつか自らの国を作るべき夢を育てていたのだろうか。



[補註];
1.旧約聖書は旧い約束を表したユダヤ社会の聖典。紀元前13世紀頃の預言者モーゼの著した律法を主にする。創世記(と言う巻?)から始まる。ユダヤ教を信じるユダヤ人自身にとって、``旧い``約束はおかしい。現在も生きている約束事らしい。これを基にして開発された新しい約束(すなわち新約)に対する呼び名として使われたのだろう。やはりユダヤ教から派生したイスラム教を新約と言わないのは6世紀時間差と砂漠で生まれた厳しい教義をそなえているためと思われる。

2.1961年K.アデナウェル西独政権はトルコ政府と協定締結。事実上の`労働者導入`の合意をした。1980年代初期、外国一般労働者を必用としなくなったが、`協定`により彼らは既に社会保障付きの在独権をえていた。気が付くと家族/親戚を呼び寄せたトルコのゲストアルバイター社会は800万人に膨れ上がっていたのだ。ドイツ連邦の1割だ。欧州の一般社会問題だが、経済成長の底辺を担ったトルコ労働移民は独社会の常なる政治課題であり続けよう。

3.新旧の聖書に記述されるバベルの塔の時代・紀元前3000~1500年は日本列島の縄文時代晩期に当たるだろうか。研究者によると、弥生前期以前に既に河川に沿う湿地帯で米作が芽生えていたらしい。メソポタニア古代人と同時代の日本列島人を語る文献は日本書記ほかだろう…。伝承と言うか創作に属する物語だが、史実を背景にするのだから、バベルの塔のような日本版があれば面白い。

4.EU各国の極右政党は反イスラムである。自国民を優先するのが民族主義の第1義。1960年代以降のイスラム圏からの大量移民を、欧州のイスラム化と右政党は言う。数十年続いた移民馴化努力を、例えばアンゲラ・メルケルは大失敗だと告白せざるを得なかった。受け入れ先の偏見差別があること。同時にイスラム戒律のせいか、彼ら移民が移民先文化を拒否する…。50年住んで、独(または蘭)語を理解できない移民がいる事実が世間を驚かした。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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