ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

哀愁のからまつ林  [←このカラマツはハイブリッド・カラマツかも…]

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我がフィールドのカラマツ仲間は細い葉だけでなく思いっきり枝ごと落とす。枝には本年や昨年の球果を付けている。たいていの(50㎝~数m)小枝を落とす。その幹は従ってスーッと真っ直ぐに立っている。

カラマツ仲間はヒマラヤから北極周辺までの北半球に10種ほどが存在する。極地付近に3種、最南端の東ヒマラヤに1種、北米に2種、欧州/日本/支那に一つずつ、残る一つは欧日の種間雑種。南支那のものはPseudolarixと綴り、``ラーリックスそっくり``属 とされ、小型でカラマツ仲間とやや異なる。[補註1]

Karamatsu 02

同じ属(≒仲間)なら互いに横恋慕し合った自然の種間雑種が生まれうる。それらを選択育種、両者の長所を生かした植林用材種(=ハイブリッド)が作られる。簡単に私は言うが、時間とたゆまぬ作業の結果である。カラマツ仲間のハイブリッドとしてつとに聞こえるのは Larix eurolepis、英語彙で言うところのHibrid Larch(ラーチ)である。

このハイブリッド事業はスコットランドのハイランド(高い丘陵地方の呼び名)で20世紀に入る前後に試みられている。長崎・出島から渡海した種子の栽培個体群とアルプスからタトラ山系までの自生種との種間雑種がこうして生まれでた。首都エディンバラの北にあるパースが県都のパースシェアーから、従来の欧州種に代わる生産用材種子の供給が1910年(日韓併合の明治43年)に始まっている。[補註2]

本稿タイトルは島倉千代子が歌う歌謡曲。紫式部や清少納言の読み手なら、恐らく当時のカラマツ事象をご存知ではないか。黄葉の樹形が重なり波立つ秋の風情が愛でられ、詠われてきた筈だから。作詞/西沢爽、作曲/船村徹 1959年のリリース。54年前に若き島倉千代子が泣きむせぶように歌った。うろ覚えながら私が曲名を知っているのだからヒットした歌に違いない。

哀愁と言う言葉を聞いて、中学生に分かったのかどうか。哀しい秋心と書く熟語。何となく分るようで分からない気分と、針のような細長い葉を落とすカラマツの組み合わせ。乙女の恋心も恋に破れたもの悲しさも、縁のない十代餓鬼小僧に想像できない。島倉であれ美空であれ、妖しかろうが美しかろうが、整形美人であろうが叔母さんであろうが、歌謡曲の歌詞の意味を知って耳をすまして聴くような子供/生徒にほど遠かったのだ。

      哀愁のカラマツ林 Cor 1_edited-1
上下画像いずれも同じ日に撮ったもの。上の黒っぽい部分はスパル(モミ)やツガ類の常緑針葉樹、黄茶の部分がカラマツ。下二つは実生からの我がカラマツ。右は左を引き寄せた図。`林`または森の植林カラマツ(混合)林では、すっかり黄葉している。森に近い住宅の庭ではアオアオとしている…ように見える。よく見るとアオアオしているのは広葉の別樹とお分かり頂けるだろう。巻つく蔓性のフジである。フジも黄葉落葉樹だが、この個体の葉々はまだみずみずしい。カラマツにフジが巻きつくのは自然の山野でありえない。樹木園でもまず見ないだろう。

あとも見ないで 別れていった 男らしさが 哀しさが 
燃えるような 燃えるような 夕やけ小焼け 
ああ 帰りましょう 影を踏み踏み 落葉の道を


3番の歌詞。女性の立場から詠んでるんでしょうね。真っ赤な夕焼けのごとき心をなお燃やしながら、カラマツの影を踏みながら帰る…。男の影を追いながら、別れをかみしめて家路に帰る道はカラマツの細い葉で埋め尽くされている。

1番2番を読んで3番が分る失恋の詩を作った人は上述の西沢爽(ニシザワソウ)と言う人物。下記のような知られる歌手の沢山の歌詩も作っている。
村田英雄 ;「まず一献」「独航船の男」
舟木一夫 ;「学園広場」
美空ひばり;「波止場だよお父つぁん」「ひばりの佐渡情話」
小林旭  ;「さすらい」
島倉千代子;「からたち日記

「からたち日記」を除いて、これら歌謡曲メロディーも文句も私は知らない。歌手たちから考えると西沢は売れっ子作詞家だったに違いない。爽は芸名だそうで、本名・西沢義久(ヨシヒサ)でも活躍している。ウィキペディアによると1919年(大正8年)生まれ- 2000年(平成12年)没。[詳しくは西沢爽でググられよ]。 
<Larix decidua Miller>European larix三態。中;本年または昨年球果が落ちたもの。左;数珠なりに成る雌球果で、やがて中画像に近い状態になる。
     Karamatsu 01
小枝の落ちた状態でも、鱗片が行儀よく閉じ気味になっているのがカルパチア山脈から瑞西・独逸アルプスまで1000~2000mの自生種と言われる。スコットランドのスチュアルト朝がジェームスをしてイングランドとの連合国家王になさしめて間もなく、この自生種がスコットランドの高地に移植された。ブリテン島を含む欧州低地の森で普段見るのは天然良質種からの植林種ヴァラエティーである。クリスマスツリー(シルバー・スパルと一般に言われるモミ仲間)に継ぐ普及樹で、ブリテン島の導入造林種は4世紀の歴史を持っている。


日本固有種・カラマツ(本個体が標準である確証はない)。垂直に立つのが雌花。保護膜の内側から束生状に葉っぱをだし、その内側から花を開く。タイミングが良いと中心に一個の花柱がそそり立つのを見られる。黄色い小さな葯を集め下垂するのは雄花。葯は熟すと軽く触るだけで黄色の煙幕を放つ。カラマツはブナの雌雄花と同じで、カミさんは上に立ちダンナは下にぶらさがるのだ。
      Karamatsu 04
セイヨウカラマツとも言われる。雌花の赤紫がはっきりする個体。上の日本の仲間に比べ、やや毒々しい印象を与える。この欧州種と上の日本種を掛け合わせると、どんなカラースキームになるだろう? 雌雄が逆の組み合わせや、圃場の手持ち種によっても、様々な微妙な違いがある。しかし大まかに言うと、黄味を持ちながら遠くから淡い赤に見えるのがハイブリッド・ラーチ(ラーリックスは旧いローマ語彙)である


これまでの記述で支那大陸にカラマツモドキ自生種はあっても、ほんとのカラマツ自生種がないことを理解されるだろう。正体不明一つが在るのだが、100年前にその不明種があることすら全く不明だったのだから、ここでこだわる必要はない。【私の見聞と資料探りの範囲だから、間違いの可能性は高い。将来、その不明な支那種や他変種が見つかるかもしれない。その時は訂正したい】

この樹種を何故``カラマツ``と言うのだろう。落葉松と書いてカラマツと読む。またラクヨウショウと別読みする。後者は日本自生しない支那マツ種を指すと半世紀前の漢和辞典にある。どうやら落葉松のカラマツ読みは``習慣``読みのようだ。訓読み「カラマツ」と関わる漢や呉の音(オン)が無いのは言うまでもない。もうひとつ、唐松と書きカラマツと読む。素直に採るなら、支那大陸に育つ(または経由してきた)と言う意味になる。あるいは不本意にも、大昔から馴染んだ三蔵法師の「唐」を連想するのも悪くないと言う優柔不断的な通称名かも知れない。

この仲間はマツ科に属し、昔その一つマツ属と考えられた。しかし松と異なり落葉する。そこで欧州分類屋諸氏は別属 Larixとして暖簾分けをしたのだ。この分類情報を後に学び知った東京帝大の駆け出し分類屋さんは和名として、従来の通称カラマツをそのまま採用したと考えられる。「カラ」の意味を詮索する必要は勿論なかった。

ニセアカシアのように、松そっくりゆえのニセマツにならなかったのは幸いだ。無論、純粋日本固有種にニセをかぶせるわけにいくまい。[補註3]。導入海外種の和名にしばしば唐を用いるのは唐を異国の代用にしているのだが、この場合は以上の経緯から別由来を考えなければならないだろう。強引だけれども、冬に葉っぱも小枝もなくす「空」状態を指すと考えるのはどうか。

かの酒屋の息子・牧野富太郎は日本植相に支那の漢語を使うことを怪しからんとする信念を持っていた。家業をつぶすほど植物だけに打ち込み、文学素養に欠ける御仁の直観だったと思われる。彼はフローラ和名表記を片仮名にすべきだと主張。帝国大学に正面から入り教授になった人々は、難しい試験をとおり漢学を収め、漢語をフローラ名に用いる便宜を充分認識していた筈。そうした折り目正しい帝大主流が植物狂い土佐県バンカラに圧倒された感じがしないでもない。

彼の支那嫌いが現在の「正式和名をカタカナで表記する」習慣/常識を作ったと言えそうである。と言う塩梅からカラマツに関して、これまで支那大陸に歴とした仲間が発見されていない[補註4]のだから、由来を[空松]とする珍説即ち外説を私は唱えたい。

一週間ほどで姿や色味を変える。素早いので追うのが面倒。植物によって数日ごとに観察するもの、数時間単位で見なければならないものがある。数時間一カ所に陣取り、なんとか画像にとどめた例では約30秒の開花プロセスのマチヨイグサがある。肝心なのは初めの10秒だからシンドイ。
      Karamatsu 05
果たしてこの雌花がカラマツ100%か、セイヨウカラマツ50%入りか(75%と言う算段もあり得る)、それはこの時点で分からなかった。芽だし後の束生状に出る葉の本数と長さの、10や50の平均を調べると特定する目安になる。だが数個を勘定/計測してマアこんなものと納得するか諦める私の山勘を信用できない。そこで色味や形状、成長経緯をアトランダムに数年かさねると、ある時アッと決定的確信を得るような仕合せが訪れる(時が無いでは無い)。


せめてもいちど 恋しい人よ 腕に甘えて 縋(すが)れたら
それだけで それだけで 死んでもいいの ああ 弱虫と
風が叱るわ 日暮れの風が
          [哀愁のからまつ林 2番]

女の気持ちとは左様なものか? 男の作詞家が俺を恋する女ならそうあってほしいと言うイメージかも知れない。女は男の腕に縋って甘えた思い出に浸っている。もう一度もしも男に抱かれるなら、死んでもいいと夢想している。男の腕に飛びこまなかった自分を弱虫と叱っているのか、それとも死んでもいいとする夢想自体を弱虫と思っているのかしら。カラマツ林を通りぬけ葉を落として行く風が彼女の頬にあたる。その冷たい触感が恋に破れた現実を教える。ハッと気を取り直し、健気に明日に生きようとする女…

こんな優しいチョット雄々しくもある女が詠われた時代に、相撲の栃若、野球の長嶋王、ミスユニバースの児島明子が活躍し、日本丸が大海に船出しつつあった。岩戸もこじ開けるパワー溢れる景気が続く時代。言い換えると日本の技術革新が世界を席巻するような時代。それを象徴するのを個人的に言うならば、二輪の傑作車スーパーカブだ。2輪車史上の雄である。

ホンダ跳進の原動力はわずか50㏄だった。コップ1/3の50㏄が、言い代えれば日本経済成長の始まりだった。この50㏄を駆って私は暮れにアルバイトをしていた。荷台に餅入り箱を十ほど重ねて、ひねもす配りまわる。中高を通してやったので、配達小僧としてよほど老舗に信頼されていたのだろう。雨模様だと路面レールにタイヤを捕られ、したたかに転んだ。何百もの丸餅が散らばり、見事に敷石路面を飾ったこと。晦日大晦日に迫ると、殺気立ちながらも老舗家族にバイトと職人合わせ十数名が湯気で向うが見えない大食卓を囲んで腹ごしらえをする。嗚呼、あんなに美味かった日本食は滅多にない。賑やかで活気に満ちていた。元気の良かった日本の光景だったに違いない。

哀愁のからまつ林;昭和34年のドーナツ盤。同じサークル型CDは何千何万倍の記憶容量を持つだろう。けれども、残念なことに半世紀以上前の島倉千代子の歌うドーナツ盤のガタゴトを`創造`出来ない。彼女独特のお千代節ヴァイブレーションに歌われるカラマツ林は何処だったのだろう。西沢の経歴を辿ると推理できるかもしれない。海岸の防風林として各地にカラマツ林が作られている。また縦に制御しやすく、清楚な樹幹ゆえに街路公園樹として用いられている。すると東京当たりの公園カラマツ林だって考えられよう。

涙あふれて はり裂けそうな 胸を両手で 抱きしめる
見えないの 見えないの 背伸びをしても
ああ あの人は行ってしまった からまつ林
   [哀愁のからまつ林 1番」

島倉の歌いぶりも歌詞の形容も`張り裂けそうな`哀調に満ちて始まる。男の愛が見えない、精一杯背伸びして愛を求める、美しくも悲しみに満ちている。男はカッコイイなー。イタリアマフィアを描いたフランス映画にも出てくる男だ。こんなに恋い焦がれる女を振り切っていく男にはしかるべき理由があるに違いない。カラマツ林を舞台に、当初から失恋ドラマがガーンと展開する仕掛けになっている。

舞台はカラマツの防風林や綺麗で広い市街/公園林だろうか。傾斜する山岳造林地でないのは明らかだから、聞き手はカラマツでなくても近くにある針葉樹の林を思い浮かべることができる。一つ重要なファクターがある。カラマツを愛する人は葉っぱの柔らかさを知っている。しんなりと優しい葉がカラマツ仲間の特徴なのだ。詠んだ人はカラマツ葉の質感と言うか、この繊細な情感を背景にちりばめているように思う。ラテン語彙のラーリックスにもそのようなイメージを感じるのである。

日本が立ち上がる時代にカラマツは同時にパルプ工業材として、電柱/枕木/船舶甲板材など重宝された。日曜大工DIY時代にまだ入っていないが、大工職の加工容易な廉価材としても、実に多用途である。即ち`歌謡曲と共に`と言うのはおかしいが、生産効率の優れたカラマツ種がもとめられ、それが人気を博したと考えられる。そうならば、先に述べた日本と欧州との種間雑種・ハイブリッドが既に列島各地の植林に採用されていたのではないか? 経済効率を考えるならば、両親より遙かに早い成長率を誇り、疾病に極めて強いマルチなハイブリッドを投入しない筈がない、と私に思われる。

こうした文献資料の探索を得意とする方々にいつか尋ねてみよう。すると戦前戦後における日本カラマツ生産事情が分かるだろう。それを楽しみにしつつ、``哀愁のからまつ林のカラマツ``が実は日本出自の里帰りハイブリッドの可能性があると言う逸話に留めたい。

【補註】;
1.極地種;アラスカからニューファンドランド域 L.laricina、東シベリアのエニセイ川域 L.gmelinii、 ロシア北端 L.sibirica。USオレゴン州 L.occidentalis、ヒマラヤ・シッキム域 L.griffithii。これに欧州と日本カラマツ二つにその種間雑種、さらに支那のソックリ Pseudolarix amabilis。アラン・ミッチェルによるともう一つ支那に在るらしい。資料がなく不明。無理に国別にすると、露2、米2、欧1、日1、ヒマラヤ1、欧日1、支1+不明1。
Pseudolarixを図上でカラマツモドキとした。ニセアカシアと言う和名を日本人は通用させ、これは学名Pseudoacaciaの逐語訳だ。するとニセカラマツもありになる。とは言えそれぞれ自身、本物の独立樹木である。ニセと言うのは不届き極まる。そもそもの責任はリンナエウス以下の分類命名屋さんの想像力不足にある。

2.欧州カラマツはスコットランドに自生しない。それは1621年の貧しい裸丘陵地の緑化事業を契機にする。パースシェアー(≒パース郡)領主2代目アトオール公(James Atholl)が家系の出身地方である海峡またいだ大陸アルペンから移入した。樹木好き領主の事業継続努力によって近隣ハイランドが`アルペンカラマツ`の森に変わって行った。18世紀半ばにスコットランドからイングランドへと、ブリテン島全域に植林され多用途需要を産み出す。1861年に圃場家系ファイッチの御曹司が日本から帰国。日本カラマツ種子をもたらしたのだ。これから慎重な栽培増殖が図られる。1880年前後に日本カラマツと欧州カラマツの自然雑種と人為交配の下地が出来ていたと思われる。ダンケルトと言う司教教会隣の圃場地で、1904年に実際のハイブリッドが確認された。七代目アトオール公の世である。
尚カラマツ種子をUKに導入したファイッチは日本モミ・シラビソの学名(Abies veitchii)にもつけられている。

3.日本列島に大昔から存在する固有種ゆえに、言うまでもなく古語や方言の言葉が多くある筈。様々な材料を集め、例えば古語の語音変化(=時間的発声遷移)によって現在の形を検証する方法論など。言葉の専門家による緻密な作業だが、欧印語の語源研究者が趣味で書いていたり、時に手品を見るような論に出会う。カラマツについて南方熊楠と柳田邦夫が、万が一、雑談を残しているかもしれない。肝心要の明治以前の方言を含めた呼び名を私は知らないまま、ここで手前勝手な類推をしている。だから`外史/外説`なんです。

4.ゲノム解析によるAPG植物分類体系に沿うカラマツ仲間ということ。















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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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