ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Ordinary People 雑人雑名

英雄アムビオリクス  [ガリア戦記から]

     Ambiorix cor 05

ベルギー連邦を徒然に歩くと、AMBIORIXと綴る看板を見かけることがある。10年ほど前、上向き乗り自転車を駆る息子とベルギーを一周。休憩に入ったカフェで風変わり自転車の話に花が咲き、カフェー主が地元ビールをおもってくれる。ビールをタップしながら彼はニッコリと壁の額を示して曰く;「これでが元気が出て馬力が出るよ」。額には騎士像とカフェ正面写真がアレンジされている。AMBIORIXが扉の上に読める。彼のカフェ名をアムビオリクスと言い、その騎士の名前を付けているのだろうと分った。

↑青紫広告はディスコのようなカフェなのだろう。その右はヴィンテージ・カーのクラブのマーク。↓の左上はレストラン、下は子供たちと関わる厚生機関だろうか?、右上はこの国の靴製造企業のロゴ。靴屋のロゴはXを強調した商標で、知名なベルギー・シューズブランドである。上カフェの赤いXはシューズブランドをより強めた今風な扱い。固有名詞に混じるXはしばしば何か余分メッセージを伝える。アムビオリクスのXに隠された意味がある…
      Ambiorix 01

Ambiorixは苗字だろうが、名前の可能性もある。ずっと後世にBeatrix女性名が出てくる。rixが姓と名の接尾語として機能する例である。アムビオリクス名が現れる文献はユリウス・カエサルのガリア遠征の戦況報告書である[補註1]。第二冊目で、これ以外に何もない。アムビオリクスに関し対照文献が存在しないのである。ローマは紀元前の半世紀を遡る頃、北方のガリア/ゲルマニア/ブリタンニアに盛んに大軍を派遣して領土拡大に努めている。

左;紀元前後の欧州地図。大筋は実際に近い地図だ。海洋が狭く小さいので、ローマ議会は例えばブリタンニア遠征易しと観たのだろうか。そこでは遠征疲れと伸びきった兵站のため大敗を帰している。
  Europe begin kaart
右;現状の正確な地図に紀元前後の領土を落としたもの。ライン川を境に北を黄色、南を緑で区分けしている。北がゲルマニア、南がガリア。


紀元前57年、ローマ遠征軍はライン川とマース川の南、Belgicaに進出。遠征軍はコホール(cohort)と言う軍単位5つからなるレギオ(ラテン語Legio=軍団)で、計7200名とされる。ベルジカは現在のオランダ・リンブルフ州を含むベルギー全域に当たる地域だったようだ。[補註2]

エブローネン(Eburonen)と言う部族が存在した。二人の王、と言うか部族長が頭(カシラ)として互助的に機能していた。`ブリタンニア`17~18世紀変わり目、マリーとウィリアム夫婦によるUK`共同統治`と異なる。老練なカトウヴォルクス(Catuvolkus)と若い武将アンビオリクス(Ambiorix) の組み合わせ。二人の支配者が他を認めずに争いながら王を名乗るのは、日本南北朝やブリテン薔薇戦争のごとく、例に事欠かない。この意味でエブローネン老若コンビの共同統治はユニークと思われる。ローマ共和政期の三頭政治にヒントを得たカエサルの着想かもしれない。

カエサル旗下のローマ勢力ゆえに、エビローネンも他のケルト部族もローマ支配に``平和的に``服従する。4年後、干ばつ又はほか自然災害のため、収穫不足に見舞われた。駐屯するローマ軍糧食のために、執政官カエサルはローマ共和国に服従するケルト諸部族に税金として収穫一部を収めるように命令。

この課税はケルト諸部族に受け入れがたい状況だった。アムビオリクスはカトウヴォルクスの智謀を得て、一計を廻らす。近隣部族と政治折衝/根回しを行い、言わば独立戦争に近い反逆を起こす。それほど食糧事情が切迫していたと考えられる。実行部隊の大将はアムビオリクスだ。

蘭国リンブルフ州にケウテルベルグ山がある。知名な都市で言うとマーストリヒトに比較的近い。自転車レースの心臓破りの登りで知られる場所で、ここにベルジカに進出したレギオン(≒旅団程度)の一つの駐屯地(Kamp)があった。

左;ノルディック・ウォーキングのクラブマーク。スキーストックを用いる`歩け歩け`を考えたのは北欧の人だそうで、人気があり各国で普及する健康ウォーク方。アムビオリスクとあまり関係なさそう…
      Ambiorix 02
右;ベルギー連邦記念切手シリーズ。1866年トンフェレンの街に建てられた像や領土地図など。天照大御神や桃太郎さんの像を作り、我ら民族の英雄として奉っている感じかも…。`ベルフ`の素朴な一面か、それとも民族主義的な誇り?


ケウテル・カンプ周辺に展開するローマ兵をアムビオリクスとその精兵は襲撃して殺し、駐屯軍勢力を削いでいった。襲撃を逃れた全ての軍団兵は砦に逃げひきこもる。砦には相当な勢力が集まり、これを攻撃する戦術的不利のために、アムビオリクスはケウテルベルグ・カンプのレギオン二人の責任者に使者を送る。曰く:

エブローネンはもともと諸君との共存を歓迎してきた。なぜなら他部族との抗争に悩まされていたが、ローマ軍のお蔭でそれが無くなったからだ。食糧危機ゆえに、悲しいかな我々は謀反行為に走らざるを得なかった。この難関を超え、今後の平和共存を望んでいる。しかし他部族は一致協力して早晩、諸君に総攻撃をかけるだろう。これに呼応する北のゲルマニア部族がライン川を越えて、ローマ進駐軍の一掃を図る状況にある。諸君は南にある他カンプに撤退するのが賢明である。その時、我々は諸君を静かに見守るであろう。なぜならローマとの共存こそが我らの未来を保障するのだから。

     Galliers Kaart 01
ローマ支配のこの欧州地図をご覧あれ。大河ラインの自然分割ラインが明瞭に理解される。蘭リンブルフから東に出てライン川沿い現在のヴェルダンやストラウスブルグに下ることが出来る。そこはCelticaで、ローマの安全かつ完全な支配区である。そのとっかかりに強力なレギオン・カンプが在ったと想像される。セルティカ東に突き出る部分にHervetiiの文字、現在のスイス。
 
二人の司令官SabinusとCottaの意見が分かれた。ザビヌスはアムビオリスクを信用した。コッタは躊躇してカンプにとどまると主張。ザビウスとコッタはこれまでのアムビオリスク精兵によるゲリラ的掃海作戦の手腕に畏怖を覚えていた。もし砦の外に打って出るならば、エビローネン軍が充分な用意をしてローマ兵を壊滅するに違いない。二人は議論を重ね、机を叩いて叫ぶ「おぬしが残るなら、我一人撤退出来ぬ」。こうしてケウテルベルグ・カンプでの籠城を二人は決定する。食糧がつき、あるいは敵総攻撃によって全滅するならば、それは誰の責めにもなるまい。運命を神の手に委ねる、そんな気がする。[補註3]

「全滅する愚かを犯さないように望む。レギオン軍団兵はローマ市民であり、家族を残し故郷遠く出兵している。司令官の採るべき道を誤らぬように…」そう恐らくカトウヴォルクス老は説得使者を立てたに違いない。カンプの兵たちは臆病風に吹かれ、エブローネンが攻撃せぬならば、一刻も早く近くの別レギオンカンプに逃げ出したかった。二人のローマ将官は逡巡をし、老王の助言と若い王の言葉を再び心にこだまさせる;「秩序ある撤退ならば、敬意をこめて諸君の南への道を開くだろう」。

コッタとザビヌスはついにケウテル山からの撤退を決意するのである。南に二つの逃避先カンプがあった。背後の丘陵地の凹凸路を抜けていく路と川沿いの谷間を足早に通過する路。ケウテル山の砦を出て、早く撤退出来ると言う理由でローマ駐留軍は谷間ルートを選択した。谷間の隘路に差し掛かった時、突然アムビオリクスを頭にエブローネン部隊が四方から襲いかかった。油断していたローマ軍は容赦なくなぎ倒され、一人残らずベルジカの土地に葬り去られるのである。老獪な王の戦略と、若い王の武勇とによる見事な相乗効果と言うべきだろう。

この策謀の勝利後、アムビオリスクは諸部族に呼びかけ、言わばケルト民族の統一戦線を構築。残る近隣ローマカンプをことごとく壊滅させて行く。一介のケルト部族による総勢7200名レギオンの全滅ニュースがやがてローマに届く。ローマは不敗の栄光に輝く国家であらねばならなかった。カエサルと上院議員は報復すべき大軍5万をガリアに派遣する。それはベルジカ再平定と海向うのブリタンニア遠征へのきっかけにもなる。ローマとガリアの戦いは紀元前53年から数年続いたと言う。

       Caesar 05

`ガリアの戦い`に意見や注釈をカエサル自身が加えた8冊の本。一つの山場が精強なローマ5万の大軍によるベルジカ再出兵である。エブローネン初め部族連合にとってゲリラ戦法は出来てもがっぷり正面に組むことは出来ない。押されジリ貧に追い詰められる。老王カトウヴォルクスはローマ軍怒涛の攻撃に対し戦うことも逃げることも出来ぬと悟り、毒をあおり自殺する。アムビオリスクはゲルマニアへ逃れたらしい。そこで匿われたと言う説や源義経のような生存伝説もあるらしい。こうしてエブローネンとアムビオリスクは歴史からぷっつりと消息を絶つ。

後世、ガリア戦記(英:Commentaries on the Gallic War)と言われる著述は歴史文献として、多くの解説/研究書(和訳も加え)が上梓されている。主に第2巻にベルジカ進出が記述され、アムビオリスクが登場する。これがベルギー共和国の公式独立1830年(実質はずっと後)以降に、掘り起こされるのである。発掘された人物はベルギー古代の英雄と見なされるが、風貌/生い立ち/政治的業績など何らの具体的事象も不明。なぜなら上述の物語はカエサルの記述にのみ依拠するからである。

Atuatuca Tungrorum綴りはベルギー連邦フラーデレンのリンブルフ州Tongerenの古代名と言われる。トンフェレンの街は蘭側マーストリヒトの西に見つかる。そこが`ガリアの優れた武将アムビオリスク`を王に載くエブローネン部族の中心だったと。確たる証拠があるわけで無い。1860年代に像建立計画が持ち上がり、基金を立ち上げ国の補助を受け、1866年にトンフェレンのマルクト広場に完成。時の国王レオポルド2世夫妻が除幕した。筋肉隆々の武将姿は多くの歴史彫像に範をとったと思われる。アムビオリスクの国民化とイメージ定着に欠かせない彫像である。
      Ambiorix 03
コピューターゲーム。アムビオリクスが隠した財宝探しのようだ。神話的なベルギーの英雄に相応しい応用ではないだろうか。


カエサルは歴とした実在の人物だ。だがその著述は当時の政治状況に対応して書かれている。何故7200名の軍勢が敗北したのか?遠征軍に責任を持つカエサルは十分な理由を添えた戦闘報告を書かねばならない。上院は納得できるしかるべく理由が無ければ大軍派遣もその予算も承認しないだろう。

散文とは様々な要素を自由に盛り込める文章作法。散文の報告書と言うとやや奇妙に響くが、カエサルの報告書は論文と言うより散文風な書き散らし文と想像してみるのだ。戦いの失敗は体裁を整え、読者たるローマ元老/市民にサモアランと信頼と共感を得る必要がある。ローマに彼の政敵は満ち溢れていたのだから。

エブローネンの存在を仮に認めるとしても、二人王の体制はどうだろうか? 親子の二人王のような例は古代ボヘミヤに在るが、平和的並列にやや信憑性を感じがたい。本来「ガリアに関するコメント」と言う性質の著術ゆえに、歴史書でありながら同時に`物語`部分を含んでいると解釈される。物語だよ!と言う含みをAMBIORIXのXに観て見たい。[補註4]

[補註];
1.ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar)紀元前±100年7月13日~44年3月15日。8年に渡る遠征の戦い推移を8冊の書物に著すこと。散文的に長く詳しく優れた書き手であらねばならない。彼はローマ人だからローマ(≒ラテン)語とローマ字で記されている。中世刊行本は「ガリア戦いのコメント(Caesaris Commentarii de Bello Gallico)]と言う題名になり、注釈一冊が加えられている。

2.ラインRhine(英)Rijn(蘭) Rhein(独)。マースMaas(蘭)、ムーズまたミューズMeuse(仏蘭西/白耳義)。現ベルギー連邦の由来がこのBelgica。ケルト諸部族圏の名称。カエサルはガリア(Gallië)の一民族として記述している。Legioはローマ軍制の歩兵軍団を指す。近代軍制の師団に当たるが、規模は小さく、日露戦争当時の旅団人数に当たろうか。1レギオは5コホールからなり、約8000名。欧州諸語はこれをそのまま踏襲して、千名以上ならばレギオンと通称するようだ。

3.捕虜になる/捕虜を採ると言う思考は大昔/古代(恐らく近代まで)に於いて希薄である。捕虜を取ると、施設/食量/警護と言った余分を強いられる。敵(戦闘力を持つ兵/将官)皆殺しが常道だったと思われる。捕らわれると殺される又は恥辱だとする思考は古代ローマやもっと過去に遡るのだろう。米軍沖縄侵攻時の`ひめゆり看護学徒隊`の悲劇は良く知られ、その部分として彼女たちが崖から飛び込み自殺する(フィルム文献)。これは古代からの`捕虜`思考と結びつくだろうか? 戦闘で亡くなった若い女性たちと、ほぼ戦闘終了後にまだ生存していた彼女たち。後者は自ら尊い命を投げ出さねばならなかった…。軍国教育は洗脳だ。現代の過激イスラムや共産支那/北鮮/韓国の洗脳教育に思いを馳せざるを得ない。

4.Xはローマ文字の24個目に位置する。カトリックのカーディナル(大司教)を指すそうだ。同時に数字の10をも表す文字である。そして`分らぬ/不明`と言う語義を備え、同時にX≒ex≒ks≒…でもある。 Xを含むrixは、Vercingetorix、Dumnorixのようにケルト語における名前/苗字の接尾語として機能した。語義は`支配者`で、Ambiorixは後のHendrixやBeatrixと同じように合致する。なおベアトリクスは女性名になっている。「ガリア戦に関するコメント」全九巻に、アムビオリクスを除いてrixを持つ人物名が登場すると思われる。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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