ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Miscellaneous Human History 雑史/外伝

だいだい色の軍隊が名誉革命をつくる

橙色の旗を掲げたりTシャツを着て歩く一行が世界のどこにあるか?
あるいは、どんな集まり・連中なのか?

どうやら欧州に限れば、彼らはオランダ共和制時代の親分職を独占していたオラン二ェ・ナッソウ家に関わっているらしい。オランニェはフランス語オランジェからで、地中海からローヌ川に沿って1時間ほど北にある行政区。ここを領地としてもらったのが神聖ローマ帝国に仕えていたナッソウ家先祖だったと言うわけ。ナッソウ本拠地はヘッンセン州小都市ヴィスバーデンで、盛時に現在の東南ドイツ広域の領主だった。日本では室町幕府が傾いて戦国時代に入った頃、欧州では80年戦争にようそろ入る時期ですが、何のことはない絶えずどこかで戦いがあり、軍資金が出来れば戦って底をつけば休むと言う塩梅です。

地中海性気候の土地だから柑橘類の果物産地だったんでしょう。ルネと言うオランジュ領主2代目が戦死すると、そのオレンジ果樹園は甥っ子ウィレムに継承され、やがてその橙色が北アイルランド政治紛争に一役買ったと言う筋です。

ボイン川戦の大将はウィレム3世です。その確か5代?前のオランニェ・ナッソウ当主がオランジュ領を叔父から継いだウィレム(同名ばかりで疲れます)1世。彼は後に建国の父と言われる人物。建国と言う意味は、当時オランダと言う国の実態はなく、勝手気ままな自治都市や州が散らばっていたに過ぎず、それらが時にフランス・ルイ14世領やケルンやミュンスター大司教領に組み入れられたり、オラニェ・ナッソウの統領を担いだり、やはり自治に留まったりと言う戦国下にあったんですな。[ちなみにイタリアなんてのもついこの間まで存在せなんだ]

1677年、ルイを封じ込めたいステュアート朝3代目チャールズ2世が弟ジェームスの長女を、このウィレムに嫁がせるんです。ウィレムの母親はチャールズとジェームスの間の妹/姉で、この時代貴賎を問わず行われた従兄妹カップルになる。たまたま政治状況がこれを強いた。

この時分、ロンドンとハーグの宮廷はパリ(ブルボン朝フランス)とアーフェン(神聖ローマ皇帝(≒ドイツ)との四すくみと言う感じです。共和国オランダとフランスは織物貿易で摩擦が絶えず、ルイ14世の攻勢が激しい。これを包囲牽制しようと、三度の戦いをしたばかりの共和国と結ぶ政略結婚。王侯子女に政略以外の結婚はあり得ない。

ウィレム3は、低地域を一まとめにしてスペインから独立するため、同時に戦と交渉で忙しく、年も取って既に27にもなっている。相手のマリア(英;マリーやメアリーと仮名化されている)はポチャッと可愛いく親しい間柄だから、と言うわけで愛でたく結婚。とは言えマリーはこれを嫌った。今時の互いにほれて幸せなカップルは例外でした。

1世紀前の国教会設立以来、英国は新旧両派の血みどろ内戦状態。チャールズ治世下にクロムウェル共和時代を挟みますから、カダフィー独裁化のリビア殺戮数なんぞ屁にも及ばない屍が累々と積み上げられた。正統嫡子をもたぬ兄の死後に王位を継いだカトリック信奉者ジェームスは絶対専制を目差し新教派を弾圧。これに対し英国国教会七人衆が王位継承権を持つ海峡向こうの無口だけに戦上手なウィレムを招聘するわけです。

あきんど共和国は金持ちだった。欧州中からの七千傭兵を集めた。計二万余の軍勢を海峡を埋める輸送船団で向かいの島に送るのです。はじめ劣勢ながら、ジェーム2世臣下の新教派ジョン・チャーチルの寝返り/援軍を得る。のちマールボロー卿と言われる武将で、スペイン継承戦で大陸深く入り武勲を挙げています。末裔にウィンストンSチャーチルがいます。

頼みの将軍を失い、ジェームスは勝ち目なく従兄のフランスへ逃亡。ウィレムにとって義父ですから、逃亡を見て見ぬふりをするんですね。血が流れず稀なる(政権というより)王権の交代なので、"ホマレある素晴らしい"と言うことで"名誉の革命"と言われる。漢字が晴れやか過ぎてギクシャクする。300年後、やはり血を流さない革命がチェコスロバキアで起こります。その名はビロード革命と呼ばれます...。

亡命者をルイ14世は手厚く迎えたのは、5才上の従兄ぶりを発揮したと言うより、もちろん今後のブリテンへの影響を拡大するため。時をおかずジェームスはルイの大軍をあずかりスコットランドからアイルランド本島に向かう。まずスコットランドのカトリック陣を次にアイルランドの同胞と結び、イングランド奪回をめざす。ダブリン郊外の確かボイン川の河床が決戦地になります。

[2011年7月04日]
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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