ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Sport スポーツ/ホビー

Atje Keulen-Deelstra アチャ ケウレン-デールストラ 不世出の主婦 

22日の昨日、アチャ・ケウレン・デールストラが亡くなった。まだ74才の若さ。欧州北西の辺境フリースランド(英;フリージアン)に生まれ、不世出の主婦スピードスケート選手。アチャのようなスポーツ主婦は今後まず出ないのではないだろうか。

彼女は独逸による墺太利併合と日中戦争勃発の1938年に生まれる。1962年24才の時、イェッレ・ケウレン(Jelle Keulen)と結婚。イェッレと共に家畜農家を営む。翌年から1966までに3子を出産。若い時代のスポーツ心を持ち続け、1969年31才で主婦スピードスケート選手としてオランダ選手権に出場。前代未聞の出来事と言えるだろう。
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16才の時、フリースランド州`短いバーン`選手権少女の部で優勝。その才能が三十路に入り再稼動するのだ。当時スケート選手権とは4種目の合計を争うだけだった。いわゆるオールラウンドである。大きな競技会は二日間かかりで4回すべる。昔の30才には厳しい体力消耗であった。オランダスケート連盟は3人子持ちの母親、上背がありすぎ、しかも家畜業経営の超多忙な女性に対し、トップスポーツをするのは無理だと再三の助言を与え、ナショナルチームに加えなかった。

ところが、だ。再デヴューして、めきめき記録を伸ばし、翌年の1970年、USのウェスト・アリス世界選手権の出場権を得る[補注1]。500/1000/1500/3000の4種目を一つも勝たなかったにも拘わらず、オールラウンドにふさわしい総合点で、アチャは初優勝する[補注2]。年齢と並び,勝ち方も非常に珍しく、人々を驚かせた。そして71年の2位を除き、72/73/74と連続して世界チャンピオンに輝く。

札幌冬季オリンピックは1972年開催。1964年の東京五輪に呼応する誘致だった。60年代からの高度経済成長が引き続き、順風を受け日本丸が国際社会に船出する時代にぴったりのスポーツ・ビッグイヴェント。東京五輪でテレビが普及、札幌でオールカラーになったのではないだろうか。

戦前の東京五輪が戦争で実現せず、日本初の五輪開催は同時に伝統文化・文様/家紋を十二分に反映することになる。それは日本グラフィックデザイン界総がかりの一大プロジェクト。例えば亀倉勇策によるシンボルマークはそれを象徴する。入場券から競技ピクトグラムまで多岐にわたるアイテムをヴェテランから新鋭までの人々が斬新な仕事を残している。例えば既に故人になり久しい京都琳派を名乗った田中一光(イッコウ)も当時の若侍の一人だった。

欧米のデザイン連中がこの成果に目を見張ったことをここに書いておかなければならない。陸上100mスタート時の瞬間と両手を広げて突進するバタフライの画像と組み合わせた日の丸+五輪のポスターを覚えている方は多いだろう。やや大げさであるが、パリで開かれた万国博(1867)に初出展した日本がヤポニカ(英:ジャポニズム)旋風を起こし、例えば後期新印象派にショックを与えた事象と比較することが出来よう。世界を凌駕する日本の技術革新は同時に、世界における文化的先鋭でもあったと言う事。

札幌冬季オリンピックのデザイン計画はその東京を踏襲するのが↓でお分かりいただけよう。 
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こうしたヴィジュアル感覚は40年前の歴史的遺物である。21世紀のそれと異なる。たとえ同じような印象を持つコンセプトでも明らかな時代空間的な相違が認められる。

彼女の苗字Deelstraのstraはフリース言語の普通名詞に続く接尾語。あるいはヤンの息子を示すJansmaのsmaと同じ意味かも知れない。Deelは家屋の一部を言い、殆どは農家であったから、畜舎や納屋の語義と思われる。
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札幌オリンピックはジャンプ日本3人トリオが一番話題だった。当時のジャンプは両腕を胴部に密着する姿勢で、金メダリスト笠谷は見事に映った。だがそれでは飛距離が出ないことが分かり、今は両腕をジェット機翼のように開く。札幌の華はフィギャースケートのジャネット・リンだ。彼女の宿泊した選手村個室にまつわエピソードを聞いたことがある。ジャネットがサインした壁を記念に残す云々話だったような気がする。2010年代のフィギャースケートは日本選手で占められ、30年前と隔世の感がする。

ジャネットはゴールドメダリストになれなかった。アチャも同じだが、1000m銀、1500mと3000m銅と3度表彰台に上がった。34才にして破格の実力を示したのだ。この年齢ゆえに話題になったと思われるのだが…。チームメイトのアルト・シェンク(Ard Schenk)金3つの陰に隠れた感じも受ける。昨日のアチャの旅立ちを聞き、和蘭の人々は彼についても思いを新たにしたに違いない。

アルトは札幌500mスタートまもなくつまずいて転び、4種目制覇を逃した。500m日本のエースと言うより世界の鈴木恵一に期待があつまったのだが…、惜しくもメダルを逃した。鈴木はスケートが国技であるかのような蘭国において、熟年世代に今なお知られるトビッキリ名選手である。アルトはもちろんアチャよりずっと若い28才だから、当時のスケーターとしてダントツのオールラウンダー。現役引退後、ISU(国際スケート連盟)技術スタッフとして活躍。地味な人柄ながら、現在、技術面で発言力ある要職と思われる。
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札幌は東京の夏五輪の冬版としてのデザインプロジェクトが実行された。焦点はグラフィックデザインだが、目立たないスポーツ機器や計時装置にも力が込められた。冬季は天候と雪の困難があり、長い間それら機器類は技術屋さんが線引きする機械キカイした素朴な表情だった。札幌に於ける計時機器デザインはこれ以降のスポーツ行事道具を衣替えしてゆく嚆矢になったと思われる。人か遊星人か?それはイメージしていただくとして、私も端から力をかし、単純で明快を試みた。こんなのに何で仰山のスケッチをするの?とからかわれ、ニンマリした記憶がある。

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ケウルン・デールストラはスピードスケートのオールランドだけでなく、1970年から始まったスプリント世界選手権においても銀/銅メダルを取っている[補注3]。スケート競技は欧州(蘭国)で始まり、したがって欧州選手権が古い伝統を持ち、世界選手権と並ぶ名誉ある大会である。アチャは3度チャンピオンに輝き、女性スケーターとして傑出するキャリアーを残す。

繰り返して恐縮ながら、こうした実績を残す三十路超え母親は五輪全競技に於いて彼女を除いて例がないのである。御産を経験した女性がトップスポーツに連なるのは容易でない。さすがに21世紀に入り、女性体力が増し、従来男のみの競技と種目に女性が進出し始めた。フットボール/ボクシング/陸上のマラソンに3段跳など、増加しつつある。それに伴い、産後女性が復帰するケースが出てきている。

最近ではベルギー・リンブルフのキム・クライスター(Kim Clijsters)を挙げよう[補注4]。長男ジェッダを産み2年後に復帰。プロテニスサーキットにフルエントリーできず、馴らしの数試合後に全米オープンを制した。続く豪州オープンも勝ち、テニス・グランドスラム史上にユニークな記録を残す。

キムは豪州のあと負傷に悩まされ、再び勝つことはなく、昨年USオープン2回戦UK18才ラウラ・ロブソンに破れ花道からを退いた。29才だからやや長いキャリー…か。キミコ・伊達選手は例外中の例外というべきだろう。伊達さんはお産体験者かどうか知らない。

アチャは4回目ワールドチャンピオン達成の翌年、35才の時リンク周回するスピードスケートから退いた。そして本来、広い湖面氷上を滑るマラソン競技に移ったのである。よくも懲りないと感心せざるを得ない。マラソンは同じスケートながら、多人数がでこぼこ氷上を争う。作戦と体力を要する激しい長時間の距離競技だ。綺麗な整備されたリンクを2人で滑る競技者が引退後しばしばマラソンを目指す。たいてい長続きしない。全く異なる資質を要するためだ。

彼女の滑走を私は幸運にも見ている。確か1980年オランダ・マラソン選手権だっと思う。すなわち彼女は41才で最後の現役年を滑っていたのだった。転向後から1978年を除く1979年までに、デールストラおばさんは5回連続マラソンチャンピオンになっている。偉業と言う以外、なんと形容すべきだろう。

以来、大会のリンクに現れることはなかったそうだ。その代わり必ずテレビ観戦。テレビのほうが良く見えるからだと…。スケーター/母親/農家主婦の3役を過不足無く努めた女性、アチャ・ケウレン・デールストラは昨日、脳梗塞で74才の生涯を閉じた。その凄まじいスポーツキャリアーを思うと、早逝に思えてならない。

先週ノルウェイ・ハーマル開催オールラウンド世界選手権で優勝したIreen Wüst(イレーン・ヴスト)はトィッターで「優れた先達は私の目標だった。ご遺族の皆さんに心から哀悼をささげます」と打っている。目標はアチャおばさんの世界選手権4回制覇に並ぶこと。マラソン実績に迫るのは恐らく難しいけれど、せめてスピードスケートで迫り、追い越せればという願い。その4回に先週イレーンは並んだのである。フリースランドに向かい、私も合掌したい。


[補注];
1、スピードスケート・ワールドチャンピオンは三年の予備大会後の1936年から始まったオールラウンドの勝者を意味した。1970年ようやくスプリントが生まれ、陸上や水泳のような各距離別選手権は1996年まで待たねばならない。

2. 1983年から女子総合は1500の替え5000mが加わる現在の構成になる。

3. 2日間大会。500/1000mをそれぞれ2度すべり、総合点で順位を決める。初日インサイド・スタートなら2日目アウトサイドスタートになり、公平が図られている。4回を失敗無く滑るのが基本。アチャやアルトの素朴な衣服と固定刃の時代から、ハイテック素材の一体縫製ユニフォームと刃がクラップする仕掛け靴の新時代になった。氷リンクは屋外から室内になり、最高のハイテック氷が作られ、かつてのアチャ・アルト記録と比較することは出来ない。スポーツにおけるハイテックとは道具から環境にいたるまでのドーピングである。
なおクラップはklapと言う開発国オランダ語彙。第1儀`手をたたく`とクラップクラップと音がすることから。スポーツに限らぬが、こうした語彙は原語彙を尊重すべきだ。

4. 参照;2012年1月23日「錦織圭 とキム・クライスタースが今日のホットアイテム」
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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