ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Ordinary People 雑人雑名

Three Jorges アルゼンチンのホルヘ三人 

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``小児性愛の巣窟``。徹底的な反カトリックの標語。アイルランドでの抗議デモに於けるインタビューだった。その巣窟の主がこの人。3月31日、復活祭の日曜日、ヴァティカンのサン・ピエトロ広場で祝福の言葉を述べるのは新しいローマカトリック教皇・Jorge Mario Bergoglioと言うアルゼンティンの人。この人が本題一人目のヨルヘ。

質素な生活姿勢を通してきた人らしく、概ね好意的に受け止められている。この10年、カトリック聖職者の性行が外部に報道されてきた。もはや驚く人はいなくなった。それは欧米の議会や司法機関による調査で事実として明らかになったからである。新ローマ教皇選挙と選ばれた後のヨルヘ・マリオ・ベルゴリオ就任式典に拒まれた3人(確かスコットランド/ベルギー/アメリカ)大司教がいる。彼らは過去の小児性愛/男色行為に関わり、謹慎または辞職せざるを得ないだろう。ヨルヘはこの`巣窟`ヴァティカンの改革を期待されている。と言うか改革しなければならない。

履歴が公開され、一つの汚点があるようだ。1970年代アルゼンチン軍事政権時代の、受動的/傍観者的な態度である。1万7千(母親の会による数字)から3万(人権組織)の人々が誘惑され蒸発した。大量殺戮である。少数だが、ヨルヘは高位の聖職者として精一杯の努力をした、と評価する内輪関係者もいる。

しかし、30~40年前に家族/兄弟姉妹を突然失った人々の、ヨルヘに対する怒りは消えない。体制に沈黙した宗教者が何故教皇になる? すると宗教とは半分`そう言うものだ`と、2次大戦中の独逸カトリック組織が例に挙がる。生存中に退位した前教皇ベネディクトことラートティンガーは2次大戦末期に`神の家`組織で修業した人だ。彼を導いた人々と組織は600万殺戮(holocaust)に対して何をしたのだろうか…。

Jorge Mario Bergoglioをヨルゲとつい読みそうだが、スペイン語の国だからホルヘが近い。分りやすいのは英独語彙George(ジョージ/ゲオルグ)。4月1日から ラテン語綴りFranciscusと言う聖人名を借りたローマ教皇になった。76才だそうで、栄養のたりた恰幅の良い人物である。2005年コンクラーヴェ(教皇選挙)で前任者と争い、今回もっとも信者の多い南米から初のローマカトリックの最高位に着座した。
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ブエノスアイレスの広場の名を取った(Asociación Madres de Plaza de Mayo(5月広場の母協会)メンバーの請願を受けるネストル・キルチネル大統領(2005年)。女房が56代として引き継ぎ、3月18日同胞ベルゴグリオ教皇を就任式前日に訪問。フォークランド諸島のアルゼンチン帰属努力を依頼。折り合いが悪い両者だったが、祝福を兼ねて教皇を味方にするタイミング抜群のパフォーマンス。


アルゼンティン大統領をCristina Kirchnerと綴る[補註1]。任期満了の旦那が健康を害し、代わりに出て二人め女性大統領になる。亭主が若死、彼女は若作りの60才前後。二期目に思われ、権力を一心に集めている。カフェの歌手から旦那経由で副大統領職になったエビタ・ペロンや、その後継・若いイザベル大統領と重なるのだが、時代は異なる。取巻きに囲まれ、されたい放題に担ぎ上げられている印象を受けない。

旦那ネストルは、軍制時の罪から恩赦を受けたJorge Videlaを初めとする将軍たちを再び裁判にかけるジェスチャーを示し、民主主義の旗手のイメージ作り。傍ら、汚職や脱税に関し主に政敵連中をひっくくり、政権安定化を図る。学生結婚相手がこさえたこの路線を踏襲するのがクリスティーナ。

官僚に多くの支持者を配するようになったそうだ。味方がいれば敵もドッといる。還暦のオバチャン剛腕の例がある。2009年にキルチネス一家の腐敗含みの内情を暴くと言うふれこみ本が出版された。彼女はすぐさま全部を購入して廃棄した、と著者のジャーナリストが寒心している。女性を頭領に選ぶ熱い南米気質も、こうしたマフィア的仕業も、やはりアルゼンティンらしい。

1976年、上述の苗字ヴィデラ、名をヨルヘと言う将軍がイザヴェルを追い出し、軍事政権を樹立[補註2]。二人目のヨルヘは後任に譲る1981年まで大統領を務めた。その任期中に、あらゆる左翼活動家を拉致し、拷問し、殺し続けた。治安警察と言うより軍の特殊部隊と解される。その治安活動の写真やフィルムが残されている。ある日、息子が蒸発する。情報も痕跡もなく`実体`が`消滅`するのである。

初期の裁判から、本題二人めのヨルヘは「共産主義の悪魔を取り除くために、彼らはもともと存在してはならない。蒸発するのは存在していないのだから…」のような理屈も述べている。他将軍も「共産主義に対する民主主義が成さねばならない戦争だった」と述べている。これらは裁判中の数多くの証言中にあり、アルゼンティン最近のドキュメント・フィルム中で引用されている。


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復活祭の言葉、しかも選出されたばかりのフランチェスコ(イタリア語表記らしい)教皇だから、16万の信者が集まったと言われる。ほぼ円形の聖ピエトロ広場に16万詰め込むとたいてい圧死するだろう。とまれご覧のようにぎゅう詰め、寒いけれど陽射しがある。「貧しき人々」へ平易なイタリア語で語り、各局で自国語に同時通訳された。
正面の聖ペトロ(これはラテン語表記か)聖堂はTV中継画像ですら十分な威容を感じさせる。総本山の貫禄(スキャンダルの大巣窟と言うコンテクストに於いても)と言うべき石造建築。設計は15世紀末のブラマンテからラファエロを経て、晩年10年の精魂を注ぎ込んだミケルアンジェロによる。直径30mほどと思われるドーム部分は力強い柱に支えられ、注ぐ光と陰の織り成す、私には恐るべき空間に思えた。ミケルアンジェロの死後30年後、彼の最終基本設計をデラ・ポルタが1590年に完成させている。正面右手にみえる建物近くにシスティーナ・カペルがある筈。青年期ミケルアンジェロのフレスコ画の数々が詰まっている。首が痛くなるが、双眼鏡を持ってじっくり鑑賞しよう…


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アルゼンティンン現代女性でもっともその国で人気があるのはマクシマらしい。幼名Máxima Zorreguietaと綴り、西班牙バスク出身家系。ゾレグエタと蘭で呼ばれ、来たる4月31日に`オランダ女王`になる。亭主がウィレム・アレクサンダー・ファン・オラニェ・ナッソー、つまり現女王ベアトリクスの長男だから、国王配偶者・呼び名としてマア良いだろう、と首相マルク・ルッテの談話が出た。

`女王`呼称に反対する人は大変に多い。一番の理由は、過去3名続いた女王の旦那が親王(Prince)であったからだ。もしアレクサンダーが早逝した場合、未亡人マクシマは`女王`呼称の代りにプリンセスに変わる。アルゼンティン国籍も持つ二重国籍者は王位継承権たる血を持たないからだ。彼女の3人娘たちは4月1日以降、継承順位1・2・3位になるが…。保守的なオランニェ・ナッソーのファングループ、言い換えれば立憲君主体制支持派がこうした頓珍漢な時代錯誤を言いだす。トンチンカンだが、社会お偉方が女王を持ち上げ。そちらに傾くので、なし崩しにあたかも公の正義であるかのように容認される[補註3]。

アルゼンティン女性が女王になる。白雪姫のような話。プリンスのお眼鏡にかない幸せな宮殿生活をする。お伽話が現実になった。ゴシップメディアのトップ記事である。アルゼンティン市井社会で人気№1が理解できる。これはクリスティーナ・キルチネスにとって面白くないそうだ。2年前、前軍事政権の自宅逮捕扱いであった将軍たちが非人道性行いから、アムネスティー赦免対象にならない判断が下された。これはアルゼンティンで世紀の事件展開になった。クリスティーナ政権の意向がはっきりと示されているのだ。

Jorge Zorreguietaはマクシマの父親。本題3人目のヨルヘである。現在85才、二人めヨルヘがクーデター成功した時、3人めヨルヘは48才で農業界の実力家。彼は軍事政権に於ける農業省の準大臣に就任。アルゼンティンは農業分野を要にする一次産業国家であった。大臣は何も知らない軍人と思われ、事実上のボスはヨルヘだった。その彼がヴィデラ軍事独裁の`蒸発/殺戮`を知らない筈はない。即ち政権を支える重要な位置にいた、と言うのが議論の核なのである。

1981年、ヨルヘ・ヴィデラは大統領職をロバルト・ヴィオラ将軍に譲った。そして11日間Carlos Lacoste、次にLeopoldo Galtieriらが続き、1982年6月に民政政権が誕生。この期間ガルティエリ師団がフォークアイランドに侵攻/占領、2次大戦後はじめてのハイテックな現代兵器使用の戦が起こった。UKの植民地主義を許さぬと言う自国民向けの愛国心に訴える政権の決断だった。背景として、落ち込みつつある軍政の立て直し試みがあろう。結果的にマーガレット・サッチャーの決意と采配がアルゼンティン軍事独裁に終止符を打たせ、彼女自身のトーリー党1983年選挙を勝利に導くことになる。

軍政期、アルゼンティン農業生産は好調に伸び、砂糖/肉/穀物の輸出で記録を塗り替えるほどだった。ヨルヘ・ゾレグエタはヨルヘ・ヴィデラに最大の貢献をしたのである。1981年二人のヨルへは公職から退いた。元大統領は世界フットボール選手権の主催団体委員長などになったようだ。元農業大臣は砂糖団体の代表など業界要職に収まる。

何不自由なく育ったマクシマ・ゾレグエタはセビリア万博パーティーでアレクサンダーの目に留まった。彼はダッチガールフレンドと破断後、母と祖母の配偶者が何故ドイツ貴族(末裔)だったか理解したのだろう。同胞相手ではお里が知れる…故にインターナショナル・パーティーごとに熱心に物色していたのだ。ようやく資産家の娘をめっけた分け、しかも彼自身の努力で。オランダ企業のアルゼンティン投資は活発で、そうしたビジネスミッションのたびにプリンスは忙しくアルゼンティンと彼女の務めるニューヨークを訪れていた。2000年交際が発表され、軍制時代閣僚の娘がクローズアップされる。

もし娘がプリンスと所帯を持たねば、民間人ヨルヘが注目を浴びることはなかった。ヨルヘを含む非軍人大臣たちを新たに訴訟する熱意もわかなかったのではないだろうか。クリスティーナはアルゼンティン女性としての`ライバル`を持たず、張り合いに欠けたことだろうが…。

簡単な図を描いてみよう。大量虐殺を見て見ぬふりをした閣僚の罪が新たに問われうる。つまりマクシマの父親ヨルヘも訴訟対象になる。蘭法律が変わり、被害者家族が蘭国籍を有する場合、外国人加害者を訴訟出来る様になったそうだ。早速、ヨルヘが訴訟されている。加えて、当時のアルゼンティン女性のなお行方不明扱いとその誘惑に関わった疑惑が彼に浮かび上がっている。因みに時効切れの犯罪容疑が裁かれる。上述アルゼンティン高齢将軍たちがなした幼児500名の誘惑事件で、彼らは既に数十年の収監判決を受けている。

すると蘭王室は王配偶者の父親の有罪と収監を避ける努力をするだろう。王室職務は、蘭企業のアルゼンティン投資の積極策や水利インフラ整備への援助を何気なくプロモートすることだ。彼ら夫婦は産業界への影響力を最大に使う筈。この場合も王室と産業界の利益は一致している。言い換えれば立憲君主国家に於いて、産業界要人の基本姿勢は王室ファンで君主制擁護者と言うこと。

女王と言う役職名を許されるマクシマが監獄にぶち込まれる父親を持つわけにいくまい。アルゼンティン大統領はヨルヘ老人を`救う`代わりに、蘭企業のさらなる進出と農産物輸出拡大を求める。同時に軍事独裁者ヨルヘを切り札にして、ローマ教皇ヨルヘ即ちフランチェスコに政治課題への協力を依頼した。そして軍事内閣時の農業準大臣ヨルヘを父親にするマクシマが属する-オラニェ・ファン・ナッソウ―家の応援を得て、アルゼンティン経済の飛翔を計ることが出来る。タヌキとキツネの化かし合いに見えなくもない。

[補註];
1.前任者で旦那の苗字がキルフェネル/キルフェナー故だが、スペイン語だとそのままローマ字読みでキルチネル。あちこち散見され、熱心な`教会通いの信者`と言う感じの苗字だろうか。スイス-ドイツ系らしいが、2次大戦の独逸戦犯の多くが南米に逃げた。彼女の旦那はその次世代かもしれない。

2.三木武夫内閣になり田中角栄は目白から闇将軍ぶりを発揮した頃。ペロンの2度目の妻がエビタでミュージカル「Don't Cry for Me Argentina」の人。イザベラは3人目の妻。アルゼンティン軍事クーデターは3名将軍の音頭取りで、かしらがヨルヘ・ヴィデラ将軍。実質肩書は三軍総司令官と思われる。現在88才高齢で、昨年から再び収監されつつ「共産主義に対する戦争故、(大量殺戮は」為政者として当然の措置」と鼻息荒い。

3.リパブリカン(共和制支持)主義者の中には、呼び名など重要で無い、とりあえず完全な儀礼職に留め、総理大臣並みの年俸にしよう、と言う人も多い。77才ほどのベアトリクスは先月、40代半ばの息子に王位職を譲る短い談話を発表。ほぼ大方の国民に歓迎された。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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