ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Oh every day 日々そうそう

Anything with Margaret Thatcher サッチャー葬儀にちなみ

ダウニング通り10番地・官邸前。初孫を喜ぶマギー祖母。息子マークと義娘ダイアーン。右;子供たちキャロル・マーク、妻マギーと夫デニス
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死は日常に満ち溢れている。医術や衛生状態が進むにつれ、そこらに散らばる死は遠のき、一見普段の生活で意識されなくなる。しかし生を受けた者は死を迎える。生れなければ死ぬことはない。キリスト以前も今も、それは変わらぬ。

3月初めに4才の時から見知るメウーセが24才で亡くなった。事故-入院-病室事故…不運が重なり植物人間として数ヵ月、他学科治療中の私は彼を見舞った。その夕方に医師団の見込みを受けた家族が`飛翔`を決めた。父親ディリックと母親アネッテの悲しみは測り知れない。メウーセはカモメの語義。私の子供たちと遊び、長身で精悍な若者に育った。そして美しい青い空へ羽ばたき旅立った。共住まい恋人、3人姉妹とそれぞれ共住まいパートナー、大学の友達、家族親戚、数百名が広い緑の場所から見送った。

4月11日、95才ほどの叔母が逝く。娘と孫が傍にいた時、アッと言う間の自然死だったらしい。勘の鋭いテキパキ叔母だった。密葬に近いこじんまりと静かに見送られたそうだ。4月12日、風をこじらし数ヵ月入院していたヨウケが突然なくなった。脳内感染?だとか、発見が遅れた結果と言う。64才でパートナー/息子/娘に別れる時間もなかった。昨年半ば良く知るアンネマリーが53才で天国に行った。ガン腫瘍の脳転移で打つ手がなかった。配偶者と二人子供が残された。

生と死は一体である。この脈絡に於いて、生は喜ばしく死は忌み嫌われると言う概念、と言うか感覚は正しくない。死は旅立ち、言い代えれば出発である。数年前にアカデミー外国映画賞を得た日本映画がサブ・テーマとして、そんな`出立(シュッタツ)`の場面を描いている。

ミケルアンジェロ(Michelangelo Buonarroti)は15~16世紀に88才まで生きた人。ルネサンス期にして例外的長寿である。彼の死後3年経ち、米沢に伊達正宗が生れている。その生涯69年も、当時の長寿である。長生き故に後世に名を残す、と言う理屈はない。この二人は偉人にして、少数派に属するだろう。

セィント・ポール大聖堂のドーム基部(床から54m高に固定された…)カメラからの画像。床のパターンと葬儀列席者群が望める。近年のTVライブの新視角である。円周中心部の北(上)側の赤い部分はマーガレット・サッチャーの眠る棺。赤はUK国旗の十字部分。中心の南西(右斜め下)側の二つの赤い部分が女王夫妻の位置。
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昨日、田端義夫が逝った。バタヤンと親しまれ、戦前のヒット曲から戦後の数多くの歌まで、ギターを抱える国民的歌手であったそうだ。白黒テレビ時代に私も見て聞いたような気がするが、良く覚えていない。歌好きの方なら戦前の`大利根月夜`、戦後の``かえり船`、`別れの浜千鳥`など沢山のメロディーを暗唱されるだろう。94年の長丁場、歌謡曲界に尽くした人であると言う。

ミケルアンジェロや正宗の時代と違い、21世紀のこんにち、94才は珍しくない。長寿スーパー先進国・日本ならば、近所の○○さんは100才のおめでたと言った話題に接するだろう。世界長寿歴代8位と言われる木村次郎右衞門さんは、今日時点で116才、生存者世界一である。京丹後市の人で、米も良い、新鮮海産物もドッとある。

4月17日水曜日、国葬に準じる`鉄女性宰相への敬意;テームズ川に沿うウエストミンスター議事堂に半旗が掲げられている。
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聖クレメント・デーン教会で最初の儀式手続きが行われる。その英国教々会から、棺は砲筒運搬車(Gun carriage)に乗せられ、聖ポール大聖堂に向かう。生前の希望`大げさにせず簡素に`従い、国葬の代りに`軍`主催の葬儀だから、六頭馬車仕立ての大砲運搬車と言う`制式`である。棺両側に肩担ぎ4名づつ計8名が沿う。赤い制式で正装2名の指揮官(横向きと後ろ向き)と共に全行程を一糸乱れぬ大役を務める。儀式のかたちだ。


今、バタヤン葬儀の準備に業界関係者は忙しいに違いない。歴任の長い日本歌手協会々長であった人だから、とりわけ熟年/高齢の知名な歌手が参列するだろう。家族や親族にとって人生を全うし、人々の心に語りかけたバタヤンの旅立ちを晴れ晴れとして見送れるのではないだろうか。

我亡父は京丹後市に属する波際の村で生まれた。大陸に雄飛して、幼い赤子を抱えつつ必至で引揚げ、平成14年に89才にて旅発つ。同郷・木村さんより16才若く、今年まだ生きていれば百才になる。陽射しのきつい海辺の村ではそれでも長寿ランキングの端っこに入るそうだ。戦後しばらくして京都と言う都会暮らしが、海辺の肉体労働をしなかった分の長生きをさせたのかも知れない。(遠縁の叔父のように激しい魚師生活をする村人は、当時、70才以前に旅立ったように思われる)

Margaret Hilda Thatcher;The United Kingdom 首相1979年5月4日―1990年11月28日。左は保守党党首としてダウニングストリート10番前でインタヴューに応える。中:化学専攻、就職先?。右:国際政治外交に於ける主役の一人として、自信に満ち溢れる全盛期の表情。
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彼女の11年と半年の政権は戦後UK最長期間。後継者ジョン・メイジャー1997年半ばまでを含めると保守党政権は18年に及ぶ。これは後述する同時代の西ドイツ連邦共和国に於けるキリスト教民主CDU+キリスト教社会同盟CSUコンビによる保守長期政権と並行する。労働党ニューイメージのトニー・ブレア―が選挙に大勝し、日本で二大政党論議が喧しくなる。ブレア―政権はサッチャーに続く10年余になる。短期間ゴードン・ブラウンと、現在進行形キャメロン保守を除き、UK政権の程よい寿命が早変わり日本首相職または日本政治の特質「派閥/たらいまわし」を浮き上がらせる。
 
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マギー女史の相手役たち。上からFrançois Mitterrand(フランス大統領1981-1995)、 Mikhail Gorbachev(ソヴィエト連邦最高指導者 1985-1991)、Helmut Kohl (西ドイツ首相1982-1998)。フランス第5共和政のミッテラン大統領もコール西独首相と変わらぬ長期間である。

歌手・田端義夫の来たるべき葬儀は盛大且つ厳粛に執り行われるだろう。亡父の場合も田舎の仕来たりに従い、立派に行われたと思う。小さな村と近在から葬儀参会をいただいた。半農半漁の村はかつて3百戸ほどを数え、3名が師範を出ている。亡父はその内の1人で、地元の中/高勤務したことがあり、教え子の方々も多かったそうだ。

亡母が健在で、配偶者のために精一杯の力を出した。そして村の通り道筋ごとの小組があり、そのゴウリキ(合力≒協力)をいただいた。村社会の相互義務である。葬儀の大筋は該当家の意向を聞き、村のお年寄り衆の評定によって決定される。葬儀次第や順列は仕来たりによって定まっている。この時、海外にいる息子たちのために、評定衆は葬儀日を2日先延べする例外的決定をした。伝統と言うべき`かたち`を整え、亡父は旅立った。

午前10時に王様連合国家三軍主催の葬儀が始まる。聖クレメント・デーン教会から哀悼ミサの行われる聖ポール大聖堂まで長い`棺`行列が静かに進んだ。軍楽隊の曲は高名なドイツ作曲家のものだった(ミサではUK聖曲)。道筋の両側に拍手をしつつ、眠る元首相を見送る人々が溢れている。向うに目的地の聖堂が見える。
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右手奥から左に折れ、棺が聖堂前に到着寸前の場面。広場の中心に立つ白い彫像はアン・ステュアルト(Anne Stuart)。大火事で焼失した聖堂再建3案目決定時のUK女王。従兄ウィリアム3世(蘭総統ウィレム3世)が落馬療養中に肺炎を併発して亡くなったために、女王載冠を受ける。姉マリー2世に続く姉妹君主である。ウィリアム/マリー夫婦に世継ぎ無し。17回だかの妊娠歴のアンも流産を繰り返し、生まれた子をすべて亡くした。以上から、大聖堂前の立像はステュアルト朝の終焉を語っている…。治世7年間に、ぶくぶく太り、49才没時の特別幅広の棺が必要だった。しかし彫刻は理想化され、端正な容姿に作られている。わたしが好む「王様の集まる国」と言うのは現在名で、当時の正式名でない。スコットランド王ジェームス7世がイングランド王ジェームス1世を名乗る国を「同君連合」国家と言う。アンが亡くなると大陸ドイツのハノーファー選帝侯がジェームス1世血筋ゆえにロンドンに迎えられる。この時から(ハノーファー領地込みかどうか知らない)、大ブリテン国家に名前替えする。実質は王様国家が寄り集まり、それらに独り王が君臨している状態に変わりない。


亡母は配偶者の8年後・平成22年に逝った。既におおかたの同時代の親戚/知人は物故している。喪主は晩年を引き取り介護した長男である。その旅送りは僅かの親族者と長男家族に10名ほどに留まる簡素ぶり。今日のながいき一つの典型であるまいか。同時代人の最期として長寿だった人は最早近い親戚/友人を殆ど持たない。生存する親族や友がいても、高齢で葬儀に出席できないのだ。善良な庶民である長寿高齢者の旅立ちは、而して、極めて実質的、と言うか`寂しい`と思われる。

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上画像;前列左から二人めに現イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフ(בנימין נתניהוヘブライ語綴りからのアルファベット化→ Benjamin Netanyahu)。同右から二人めに冷戦時のUSAニクソン政権時の外交主役ヘンリー・キッシンジャー。サッチャーより2歳年上の90才、ドイツ系ユダヤ人。 下画像;左からアンソニー・ブレア―、ジョン・メイジャー夫妻、デーヴィッド・キャメロン夫妻。元首班だけでなく、生存する全ての大臣経験者が参列する。ロンドンのビショップであるリチャード・チャットリスのユーモアに富む説教に微笑を洩らす(元)政権担当者たち。

長寿の物故者の寂しさはマーガレット・サッチャー葬儀にも見られる。8日に亡くなり17日葬儀までの9日間に、葬儀組織は内外要人に列席招待状を出した。アルゼンティン大統領Cキルチネスを除き、そのリストに主要なる政権担当者たちが網羅されている。組織側は勿論多くの首脳陣参列を予想した。加えて重要招待者として、既に亡くなっているUS40代大統領ロナルド・りーガン配偶者ナンシー、ミハエル・ゴルバチェフ、ヘルムート・コールを忘れていない。彼らはサッチャーと共に共産国家崩壊の舞台の主要役者である。

実際に参列した現役首脳はイスラエルとポーランドの二人首相だけだった。ゴルバチェフもコールもナンシーも儀式の肉体的消耗を避けなければならない高齢老人になっていた。そして、最大同盟国USの外務次官クラス派遣に見られるように、殆どの国にとって`鉄腕女性`は過去の人と見なされたと言うこと。恐らく葬儀委員会は大いなる失望をしたに違いない。仮にフォークアイランド戦役の敵国アルゼンティン大統領に列席を求めたとしても、クリスティーナ女史は過去の人に時間を割かなかっただろう…。リストは過剰な期待に満ち溢れていたに過ぎなかった…。

1965(昭和40)年1月ウィンストン・チャーチル国葬、2013年4月国葬に準じるマーガレット・サッチャーの軍(+教会)葬。両者の最大公約数は戦争遂行して勝利を収めたこと。後者の勝利はブリテン人にとっての愛国心の高揚であるが、国際的な共有感を持たなかった。これが`過去の人`と並ぶ、当時と現在の首脳人を欠いた`さびしい`葬儀の理由だ。

上;首相官邸前、保守党の若い党首キャメロンに支えられるサッチャー女史。既に認知症で患っている。中;南アフリカ元大統領クラーク夫妻。下;BBCカメラマンのお気に召した参列者か…
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君主はシモジモ/臣民の葬儀に関わらず。これが君主国家として大国中一位と二位の歴史を持つ日英の原則と思われる。エリザベス2世は在位60年を昨年いわった。長期間に確か13名の首相を経験している。チャーチルが彼女の初首相だった。彼の国葬に首脳人が集まり、棺は聖ポール大聖堂に運ばれた。ミサに女王が臨席した。例外である。先の水曜日17日、同じ聖堂に再び女王(夫妻)が会葬した。2度目の例外である。
下の場面は、旦那と妻が隣の上さんの葬式に出て、一同と共に讃美歌を歌う情景に相当する。エディンバラ公は当時のギリシャ王室から養子に迎えられた`旦那`である。普段`妻`をキャベッジと呼ぶそうだ。優しく如才のない`妻`は棺の中の主より半年ほど若い。事実、高齢ゆえでしばしば入院するプリンス旦那に比べ、クイーン妻は溌剌と健康に見える。
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聖堂玄関階段上部からサッチャー棺を見送り、聖職者3名と歓談(≒勤めを終えホッとした様子)する君主夫妻。英国国教会のお偉方;左から1.Richard Chatres, 2.David Ison, 3.Justin Welby。1はロンドン主教(聖ポール大聖堂に座を持ち、ロンドンを管轄する)、2は聖ポール大聖堂自身の首席主教、3は国教会の頭に成るカンタベリー大主教。序列は3>1>2となる。確か昨年、アングリカン総本山カンタベリー首座をチャットリスとウェルビーが争い、後者が選挙で勝った。ウェルビーが結婚し二人の子供を持つように、英国教会は世帯を許す。ヘンリー8世が16世紀前期にローマと袂を分かち英国教会を立ち上げた理由は彼自身の最初の妻カタリーナとの離婚問題だった。奇妙に聞こえるが、離婚を許す`彼自身の`キリスト教組織は従って結婚を許さなければならない屁理屈になろう。軍主催の行事とは言え、言うまでもなくもアングリカン組織抜きで成立しない。上位3名の説教がクワイアーによる聖歌と共にミサの骨格を成す。これも儀式の`かたち`であり、教会は立憲君主制と同じで儀式無しで存在しない組織である。


マーガレット・サッチャーと言う政治家は野党を言うに及ばず党友にすら厳しい人だった。気を許せる議会人を持たなかったそうだ。その代り官邸職員や秘書に優しい気配りを示し人気があったと言われる。並みの党首なら数名のお気に入りを重要閣僚に配し、党内に言わば閥を形成する。サッチャー女史はブリテン国家だけでなく、かつての列強諸国中でも初の女性宰相である。ハノーファー朝ジョージ3代目の世に、初首相が登場して以来、彼女は71代目に当たる。ブリテン史の前にも後にも唯一の女性宰相である。男社会の政治に於いて頭角を現した女性ならば、誰も成しえなかった際立つ力を発揮したと言わねばならない。[後に出てくる他国女性首相の嚆矢になったのだが、彼女たちをサッチャー女史と比べることは出来ない]

その彼女いわく「ウーマンリブ、そんなものはこの世に存在しないのよ」。男社会を制した御仁ならではの言葉である。ネオ・リベラリズムと評される政策を進め、例えばお古の技術/工場/企業を自由競争にさらし倒産させ、国有企業を民間化。国家に不可欠な技術革新を進め、競争による効率化によって、他国に追いつき追い越し国力を高めること。自動車産業も電気/将来のコンピューター産業からも生粋UK企業は消えて行ったのだった。群雄割拠する伝統ブランド、MG/ロールスロイス/ジャグワなどは米仏伊日メーカーに太刀打ちできずブリティッシュ・レイランドに一括され、やがて分散して蒸発していった。

代価は大きい。失業者を増大させ、労働者の怒りはストライキを誘発、アイアールエー(IRA)への厳しい取締りは逆にテロをよぶ。保守党大会ブライトンだっかホテル爆破事故は国われの当時UKを象徴している。爆破を逃れた首相がインタヴユーに応え「怪我もなく大丈夫、テロを無くすように頑張るわ」と言う元気ぶり。

かたやロンドン金融街Cityへの規制を大幅に緩和、産業への投融資の自由化を奨励。世界金融の中心ロンドンのシティーをゆるぎないものにした。銀行/企業トップの収入/ボーナスが1980年初頭から倍増に倍増を重ねるのは彼女の経済政策の付録だ。長い保守党政権が、旧弊の社会主義によりかかる労働党キャラハン時代の窒息しつつあった英国を救ったのだと…。サッチャーイズムとはアメリカ的な自由資本主義と言えるだろう。同時にそれがりーガンとの2人3脚による東欧の政治自由化であったのは筋として理屈にかなった経緯と言わねばならない。

アマンダ・サッチャー(19才)、元首相の孫。サッチャー息子・マークの娘。南アフリカで育ち、両親離婚後、兄マイケルと共に母親ダイアーンの生まれ故郷USに移住。ダイアーンは億万資産家バーグドルフと再婚。兄妹はUK+US二重国籍者だが、殆ど生粋テキサス人なそうな。棺の後ろから兄と並びガーター勲章を運び、家族を代表してマイクの前で言葉を述べた。晩年の祖母にとって二人の孫が最も愛しい存在だったようだ。不詳?息子の謝辞では盛り上がらない。リッチモンド大・宗教学科在学中だから、キリスト教テキストから引用、短い挨拶だった。
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階段下に並び、サッチャー棺車を見送る家族。左から娘キャロル。不明?、サラとマーク夫妻、孫マイケルとアマンダ。キャロルはマークと二卵性双生児、職業ジャーナリストで時々物議を醸すのだが、`名誉`なる敬称を許されている。マークはサーである。[ミスマネージメントの税金泥棒・銀行頭取もSir(卿)付きと言うイカサマ制度をもつ国である]。時々相手を持つが基本的に独身主義の人。マークはサラと2008年に密かに再婚。


1989末のベルリン壁崩壊の実況を見つつ、これってポーランドから芽が出た結果なんだな~と思ったのを覚えている。この壁の将棋倒しがソヴィエト連邦と東欧共産国家群の崩壊だった。サッチャーとロナルド・リーガンさらに東西ドイツ統合のヘルムート・コールが力を合わせ西側`自由と資本`をイェルチン政権に植え付けた。ニワカ成金`オルガヒル`が輩出したのはこの所為だ。皮肉にも、輝かしい西側の`自由`がやがて一見この`民主化`を秩序で制御するプーチン台頭の下ごしらえをすることになる。小さな権力者は(石油/ガス)資本の力を最大に用いつつ、`帝政ロシア`気質を発揮して独裁力を手中にしている。徹底した自由主義を唱えたマーガレット・サッチャー資産の一つがロシア的に開花していると解釈される。

はや5年になる。ギリシャ共和国の借金経営が明らかになり、出来の悪い地中海沿岸EU圏の四苦八苦が継続している。北のEU諸国に火が広がり、債務危機から共同通貨ユーロ危機に展開、今や大方の国がマイナス成長の不況に突入した。未曽有の不況である。スペインを例にとると失業率27%、25歳以下の若者に至っては57%。ポルトガル/ギリシャ/イタリアも大なり小なり似ている。フランスは10%大台を超え、鳴り物入りで登場したフランソワ・オランデ大統領の支持が急降下。巨大金融企業の金利操作や買収がらみの不正取引はサルコジー時代に膿を噴出させ、オランデの失政で無い。だが社会党選挙マニフェストと失業率10%越えとの落差は目立つ。

リーマンショック発生は金融業界の横暴とお粗末に因を成す。ギリシャ債務危機もキプロス破綻も銀行暗躍に起因する。それは遠く30年前のサッチャーイズムに起源する。彼女の残した遺産が来たる21世紀、当面、暗い影をつくる。


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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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