ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Ordinary People 雑人雑名

ウクライナの女たち  [セロ弾き;後篇] 

ウクライナはドイツの血に支配されてきたの、知ってる? 
エカチェリーナと言う 専制女王はドイツの女。それからロシアに君臨したロマノフ家はドイツ出向みたいなもの。革命がおこり共産主義になっても、故国ウクライナは相変わらず露西亜の言うまま気儘。その共産主義にいじめられた父と母は1941年ドイツ本国がロシア征伐を始めた時、はじめ悪くないと思ったの。


こんな朗々たる話を半ば夢見るように聞いていた。前後の繋がりがサッパリ分らない。主題はウクライナ。私の前にウクライナの女が微笑していた。

夜汽車はDBだった。当時のDeutsche Bundesbahn(西ドイツ連邦国有鉄道)が走らせる重厚な作りの車両だった。1等車キャビンの3人が向かい合う独立単座のズレ機構が面白かった。背と坐を平らにして左右合わせると、何とか寝られるベッドになる代物だった。最近はさすがに見ない。ローカル線に残っているかも知れない。[補註1]

キャビン連れ合いになった彼女はセロ弾きだった。チェロで無く、セロと聞いて耳新しかった。大きなヴァイオリンで、床に小脚を立てて演奏する楽器。それを持ち 歩いて仏独の仕事場を回る女音楽師。週や月単位仕事で店々(と聞いたように思う。音楽会と聞かなかった)を移動するらしく、そんな職業が存在し、しかも女一人…。音楽学校はキエフで、やや西の町から通ったそうだ。ウクライナの音楽師に初めて会い、やや西と聞いても土地勘も何もない私には想像を超える。

下画像;右手を高く上げて胸をあらわにする女たちの姿が雄々しい。中央は多分インナ・シェフチェンコだろう。ブロンド染めかどうか知る由もない(今のブロンド女性の大部分はファッション・カラーリング)。目的を持ち強い意志を通す女性がそんな`余暇`をもつとは思い難い… インナは1978年夜汽車の音楽師のイメージに重なる。細部表情を覚えている筈もなく、漠然たる印象に過ぎない。束の間の旅の連れ合いは明るい金髪だった。名前はアンナだったような気がする…。
Femen 05
          ローマ・ヴァティカンへの抗議のようで、尼僧の被り物。

1941年6月、戦後一貫するロシアの自国史によると`大祖国戦争`が勃発(補註2)。ロシア語の英訳はGreat Patriotic Warとなる。ナポレオンのロシア遠征に対する19世紀初頭の勝利と重ねた呼称。ただし航空/戦車の技術総力戦と動員数さらに戦闘期間ゆえに`大`を付けている。Patrioticに相当する日本語彙は祖国の他に愛国や母国だ。個人的に大`故郷`戦争はどうだろうか…と考える。なぜならロシア文学が詠うあるいは物語る`故郷`は万人に訴える詩情に溢れているからである。

つい先日、その戦争勝利記念がモスクワ赤の広場であった。今や蘇りつつあるロシア先端軍事力のデモンストレーションがサテライト24時間ニュース局初め各国トップニュースで紹介されご覧になった方も多い筈。シリア紛争において、ロシアと`西側列強`US/EUとは真っ向から対立するさ中で、この見せよがしの軍事行進は多少`意味深`である(補註3)。

サテライトニュースによると数百万(あるいは一千万以上?)ロシア人犠牲者が出ている。無限に近い同胞の血によって得た勝利ゆえ、これを凌ぐロシア戦争記念はないそうだ。当時十代の兵士だった戦役ヴェテランが勲章だらけの軍服を着て参加している(補註4)。

西側通史だと、1941年6月22日はアドルフ・ヒトラーのバルバロッサ作戦の開始日である。ドイツの裏庭に当たる東欧は、ドイツ民族の繁栄のための生存圏`Lebensraum`である。レーベンスラウムは本来生物の棲息環境用語である。バイエルンから頭角を現し、全国警察権を握ったハインリッヒ・ヒムラーは農業学校出身、しばしば生物学の概念を引用している。動物が生き延びる生活圏を全ての民族の頭に立つべきドイツ民族にあてはめる屁理屈。生存圏を確保する正当性はドイツ民族にのみあり…、スラブ人種や経済を牛耳り世界恐慌を誘発するユダヤ人の生存圏は認められない…。従ってこの作戦の動機と目的は、そこに巣食う共産主義者と、不法人種(ユダヤ人など)を排除すること。(補註5)

この戦争は別名(2次大戦の)`東部戦線`と言われる。既に1938年アンシュルス(オーストリア併合)、チェコ・ヅデーデン地域の制圧とドイツ人の移住、翌年ポーランド侵攻、蘭仏政権はUKに亡 命。UKだけが前大戦の西部戦線に於る膠着の如しドイツ攻勢に持ちこたえていた。チャーチルにとって東部戦線の誕生は喜ぶべき進展だった。その分、USを引っ張り出す時間を稼げる。

ドイツ軍団はかつてないスピードでレニングラードに接近、通り道ウクライナにも後方部隊(敵性人殺戮の特殊班)による地獄図がうまれた。スラブ人種であるウクライナ人がユダヤ人狩りを手伝わされたのである。ロシアやっつけの独逸を歓迎する気持ちだったアンナ両親はウクライナの何十万殺戮の惨禍を経験しなければならなかった。

Barbarossa collage

主力軍団通過後の大量殺戮の話をアンナは両親から散々聞いたと言う。だが彼女自身が経験しているのは、日ごろのソ連邦によるウクライナ支配と秘密機関による日常の取り締まりだった。一方、第三帝国ドイツは敗れ、戦犯裁判は遠くに去り、西ドイツはひたすら目覚ましい復興を成しつつある。

「きっと親の気質を引き継いでいるのね」彼女の両親は他民族圧政に対し、強かな姿勢を持っていたのだろう。アンナはキエフ在学中にウクライナ独立グループに入った。地下活動グループでしかるべき西側組織と連絡がある。資金や情報など多くの案件があり、西側とのコンタクトを欠かせない。アンナの音楽の才能が役に立つ。

10年余した1991年8月、地下グループの夢が現実に成った。ウクライナはソ連から独立する。数世紀を掛けた長い長い独立だった。同時にアンナの正夢だ。それから右往左往の混乱期10年以上が続いた。民主化の波、2004年のオレンジ革命が起った。あの広場のどこかに、彼女はいたに違いない。さらに再び10年が過ぎる。今年、セロ弾きのウクライナの女、アンナは古希に少し満たない。

[補註];
1.現在もイニシャル DBは変わらない。西独と東独の国有鉄道が統一され、1994年に民営化された。ドイッチェ・ブンデスバーンのブンデス(連邦)が消えて、只の Deutsche Bahn(ドイツ鉄道)となる。都市間急行も各駅もその車両は機能的インテリデザインで明るく軽快。東西ドイツ統合前の重厚だが野暮ったいイメージを一新した。JRと同 じように経営効率は上々のようだ。一方、各駅乗継で土日家族切符や、初めと終わり日時指定の長期間格安パスなど、顧客優先の優れたアイディア・サービスを 開発している。

2.ドイツ第3帝国軍は3軍編成だった。レニングラード攻略に向かう北方軍団と後尾を抑える南方軍団、そしてその間。ウク ライナは北方軍を側面支援する南方軍に蹂躙されたらしい。各軍団に様々な敵性人を抹殺する後方処理部隊が必ず付いていた。敵性人とは戦争反対知識人や犯罪人、又はスラブ人、とりわけ主なる人種はユダヤ人。
赤の広場は共産主義国家/冷戦時の呼称。現在名は何と言うのだろう?

3.バーレンツ海でかつてロシア原潜が沈没した。その際の救助体制と機器のお粗末があらためて、ソヴィエト連邦から続くロシア軍事技術の停滞を印象付けた。張り子の虎と言うお子様的な一面の事実がばれた事故だった。コソボ紛争時、ベオグラードからコソボまで一夜に南下した露西亜戦車隊の旧式ぶりも目立った。しかし、ロシアは先週の行事によって、技術も金もない晩期の共産時代から急速に立ち上がりつつある軍事力を披露した分けだ。

4.自国を守る愛国のこうした行事は全ての国で行われる。共産体制である北鮮/支那からUK/USまで、時に戦没者慰霊行事として、時に勇ましさを鼓舞する晴れの行事として。参照→2011年11月15日「人形の家が行う儀式の形」。蛇足ながら、軍隊行進の`来賓席`にいならぶ70年前の若き兵士だったヴェテランが数十の輝く勲章を授与されたとは思えない。当時の将校はずっと年上で、殆どは物故者であろう。つまりこうした行事の`正装`があり、ふっと貸衣装を考えてしまう。あるいは後のアフガニスタン紛争などのヴェテランなら、十分に本物の軍装であり得るが…。ロシアに限らず、晴れの軍隊行事の衣装ビジネスは一般経済現象に属する。

5.神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ(Friedrich)1世は日本だと平安時代後期の人物。1155年に``当時のフランスとドイツ``王載冠を受けた。まだ豪族が跋扈する地方勢力の時代ながら、イタリア現在のミラノなどロンヴァルディ域戦役で武名を挙げたようだ。赤い髭からイタリア語Barbarossaの字名は、恐怖と尊敬を同時に意味したと思われる。Rotbartの代りにイタリア語を作戦名に冠したのは、フリードリッヒがドイツ人として始めて名誉の`聖なる`称号をローマ法王からもらったからと想像する。ヒトラーにとって`聖なる`作戦だった。バルバロッサ作戦前後までなら、赤ひげならぬ黒チョボ髭のオーストリア人にとって連合国側と妥協し講和締結する機会はあったと思われる。機会は失われたのではなく、取巻き部下たちと組織がフル回転してナチズムの狂気に突っ走っていた。赤ひげ作戦の発動が地獄の始まりだったと言えよう。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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