ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Sport スポーツ/ホビー

Holy lawn `聖なる芝生`は郷愁

【Google Mapの通常操作で、ズームup⇔down, 右左/上下、自由にどうぞ】


View Larger Map
グレイト・ブリテン諸島に於ける最大のテニス施設・公園である。4年前、光透過材による折りたたみ屋根を設置したセンターコートは15000名ほどの観客収容数を持つ。大規模な全天候型テニスコートとして世界4番目だそうだ。まん丸の第1コート収容数は11000名。第2は4千名、第3コートは3千名ほどらしい。ほかに芝生19コートがある。これらの全体が`聖なる芝生`である。テニスの聖地という意味。


19世紀半ば過ぎた頃、良家の子女が木製のラケットで、のんびりと芝生のコートでボールを打ちあった。緑の芝生は美しく、ゆっくり低く跳ねるボールと、白一色の衣服がハーモニーを奏でる。

そんなイングランドの優雅な光景を作りだしたのは GernとPereraと言う二人の若い医者だった。14世紀あたりから大陸と島で興じられたボール遊びがさまざまな形を取り続いていた[補註1]。ラケットを使わねばクリケット、使えばテニスにそれぞれ思える遊びがあった。彼らは長い柄に小さな面を持つラケットで、ボールを向こうとこっちでやり取りする遊びを、クリケットの芝生ですることを思いついた。1859~1865年の間のことで、点数やルールは今と全く違っていた。

1873年、軍人Wingfieldが同じような遊びのルールブックを上梓し、実用新案権をとった。15/30/45と数えるのはこのルールブックからだ。ウィングフィールドはフランスの遊びから採ったとも言われるが…定かでない。当時のイングランド上流/中流の男女に人気を博しつつある`芝生ボール遊び`が背景になっている。貧乏人というか庶民にそんな時間は取れず、有産階級の出来事。彼は世界初めてのテニスクラブを創設。4年後の1877年に All England Club 選手権を芝生で行うまでに発展。恐るべき普及速度に思える。

Wimbledon 01
センターコートとその実況を映し出す大スクリーン。昨日2日目だから、まだ余裕が見られる。

50代超えの方ならBjörn Borg/John McEnroe/ Chris Evert/ Martina Navratilovaの綴り名を覚えているだろう。彼らは木製ラケット後期の代表。次第に新素材の軽量ラケットに移り行く時である。まだのんびりとした優雅な試合の雰囲気があった。木製故にボールはゆっくりと跳ね、ネットを飛び交うボールを十分に追えた時代。

次の世代 Pete Sampras/ Steffi Graf時代はラケットのハイテック化が進んだ。ボールも強打に耐える改良を重ねた。ラケットフレームとネットの瞬発力が木製をはるかに上回り、その分ボールのスピードがぐんと上がる。そしてパワーテニスの現代に入る。その象徴は褐色のWilliams姉妹だ。激しく打たれるボールのスピードに、言ってみれば、芝生が追いつかなくなった。

ボール速度にトップテニサーは対応しなければならない。芝やクレーと言う自然素材コート、硬質且つ柔軟な新化学素材コートに関わらず[補注2]、例えば20年前に比べると現在は、より選手の敏捷性が要求される。24日月曜日がウィンブルドン初日だった。2013年大会に備え養生してきた艶々の芝生が緑に輝き、雨がちなのでしっとりと湿り気を帯びている。

まず女子シード5番サラ・エラニが簡単に負けた。打つごとに元気な掛け声を発する彼女は慎重に動き過ぎたのかも知れない。悲鳴に近い耳をつんざく声で一/二を争うアザレンカ・シード2番が恐れずまっしぐらにボールを追いかける。両腿を180度に開かされ転がりながら、空を切り裂くような悲鳴を上げ続けた。敏捷すぎる勢いに芝生がまけて、滑らせると言えるだろう。試合に楽勝したが、2回戦以降に支障をきたす痛み(故障)のために競技から退いた。

翌日の2回戦、シード3番/悲鳴度1番のマリア・シャラポヴァ、シード9番キャロライン・ウォズニアッキがボールを追いかけ、やはり止まれなかった。両脚開きまたは強かに転倒。いずれも惨敗して姿を消した。仕上がったばかりの芝生に初めて上がる`怖さ`について語った選手がいる。そのために力を出し切れず、遙か下位プレーヤーに負けた…と、彼女たちは言わなかった。口惜しさが表情に溢れていた。

Wimbledon 02

Wimbledon芝テニス選手権はプロ参加を認めたオープン時代以降、地元United Kingdom国籍の優勝者は出ていない。準決勝を4回経験のTim Hemmenが数年前に引退、今はAndy Murray(26才)に期待が集まる。ディオコヴィッチに続くシード2番、優勝候補の一人だ。彼を除き、ランキング男子100人に入るUK人はいない。2012年ロンドン決勝でフェデーレルに敗れるも、直後のUSオープンで念願グランドスラム一つの初優勝を果たした。今年も大ブリテン6-7千万国民の期待を一身に背負っている。家族はスコットランドの人。息子を家族席で常に声援する母親はテニスママとして馴染まれている。経済危うし王様連合国にあって、士気を高めるポジティビな``渦中``の母と子である。

その日、計10名ほどの男女選手がおなじような故障のために、競技を放棄した。たまたま優勝候補ラファエル・ナダルがベルギーのスティーブ・ダルシスにストレートで負けたため、始め数日の`危険な芝生`が一挙に巷を騒がす結果になった。彼の片脚は明らかに100%機能せず、やや引きつり気味のように見えた。2週間前にクレーコート全仏で優勝を果たしているが、左右に激しく動いても滑りながらブレーキを掛けられるクレーと違い、芝生のウィンブルドンコートは`ツルッ`と滑る。一瞬だからどうしようもない。滑るまいと思うから負担がかかる。パリからロンドンまで2週間あった。彼はその間の準備試合をオミットした。従って今年初めての芝コートと言うマイナス/不利が出たと見なされる[補註3]。

3日目、前日に続きシード選手の敗退が続いた。ロジャー・フェデーレル(32)が負けた。過去10年ほど常に最後の4人に残り、8回決勝に進み、昨年`聖なる芝生`7回目を制した。4大会あわせ17回優勝、史上最大のプレーヤーと見なされる人。起らなかったことが起ったので、これも`聖なる芝生`の悪戯と敷衍解釈される雰囲気である。全盛期を超えたロジャーはパワーとテクニック20代に負けて不思議で無いのだが…。

一方、Kimiko Date-Krumm(JPN)が記録を作った。42才にして3回戦出場は史上初の快挙らしい。4回戦の相手は敵無し、勝つことしか知らないSerena Williams (USA)。30代と40代のヴェテランだから、この二人は痛く辛い転倒から無事だったのである。セレナは格違いで1ゲームもキミコさんに許さないかも知れない。そうならぬように頑張ってほしい。

芝生に対する滑らないシューズが開発されている。逆にそれは芝生を傷める。と言うか直ぐにバックラインあたりを裸にしてしまう。そんなシューズをクラブ側は禁止している。滑りにくいが芝を破損させないシューズの開発は矛と盾になり難しい。今週のような雨がちならば、3日間くらいバックライン界隈の芝が何とか残る。もし滑り止めシューズならそこは1日で裸地に成り、コートあちこちが芝と地との斑になる。それではウィンブルドンの威厳にかかわろう。

近代テニス発祥、陽光輝く男女の遊ぶ光景は19世紀半ばだった。緑の芝生でのどかに打ち合うテニスは白いユニホームに限られる。ノーブルとは左様な頑固さでもある。芝生のテニス期間は2週間ほど、即ち第26週目の6月から27週目の7月初めまで。プロ選手たちはその間に1つまたは2つの試合をこなすに過ぎない。一回戦で負ければ、芝生テニスはそれで終わりなのである。

Wimbledon 04

28日午後;雨。センターコートの折り畳み屋根が10分で閉じられた。上部の白っぽい折り畳み部分が広がる形で雨かぜをシャットアウトする。センタコートだけが全天候で試合が続く。他すべては中止になる。↓の斜面は2枚目コラージュと同じ第1コートの北側斜面。アンディー・マーレイが登場するので、大スクリーンを見るために、座る場所もない…。

数多くのプロテニス試合が2つのテニス組織によって世界中で運営されている。この6月下旬から7月上旬の芝テニスを除けば、全て均一で水平な新素材コートで行われる。ならばテニス巡業生活をするプロたちは芝生を無視してもいいのではないか…。

ところが…だ。全英芝のテニスとクロケットのクラブ(All England Lawn Tennis and Croquet Club)主催の大会こそが最も権威あるテニス行事なのだ。ロンドン郊外ウィンブルドンで勝つことがテニストップの夢である。参加出来ることが、何か特別だと元プロ経験者が語る。

なぜなら芝生だからである。なぜなら2週間の期間に限られるからだ。なぜならば破廉恥な色に汚されない白い衣服しか許されないからである。``夢のようなテニス19世紀``これら郷愁が現代若者たちを駆り立てる。


[補注];

1.Tudor朝2代目ヘンリー8世は二人め女房アン・ブーリンをマサカリ首切り刑にした。1536年5月17日、信長3歳の時である。反逆/姦通/近親相姦、何でもござれの理由を付けるのが専制絶対君主。彼はアンの処刑中、`テニス`に興じていた。信長の子供時代の遊びに`蹴鞠`や`羽子板`風なものがあったのだろうか?

2.4つの大会は始め芝生であった。現在、豪/仏/英/米はそれぞれハードHard/クレーClay/芝Grass/ハードのコート。クレーはむかし運動場の硬い地面を指したが、テニスも陸上競技のアンツーカーと同種の地である。煉瓦を細かく砕いたものを複数層のトップに敷いたコートで外見は赤茶の場合が多い。下層に弾力性がある。一種のショックアブソーバーで、脚関節を保護する。弾性を強めると競歩速度を助ける。一種の機器/土壌ドーピングになる。
芝はイネ科ドクムギ(Lolium)属の数種の草。用途によってさまざまな園芸種が開発されている。植物だからメインテナンスが難しい。芝だから不均一なのが自然、その気まぐれが試合を面白くするのだが…。人工芝をこれに含ませるかどうか? ハードコートはコートの水平と均一を提供する。さまざまな素材が可能、例えばラバー/リノリューム/人工芝など多様である。USopenはアクリル系カーペットらしい。素材によってボールスピードや跳ね返りをコントロールできる。一般に芝生ほど速くしていない。

3.フランス・オープンとオールインブランドオープンとの時間差は2週間。これではクレーから芝への切り替えが短すぎて難しい。ナダルとエラニ1回戦とフェレーレルとシャラポヴァ2回戦の早期敗退はそれを物語っているそうだ。彼らを破り番狂わせを演じたランキング下位選手も同じことだが、ただしシード上位選手は全仏での試合数が多い…と述べている。 とまれ2014年から2大会の間に3週間を置くそうだ。


関連記事
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

Profile

ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
この記事にリンクを貼る

Designed by Shibata

タグリスト

access
access online
現在の閲覧者数:
Latest trackbacks
Search form

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ