ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Art 絵画/ 建築

オランダリンデ&ルイーゼ Holländische Linde & Louise Henriëtte

本稿かくれたる主題は下記である。
菩提樹という木は欧州に自生しない。フランツ・シューベルト作曲「菩提樹」、いくつかのドイツ/アメリカ映画題名に付く「菩提樹」は存在しない樹木を扱っている。嘘っぱちがほぼ150年でかい顔して歩いてきた。生物専門家や心ある多くの人々が繰り返し主張している。欧州クラシックなナツとフユがちらほら導入されだし、それらにも盲目的にボダイジュを付ける由々しき状況にある。
潮時にしてほしい。


寺社仏閣の入口にしばしば双樹が植え込まれ、年月を経た壮観さを感じる。下は1850年の植栽、163才になる。神社のような双樹の意図なく、人が間を通る偶然の二本並びだろう。坂の登り口にある。樹種を問わずわずかの間隔の場合、二つであたかも一本のような姿を作る。本樹種はオランダからドイツに移入されたリンデンバウムである故、人々はオランダ(の)リンデと呼んでいる。
Tilia vulgaris Twi 01

本物、本家と言うべき偽りない菩提樹=ボダイジュについて、「ボダイジュ≠シナノキ Bodhi ≠ Linde」に記述予定。Louise Henriëtから始めよう。ルイーゼは1627年に生まれる。日本の寛永4年、幕府3代将軍家光23才の時である。家光は1651年47才で、ルイーゼは1667年40才でそれぞれ没している。17世紀半ば、東西世界の寿命と解される。家光の治世期間28年に何が起ったか、彼の成したる業績はおおかた日本人が知っていよう。

ドイツ北部ブランデンブルク領邦あるじの妻だったルイーゼの業績を知る人は少ない。領主や王の妻は毎年のように懐妊し、子息子女縁組に精魂を尽くす時代。彼女はカルヴァイン派の信仰心の篤い人だったようだ。強制的に結婚させられた相手の旦那フリッツに愛され尽くされた。ベルリン南の領地を分け与えられ、オランダ風城を築き、造詣深い庭園を造っている。以来その村/地区はオランニェブルクと呼ばれ、ハーグ風な城と雰囲気を持つので知られる。彼女は二つ孤児院を設立し、慈善活動に生涯をささげたようだ。

中;画家;フェーラルト・ホントホルスト。工房に弟子による幾つものヴァリエーションがあったと思われる。時めく売れっ子画家でこうした王家注文は儲かる堅い商い。男前と美女に描くのがコツだろう。肖像画としては極めて凡作。表情に精彩なく個性も何も無し。言わばかしこまった記念の見合い写真に等しい。左;シュプレー中州の南端ボーデ美術館を入った正面階段踊り場の上に在る3人プロイセン王銅像の一つ。十中八九、彼だろう。
Hollande linde 01
左;猟犬は当時の希少種。二匹を従えた狩りの女神ディアナ(Diana)に見立てたルイーゼ肖像画。画家はフェーラルトの2才若い弟ウィレム。兄弟は父を継ぎ画家家系として名を成した。こうした画家達のほんとに描きたい、または得意な主題(宗教/静物/風景/生活etct..)作品は肖像画注文主である王侯貴族/資産家/実業家に購入され収集され、殆どが今に残っている。画家/芸術家たる冥利だろう。貧困で病死のようなヴィンセント・ファン・ゴッホはその特異で顕著な例である


母親アマリアは政略上の大物、例えば海向うステューアート家長男(後のチャールズ2世)に当たるが、どれもこれもタイミング悪く、とどのつまり言わば身内で良く知る将来大いに期待できるホーヘンツォレルン家長男でブランデンブルク公国(=プロイセン)皇太子フリッツに決定。ルイーゼに確か旧教フランス人だかの好きな若者がいたが、泣く泣く1646年12月ハーグで挙式。二人は17と10才から見知りだから、手続き両家トントンと運んだと思われる。

初めの一年、新婚カップルはフランク王国より辺境伯領であったクレーヴェに住んだ。プロイセンが力を増し17世紀初めに得たベルリンとケーニッヒベルク(東プロイセンの港湾都市、現在ロシア領カリーニングラード)と並ぶ三つの言わば直轄領の南東の飛び地である。領主ナッソー家モーリッツの趣味が良く、美しく広大な庭園が造営されていた。二人は強い印象をうけ、帰郷後にベルリン街づくりに生かしている。ブルボン家の小男ルイ14世も感銘を受け、パリ宮庭に`クレーヴェ`スタイルを取り入れている。

Kleve col 01

11世紀に築かれた要塞があり、白鳥の騎士(Lohengrin)舞台で知られる。大戦の空襲で破壊されたが修復されバロック風なイカツイ印象を与えている。Kleveは語彙Cliff由来。町は6千~1万年前の最終氷河期の氷河南下により生成された小文字w/m形の収縮大地に乗っている。生じた崖があるので、上り下りする日本山間の街と似ているかも知れない。ほぼ平野のドイツ東部では珍しい。

崖の下側に10㎞向うのライン川の河床が広がっている。この条件が崖斜面に育つリンデに相応しかったのであろう。ルイーゼとフリッツは選帝侯夫婦修行とベルリン再興のアイディアを、モーリッツによって手塩にかけて育てられた庭園樹木・オランダリンデを見ながら、じっくり暖め熟成させていった…。

Holländische Lindeは独語綴り。オランダのリンデを指す。リンデは日本のシナノキ属の樹木を言う。すなわオランダシナノキと仮名書き出来る。ドイツ/オーストリア/スイスなどドイツ語圏の呼び名である。人々はオランダを付けず只のリンデと呼ぶ。リンデの木だから、Linden-Bäume(Lindenbaum=リンデンバウム)と綴られる。ドイツを含む欧州にほか幾つかシナノキ(科の木)が植わっているが、普段お目にかかるリンデはオランダリンデなのだ。シナノキ仲間をリンデと呼び、もっとも多いオランダリンデが`リンデ`を代表していると言うこと。

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街路並びが殆どなので、`双樹`も一本立ちも見かけるのは少ない。緑文字の説明とおり、オランダリンデに幾通りかの学名記述がある。Tilia vurgarisが通り良い。ボコボコして背高になる樹形は両親二つのやや横広がり円錐っぽい形と異なる。2枚の葉裏細部はふつう見られる2例。上は薄い白+茶の毛が掌状脈元及び脈分岐点に生えている。下は無毛でスッキリ/ノッペリ例。いずれの葉柄も綺麗な無毛。二つはオランダリンデ葉裏ヴァリエーションである。


オランダリンデはハイブリッド。別言葉で、間(アイ)の子/ハーフ/交雑種などがある[補注1]。両親はナツとフユと呼ばれる欧州代表の二つのシナノキ仲間。いぜれが父方または母方を演じたか?と考える人がいる。古来から二つの間で奔放自由に交わりがあり、沢山の交雑が生じてきた。そのハーフが再び両親のいずれかと結ばれるので、ナツとフユとの間の連続線上に複雑多岐なハイブリッド即ち``オランダリンデ軍団``が並んでいることになる。交雑またはハイブリッド現象はホモサピエンス=人間を含む生物界、と言うか自然界のメインストリームではあるまいか。これなくして、あるいはこれと共に突然変異や進化が生ずるのある。

ナツとフユは時に父方、また母方でもあり、植木業者が逞しい丈夫なハーフを庭に移植したのだ。丈夫で育てやすく、病気に強い、且つ見栄えのする優良系を育て上げる。古い専門職で、彼らの始まりは王の住む館に属する宮廷庭師であっただろう。恐らく十世紀以降にオランダシナノキは庭木として存在し始めたと想像する。王の威厳を示す城や領内の別荘/館を飾る庭木として…。

Tilia vugaris Slot 01

シナノキ黄色い花に多くの雄蕊と一本雌しべがある。蜜蜂が6月に開花する花を訪れ、雌しべ下部の丸い部分の周囲にある腺から出る蜜(ネクター)を吸う。蜂の動きにあわせ、雄蕊先端にある葯(花粉)がミツバチの体に付着するのである。これは肉眼で簡単に観察できる。葯をボディーいっぱいにまぶされた蜂は次の花に向かって飛翔する。同じ樹木の、たとえば隣の枝に咲く花に移動する。すると中心にそそり立つ雌しべ先端の柱頭にも蜂ボディーの付着花粉を移すだろう。ところが同じ樹木の花柱頭はまだ未成熟か、あるいは葯を受けても実際に内部に取り入れないのである。手短に言うと、性交渉を拒否する。

蜂はブンブンと近くの同じシナノキ仲間に飛んでいく。そこの花柱頭は蜂から花粉を擦り付けられると、受容するのである。なぜ受け入れるのか?花に聞いてほしい。なぜシナノキ類はそうなのか?神に聞いてほしい。左様な仕組みは他家受粉と呼ばれる。自分の花粉を、自分(同じ草木)のほかの花雌しべ先っぽに乗せるタイプをしたがって自家受粉という。一般に2方法に仕分けされているが、ルール違反と言うか、公式に当てはまらない草木本はたくさんある。

1688年のベルリン俯瞰絵図で、実際と異なる要塞完成予想図と思われる。左上部に蛇行するシュプレー川。要塞と言うべき都心は`五稜郭`で、幾重にも鋭角をめぐらしている。当時あちこちに建設された要塞の典型。シュプレーの水を取り入れ掘割にしている。ルイ14世に仕える軍人Vauban(ヴォーバン)がこれら要塞のデザイナー。この要塞をモデルにした一重の函館の五稜郭は原案と異なるそうで、予算不足だったらしい。緑⇒地点は下写真の場所。黄色い↑は同じ方向を示す。
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選帝侯J.Georgが1573年ここに厨房(宮廷台所)用の薬草園を作ったのが始まり。1645年末にオランダリパブリック頭領フレーデリックの長女ルイーゼがハーグにてプロイセン公フリードリッヒと結婚。彼女がこの場所と要塞中心から左側へ走る大通り設計に大きな力になった。基本設計はオランダ人設計家。実施は公指名の知名ドイツ人。噴水と樹木を組み合わせる当時のモダンなデザインである。実際に上図1688年になったのは15年遡る1673年で、初めて都心から左にまっすぐ走るUnter den Linden大通りがお目見えしている。リンデ街路樹の下を歩く大通り計画はベルリン再興の目玉である。庭師と設計家それにリンデの種類など、コーディネターとして采配を振るったのはルイーゼである。リンデは言うまでもなく、ナツとフユの間から成育されたオランダリンデである。現在オランダリンデと言うのはこの経緯による。


ベルリン建築と庭園史にルイーゼが正式に出てくることはない。記録されているのは当時の知名な庭園と建築の設計家たちである。だが彼らを指名して、時々の会議を主催したのは彼女だった筈。旦那フリッツは彼女に全面的な信頼を置いていた。

日本人が注目していい事実は、彼女が果たしたプロイセン首都ベルリン復興の役割だろう。戦争の傷跡を修復して新しい息吹を与える仕事。それは王の妻である故に、王の愛しい人である故に為し得たのではない。彼女はブランデンブルク領邦を遙かに凌ぐ7つの海を支配するリパブリック・オランダ総統の皇女として威厳を発揮したのである。しかめっ面の空威張り`威厳`でなく、デザイン構想のモティーフを持ち、実施設計家たちをまとめあげたコーディネイトの才を言う。後のシューベルト作曲`リンデンバウム`も、ドイツいたる所にあるUnter den Linden(リンデの木の下の)レストランやカフェも、彼女のモティーフによる街路樹から滔々と流れ続け稔った果実と言って良い。

現在の噴水と芝生の Lustgarten。聖堂屋根からの俯瞰写真。現在の聖堂は1894-1905建造。ドーム高115m、巾114m、奥行74m。ヒトラー地下`大本営`攻略時に空襲破壊を受け、修復後やや小さくなっている。右上にチラッと旧博物館が見え、そこから左右に道路が伸びている。ベルリン都心を飾るUnter den Linden通りだ。その街路樹は連合軍空襲でやはり損傷を被り、現在のオランダリンデは戦後あらたに植樹され、ルイーゼ以来おそらく第4世代と思われる。
Hollande linde 02
↑は1652年のモダンなオランダ風スタイルを設計に取り入れたれた全体構想。シュプレー川沿いのこの部分は初めの台所の野菜園から何回もの模様替えをしている。市街ど真中のため、プロイセン勃興期の軍隊と関わり深い。ルイーゼtと旦那フリードリッヒ・ウィリヘルム[補註2]の子/孫たちは練兵場に用い、ナポレオン支配を受けた時、フランス進駐軍の駐屯地に衣替えする。


Berliener Dom cor 01

ルイーゼが5才の時、父親はスペイン・ハプスブルク支配下のライン川南部諸都市の攻略キャンペーンに忙しかった。下は先月新装オープンしたアムステルダム国立美術館所蔵、1632年の[マーストリヒトの陥落] 画家;Pieter Wouweman(1623-1682)。左下の白馬の人物がルイーゼの父親。旧教圧政から人々を解放する目的で、ブレダ・デンボス・フェンロ―・マーストリヒトと言った都市群を抑える戦争である。同時にスペインを追い出し、リパブリックの覇権を確立すること。都市内部からの蜂起を画策したが、蜂起は起こらず、遅々として進まず、一進一退が続いていた。1632年のこの勝利は従って、有名なブレダの開城(ヴェラスケス画がある)の正反対の出来事。

Frederik_Hendrik_at_the_surrender_of_Maastricht,_22_August_1632,_in_the_manner_of_Pieter_Wouwerman

マーストリヒトはマース川の拠点都市。川流域は深くも浅くも`渓谷`を作る。その緩やかな斜面はリンデ自生に適している。夏リンデがすくすく育っていただろう。それより多くのフユリンデが森の重要樹種であった。しかしおおかたは、その間の交雑種であるオランダリンデが茂っていたと想像される。本来の自生種二つナツとフユの役割は既にブナにとって代わられつつあった。リンデ種の生存性は交雑種へシフトしていく時と考えられている。マーストリフトから南アルデンネ山地は従って、現在少ないとはいえ、潜在的なリンデ生息地と思われる[補註3]。

マーストリヒトはリンブルフ州々都。州内にLimbrichtやLinneと綴る村が存在する。これらはLindeから導かれている。リンデが古代-中世に余す所なく育っていたのである。そして LindemanやLinnaeus姓が派生する。van Linden / van der Linde / Lindenbergなどリンデと関わる苗字をしばしば耳にす。街路でLindeと叫ぶと、相当数の女の子/女性が振り返るだろう。樹木リンデは女性形なのだ。男性形の樹木としてのナラ(アイク/アイッヒ)と相対している。女性形樹木リンデ、即ち丈夫ですくすく育つオランダリンデを広めた元祖はルイーゼと言う女性である。


【補注】;
1、トヨタのハイブリッドはガソリンで走り、その間ダイナモで生じた電気を併用すると解釈される。ガソリンとエレクトリシティーとの組み合わせであるから``間の子``ネーミングを採用。上手なネーミングで、ネガティブ好みが偏見語に入れた語彙「あいのこ」を本来のポジティブに引き戻した。トヨタの功を私は評価したい。

2.Friedrich Wilhelm/フリードリッヒ・ウィリヘルム(英綴;Frederick William/フレーデリック/ウィリアム)は独逸民族史上もっとも頻出する男子組み合わせ名だろう。南シュヴァーベンから出て北に移ったホーヘンツォレルン家系男子の踏襲名であるかのように、どれもこれも同じこの名。血続き/遠縁/一般も用いるので、数十万(もっと?)の人物になる。機転がきかないと言うか、何とも不便なことか。先日ウインザー家ケイトとウィリアムの長男はジョージ(Georg)名をもらったが、これも典型ドイツ男子名(ゲオルグ)。聖人由来で、いやはや…。 

3.シナノキ3種について、かつての自生地と見なされるドイツ国境沿い数ヶ所の具体的調査が行われていない為。冷戦時代の西ドイツ首都ボン近辺のライン渓谷に野生状態`ナツリンデ`集中地があると言われる。接頭辞の夏/冬が付くもう一つの樹種ナラに於いて、希少な方のフユナラもそこに群生しているらしい。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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