ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Uprising 抗議デモ/アラブの春

砂漠の酋長 リビアはピックアップゲーム

Toyotaは紛争地域の脚。


6月27日はわずか一月半前。
光陰矢の如し。大げさですけれど、リビアに関してなら、そう言っても許されるかも。蛮族の酋長のような御仁が取り仕切る地中海に面する国です。今日8月17日の時点で「まだ、あなたのところを正式国家と認めるよ」と言う国々が多そうです。数の話です。支那とロシア、ヴェネズエラにキューバなんてぇーところはその数の多いほうに属しています。

日本? 知らないです。地震・津波・原発のため、それどころではないと思いますが、7月半ばにUSがトリポリからベンガジに乗り換えましたから、さあ菅政権は追認したのでしょうか? 二度のイラク戦争もアフガンの時も、霞ヶ関はUSと共同歩調ですから、ひょっとすると民族(政権)移管評議会(NTC)を既に承認しているかもし知れません。

日本国が反政府組織を外交上の正式交渉相手として承認する時、ニュースにならなければ、と思うんですね。と言うことはまだなんでしょうか、、(頼りないことで恥ずかしい)。NTC を一番初めに承認したのはサルコジーです。リビア東側にある第二の都市ベンガジの、議場のような場所の決議集会が紹介されて、間もない時期だったようにおもうので「ようやる~、リッパー」と感心しました。

ガダフィー大佐に対する反対勢力の決起集会があった。それだけの材料で、それを交渉相手として正式に認める。他の外交・軍事筋からの判断材料を踏まえた筈ですが、それにしても欧州EUには寝耳に水だった。海のものとも山のものとも分からないのですから。ただしトリポリ市内のデモ隊への狙撃と、隣町ザウィヤでの凄まじい血しぶきの取締り画像など、情報は既に広く伝えられていたのです。

へェーとサルコジー大統領に感心したのを覚えています。人気が落ち内政でもめていたので、華々しい花火を打ち上げた、そんな感じを受けました。ところが翌日、東北の地震津波の発生です。これが全ての新聞テレビ、サテライトを占領してしまい、フランスのリビア政策がかすんでしまったのか、それともそのお蔭でブリテンとのアベック路線がスムーズに運んだのか…、

Hague 01 Foreign Secretary 

ウイリアム・ヘイグがブリテン外相です。ツルッ頭ですがまだ50で若い。10年以上まえ保守党党首になり、結局首相になれずでした。トーリー保守党史では一寸珍しい例です。その時少し黒っぽい毛がありました。キャメロン影内閣の時バックベンチから呼び戻され、今は活き活きしています。政治家も時の運に役職の運ですが、毛の有無に左右されることは確かデス。

彼がアラン・ジュペーと二人三脚で、対リビアの`英仏同盟`を作ったと言えます。そう言えばジュペーも仏政界の一種の返り咲きで、二人の符牒は合っています。Haiguと書いてヘイグの仮名。Den Haagことハーグの英語表記です。恐らくオレンジ公 William前後からの一般的苗字では…調べてないので好い加減な推測で言うと、宮廷お庭番で生垣なぞセッセと剪定していた人では…(ほんとなら良いんですが、 Haigu/Haagは欧州庭園に欠かせない生垣のこと)。

仏に続き英・カタールが承認。しばらく間をおいてアラブ連盟、先々月ベネルックス、北欧諸国、そしてついにドイツとカナダが承認しました。すると議会からリビアに関るなと釘を刺されたクリントン女史も承認時期と見たわけです。石油の支那と武器の露助は、商いと意地と面子にかけて、承認しませんが…。外交の実質的大勢は決まりました。 

半分泣きべそ半分コンチクショウと私が”怒れる熟年”であった時ですが、オカンポと言う人がガダフィー親子の逮捕礼状を出しました。7月の声を聞く手前です。国際犯罪裁判所はハーグど真ん中に高層二棟を上部で繋ぐ新庁舎を建てました。建築科学生なら見る価値があります。でも昔のようにこんもり整然とした生垣はありません。緑に欠け、ガラスと大理石だけの都市景観は不毛デス。

現在、ボスニア・セルビア1990代半ばの大統領カラディッチと将軍ミラディッチがハーグで裁判中。逃亡15年以上、いずれもセルビ政府によって逮捕されベルグラードから送られたきた。戦後半世紀に北半球で起こった最大の殺戮(モスリム男子8000人)が主たる罪状です。サラエボ東に位置する山間の町スレブレニッチャで起こった。巷間言われる`Ethnic cleansing`(民族浄化)の例である。

その4年後にコソボ紛争がおきる。またもや国連はno-fly zone決議を採択。1999年3~6月北大西洋条約機構はクラーク将軍指揮下に、戦闘機による精密攻撃とベルグラード市街に言わば戦略爆撃を慣行した。セルビアの独裁者スロヴァダン・ミロセヴィッチは何も出来なかったが、それでも87日間ふんばった。軍をコソボから引き、2年後選挙に惨敗して、やがて逮捕されハーグに送られた。2006年3月独房でなくなるまで、大セルビアを目指した`スロボー`は孤高なる裁判を闘った。

Lybya 03 map
ハイビジョンTVだとモアレは出ないそうです。

ガダフィー親子もやがてハーグに来る筈。モレノ・オカンポはアルゼンチンの国際裁判所判事で、大事な訴訟証拠としてソーシャル・ネットワークの画像を多く準備しているらしい。大役で非常に張り切っているので、カラディッチとミラディッチのコンビ同様に、終身刑(と予測される)判決になるでしょう。10年はたっぷりかかる。

7月に入ると言うので、出来立て空っぽの"わたしのブログ”になんぞしないとイカン! とせかされるような思いに駆られました。「文月に歩を進めむ」と言う題目で、おずおず短文を作ったのでございます。そこから次の二行をコピペします。

> 国連安保理のリビア制裁議決3月17日 からコソボ戦争87日を通り越した。
> ハーグ国際戦犯裁判所はガダフィー親子の逮捕令状を発令したが、格子の中に閉じ込めるのは数年後になろう。

それから一月と半ばが経過した。トヨタピックアップにお手製ロケット積んで、手には空気銃のような単純なライフルを持つ若者たちがザウィヤをほぼ制圧。トリポリが目の前だ。一方東にある弾丸巣だらけの都市ミスラタもほぼ反政府側が抑えた。彼らへの食糧と士気だけはベンガジから十分に供給され始めているようだ。

百万都市トリポリに、ガダフィーとその家族に忠誠な部族長達と最も訓練された軍隊が控えている。だがロシアから買ったセコハンタンクやミサイルを持つガダフィー親衛部隊も市街戦になると勝手が悪いのでは。人と人の打ち合いと言う、やくざの陣取り合戦のようになる…。

トリポリの着せかえ酋長は肉体が滅びるまで戦うのか? 半年あまり沈黙させられているトリポリ内部の反政府若者達がどう呼応するのだろうかか? ゲームは簡単に終わるまい。なぜなら今日/明日のトリポリ戦いは過去数か月と同じ一種のアマティアゲリラ戦だから。こんな奇妙な事態はイラクでもゲオルグでもアフガニスタンでも、どこにもなかった。

Benghazi 18 aug 2011
NTCベンガジではガダフィー後の治めに付いて青線描きが始っているのだけれど、トリポリではTシャツ姿のオッサンや若者たちが手持ちバーズカや軽機関銃を腕に抱え路地を走り回る。砂漠の土地の熱い夏が続きそうである。
Lybia Battle 01
アルジャジェーラのリビア近況イラスト
関連記事
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

Profile

ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
この記事にリンクを貼る

Designed by Shibata

タグリスト

access
access online
現在の閲覧者数:
Latest trackbacks
Search form

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ