ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Oh every day 日々そうそう

Croissant with Islamization of Europe クロワッサンと欧州のイスラム化  [Ⅰ]

Croissantを巴里人が発声すると、クロワッサンと聞こえない。Delacroixをドラクロワと仮名で書くが、これもドラクロワと聞くのは難しい。画家の仮名書きはド・ラクロアがやや増しだろうか。パリ人種の発声音を紙の上に書くことはなかなか苦労するが、YouTubeほか音声付サイトで、それらしきを確認することができる。

クロワッサンの特異なパン構造を自前で得るのは。少なくとも私に難しい。下二例はやや異なる小麦粉を用いた違い。だがオーブン温度や微妙な一般台所の不安定条件に左右され、何故違いが生じるか、良く分からない。

Croissant col 050

三日月形とは;地球が太陽と月のあいだに入り、太陽に照らされた月が地球の黒い陰に削られる。削られない残りの部分を三日月と形容する。相互に移動するため、三日月も常に形を変える。
この三日月と同じ`三日月太陽`もあるのでは…。太陽と地球のあいだに月が入る場合だ。月が太陽と重なる部分は逆光のため黒い陰となる。`三日月太陽形`は、残りの明るい太陽部分といえるのではないか?こんがらガラガラするのだが、この場合の形も‘三日月`と言うのだろうか? イヤ待たれよ。とんでもない基礎的知識に欠けているようだ。今晩、考えてみよう。

さてクロワッサンである。意味は三日月形であるそうな。アナトリア半島`地方侍`出のオットマン帝国(Osmanisches Reich/Ottoman Empire)の国旗は赤地に三日月と星をあしらっている[補註1]。この基本モティーフはオットマンと殆ど縁のない現在のトルコ共和国国旗に継承されている。このイスラム帝国の三日月がパンの語彙クロワッサンになっていると言われるのだが…。

クロワッサン・レシピ、つまり作り方が文書に記されたのは19世紀になってかららしい。由来はそれ以前の口伝え、と言うかウィーンやパリのパン屋の自前広告など、さらに宮廷台所の伝承など、多くの周辺事情から諸説が述べられている。因みに日本語ウィキペディアの内容は、たくさんある記事中の中位あたりだろうか。信用度が中位くらいと言う意味。

Croissantjes bakken 03
右上・形の異なる4個は、正規の三角形にならない端くれ部分を巻いたもの。左;オーブン上部の白い状態の地がオーブン内の膨れ、ほぼ焼きあがった状態になる。

パン生地にバターを乗せ、つつみこみ、伸ばし、折り畳む。冷蔵庫で寝かし、再び同じ作業を丁寧に繰り返す。バターが生地の間からはみ出たりしてはならない。冷蔵庫で寝かすのはバターを堅くして、そうしたアクシデントを避けるためでもある。伝統的と言うか昔のやり方は冷蔵庫の無い時代だら、作業密度と待ち時間の長い、それはそれは大変な熟練労働だった。現在、機械化によってクロワッサンは簡単に大量生産できる。秘密も何もない。安価なクロワッサンはスーパ^ーマーケットに並んでいる。バターの代りにマーガリンと私は思う。風味に欠けるからだ。そして明らかにマーガリンらしい食感を感じる。

Croissan col 052
パン生地に巻き込む無塩バターの準備。500g生地の場合、今回バター280g。四角形にバタ―を整える作業は冷たく堅い状態をナイフで縦状三等分したものを横状に並べ、ナイフで均していく方法が`精密`かつ簡単であることを発見したのだ。別方法は、第1回のクロワッサン生地をご覧くだされ[補註2]。

歴史上の帝国はしばしば、1.勃興期、2.繁栄拡大期、3.衰退期として記述される。オットーマンまたはオスマンは幾名かの皇帝名で、諸語によっていろいろに表記されている。クロワッサンとの絡みは、2の時期だ。勢いがある時は、領土は半ば自動的に拡大する。イスラムの帝国遠征軍はハプスブルク朝のハンガリー・オーストリアに何次もの圧力をかけ、ブタベストやウィーンは陥落や包囲される始末だった。ハプスブルグに対向するフランス・ブルボン朝はオットーマンと戦線を組んだ。イスラムによる欧州本場への侵食はあたかも20~21世紀の移民侵食を彷彿させる。

`欧州のイスラム化`はEU圏の極右政党が用いる。1960年代イスラム圏からのガストアルバイター[補註3]が、定住即ち移民化こんにちの`イスラム化`に発展。1683年は徳川三代将軍綱吉の治世、徳川安定充実期。この年、バルカン/東欧を治めるオットマンによる欧州攻め・第2次ウィーン包囲が発生。1453年のMehmetⅡ世によるコンスタンティノープル(イスタンブール)陥落、すなわち東ローマ帝国の消滅から、この二次包囲までの185年間がオスマントルコの繁栄期とされる。遊びほうける帝王スルタンに代わる総大将 Kara Mustafaが、15万大軍を持って神聖ローマ帝国-皇帝在地ウィーンを取巻いた。もしもカラがウィーンを落としたならば、オーストリアはイスラム属国になり、更に西の欧州イスラム化が起こったかもしれない。

この包囲戦は21世紀`イスラム化`の呼び水になるような大事件である。ハプスブルク家主は欧州キリスト圏を奔走して、ポーランド王JanⅢ世Sobieskiほかキリスト同盟軍を結成。ウィーンに到着するなり、その夜にヤン三世はカラ軍中央突破を試み、イスラム軍を大敗走(やがて東欧・バルカンからのイスラム勢力一掃)させたのである。ヤンが輝かしいポーランド王を代表する人物なのはこの業績に負うと言えよう。

Croissan col 053
やや黄色味に見える押しのばした生地はハロゲン風の電球のせい。ナンヨウスギ果実の粉を生地上に広げている。緑はビスローク(Bieslook)を乾燥させ細かくしたもの[補註4]。この500gで、2枚目画像の平均的クロワッサン20個ほどができる。

もう一つ、勝ち戦のファクターは、長期戦に良く持ちこたえたウィーン守備隊の戦意の高さである。それはイスラム野郎メ!齧って食いつぶしてやる…と言うオットマン国旗の三日月名を被せたクロワッサンのお蔭だと…。ウィーンのパン屋の地下で焼かれたパンが偶然オットーマン国旗の三日月に似ていたのである。クロワッサン元年はオットーマン帝国衰退を呼んだウィーン包囲1683年であるとする説がかくして誠しやかに生まれたのだ。

綱吉の時代に、欧州つまりウィーン界隈で、既にバターが大量生産されていた? 一寸考えにくい。クロワッサンはバターまたは脂肪分なしに生成できない。バターは生牛乳の上部に浮かぶ脂肪分を要する。それを別容器に移し、茶筅に似た道具で数分間できるだけ素早くかき混ぜる。するとある時点に`突然`ググッと抵抗が道具にかかり脂肪分がバターにメタモルフォーゼする。やってみると、ちょっと興に駆られる。

当時の都市ウィーンへのバター供給量が文献に見つかるかもしれない。しかしバターは近代まで高級素材であった。現代ですら、バターは高いので、たいていの庶民はマーガリンを用いる。電動撹拌機のない時代に、ウィーン守備隊兵隊諸君がクロワッサンを嚙じったと言うのはまずありえまい。三日月野郎のコンチキチンと敵イスラム名をつけたパンは現在のクロワッサンと別物である。13世紀の文書に、Kipferlと綴る巻き状のパンが紹介されているそうだ。フランスパンほどの硬さだったらしい。これが守備隊の戦意高揚に力を貸した先代'クロワッサン’だと思われる。
ご覧の通り'のっぺらぼう'な表情に焼き上がった例。イースト量が少なかったのか、イーストと塩をたまたま同時に入れるミスをしたのか、それともチョコレート・クロワッサンのチョコレートとの相性が悪かったのかもしれない。十二分に膨らまず、やや硬く仕上がった。これは昔のキフェルに近い感じに思われる。クロワッサンを目指して、このように失敗すると、先代クロワッサンと言うか、その進化以前の姿を目撃できるのだ。
Noppera-bou 01

クロワッサンはオーストリアでオットーマン帝国絡みで生まれた。この説はお蔵入りになる。もう一つの説は事実上のハプスブク女帝マリア・テレジアの時代である。末娘マリア・アントワネットが職人同行し、ウィーン宮廷秘蔵のクロワッサンをパリにもたらしたと言うもの。この説は[クロワッサンⅡ]に書こう。

【補註】;
1.天界の事物を配する国旗の代表は日本のそれである。太陽をド真ん中に据えている。日出処の天子(ひいづるところのてんし)(≒The King of 'the Land of the Rising Sun')→日本、と言うストレートな発想。厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと聖徳太子の恐れぬ命名かどうか知らない。これだけ堂々と惜しげもなくデザイン化されると、他国は恐れ入って一寸真似ができない…。

2.http://zasshizassozatsujin.blog.fc2.com/blog-entry-317.html クロワッサンの作り方

3.(西)ドイツはトルコ、フランスはチジニア、オランダはトルコとモロッコ、ベルギーはコンゴ(イスラムでないが)、と言ったイスラム系移民になる。統一ドイツ連邦人口の1割が移民だから、`イスラム化`は深刻な政治課題と言えなくもない。

4. 知人からの一株を前庭に植え、毎年ドンドン出てくる。花後の茎は堅く味噌汁に仕えない。が、乾燥したのは香りを残しているので、マシーンで細かくすると使える。ネギ仲間の薬味、仮名でチャイブと言うようだ。ずいぶんポピュラープになり、スーパーの棚にドッと並んでいる。

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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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