ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Oh every day 日々そうそう

Red dragonfly in fall  秋とアカトンボ  [update No 98 on 02 Nov.2011]

桑の実 (文末参照)
Morus alba 山の畑の桑の実を


日向ぼっこするアカトンボ。三年前の10月31日。トンボ科:Libellulidde、「ヒース(灌木地)に棲む赤トンボ」 と言う名前で、二名方でSympetrum vulgatumと記述されるトンボだろうか。木や草とともに昆虫も紹介されている一般本とこの画像を見比べると、よく似ている。7月あたりから時々見かける。このあたり独蘭の何処にでもいる一般的なトンボかもしれない。暖かいので気持ちが良いのだろう、動きが緩慢で1mほどに近づいても逃げなかった。

あかとんぼ02

これから互いの尾を接触させ交尾体制に入ろうとするアカトンボとウスミドリトンボに見える。時々コメントを寄せるメディアサイトの公開画像。上下二匹の雌雄が不明 。トンボマニアの常識が素人に分らない。雌雄のボディー色違い、交尾期だけの現象か?あるいは異なる二つ種が偶然に出会い、勝れた次世代ハイブリッド作りに挑んでいるのかもしれない。 

DSC_1093.jpg


蜂の一種が空中に留まっている。この虫は平凡な一種に思われ、年中あらゆる花の蜜を集めている。簡易図鑑をパラパラめくると、どの頁にもソックリ蜂が紹介されている。つまり細部を観察しないと、種(シュ)は分からない。お手上げだから、"蜂”と言う一文字にしよう。

ぼけている植物は、ご覧の通り、菊。日本出の一つか、あるいはそこから派生した園芸種に違いない。日本のキクは本来の野性種を持たない、と言うか出処不明の存在である。それ故に、どうにでも細工されやすく、これの場合、数百の花が集まり、50センチ直系の半球状に咲きあがる。戴いた一年目は見事だった。これは3年目の放ったらかしながら、昼間の陽気に誘われ、ポツリポツリと咲いてくる。菊の秋入り開花は当たり前だが、これは11月に入っていたので、やや気狂いの感じがする。彼らだって面倒をみない家主にかわって、自力で花を咲かせてみたいだろう。

三年前に撮ったトンボと蜂が小春日和と共に心にひっかかっている。何故?と思い、今その分けに気づいた。唱歌アカトンボのメロディーが心に流れていたのだ。紅葉の秋とアカトンボが意識の底にあった。普段思いもしないのだが…。

1 夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
2 山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか
3 十五でねえやは嫁にゆき お里のたよりも 絶えはてた
4 夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ 竿の先
  作詞:三木露風、作曲:山田耕筰  [補註1]
あかとんぼ00


露風が見た赤とんぼは竿の先に止まっていた。竿は釣り竿だったのだろうか。塩つくりの時に祖母が使っていた1.5mほどの竹竿を思い出す。カーッと夏日が照る場面だった。海水を二つの桶にすくい、担ぎ棒両端に桶をぶら下げ30mほど砂浜を登る。重いだろうなぁ。草地になる場所に作ったゴザ掛け小屋まで運んでいくのだ。1x2m四方で10㎝深さのプール状の囲いに海水を注ぐ。

餓鬼どもは海に潜ったり、砂浜に伏して両腕で砂を胸にかき集め、甲高く何の話をしていたのだろう…。その向こうに白い手ぬぐいのほうっかむりをした祖母がぼんやりと見える。熱された大気がゆらゆら立ちのぼる。数十メートル先も揺れている。彼女の仕草からすると、竹竿で見え出した塩をならしているように見える。海水が少しずつ蒸発して行くと、水分含みの白っぽいざらざらが見えてくるのだ。

この光景は両親と祖母の大陸引き揚げの数年後。恐らく最初の記憶ファイルに収まっている。殆ど心象イメージ。亡父母は故郷に戻り、農作物と山仕事、そして塩つくり。半農半漁の村に於ける激しくも平和なひと時。
その時のサオである。竿は太い細い、長い短い、沢山あるが、全て竹であった。渋柿やダイコを吊るし干しにする道具。用途は様々である。戸外にあるそれら竹竿を、当時ドォーッと生息していたスズメも、黒い日本カラスも、ひょっとすればアカトンボも見晴らしや休息のためにしげく利用するのだった。

あかとんぼ01


露風のアカトンボは日本に分布する赤い色のトンボの一つだろう。上述シムペトルム属の和名はアカネ属である。アカトンボ属でも通じるようだ。この属に世界で50種余があり、日本列島に20種余が配属されているそうだから、特定することは素人にとって難しい。 しかし枯れ小枝と細長葉にとまるアカトンボ達は、チョット調べてみると、日本に分布しないように思われる。リベレはトンボの一般名、溝向うの独も手前の蘭も、同じように呼ぶ。 2匹でハート型をつくり愛を囁いている時はリーベになる…Ehrlich sagen, Ich liebe dich

Libelle col 02-1


透き通るトンボの羽から思い出し、サァーッとファイルを一眺めして、赤くないトンボをみつけた。昨年に撮った画像で、青と緑のトンボである。似たのが日本にもいるような気がする。赤くないトンボも、じつは私の心の中で、あたかもアカトンボのように飛んだり休んだりしている。 恐らく小学校の時に刻まれたアカトンボの旋律と関係するように思う。21世紀の若人に恐らく理解できない詩句がその旋律と共に踊るのだ。何故だろう?

桑の実を集めジャムにすることがある。毎年でなく、山の畑でもない。さる大学植物園に十本ほど、高さ5m葉ぶりのいいマグワが植わっている。熟した果実を集める人は誰も居ず、維持作業する連中も知るや知らずや、無関心である。顔見知りの責任者は、桑の実と言うか、桑の木に関心を示す人は珍しいと屈託ない。

海の波濤が見える祖母の畑、その細い通路端に、桑の木がうわっていた。大きな葉々(幼児には大きく見えた)は暗い木小屋の蚕たちに与えられた筈だ。どういうわけか、果実を食べた思い出はない。そして二段ほどのカイコ棚を覗いた記憶はただの一度だけで、その木小屋が我が家だったのか、叔母のところだったのか、全くわからない。暗闇に動くカイコや青い海を背景に立つ桑の木、これらは私にとっても幻のようなイメージである。


【補註】:
1. 
三木露風は兵庫県城下町の龍野(タツノ)の人。本名は操(ミサオ)、明治22(1889)年生まれ、昭和39年(1964)年没。北原白秋と共に詩壇に白露時代を築いた歌人。祖父はその初代町長で、三木家は土地の名門として名高い(保存されている屋敷からも、一目で分かる)。それ故に彼の父は嫁に兵庫の北・鳥取藩元重臣の娘を迎えた。操の実母である。五才の時、両親離婚によって、祖父母に預けられ、中学までその屋敷で育った。

奉公人のいる大家ゆえに、ネイヤすなわち子守への思い出が’アカトンボ’に登場。少女のような子守の背中に負われながら、アカトンボを見たのだろうか…と詠う。母親と普段まじわらぬ幼い彼には、奉公人とは言え子守へのいとおしい感情があったとも考えられる。中学卒業後ずっと東京在住ゆえ、子守を通して故郷「お里」への懐かしさを歌詞に読み取れる。「お里は」龍野だが、あるいは実母の里を含んでいるかも知れない。

「十五でねえやは嫁にゆき…」21世紀日本にない事象だが、よく知られる一節である。女性が15才で嫁ぐのは明治以前は珍しくなかったようだ。貧しい庶民と言うか国民大部分の平均年齢が30-40ならば、婚礼期に入るのは15才あたりでしょう。ブリテン・チューダー朝1代目ヘンリーの母親マーガレット・ビューフォートは12才で結婚、初産を翌年にしている。児童虐待のような事例ながら、昔の欧州も女性十代(半ば)結婚が珍しくなかったことが理解されよう。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

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