ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Politics and economics 政治/経済

ドイツは何処へ行く? リビアNo-fly zone指令1973棄権でつまずく

1989年11月9日深夜、既に10日に入っていたと思う。ベルリンからのライブを世界が目撃した。ケーブル・ニュース・ネットワークCNNの24時間放映、西独と蘭の公共TV 6局も現場に駆けつけていた。事情がつかめない。しかし東から人々が歓喜しながら西ベルリンにドォーッと入ってくる。

数日後、西ベルリン見聞の東の市民や、東独製ドタバタ走る乗用車トラバントが検問所を通過。ムンムンとした期待と喜びが伝わる。政府間交渉があるのかないのか、サッパリ分からない。情報が交錯した。誰か東独高官が通行自由を宣言して、人々は東西ベルリンを行き来しだした。

それとも混雑するほど行き来するので、自由宣言せざるを得なかったのか…。チャーリー・チェックポイントは検問の役目を終えたのは確かだ。(ベルリンの壁8月14日、ヤマモミジと東ドイツ16日、ご覧ください)  1961年8月前に戻ったわけ。市民に西独通貨の一時金配給があり、半ば混乱しつつ西独の事態打開への必死な様子が感じられた。
       Carlie Checkpoint 02 copy
This sean is often used everywhere since 1963. I had a pamphlet of those series which I got nearby Carlie point in 1978.

ドイツ民主共和国(東独)第一書記ホーネッカー、二期めの西独首相(連邦首相のみをカンツレルと呼び、16人の州代表は第一首相のように呼ぶ)ヘルムート・コールも、米ソの親分二人を含め誰も予測できなかった東西合併が翌年秋に成立した。彼等は忙しく会談し、しょっ中CNNに現れた。

それは形式上も実質上も、1910年日韓併合と同じと思われる。東独政府は国土を5州に再区分してドイツ連邦の州として編入する手続きに合意している。西独政府が武力によって恫喝したのではない。東独は納得したわけだ。ベルリンの壁が"なし崩し10日間ほどで”機能消失して間もなく、ゴルバチェフ(まだ肩書き)書記長とW ブッシュ(父親の方)大統領が冷戦終結宣言をするんです。

       Gorvachev
ドイツ一体化と冷戦消滅の立役者として歴史に名をとどめるのはこの人と、コールになるでしょう。上写真は1991年8月クーデターの20周年目のインタビュー。8人ギャングはクリミア別荘にG夫妻を監禁するが、支持を得られず、戦車上のエリツィン演説などにより、クーデター劇は3日後に幕を下ろす。

アンゲラ・メルケルは東独消滅後、確かベルリン南部地方からCDUに入党。コールに可愛がられるんですね。軽いポストの閣僚から始まる。元東独とのバランスと女性登用ファクターに助けられ、運を味方にして党内で急上昇。赤-緑の連立政権時代(社会民主ゲルハルト・シュレーデルとグリーン党ヨシュカ・フィッセル)野党第1党々首を勤める。

カンツレル候補CSUのEストイベルの伝統的バイエルン高慢/優雅に助けられ、保守党首相候補になる。バイエルン女性陣から絶対反対を受けながら、2005年11 月女性宰相に就任。いま2期目6年目を走っている…。

党内の並みいる党首名乗りの頭を巧みにたたいて凹ます。並ぶ男性ライバルがいない。しかし3月17日国連(United Nations)安保理リビア上空No-fly zone 議決でガクンとつまづいた、と私は思う。 飛行禁止域のことだが、実際は議決に賛成した側に属する戦闘機による攻撃をその"域”に於いてドンパチ打って宜しいという規定である。

ドイツは戦後、連合国サイドの人々の冷たい目にじっと耐えてタエテ耐え忍びながら、米英仏に最大限の協力をしてきた。ヒットするエンタメ戦争ハリウッド映画の悪役は常にドイツでした。サウンド・オブ・ムユージックはドイツで大っぴらに上映されませんでした。

健やかな歌と数々のメロディーはドイツの子供達と無縁だった。30数年前あちこちで何度もトラップファミリーのアメリカ巡業やドレミの歌の話題をしたのです。何の話なのか誰も分からず、ポカンとされたのがショックでした。

同じ枢軸国・日本では誰もが映画館やTV放映で楽しんだミュージカルの映像はドイツで映写されなかったようです。倒されるべき悪しき国が自分の祖国なら、愉快な場面も美しいリズムも空しく白々しい。誰が見たいと思うでしょう。殆どのドイツ市民は知らずに政権の非人道政策に協力し、若者はHヒムラーの親衛隊SSとして戦場に出た。おぞましい戦争を体験した世代は子供達に見せるのを拒否した…と思われるんですね。

       Hermut Schmidt Walfgang Schauble
ヘルムート・シュミットはコールの前任者。93才とは思えない。ウォルフガング・シュッヒブレ68才はコール政権幾つかの閣僚とメルケル2期目の財務相。車椅子の政治家として知られる。今日の対談:現役大臣が大先輩にギリシャ支援の必要性を主張するのは奇妙で可笑しい。煙草をせわしく吹かしながら、元宰相は自説を説き意気軒昂。

同じ西側の人々に知られざる貧しい戦後を黙々と努力、目覚しい1960~70年代の経済成長を遂げ、シュミット政権の頃に英仏に並ぶ以上の力量に達した。米英に歩調を合わせNATO一員として今や平和部隊を各地に派遣。その連邦政府を引きいるメルケルは3月17日議決の際、世界を驚かせます。

UN決議は所詮、実行力にかける訓辞的規定にすぎない。シリアのアサド大頭領に対しデモに銃火を向ける弾圧を許さない、と議決したところで何の効果もない。小ブッシュはUN決議無しに、イラクに踏み込みました。頼みはAブレアーとの米英軸ですが…。

湾岸戦争当時までUSは唯一のスーパー大国。ヴェトナム以来、USは常に自己独断を誰にも気兼ねせず実行してきた。逆も真なり。スーパー大国で無い国にとって、それは出来ない。リビアに対する英仏"枢軸”は安保理による建前と名目を是非が是非でもほしかった。結果は10-0で可決されました。

安保理採択なるや否やダッソーF1ミラージュ5機でしたか、火炎を放ち離陸、ベンガジに向かうんです。満を侍していたUSフリゲートから108発のクルーズミサイルが矢継ぎ早に異なる目標に発射された。反乱側壊

初めNoだった米国も土壇場で訓示指令1973にYesを投じます。円卓会議で左手を高々挙げたのはスーザンE ライス。前国防長官ライスの親戚みたいな印象を受けます。ヒラリー・クリントンの頼りになる補佐、安保理をスイスイ泳いでいる。

御存知の通り 支那とロシアが拒否権を使わず、ヤワな対応をします。棄権投票です。消曲的反対と言うわけ。ドイツが加わった。ロシア+シナ+ドイツと言う仲間、新鮮と言うか過去半世紀に先例がない。No-fly zone提案は可決されるだろう。しかしリビア空爆には金輪際参加しないと言う意思表示。

       UN Secuarity Council
積極的参加をしない理由は外相FDP党首ギドー・ウエステルウェッレとメルケルコンビに充分あったのです。EU内の出来損ない諸国を財政援助し、欧州通貨の守護人にならねばならない。東西の二つの戦線を持てば、いずれも失墜する。さらに原発棚上げの緊急国内事情に手を打たねばなりません。それにアフガン・イラクに手を焼いているUSも棄権すると読んでいた節がある…。

カンツレリンは自由民主党を得て保守連立内閣なって、外から見ても嬉しくてならないという様子でした。さばきやすい若いパートナーを得てこれまでは順風。原発延長による節約分をソックリ新エネルギー開発にまわすと言うFDP政策も首尾よく実現。だが3月17日になって、ギドー氏は内心オタオタする…。枕を並べる筈のUSが抜け、リビア空爆に対する傍観/批判組は露+支那+独ですからネー。

ヨシュカ・フィッセルがまずカンカンに怒った。学生運動の闘士で左翼代表のような履歴、元環境(Grünen )党々首で外相曰く「これまで積み上げて来た米英仏伊のプロ自由陣営関係をぶっ潰した。US・UKの反対に立ち、ギドー君、今後どう言う外交を展開するの?左に位置するグリーン党ですら外交基調を頭に叩き込んでいる。なのに、あなたは何処に行く?」

FDP古参Gバウムが若き党首の選択に疑問を呈しました。彼はヴィリー・ブラントとSDPシュミット政権でそれぞれ内務省次官と大臣を勤めた党の重鎮。「大西洋を中にして向かい合うEU(=ドイツ)とUSと言う基本構造を壊すとはもってのほか!何と愚かな!」伝統のパン・アトランティック(汎大西洋)思想デス。

メルケルに対しては(儀礼的)大統領でCDU党人のクリスティアン・ヴュルッヒが大上段から切り込んだ。「財政援助として行ったギリシャ/アイルランド等の莫大な国債買いがドイツ法に照らして正当かどうか?疑義を持つ。汚職まみれ財政運営の出来ない駄目国家を簡単に援助しすぎる」

16年間ドイツを舵取り、80年代以降の保守路線の生みの親のヘルムート・コール81才は、メルケルのジグザク路線に不満を表明した。宰相を四期すると、誰も意見を言えず、言わば独裁に近い。長すぎると誰でも自分を見失う。その老人の恩師が手取り足取り導いた教え子に厳しい。「外交にコンパスを欠いている。我ドイツの立ち位置が分からぬ。いったい何処に行こうとしているのか!」

       Landschauft Klitiek Kohl

ユーロ通貨圏の一体性をドイツで推進したのは赤-緑(SPD+Grünen)連立シュレーデル政権の時。確か2002年に私は始めて紙幣とコインのユーロ通貨を手にした。旧通貨に換算する手間を取らずに済むようになるまで半年を要したか…。

ドイツマルクと素直に連動したが、ゼロの多いベルギーやイタリア、それぞれ異なるフラン(スイス・フランス)に往生した。ましてやギリシャやスペイン通貨になるとお手あげで分からない。こうして、ユーロ出現は少しずつ馴染まれ歓迎されたと思う。隣村でもアドリア海観光地でも同じである。為替違いを気にする面倒が一切ない。

いま人々はユーロ通貨に対し懐疑的になっている。メルケルは全面バックアップだが、恩師コールのニュアンスは微妙。ユーロ圏からのギリシャ切り時を見逃したと私は思う。二度にわたる貸付金が利子つきで戻ってくると考えるドイツ人は殆どいないだろう。Nサルコジーと連れ立って断固ユーロ死守の構えのドイツ政権CDU/CSU+FDPの雲行きが怪しい。

春にメルケルの秘蔵っ子、CDUを担うと期待された国防大臣グッテンベルグが辞任。スタートが博/学士論文盗作だったのが原因。一方FDP外相ウエステルウェッレの後継と目された欧州議会議員Sコッホ-メーリンがやはり経済学士論文の盗作を指摘された。

WikiPlagiarismと言った作業グループの仕事である。研究者や政治家は見識/良心ある人々であってほしいと言う趣旨だと言う。貴族家系の男前と自民党の女前とが40にして国を背負うキャリヤー途上にいながら、粗末な過去を土台にしている。与党へ寄せる選挙民の温度がヒンヤリと下がった。

外相でFDP党首は選挙敗北の責任を取り、次期党首を譲る。支持率5%、党首候補に誰が出るか定かでない。外交ヨタヨタで焦点が定まらぬと言う左右陣営から矛先をかわすために「我が国のリビア制裁措置が有効に作用し、トリポリ陥落に貢献した。EU諸国中もっとも我が国が力を入れる通貨安定策はやがて好結果を生み出すだろう」と彼は言う。だがこれで安心する人は出まい。

私の向こう村の知り合いはギリシャへの法外な援助に大反対。次期選挙には今の連立与党に投票したくないけれどと言いつつ、サテどうするか?まだ決めていないそうです。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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