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ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Oh every day 日々そうそう

27 years lifespan [2 : Rescure ship & Minatoya]

土曜日午後、やや冷房の効くビルの5階。月曜日打ち合わせのプレゼンテーション作業に詰めていた。なんてことだろう、土日に仕事する習慣に馴染むとは!仲間二人で、夕方までに仕上げ、いつもの店で一杯やりたい。マーカーを走らせている時、電話がなった。受話器からお袋の声が響く。丹後の海に行ったはずなのに、一瞬、何故といぶかる。

報せはプレゼも飲み屋も吹き飛ばした。同僚に後を託し、2時間後、兄と共に車中にいた。老ノ坂峠を避ける早い抜け道から綾部で国道に出て再び狭い峠道に入り大江山を越える。丹後’我家’に着いたのは18時頃か。表の座敷に彼が眠っていた。母が着せた着物をまとった友は端正にただ眠っているようだった。


今はすっかり岩場になっている。'餓鬼'時代に遊んだ昔、細長い小さな砂浜があった。上の岩場から左手にとると、下の入江がある。日本あちこちの海岸線で見られる規則正しい柱状石がここにまだ形を留めている。柱状節理と言われる玄武岩や安山岩らしく、例えば東尋坊、またタスマニアの大規模群など観光名所も少なくない。生物出現以前に地下マグマの噴出によって生成されたらしい。写真の場所を専有する岩塊は即ち数百万年の風化現象による柱状節理の破片と考えられる。

Left side of 1st picture in former blog
DSC_0091.jpg
DSC_0077.jpg
A small inlet on the opposite side of the rocky area above


この岩場の40年前、まだ砂浜があったそうだ。時化(しけ)の日だった。真夏に向かう手前の儀式のような天候。水は冷たく、波が岩に激しくぶつかる。早い海水浴客で同僚一人は果敢に海に入り、怖い波のために相棒は砂浜に座り、時を楽しむ。

シケの浅い海では身体は波に揉まれ岩の間に翻弄され往生するが、潜るとサザエが面白いように取れたのを思い出す。岩場に上がり、油断していたのだろう、大波にすくわれ、数メートル下に叩きつけられたことがある。言い換えると波に放りなげられるのだ。滞空時間は意外に長い。着地点にもしも突起物があれば重症を負うだろう、あるいは頭部打撃によって気を失うかもしれない.... と、考える時間があるように思う。と云うか、頭脳の伝達回路は光速のように早い。


五月半ばに堤防内側の懐に収まる小さな漁港を通り過ぎた。漁業組合棟に話し合う二人がいる。年配ならば、なんとなく互いに分かる。「あの岩場へ」と挨拶をおくると、意外にも言葉が返ってきた。「ケンちゃんかいな、あの日は時化とったな〜」。非常事態が伝わるや、村の屈強な若者たちが捜索してくれたのだ。そうか、彼ら二人も岩場に出てくれたに違いない。

砂浜で本を読んで過ごしていたのかも、と想像する。はっと気がつくと海に出た年若い同僚がまだ帰ってこない。きっと湾をまっすぐ泳いで宿に帰ったのだろうと思い、彼は逗留先の'我が家'に帰る。「ひとしさん、帰ってます?」と言う問いに、昨朝ともに同行し’家の夏開き’をした我が母は驚いた。胸の高鳴りに破裂しそうになりながら、彼はすぐさま砂浜にとって返す。駆け足で15分はかかろう。しかしそこに人影は無かった。村中に警報が走るのは、もう間もない。

昭和40年代。日本株式会社は寝食忘れ夢中に走っていたのではないか。お袋が後年ハミングした石田あゆみ’ブルーライト・ヨコハマ’や、進駐軍まわりで鍛えた声量溢れる弘田三枝子’人形の家’などが流行り、それにグループサウンズ全盛時代だったらしい。歌謡曲を覚え歌うようなことと無縁だった。2017年から世相を振り返るネットからの後知恵である。
私は事務所の仲間と同じで独りだったが、彼は既に女児の父親だった。そして二人目の子を迎える最中だった、と後で聞き知った。法曹界の住人は身を構え、泰然とするのが似合う。デザイン界はその頃、とても界と言えぬヤクザな職人世界だった。その違いであろう。

小中高と同じ学校、普段付き合わぬとも、なにかあると空気のような間柄で良く通じた。幼馴染でない。小3からだから、なに馴染みと言うのだろう。ふたりとも厳つく、不格好だった。大学時代、百万遍と東山七条、まず会ったことはない。勤め先は大阪と東京。私の事務所が京都に支所を開設、、私は必要な前線兵卒3名の一人。なぜか、もう数年出会わぬ彼とコンタクトを得た。共に一杯やりながら旧交を温めるようなことはなかった。互いに猛烈に忙しく、日常的な接点が無い。しかも彼は家庭持ちである。私は奥さんの名前も何も知らない。



【秋が深くなった。夏の名残までにupするつもりだったけれど、、、。来年の夏に続けよう】



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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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