ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Art 絵画/ 建築

Michael Angelo&painters of light ミケルアンジェロや光の画家たちの時代 [update] 

ローマ・ヴァチカン市 シスチナ礼拝堂とミケルアンジェロ天井画
Roma Vatican 02 Collage The Creation of Adam by Michelangelo 02


ミケルアンジェロはルネッサンス期・イタリアの三巨匠の一人だそうだ。フイレンツェの美術館だったと思うが、三年がかりダビデの像を見た。もうひとつはバチカンの高名な礼拝堂にあるフレスコ壁画。恐るべき芸術家である。信じられない人々が歴史にいる。ため息をつく間もなく、圧倒される。

ヴァチカンをもう一度訪ねたい。なぜなら、昔行った時、双眼鏡持っていず天井の小区画に描きこまれた画を詳しく見られなかった。すべてが美術書に載っているが、ホンモノをその現場で見る体験は異なる。例えてみれば、リアルマドリッドとバルセロナのフットボールをTVで見るのと、観客で埋まるスタジアムで背伸しながら見ると言う違いだ。

ベンハーと言う70mm映画の嚆矢で、大ヒットした聖書物語を御存知の方が沢山いるだろう。半世紀前だった。USらしい旧教信仰者が好む聖書っぽい、カビの生えるような物語。トントンと響く名前のチャールストン・ヘストン主役スペクタクル。何もない空虚な点から徐々にカメラが引いていく始まりが印象に残っている。左(だった?)に神が差し出した腕と手が、右にアダムの下垂した指そして手/腕が現れてくる。しなびた指と手に、やがて神の手/指から生命が吹き込まれる。映画は、創世記神話の一場面から始まる。

その天井画を礼拝堂の床から見上げると、まずそんな水平の位置に見えない。床から見上げると距離があり、他の区画に描きこまれた他場面と区別して観察して観賞するのは”しんどい”。もしも次の機会があるなら、コンパクトな高倍率双または単眼鏡を持って行こう。

Roma Vatican 01 Collage The Creation of Adam by Michelangelo 02

この礼拝堂の主役は、マア恐ろしやと言う大作"最後の審判”である。過去の偉大な芸術家はさような大壁画に数年をかける。典型は Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoniである。当時の例外的な長寿であり、それゆえ分野と作品は多岐にわたる。彼はローマ市内のヴァティカン、ピエトロ広場の建築群の基本設計者である。広場はクリスマスや復活祭の法王演説や法王選挙のTV実況の時、人々で埋まる。そこから’最後の審判’壁画のある礼拝堂が良く見える。壁画は1537年に描かれたらしいから、礼拝堂自体はローマ都市計画の実施初期に竣工したと思われる。

極東の離れ列島では、信玄(シンゲン)父の武田 信虎(ノブトラ)や今川義元ら武将が活躍する戦国時代だった。極西に当たる反対側のブリテン大島では、アン・ブーリン(エリザベス一世の母)後を襲ったジェーン・シーモアがヘンリー待望の男子を生んだ西暦年の前後になる。ジェーンは子を産んだ9日目に亡くなる一方、世継ぎ・男子誕生によって一代目先妻の女子マリーと二代目の女子エリザベスがいずれも王位継承権を失墜 [補注1]。

信虎や義元がチューダー2代目ヘンリー8世と同時代人。彼らは互いに存在を知らない。SNS時代から思うと、当時の東西世界は互いに孤立していたのだ。彼らを互いに合わせて見るSFフォルムを作ってはどうか…。

ミケルアンジェロに戻り、当時のイタリア半島は、ブリテン島や日本列島と同じで、戦国の世。水の都ヴェニスは長く独立国家だった。ナポレオン後のハプスブルグ家領から、明治維新の頃ようやく統一イタリアに組み入れらた。中世以来しばしばローマは戦乱に覆われ、ついこの間まで、今のイタリアなんて影も形もなかった。

ヘンリーの上さんアン・ブーリンがロンドン塔たもとで斬首された年、カルル5世[補注2]に一時追われたメディチ家が本来のフィレンツェに復帰している。その当主が一年後に暗殺された。そのニュースを聞いた天井画製作中ミケルアンジェロはなんと思ったか? 

ヴァチカンはローマと同義であり、ローマとフィレンツェは言って見れば目と鼻の先。リビアのガダフィー旦那がトリポリから追われたくらいの驚きだったのではあるまいか?当時の大芸術家ながら、支配者のローマ教皇やメディチの命令や注文には従わなければならない。既に還暦を越えた巨匠ゆえに、芸術活動と凄惨な戦いも一つの器に収め、泰然として画筆を進めていたのかもしれない…。

ミケルアンジェロは名前で苗字はややこしい。後世に知られる偉大な芸術家は、その高みによって名前だけか苗字だけで、誰と分かる。ミケランジェロの同時代人ダ・ヴィンチはご存知の通り、苗字だ。画家だけの例としてレンブラントはファン・ラインと言うライン川沿い出身苗字を持ち、普通その苗字は省略される。

稀なる長寿89才のミケルアンジェロは従って複数の苗字無しで、美術史に輝いている。綴りMichelangeloはMichelとangeloの複合語。イタリア発声でミケルになる。ミッチェルとかミシェルはフランス風? USだとマイケルと、はしたなく呼称される。紀元前6世紀頃になったダニエル書と言う文献に初登場して"海戦の神"と言う意味らしい。すると海の戦いの勇者と天使の組み合わせで、括弧良いコンパウンド・ネームと言うこと。大芸術家ゆえに、彼の生前中に同名をもらった男子が非常に多い。

Roma ergens 01
典型的イタリアの町に思えるが、北のほか地域にも似たような雰囲気がみられる。

当然、それらミケルアンジェロは苗字をつけないと分からない。カラヴァッジョ と言う光の扱いに勝れた画家が元祖ミケルアンジェロ逝って5年後に生まれる。ほのぼのとする肖像画や静物画を描き、ファンが多い。黒い背景に光を浮き上がらせる非常にインパクトを与える画法で知られる。この画家を30年ほど前にテレビ放映の映画で、私は知った。それまで知らずと言うことは、欧州美術史研究の進歩、そして作品の再評価と広範な市場化がこの30年に起こったと考えられる。出版・情報のグローバル化、特にインタネットの一般化が知られざる作品を世に知らせしめる…。[補注3]

光の画家と美術史で習ったのは カラヴァッジョの一世前、北のニュールンベルグ生まれアルブレヒト・デューラー。ルネッサンス期の潮流は全欧で渦巻き、光を研究して扱う画家が沢山いたのだ。デューラーは例えば影に浮かぶ人物ブロンド髪に落ちる光条、光のうねりを見事に描いている。カラヴァッジョは当然、それからも学んだ…。

彼の数十年後にオランダでヤン・ファン・デル・メールが活躍。ファン・デルをつづめて、フェルメールと言う苗字が現在知られる。van der → ver。このヤン姓名はファン・デルフトをつけて完結する。彼はデルフト出身でデルフトの素朴な町や女性を描いた。カラヴァッジョの影響と言えるかどうか? 時代精神/画法を駆使したやはり光の画家の一人。 小作品ながら、うなぎ登りの人気は時代性ゆえ、私は思う。ミケルアンジェロやデューラーのような伝統宗教的"重み"から自由だから、今風な共感が感じられるから…。(10年前のモーリッツ美術館フェルメール展は混雑しすぎて幻滅)。

Vittorio Emanuele I  A

ミケルアンジェロは長い一生を独身で通した故に、大芸術を残した。と言う説に一理を認めることができよう。つまりへテロ愛でないタイプの人々がイタリア芸術を支えてきた…。上の建物はしかし半島を初めて一つにまとめた波乱の国王エマニュエル2世を記念する19世紀末の建物。壮大だがこけおどしっぽい…。恐らくヘテロ普通の男の設計かも。

あちこちネタが散らばる出たら目な作文なので、”落ち”を付けないといけない。と言うか、書き忘れを付け加えよう。カラヴァッジョのファーストネームはミケルアンジェロである。親は偉大なミケルアンジェロのようになってほしいと名付けた。彼はシシリー島からローマまでの光の充分な南イタリアで画材を見つけ、光と影をキャンバスに残した。親の期待をはるかに上回る勝れた画家になった、と私には感じられる。

【補注】;
1.Edward VI (12 October 1537 – 6 July 1553)
2.カルルの伯母はヘンリーⅧの一代目の正式妻。Catherine of Aragon (Castilian: Catalina de Aragón; Aragonese: Catarina d'Aragón; 16 December 1485 – 7 January 1536) はじめヘンリーの兄・アーサーと結婚。彼の病死により、王位継承者1位の弟に請われ、女王(王の妻)になる。1533年、トーマス・クロムウェルの画策により、アン・ブーリンに座を譲った。ローマ法王はアラゴンのキャサリンとヘンリー8世の離婚を認めず、これが英国国教会を産みだした。つまり’独立した’イングランド国教会はその結婚を無効としたので、アンはヘンリーの妻に’就任’できた。
3.買い手は、支那とロシアから殺到すると言われる。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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