ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

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Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

こころざしをはたして いつの日にか帰らん  …  故郷は遠くにありて思うもの

こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと

<故郷は遠くにありて思うもの>

071103 P1010985 ススキとタカノ川

いかに在ます ちちはは つつがなしや 友がき 雨に風につけても 思い出ずる故郷

071103 takano mura 37 Tuwabuki

うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

Aki 110926 栗ご飯時


国文学者・高野 辰之(タカノ タツユキ)と言う人の作詞だそうだ。音痴の私ですら覚えている。私たち世代が習った唱歌の作詞者である。音楽史/歌謡史を修める勝れた文学者だった。還暦超えの田舎育ちならば、歌詞の内容を共有しているのでは…。私の心にも響く。一方で、こんな時代も田舎暮らしも経験のない人の心情を心地よく揺さぶるようである。詩的な普遍性というものだろうか…。

こころざしは私に当てはまりません。こころざしと言う気持ちを持ったことは無い。放浪に使命感のような心の高ぶりが在ると思われない。けれども生まれ故郷がある。日本が私のそれです。父と母はいずれも90を超え、人生を全う。私を生んだ海鳴りの聞こえる故郷に眠っている。帰りたい気持ちに時々おそわれる。兄は兎を追ったことがあると聞いた。どう言うわけか私に無くて、残念。しかし雉を追いかけ、川蟹取り巣を仕掛け、鯰を捕まえた実績はある。

耳の長い野兎は筋肉を発達させ珍味中の珍味と言われます。赤ワインで下ごしらえして、様々にいただく。クリスマスのディナーにピッタリ。灌木地(ハイデ)広がる北の州のノウサギが野生"ブランド"として知られるが、普通のスーパーで求めるHasen(独)/Haas(一匹)は飼育"野生種"であろう。独蘭スーパー網に冷凍供給される頭数が野生であるわけがあるまい。

一方、ワイン葡萄畑のブドウ樹新芽を食べる兎を見かける。村中だと数百匹いるかも知れない。同じような20cm長の小うさぎが都市間部の緑地帯やドイツ‣ルール都市自動車網の樹木狭間などに、普通に見られる。あるいは飼い兎が野生化した例があるかもしれない。耳の長い本物の野性`ハース`種に並んで、敏捷に菜食活動をする。野性の美味い肉と思われる。これら兎肉は'祭り'的な伝統料理素材と言えるだろう。この頃の'動物虐待ならぬ'と言う'動物'権主義者が'可愛い兎’肉ステーキを聴くなら、気絶するかも知れない…。

私の観察/採取フィールドにイノシシやシカが棲息する。頭数調整のため、年または数年ごとに、狩猟される。Haas姓を持つ親父の野獣肉店があり、そこならばバッチリ本物のそれら野獣肉を入手できる。森の番人(林野庁公務員である)広報に目を配ると、狩猟期が分かる。しばしば放牧地や耕作地で耳を立て様子を伺うノウサギを目撃できる。捕まえるのは至難。地下通路を縦横に構築しているから、捕獲は専門家の仕事だそうな。高野が詠ったウサギはヨーロッパ"ハーゼン"の親戚に当たる日本ノウサギ属種だったのではないか。言うまでも無く`追いし`は`美味し`であって、滅多にない贅沢な馳走になる。

秋日和。栗を拾う。これら個体の本年しあがりは今ひとつ、例年より小粒。Castanea sativaと記述される欧州のクリ。秋になるとお袋が庭の栗を小まめに剥いてクリご飯を作ってくれたのを思い出す。画像よりさらに小粒だったなぁ。シバクリと呼んでいた。Castanea crenata と書かれるようだ。日本種として、ほかにまだ数種あるかもしれないが。

母は栗ご飯。父の持分はイカ刺身。彼のウドン打ちも記憶にある。一番覚えているのは”カシワ”。祭りや何かの祝いの馳走にカシワが出ましたね。ニワトリの肉。海沿いの庭とも通りとも思える我が家周りに、十匹か、もっと白や茶色のニワトリが自由に遊び、与える餌よりもそこら中のミミズや昆虫などを探しつつき、日頃の卵を産んでくれる。今風に言うなら、有機農法的飼育に当たる。運動量のある抜群に健康なニワトリ。

昔はそうだったんですね。親父に必要な技量はその1匹を捕まえ、首を確かエイとひねって苦しめずに成仏させることだった。捕まえるのはコーコッココッコーと掛け声合わせ、両手を広げて輪を縮め協力する子供たちが必要だった。メンドリたちは突然、空に舞い上がり囲みを抜ける。そりゃー、首をひねられる惨事から逃れたいはず。早朝かならず時の雄たけびを上げるのは貫禄あるオンドリだろう。ひときわデカイ雄鶏の捕獲は難しかったと思う。その後の作業は毛むしりで、かなりの力が要り、親父の仕事領分。
嗚呼、赤茶の走る雄鶏の羽を年上の子供達が上手に飾ってインディアンゴッコをしていたなぁ。

栗絡みで、そんなハハとチチを秋に思い出している。戦後直ぐ、疎開と言う感じの時代。小学校からは父が元の職場に復帰したので都会住まいになった。月給数千円だから、親子4人の初め住まいは未亡人家族の玄関と二階六畳一間。台所は二家族で使ったのではないか。三畳ほどの玄関間は茶の間的に使ったと思う。小学校1年の私と遊んでくれたのは未亡人の娘さんで、10才ほどのキッコチャンだった。戦後の貧しき時代、人々はそうして仲良く生きていた…。

私の原点は、どちらかと言えば、街よりも海鳴りの村だと思う。そこで'こりゃ、生きられんぞ'と呟かれた赤子が私だ。ひたすら健やかに生きよと…。夏の日差しと紺碧の空、そして冬の激しい波頭、屋根に厚く積もる雪。学期休みごとに蒸気機関車でその村に帰った。そこに兄と祖母が暮らし、晩年の両親が暮らし、なお私の本籍がある。

過去数十年、国籍を変えるといろいろ日常的便宜があると助言を受けている。日本籍だと、細かなことですら、何時もハーグの大使館公使部に行かねばならない。しかし気弱だから、国籍も本籍も変えられ無い。心のふるさとが無くなるような気がする…。

世界に多種のクリ・スペーシーズが育っているだろう。北米の場合、Castanea のあとにalnifolia / dentata / floridana / pumila / ashei 等やや表情の異なる栗たちが自生する。秋の今頃インディアン子供たちは争って栗取り合戦をしたかもしれない。独蘭でも、戦争中たいせつな食糧そしてオヤツだった。風車臼で引き、小麦粉に混ぜた可能性は在ろう。稀に、食べるためか子供の遊びのためか、森で栗ひろいする村人を見かける。食材の場合はオヤツである。皮をむき、生でかじる。煮たり焼いたりをしないのだ。歯が欠けるのではないだろうか。

しかし過去15年、我村で栗拾いする人を見ることはあまりなかった。歩いても歩いても出口を見つけられないような森に、ブナやクルミなど果実も実る。庭いじりの好きな知人曰く:ワラビ取りや木の実拾いは鯨やシャチにイルカを捕る野蛮な日本人、貴方だけがするのよね…

【補註】;
二つ目の題名「ふるさとは遠きにありて思ふもの」について。本稿は2011年9月の雑感。コメントの方から新知識を頂戴したので、その点を加えたUpdate版。コメント氏に感謝致します。
この1行は室生犀星の詩句。大正7年/1918年刊「抒情小曲集」所収されている一遍「小景異情」の第1行。全詩は以下;

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土いどの乞食かたゐとなるとても

帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


[補註の補註];
匿名の方の先日コメント主旨は、二つ目の「故郷は遠くに在りて思うもの」とこの拙文(故郷の日本、生まれた村を忍ぶ)主題とに違和感があると言うもの。私は無知でしたが、この語句は上記の詩人とその詩集由来。こう詠い始めた犀星の動機は、(ネガティブな思い出があるために)「故郷は二度と帰る所ではない」と言うものらしい。私の気分は、素晴らしい故郷に帰りたいと言うことですから、論理的整合性に欠けると言うご指摘に思われます。もしも経済的に自由なら、そことこことを何時でも行き交いできる…。犀星が詠った如く、オイソレと行き帰り出来ない現実と、もし帰ったとしても我が無人家とわずかの顔見知り老人たちがいるに過ぎない。
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Comment

No title

間違っていたらごめんなさい。
室生犀星は 故郷なんて 二度と帰るところではないという気持ちを
歌ったものだと思っています。

室生犀星

書き込みを頂くことはまず在りません。目を通す方は少ないので、お礼申し上げます。
作詞者・高野 辰之は長野の人で国文学者、室生犀星は金沢出身の詩人のち小説家として名を成しました。犀星は筆名らしい筆名ですね。「杏っこ」と詩集1冊を持っていましたが、、彼がこの詩句に関わっている事情を知りません。具体的に教えて下されば幸です。

No title

このブログでは 望郷の念を 述べておられると思うのですが
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」というのは
室生犀星「小景異情」の冒頭の部分で 望郷の念とは
全く逆のもので 違和感を感じます。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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