ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Nostalgic Melody&Film 懐メロ&フィルム

汽車が行く行く汽車が行く 舟歌から蝶々まで 帰化進化したメロディー


汽車が行く行く汽車が行く、と言う歌詞があったと思った。

無かったのかもしれない。どうだろう? キシャ キシャ シュッポ シュッポ シュポッポ これは兵隊さんが汽車に乗って動員されるお国奉公の原詩を戦後にあらためた替え歌だと言う。日中戦争の頃かも知れない。支那大陸でなく、日本の部隊駐屯地から輸送船の待つ宇品港までと言った汽車旅ではなかったか…。もちろん石炭を燃やす蒸気機関車だ。ドヴァーッと白煙と黒煙が吐き出され、ゴットリ静かにピストンが動き出す…

China 2de train ongeluk
これも汽車に違いない。トレインと言うべきか。北京中央は急ぎすぎ、外側だけ真似をした…。人災と言えよう。災難に合われた方々の回復を祈ります。

汽車ポッポの歌は、明るい子供心に弾む汽車賛歌になっている。さような例は横文字の原詩を日本語に移し変える過程でも往々に見られる。歌は世につれ世は歌につれ、この言い慣わしに含めても良い現象であろう。言葉が繰り返される歌詞でシュポッポにと共に直ぐに浮かぶのは「チョウチョウ チョウチョウ 菜の葉にトマレ」だ。小学唱歌の代表だろう。スペイン舟歌が元らしい。

チョウチョウならぬ"漕げや歌えや、ヨーソロ”舟歌はスペイン・ハプスブルグ家の楽師たちと共にヨーロッパ全域に広まった、なんてことがあるだろうか?王家の嫁入りなどの際、楽師/小さな楽団と言うか道化師を含む芸人達が殆ど同行していましたから…。民謡の広まり方は様々なれど、王侯による公式な長旅と言うのは文化伝承と言うか人々の口に伝わる"はやり"の大きなファクターだったと考えられます。

16世紀後半の軍艦に三つほどタイプがある。沢山の長い櫓(ロ)を船腹から出すガレー船と言うのは100%人力船。他に帆と組み合わせたタイプ、そして複雑な作業を要する大帆船タイプ。最後の帆走船は風力利用のため、重量のある大砲を積載出来、戦闘形態を進化させた。火力が登場する以前は、したがって海戦は漕ぎ手に左右され、舟歌が必要であった…

China ongeluk 01 脱線
昔"汽車”今は電車/列車の2ヶ月前の事故。欧日からのあちこちツギハギ"自前技術"…連続する事象をこの頃では"Tsunami"と形容する。Tsunami of Chinese train's... しかしJR西日本宝塚線の事故が記憶に新しい「(勝って)兜の緒を締めよ」は全ての列車事故に当てはまる。

"蝶々"オリジナル・メロディーをポーランドのピアノ偉人がアレンジしていると二十年ほど前に聞いた。一次世界大戦が終わり、平和な希望溢れる時期にルドルフ・シュタイナーと言う人が自分の教育思想を実践する小学校をはじめた。彼の教育は歌に満ち、娘たちは様々な歌を毎日歌ってくれた。それらの一つが19世紀初期頃、楽譜化されたらしい"チョウチョウ”です。

アレッと思い聞くと、バッハだとかショパンだとかの何やら変ホ長調の何番とかにあると言うことだった。ショパンは貴族出の恵まれた環境で才能を開花させたと言われる。コペルニクスを知っていても、ショパンもポーランド人であったと聞いてびっくり。綴りも発声もフランス風なのでフランス人と勘違いしていたんです。ポーランド語綴りもフランス語綴りに変っているので、鈍人に分からない。そう言うのがしょっちゅうあって困りますね。

私は音痴だし歌えないので、歌詞など覚えられません。恐らく楽しい舟歌であったのでしょういつか娘達に聞いてみようと思う。何処でどうして、日本の唱歌に治まったのか? 明治は鹿鳴館の猿真似社交ダンスと多少は関係があるのだろう…。同時に汽車もその頃に紹介され、維新の若き志士達が元勲になったころ、招聘された(恐らく)ブリテン人から技術移転が行われレールが敷設され、一つの国家インフラストラクチャー・システムが定着した。

こうして後にキシャ・キシャ・シュッポ・シュッポ・シュッポッポが実現したんですね。トンネルばかりが続く山間を窓を上に閉めたり下に開けたり、しばしば黒煙が顔に付いた蒸気機関車の旅を思い出します。小学校3~4年生頃までだったでしょう。

いずれのメロディーも楽しく明るい(そして懐かしい)。蝶々は日本の唱歌として帰化、進化した成熟ぶりを私は感じる。こうド素人が言っても迫力ありませんネ。しかし国際化と言うか普遍的グローバリゼーションと言うのはさような現象です。HaikuやIkebanaの如し。Ipponと我村のアマゾネスが叫ぶJudoも然り。

Belgie  weer berichten 01
明日は良き秋日和になりそうです。この形、お分かりでしょうか?我南隣の愛すべき人々の土地。Nazomerweerとあります。小春日和と呼べる季節になりましたね[参照:日記Indian summer 夏のあと]
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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