ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Here&there lands 雑なるアレコレ大地

インディアン・サマーが革命を呼ぶ?  [外伝:小春日和] 

29.5度は過激でしょう、いくらインディアン・サマーだとしても。この言葉は、しかも古風な解釈ならば、盛りの秋以降に現れる天候現象を指さねばなりません。本日は十月に入った初日です。ブリテン大島南部の10月1日29.5度は新記録だと伝える記事があります。さもあらむ。つまりインディアン・サマーに属しない異常高温なんですね。

インドの夏が何故、深い秋に時々見られる暖かい気持ちの良い天候を意味するようになったか?明示的文献は無いそうです。18世紀後半にでてきた成句らしい。欧州からの植民事業(と言うか宗教的に阻害された人々が新天地を求めた面がある)が真っ盛りで、同時に植民経営しているインド大陸の熱帯気候からの余熱でもあったのか知らん…。アメリカ原住民族をインディアンと呼ぶついでに、雪がちらつく前のホンワカ気候をインディアン・サマーと称したんですね。初出は1778年、フランス出身の農民ミシェル・グュリオンが書いた手紙にあるらしい。

Nazomer 03 Groesbeek Kamp
神無月 (カムナヅキ)朔日 (ツイタチ) 異例な25度を超える夏日より。神無しでなければそんなに上らぬのでは。ウィークエンドのキャンプをを楽しむ人々。

秋から冬への移り変わりに北半球で見られる気候現象を、日本で小春日和と呼ぶ。寒くなり始める時期に束の間の暖かさが感じられる。人々はビックリして、これは奇妙なりと思った。原住民はヨーロッパ白人からすると、風変わりで異なって見える。フランスからも既に多くの植民者が五大湖(ケヴェック等)あたりに入っています。それゆえ、「こりゃー、インディアンの夏じゃ…」と形容して、初めて紙にしたためたのが、かのフランス人であった。

Nazomer 04 Koringo In Groesbeek
夏のような強い10月1日の光を受けるkoringoと記述される出島から出たリンゴ種。さらに改良された園芸種の一つ。これだけ見事になるのですが、、、日本オリジナル山野の素朴な秋が偲ばれます。

この暖かさと言葉コハルビヨリを私は13才頃に叔母から教わった。英国諸島では聖ルーカス・聖マルタインなど聖人名で呼んだそうです。ドイツ北のハノーファー朝から招聘され英国王になったゲオルグ(=ジョージ)の孫三世が議会の頭領ノートと共に、北米の植民反乱側を抑えられると正規軍を送りだした頃です。所謂アメリカ独立戦争の勃発時で、呑気な天気の話しをしている暇は無かったんですけれど…。

Impatiens glandulifera 038 Millingenwaard Cooseup
ヒマラヤ・バルサムまたは"山中でキスして”(よく見るとそんな気分になる表情デス)とアザナされるインド大陸から西印会社の船で渡欧した釣船草の仲間。やはり19世紀前半に日本の有名なイタドリ(後ろに見えます)が東印会社の船で欧州に入り、いずれも侵略種として今この秋に咲き誇っています。インディアン・サマーの両雄・大雑草と呼ぶべきでしょう…

そもそも発端はブリテン西インド貿易会社がインドから茶税かけずにアメリカ植民地に輸出しようとした事件だった。市場を荒らされては困る植民側がそのインド茶を船から海に投げ込む暴動が発生。現況アラブのような不穏な情勢が続きます。ロンドンのノート首相が"御前会議"を召集、駐屯する軍隊に鎮圧命令を下した。ジョージ3世は"我領地の無礼を許せぬ"と大賛成…バーレンやシリアの大統領の初期取締りと同じ成行き。国家治安の通常手続きと奴さんらは信じる。しばしば革命と言うのは、こうして始るんです。

北米大陸にUS(合衆国)が独立宣言するのは、インディアン・サマー語彙初出の数年前。宣言をしてから本格的な戦闘と言うか、合戦が始ります。戦場はフィラデルフィア・ニューヨークなど東部沿岸都市の取り合いを主にして、南はジョージア州まであたりだった。本国ブリテンからの総司令官が数度交代する長期戦です。

有体に言えば、初めはアマチア民兵とプロフェッショナル軍兵と言う格好だった。後知恵で言えば、地元の利とか戦意だとか、泥沼化する長期戦の公式がここでも適用できる。何度も春が来て何度も冬将軍に見舞われ、その合間にインディアン・サマーが挟まったわけです。

欧州の(英仏蘭西瑞など)勢力争いが北米の東部に違った形で反映される。例えばリパブリカン蘭国はニュー・アムステルダム(のち英に割譲Newyork)からハドソン川沿デラウェイ地区に砦を展開し、原住民との毛皮・葉巻材など商いに忙しかった。巻き上がる砂と言う典型的蘭苗字のスタイブサント将軍らが活躍します。あのタバコブランドは彼の末裔かも…?そんな塩梅で蘭国はここでは宿敵仏国と共に大陸植民側に加勢。

ジョージ3世はハノーファーの王でも在りますから、ドイツ圏小領邦ヘッセン・カッセルからの傭兵軍を都合します。独英枢軸と言う言葉も概念もありませんが、王室関係は枢軸どころか血の塊同士です。ウィンザー家は嘘も方便の命名にすぎず、ほんとの本家名はサックス-コーブルフ・ゴータと言うドイツ地方貴族家系。ベルギー王家もこの出です。戦争するなら親戚同士の馬鹿王どもがリングの中で勝手にやりゃーいい、と言う至言がありますね。

独立戦争は両方合わせ戦死10万余。100年後に登場する機関銃・戦車以前ですから、年平均1万の数で奇妙な言い方ながらほっとするのでは?過酷な兵站事情と年数かかりのためその半分以上は病死です。戦って死ぬのでは無く、病気や飢えで死ぬ。

太平洋戦争末期の帝国陸軍の島嶼戦で起りましたね。10年のUS戦死傷者に劣らぬ数の父や息子達が、無様な軍務局の兵站計画の犠牲になりました。食べるものも銃弾も船の油も無く、大和魂で勝てと机上で楼閣を作った。母と子が栗を煮ながら、南の島の戦場から帰るであろう父を待つという"里の秋"の無情を思わずにいられない。

小火力時代の少ない犠牲者…逆にだからこそ、同民族の共食いと言える凄絶な戦だった。各地に無数のエピソードが語られ、メモリアル跡が残されている。やがて起る南北戦争を含めた言わばこの内戦時代以後に、外部からUS内部に戦力と言うか攻撃が加えられたのは2001年ナインイレブンが最初だと言う雑史的事実がある。

Impatiens glandulifera 006ツリフネ草科釣船属 Reuzenbalsemien
この細部からセクシーな感じをうけます? 色味は白から強い赤まで。一つトーンから二つトーンも、薄い青みがかかる個体もあります。

インディアン・サマーと言う表現と成立を私は歴史的経緯から納得します。しかし気候的な意味では語彙が連携せず可笑しいのだ…。19世紀初めから直ぐに適応したらしいヒマラヤのツリフネ草を''巨人バルサム”とわが村で言い、ナソーマー=夏の後=インディアン・サマーに咲く数少ない花の一つとして知られています。

"印度の夏"は直ぐに19世紀初めブリテン文献に現れ、新語として定着。エキゾチックな語感から直ぐに旧名にとって変ったようです。この意味でフランスの植民者の形容は革命的であったのかも…。詳細は分からずながら、ショーン・デ・クレヴォエみたいな苗字の彼がアメリカ独立派に付いたブルボン朝軍隊の兵隊から、もしもちゃっかりトンズラ、帰化したのであれば、アッパレと思います…。

ドイツ領邦にUSの息子や叔父から便りが届き、きっとインディアン・サマーが知られたでしょう。我向こう村でゴールデネル・オクトーバーと言うのを聞きました。金色の10月…華麗なる10月…素晴らしきカムナ月…。ウムこれもなかなかのネーミングだ。

長期戦と言うのは、生活がかかります。そう言うのを十年一昔と言っても良い。徴兵制と常備軍制以前は脱走兵がでるのは当たり前。ジョージ3世が敗北を認めた後ですが、ドイツ傭兵も三分の一ほど帰化した と言われます。

USは雑多民族のルツボと言う面と共に、その核をなすのは欧州民族のいくつかに過ぎない。北米大陸に出稼ぎに出た雑草のような強靭な連中・彼ら傭兵が、あたかもイタドリや巨大ツリフネ草のようにドイツ系の一角をなし、遠くなったとは言え今日のUSを支えている。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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