ライン・ワール・マースの狭間から、草の如し徒然の観察八景。 政ごと/商いごと/言の葉ごと/遊びごと。

Art 絵画/ 建築

Jeroen van Aken (イェルーン・ファン・アーケン)の前に誰もいなかった 


10月4/5日はデン・ボス日記でした。デン・ボッスと促音入りで書いたかもしれません。昨日イタリアの"北連盟党"ボッシが出てきて、オヤッと思いました。カナ読みで促音を入れてボッスそっくりなので、伊太利亜の姓ボッシの意味も同じ"森"と思ったからです。ベルルスコーニ老の言葉ですから、やはり森は無いでしょうが、モリディブなんて仮名漢字音ソックリもありますし…

Kaart Brabant tijd Hertogdom
ゴットフリード1.2.3世と続く皇帝臣下の時代を遡った十世紀頃の地図。ルターが出るのはずっと後世で、この全域がローマカトリック圏。それは宗教改革後から現在にまで継続すると見なされます。3世の息子は公爵位を受け ヘンドリック1世を名乗る。公爵ヘルトッフが's-Hertogenboschと言う市名の由来。彼の末裔がそれから四世紀間ほどハプスブルグに吸収されるまで続く。当時の領地は現在のベネルックスとフランス北部を包括する区域に思われ、領主居城はレーヴェンだったかも?

Keulenはケルン、デン・ボスはAntowerpenのpenあたりに位置する。北フランス交通の要所VerdunとMetzも見えます。史上数々の戦いで知られる。特に1916年真冬から半年続いたヴェルダン攻防戦は一次大戦の凄まじさを示す一つ。独仏あわせ戦死者30万近く、使用砲弾量も2次大戦でもなかなか破られなかった。ムーズ川が北上してベルギーに流れ、リエージェ(ラウク)の後オランダに入る。ムーズはマース川になりローマ遺跡の在る古都マーストリヒトに至る。

地図説明に、下部を"上ロートリンゲン(ロレーヌ)”、上部を"下(シモ)ロートリンゲンとあります。メス(メッツ)を流れケルンを通りさらに北上するのはライン川。この数世紀後の概要が次の公開地図。デンボスは北ブラバントと言うランドグラフ領 (伯爵+土地)の中心地と言われ、濃い部分の北の端に見えます。15世紀半ばHoogstraten/Turnhoutあたりから上の人口が20万だったそうです。

Kaart  Hertogdom 13 eeuw

わずか20万ながら、6世紀前です。今なら日本の100~200万の小さな県に当たるかも…。その街にファン・アーケンと言う代々画家の家があった。先祖は徒歩数日の距離100キロmに在る南東のアーケン(Aachenアーフェン)から来たのでしょう。神聖ローマ帝国の帝冠を授ける都だった。カルル(=カルロス)5世の滞在地で、様々に効く温泉(今は暖めている)地として知られる。現在のベルギー・ブラバント州都ハッセルテが見当たらず…戸惑います。

Jeroen Bosch 001-2 やや横から

一枚の素描を元にした立体像。よく出来ていると思いますね。呼び名をイェルーン、姓をファン・アーケンと言う。ヨーロッパ絵画史上、突然に出た画材ごたまぜした不思議な画家。デン・ボスで生まれ、育ち、大往生した。しかめっ面した公的場所で、Jeroenのオリジナルに当たる小難しいラテン語名を用いたらしい。この街になじみ、街を愛したゆえ街の綴りBoschを苗字として絵筆で署名している。言わば雅号であるが、後にラテン名と組み合わされ本名のように扱われている。

10月4・5日の画像の一つは駅前ロータリー噴水である。龍とコウモリのアイノコのような怪獣が水を吐き出している。彼はこうしたイメージの宝庫でした。現代ならば、一杯転がる材料をオタクごもりで遊び、こんな風に描ける子供/大人が一杯いるでしょう。だが15世紀後半から16世紀初めの時、このような怪獣や猟奇をどうして想像する? 中世の暗い淀みからの覚醒、低地ブルゴーニュに於けるルネッサンス的方法論、様々なもっともらしい説/解釈がある。あいまいだから決定打は無く、見る側の心理状態で幾ようにも翻訳される。

20世紀初頭のサルバド-ル・ダリ(仏)やエドヴァルド・ムンク(ノルウェイ)、ルネ・マルグリット(白)なら少しも訝らない。彼らの仕事がなるべく時代性と先例が既にある。ところがイェルーンの前に誰もいなかったのです。これが論議を膠着させているのだろう。先に放たれた矢はなかった。彼がかぶら矢を放ったと言うこと。その振動音が彼以降の全ての意味不明・怪奇・超現実をモチーフにする芸術家たちに伝わった。

北方ルネッサンス派=主義だったかな、そんな名称を何処かで見た。ヒュー・ホナーと言う一般芸術史家の大著に解説は在るが、碌な区分けも説得性もない。ルネッサンスのもっとも有名な一人ダ・ヴィンチはボッシュと感心するほど同時代人。ほぼ重なり享年も67と66才である。誰が言ったのか?ほんとに北方ルネッサンスと言ったなら愉快なズッコケ氏ですが、ダヴィンチに対するユニークと言う点で当たっているか…。

ルネッサンス的モラルをこのような夢想として描いた…と美句を並べる人もいるが、何も言っていないに等しい。彼が6~800キロメートル南のイタリアに旅してダ・ヴィンチと面識しているなら、実証的ルネッサスとのリンクがあろう。ファン・アーケン家は敬虔な地方的カトリックにすぎなかったのでは。絵心無しの無味乾燥氏がしばしば模造宝石を書き連ねる。単なる風変わりだが個性に溢れる絵描きという方が増しではないか。

本家オランダに隠れたる研究が在る筈。勉強する時間なし。目にもせず全く調べもせず反省だけ一人前にしています。日本に彼の研究家がいると素晴らしいのですが…。厄介なのは15世紀半ばの生活感覚と蘭気質を知らねばならないこと。21世紀列島人には難しい課題デス。

現存する作品数は少ない。かなりの無署名タブロー/扉絵が贋作と言うか、彼の追随者による継承/模写と判定された結果でもある。また新旧の宗教争い、特にブルゴーニュでも発生した徹底的な偶像破壊期に宗教像と一緒くたになって本物が消滅したそうな。無敵艦隊を建造中のフェリーぺ二世が何処で扉3枚画を見たのか聞いたのか?大作を収集しています。それら実物をプラドー美術館で見ました。デモネー、実感は遠くに消えて、全く覚えていないのです。そう言う経験ばかりで情けない。

Jeroen Bosch 001-3 正面

ヴェネチィアにも在るらしい。当然だろう、ガラス工芸の材料は何処から?と思いながら、ルネッサンス期いわば長靴半島でもっとも商いが盛んな場所だったから。衣の質感と重みが正しく堂々と表現される、例えばデューラーのような古代ギリシャ人物画、そして目と口元に彼しか表現できないダ・ヴィンチの小さな神秘的タブローが並立する時代に、イェルーンはケッタイな漫画チック、ありとあらゆる道具画材とそのデフォルメ、大小取り合わせ奔放さを描いているのだ。

当時の人々は"面白い"、"意外でエエヤナイカ"と考えたかも知れぬ。買いこんで儲けようと言う時代でなかった…しかし希少的画法のためにヴェネチア大商人や貴族王侯に求められた。細部の表現は出き不出来がありますが、緻密で写実的。もし高精度印刷の高価本でご覧になるなら、虫眼鏡で確認されることをお勧めします。

ヒエロニムス・ボッシュの後継者は一世紀後のフラーデレンのブリューゲル(ブリューフェル)親子。特に親のPieter Bruegelでしょう。彼の息子達、孫達と画家一家を形成します。ヨーロッパ旅行中にピーテルを見出した大学の先生がいます。その感動の喜びと掬い取った意味を新書版にあらわされている。お名前を失念すれどもピーテル作品に接する方はフムフム同意されるでしょう。私にもほんの少し分かる気がするのです。ブリューゲルの源泉は神話や宗教物語、それに日々の些細な生活にありますが、何よりも直接の刺激は同じ土地の先達ボッシュからと私は思います。

本名イェルーン・ファン・アーケンの人物像が殆ど不明。歌麿のような感じだから、実証的研究が進まないのかも知れませんね。同胞で後の画家ファン・ゴッホの場合、人と成りが痛いほど分かり、書き物もどっさり在る。ボッシュがそうならば、考証をしつつ相当な論を展開できる。残念なことに、デン・ボス中の古資料をあさっても出てこないと言うこと。大火のせいでしょうか? ファン・ライン(レンブラント)の如し国家的愛国心をくすぐる歴史的大画家でありません。2次元の奇怪な家に住むキラッと光りつつヨウワカラン画家である。
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ken minatoya

Author:ken minatoya
Victor Westhoff(1916-2001)碑文Hij observeertからのHNを本名と苗字に先立つ屋号に変更。ウエストホフは生物フローラの相互生息環境を丹念に観察したBiotop概念の先駆者。ザザーッとフィールドを歩きつつ、こぼれ見える外史/雑人/雑草の風景

日本語→英語自動翻訳【星条旗】
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